モモ!

10

8・花火と竜巻

 

 妹の手を引いてスークが行く。続いてユカ、ココ、セイム、最後をウォルカ。姿は見えないが、ナルは彼等の上空を飛んでいる。
 走り出してから数分。既に広場は遠い。通りの両側に立ち並ぶのは長い柵や垣根、時折豪奢な門。隙間から見える庭は広く、邸宅と呼んで遜色のない建物は、門からはかなり距離がある。明らかに高級住宅街だ。
「どこまで、行くの、お兄ちゃん?」
 切れ切れに問いかけるモモに「もうすぐだよ」とスークが言い、すぐに「着いたぜ」とウォルカが笑った。
 他を圧して広壮な屋敷の前だった。
「着いた、って、ここは……?」
 何故、逃げて、こんな場所へ来るのか。
 不審の色を浮かべるモモ、ココ、セイム、ユカの目の前で、スークは何のためらいもなく華麗な装飾の施された門に手をかけた。
「ちょっと……不法侵入じゃないのかい!?」
  -- そもそも、門が開くとも思えない。
 慌てたセイムをウォルカが制した。
 こんな時には穏やかにたしなめそうなナルも、何故か今は息子に何も言わない。
 見守る一同の前で、スークは懐から、これも手の込んだ細工を施された鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
 鍵は軋むことなく回り、すぐにカチャリと小さな音を立てた。スークが両手でそっと押すと、やはり音もなく門が開いた。
「お入り、モモ。みんなも」
「お兄ちゃん……?」
 どうして『場所を変えて』ここに来たのか、何故兄がここの鍵を持っているのか。 -- そもそも、ここは、どこなのか。
 いくつもの疑問を抱えて呟いた妹に、兄はやはり微笑った。
「すぐに、判るよ」
 そこに後ろから、苦々しげな声が重なる。
「まさかここを選ぶとはね」
 追いついてきたユーキだ。
 振り向いてスークが応えた。
「ここが一番良いだろう? 君の家だ。そして全てが始まった場所だ」
「そして、全ての終わる場所にしようというのか……?」
「君次第だ」
 スークとユーキの会話が、モモにはさっぱり判らない。いや -- 理解しているのは、ウォルカと、そしてナルだけだった。
「何なのお兄ちゃん、始まるとか終わるとか」
「しらばっくれるな!」
「しらばっくれてなんか……」
 困惑したモモに、厳しい声でユーキは言ったが、判らないのだから仕方がない。
「ユーキ。モモは、何も知らない。君たちのことも、この家のことも」
「嘘を付くな!」
「本当だ。この子はそもそも、イーズヨールの名も、知らないよ」
「莫迦な! だったらどうしてオーツに来たんだ!」
「知らないからだよ、何も。モモは -- この子は、ただ、僕を捜してここに来たんだ」
「信じられるか、そんなことが!」
「ちょっと、一体何なの? 説明してよ」
 モモが苛立つのも無理はなかった。
 話題の中心はモモなのに、彼女のあずかり知らないところで会話が進んでいる。
 だがそれすら、ユーキには『しらばっくれている』としか思えなかったらしい。
「説明する必要なんかない。スークからの通信で全て知ってるはずだ。まさかハーフエルフが、あんな初歩の魔術も使えない、なんてことはないだろう?」
 たっぷり棘を含ませた声で、言ってはいけないことを言った。
「うわぁっ、そんな禁句を……!」
 ココが叫んだが、もう遅い。
「悪かったわねぇ、魔術が下手くそでぇ〜!!」
 ゴオッ!
 モモの声に反応するように突風が吹いた。
 そして、「げっ」「っちゃ〜……」慌てて頭を低くしたココやセイムの丁度反対側、屋敷の表玄関の辺りで
「きゃあっ……」
 女性の小さな悲鳴が上がった。
 ユーキの姉、マティカだ。屋敷の前庭であがる争いの声を -- その中に弟の声も混じっているのを聞きつけて、ランプを手に外に出てきたのだった。
 立っていた場所が、丁度突風の通り道だった。タイミングと方向が悪かったとしか言いようがない。
「姉さんっ」慌ててユーキが駆け寄った。
「ああっ、ごめんなさいっ!」
