その他のエースパイロット


ここではエースに限らず、戦後の記録などで特によく知られているパイロット達を紹介している。


 エリオット・レム少佐 / エリック・マンスフィールド中佐 / 精鋭部隊「キマイラ」 

/ ギャビー・ハザード中佐 / 特務部隊「サイクロップス」 / サイラス・ロック中尉 

/ ジェラルド・サカイ大尉 / トーマス・クルツ中尉 / マサヤ・ナカガワ中尉 

/ ロバート・ギリアム大佐 /


エリオット・レム少佐 

レム少佐(一説にはエルオット・レム、中佐)は、厳密にはエースパイロットではない。彼が実戦に参加した記録は残っておらず、その形跡も見られない。しかしザクシリーズを中心としたMS開発のテストパイロットとして活躍した。その功績はMS開発史を語る上で欠かせないものであり、重要な人物と言えよう。

レム少佐はUC0039年サイド1生まれ、地球連邦総合大学・大学院を卒業しており、宇宙工学、核物理学、一般宇宙飛行学の学位を取得している。サイド3へ移住後ジオニック社に入社、工作機器の設計を行っていた。一方時代は急転しUC0062年、ジオン国防隊は国軍へ昇格、UC0071年にはミノフスキー粒子散布下における新兵器開発「S.U.I.T.」プロジェクトが発足する。

彼はこのプロジェクトに社内スタッフとして参加、MS-02を手がけることとなる。更にMS-0506Aでは同社より出向、左官待遇の軍属となる。また宇宙機の操縦ができたことからテストパイロットを務めるようになり、空戦マニュアルの作成も参加した。

その功績を以ってRシリーズの開発では最高責任者となり、また自らテストパイロットも務めた。R-1AR-2を開発した後はジオニック社に戻り、R-3の開発を続けた。その一方で、自らの研究テーマも追求し続けたという。サイド3で終戦をむかえた後は、連邦政府の強い意向によって地球に降り、連邦軍技術本部付き士官として開発・研究を続けた。

 

エリック・マンスフィールド中佐 

MS-06R-1Aを使用したことで知られる一人である。本国防衛本隊に所属していた。中佐のR-1Aはグレー系のローヴィジリティ迷彩を施し、マルチブレードアンテナを左側頭部に装備しているのが特徴である。スコア、消息などの記録は確認されていない。

 

精鋭部隊「キマイラ」 

満を持して完成した次期汎用主力機ゲルググは、運用面でも新しい試みがなされている。これは連邦軍のRX-78-2及び同機が所属する第13独立部隊の異常に高い戦績に影響を受けており、接近・格闘戦に対応する白兵戦用MSと中・長距離支援型MSとを組み合わせて運用することと、ニュータイプパイロットの明確化に伴うエース部隊の編成が計画された。

エース部隊はキシリア少将の肝入りで進められ、エース部隊は突撃機動軍付けの本国要請グラナダに集められた。その中には「真紅の稲妻」として知られるジョニー・ライデン少佐を始め、ジェラルド・サカイ大尉トーマス・クルツ中尉などがいる。

彼らはザンジバル級のキマイラを旗艦とするMS部隊として編成され、コレヒドール暗礁宙域で実戦訓練を行った。ここで彼らは最新鋭のゲルググを駆り、輸送船団の襲撃任務に就いている。詳細なスコアは不明だが相当数の艦船を撃沈したようである。

しかしすぐにア・バオア・クー攻防戦が始まり、彼らは十分な時間もないまま参加しなければならなかったのは残念なことである。攻防戦における彼らの戦果及びその後の消息はほとんどわかっていないが、おそらく全滅したものと思われる。

彼らが使用したのは量産ベースに乗ったMS-14Aではなく、先行量産機ともいえる25機のYMS-14の内、24機である。これには量産へ向けた最終実戦テストの意味が込められていたことは言うまでもない。残りの1機はシャア・アズナブル大佐へ譲渡されている。

機体には各パイロット達に応じたチューニングが施され、増速用高機動型ブースターパックを装備したB型と、ビームキャノンパックを装備したC型が用意された。なお、この部隊で使用されたゲルググの各パーツは順次A型のものと交換されていったようである。

 

ギャビー・ハザード中佐 [GYABY HAZARD] 

ア・バオア・クー駐屯軍に所属したギャビー・ハザード中佐は、わずか4機しか生産されなかったMS-06R-2の内1機を使用したことでよく知られるエースである。カラーバリエーションの豊富なRシリーズの例に漏れず、彼の機体は黒と茶という珍しい塗り分けを施されている。彼の使用機種はMS-05MS-06FS、MS-06R-2で、MS138機、艦船2隻のスコアを挙げたとされている。それ以上の記録は確認されておらず、戦後の消息も不明である。

 

特務部隊「サイクロップス」 

終戦直前、連邦軍がオーガスタ基地で開発していたRX-78NT-1の奪取・破壊作戦を遂行した。NT-1の進宙を阻止するため北極基地を襲撃するも失敗、1名を失う。その後NT-1を追ってサイド6に潜入、最新鋭の強襲用MSケンプファーを以ってNT-1破壊を目論むが撃破され、作戦は失敗に終わった。生き残った1名はMS-06FZ単独で最後の闘いを挑み、NT-1の頭部を破壊するも相打ちとなり、部隊は全滅した。

 

サイラス・ロック中尉 

MS-07Bグフを使用したエースとして知られる。特にシールドに描かれたパーソナルマーク「グフレディ」は有名である。中尉は地球攻撃軍第4地上機動師団に所属し、東南アジアにおける制圧地域拡大で活躍した。特に対戦車戦闘を得意とし、連邦からも「青い虎」として恐れられたという。大戦末期の対MS戦で行方不明となっており、具体的なスコアも判明していない。

 

ジェラルド・サカイ大尉 

YMS-14による精鋭部隊「キマイラ」に参加したエースの一人である。UC0049年サイド3に生まれ、MS-06FMS-09Rで戦果を挙げた後「キマイラ」に加わった。しかしア・バオア・クー攻防戦には参加しておらず、戦後も生存していたとの説もある。スコアに関しては確認されていない。

軍籍番号 PM0492378642A

 

トーマス・クルツ中尉 

UC0057年地球生まれ。精鋭部隊「キマイラ」に参加したエースの一人。元々地球連邦空軍に所属していたが、一年戦争を契機にジオンへ亡命したという変わり種である。その後は地球攻撃軍第5地上機動師団に所属し、特務部隊「G-27」で活躍した。大戦末期「キマイラ」の設立に伴って突撃機動軍付けの本国要請を請け、再び宇宙へと上がることになる。地上ではMS-06JMS-07Bに搭乗していた。

「キマイラ」ではMS-14Cゲルググキャノンを使用したことで知られ、中尉の機体はグリーンとクリームのスプリット迷彩が大きな特徴である。ア・バオア・クー攻防戦には他のメンバーと共に参加しており、そこで戦死が確認されている。具体的なスコアは不明である。

軍籍番号 EX0570042196G

 

マサヤ・ナカガワ中尉 [MASAYA NAKAGAWA] 

エリック・マンスフィールド中佐と並び、MS-06R-1Aを使用したことで知られるパイロットの一人である。中尉の機体は茶系でまとめられており、この機体は戦後の格納庫内の写真においてそのカラーリングから地上用迷彩色と誤認されたことでよく知られる。その後脚部を含む写真が発見され、R型であることが確認された。ナカガワ中尉はア・バオア・クーに駐屯したEフィールド防空大隊に所属し、機体はマルチブレードアンテナが前頭部ではなく頭頂部についているのが大きな特徴である。スコア・戦後の消息などの詳しい資料は確認されていない。

 

ロバート・ギリアム大佐 [ROBERT GILIAM] 

ソロモン駐屯軍に所属するギリアム大佐(一説には大尉)も、4機しか生産されなかったMS-06R-2を使用したことで知られるエースパイロットである。彼の機体はブルーとクリームに塗り分けられていた。記録によればMS-06SMSM-07E、MS-06R-2、MS-14Aと乗り継いでおり、MS115機、艦船6隻のスコアを挙げたとされている。しかしこうした記録にはいくつかの疑問点もあり、完全に信用することはできない。なお、戦後の消息も不明である。

 


       
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