 意識してやったわけでは勿論ないが、なまじ魔術の下手なのを自覚しているモモだから、つい条件反射で謝ってしまったのだが、これが一層悪かった。
 ユーキを刺激してしまった。
「貴様……わざとやったな!?」
 誤解である。そんな『狙い打ち』が出来るようなら、モモも苦労はしていない。だが、魔術の素養のないユーキにそんなことが判るはずがなかった。
 結果。
「モーム=ウォンガ、よくも姉さんを!」
 怒ったユーキが、持っていた火薬玉の全て -- どこに隠していたのか、20個近くあった -- に火を付けてモモ達に投げたのだ。
「やめなさい、ユーキ! そんなことをしたら、あの人達だけじゃなく、あなたも!」
 マティカが止めた。数から言って、そして距離から言っても、これではユーキ達自身にも十分被害は及ぶのだ。だが、逆上した彼にはそんなことを考える余裕もなかった。
「うそだろ〜〜っ!?」「ちょっと、冗談止めてよ!」「何考えてんだい、あの坊ちゃんは!」「……豪勢だねぇ」悲鳴を上げる一同の中で、ウォルカだけがやけに落ち着いている。
「わざとじゃないのに〜!」妙な言い訳を叫ぶモモに、スークとナルが囁いた。
「モモ、風を呼ぶんだ!」
「え?」
 驚いて顔を上げたのはモモだけではなかった。ココが訊いた。
「スーク、ナル? 何をさせるつもりだ?」
「説明してる時間なんてない。良いからモモ、出来るだけ沢山の風霊を呼ぶんだ、早く!」
 スークに言われてモモが目を閉じ、精神集中を始める。同時に、風霊が彼等の周囲に集まり始めた。
「スーク? 一体チビちゃんに何をさせる気なんだ、お前?」
「そうよ、一度に複数の風霊なんて、ナルおじさんやスークさんならともかく、モモに制御できるはずないじゃない!」
 訝しんだウォルカとユカに、けれどスークは笑って「それが狙いだよ」と答えた。
 風霊の数は増えて行く。
「おい、まさか……」スークの意図に気付いたウォルカの呟きは、セイムがかき消した。
「何だって!? それがどんだけ危険なことか知ってるんだろう! あんたそれでもあの子の兄さんかい!」
 怒鳴り声の間にも、風は強くなる。狭い場所に集められた風霊達が不快感を表しているのだ。同時に、火薬玉の導火線もどんどん短くなって行く。時間がない。
「水霊……」ユカが結界を張ろうと精霊を呼び出したが、遅い。
  -- 間に合わない!
 ユカが、ウォルカが、ココが、セイムが、覚悟を決めた瞬間だった。
 ゴォォォォォォォッッッ!!
 地響きのような音を立てて、制御を失った風が一気に空へと駆け上がった -- 竜巻だ。
 そして……その渦巻く風の龍は、火薬玉を飲み込んで、地から天へと還っていった。
 パンッ、パンッ、パパパパンッ!
 遙かな高みで破裂音。地上にあっては強力な武器も、空の上では出来の悪い花火にしか見えなかった。
「……すげぇ……」
 ほけ〜っと見上げてウォルカが呟いた。
「モモ」
 スークの声で一同が地上に視線を戻すと、たった今竜巻を生み出した少女が、兄の腕に抱かれていた。突然のことで力を使いすぎたのだろう、蒼ざめた顔をしている。けれど、
「よく頑張ったね、モモ」スークが囁くと、弱々しいながらも笑みを浮かべて見せた。
「スークさん、みなさん、お怪我は?」
 柔らかな声に振り向くと、いつの間に駆け寄ったのか、マティカが立っていた。
 ユーキはまだ先程の場所で呆然と座り込んでいる。か弱く見えても伯爵家の跡取り娘。いざという時の度胸は弟よりもすわっていた。
「大丈夫なようですよ、モモも、みんなも」
「よかった……事情はよく判りませんけれど、とりあえずみなさん、屋敷にお入りになって」
 スークの答えにほっと胸をなで下ろし、屋敷へと一同を案内しながら、通りすがりに弟の頬を叩いて言った。
「ユークウィス。判っているわね? 私もあなたも、この屋敷も、スークさん達に救われたのよ。話は中で聞きます。いらっしゃい」
 ユーキは……叩かれた頬の痛みと厳しい姉の言葉に、なぜかほっとしたような表情を浮かべて、ゆっくりと立ち上がった。



狐作物語集Topへ戻る  続きを読む