5・ニノラの木の下で
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ホントにここでいいのか?)
それが、その場所に対するモモ達の第一印象だった。
……話は数刻前に遡る。
「良く眠れました? みなさん」
コーヒーのおかわりをカップに注ぎながらにっこり笑ったのは、ミューである。
夜中の騒ぎをトリユから聞いているはずなのに、「よく眠れたか」も何も無いもんだ、とセイムもココも思ったが、口には出さない。
1人モモだけがのほほんと返した。
「ん〜、眠ろうと思ってベッドに潜り込んだんだけどね、やっぱりあんまり眠れなかった」
「そりゃそーだよね。あんな大騒ぎだったんだもん。あれから熟睡出来たら大物だよ」
「聞いたわよ〜。凄かったんですって?」
トリユが頷くと、歌姫・芙蓉も割り込んだ。
「そうなんだよ、芙蓉さん。凄かったよ〜、ガラスが割れる音がしてさ。で、びっくりして駆けつけたら今度は爆発音でしょ? モモ達が無事でいるのを見るまで、気が気じゃなかったよ」
身振り手振りのトリユの解説に、大変だったわねぇ、としみじみ言った。(この御仁、フィヨウィナという名前がちゃんとあるのだが、本名よりもあだ名の方が通りが良いため、普段でも芙蓉と呼ばれているのだ。)
既に夜は明けきって、モモ達の部屋には改修の手が入っている。割れたガラスをはめ変えるだけなので部屋は変えなかったのだが、それでもガラス屋が来ている間、モモ達は居場所がない。結果、本来なら部屋で取るはずの朝食も、食堂まで降りてきて食べることになったのだが、お陰でこうしてトリユやミューや芙蓉に囲まれることにもなってしまった。
「それにしても、何だったのかしらね、その人の用事って」
相変わらずおっとりした口調でミュー。深夜の襲撃の理由まで『用事』と言い切ってしまうのがこの人のオソロシイところである。これには苦笑混じりにモモが答えた。
「用事ってのもどうかと思うけど……目的は、どうやらこれだったみたい」
セイムとココが「いいのか?」という顔をしたが、気にせずモモは『それ』を差し出す。
「これ……手紙、だよね?」
「そ。夕べのお客曰くの置き土産がそれ。あの騒ぎの後、気が付いたら落ちてたの」
「まあ、可愛い♪」
のほほ〜んとしたミューの声にトリユがため息を漏らしたが、この場合はミューが正しい。なんとなれば、その置き土産の封筒の裏には、激しく愛らしい、赤いリボンのクマが描かれていたのである。
「で、中身が、これ」
モモが便せんを抜き出すと、流石に「ちょっと、モモ、いいのかい……?」とセイムが焦って言い、ココが軽く爪を立てた。
だが、それにもモモは「いいの。だって、あたし達だけじゃ、判らないでしょ、この手紙」と、あっけらかんと笑った。
手紙の内容は、こうだ。
『モーム=ウォンガ
君と話がしたい。
今日の夕、5の刻、ニ***で待っている。』
「来いって言われたって、これじゃあ……」
トリユが呆れた声を出すのももっともだ。
襲撃者曰くの『招待状』、肝心の待ち合わせ場所がシミと滲みで読めない。
「だからね、教えて欲しいの。あたし達、この街のこと良く知らないから、ここにある場所がどこを指してたのか見当もつかないの。ねえ、トリユ。ミューさんも芙蓉さんも。この、ニ***ってのに心当たりない?」
冗談めかしてモモは言ったが、目は真剣だ。
当たり前だった。旅に出てからこちら、自分を狙っていた相手からの招待なのだ。話がしたいと言うのなら、そこに行けば、少なくとも旅の間自分が狙われた理由と、襲撃者の正体と
-- もしかしたら兄の行方も、判る。
手がかりは『ニ』の1文字 --
あまりに少ない。それでも、場所の特定は出来なくても、せめていくつかに絞り込むことが出来れば、とモモは思っていた。だが、
「待ち合わせで『ニ』の付く場所っていったら、あそこじゃないの、やっぱり?」
「ああ……ニノラの木」
「ですよねぇ、やっぱり?」
「場所の説明……地図があった方がいいよね」
額を寄せ合わせて考えるまでもなく、3人は結論に達してしまった。トリユがメモ用紙を取りに走る。どうやら件の場所は、この街では待ち合わせ場所として有名であるらしい。
「ここがうち、白鹿亭。で、この通りをまっすぐ行って、突き当たった大通りを……」
芙蓉とトリユが説明付きで描いてくれた地図は非常に判りやすく、モモ達は迷うことなく当のニノラの木に辿り着いたのだが……。
「いいのかよ、ホントにここで?」
今度は、胡乱な目つきでココが、こっそりとではあるが、声に出して言った。
「さて、ねぇ……」
「あたしもイマイチ自信はない」
モモもセイムも首を傾げた。
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ニノラの木。それは、オーツの街の中央広場のそのまた真ん中、結構な面積を取って円形に植えられた芝生の中に立っていた。位置的に、待ち合わせに丁度良いらしく、その木の下では何人もの人が、時折辺りを見渡しながら、やがて来る誰かを待っていた。
つまり、ごく普通の待ち合わせ場所なのだ。夜を選んでやってきた襲撃者と、あの『招待状』の雰囲気に、似合わないこと甚だしい。それに、もうすぐ約束の刻限だというのにそれらしい人は見あたらないし、モモ達に近づいてくる者もいなかった。
「待ってみるしかないんじゃないかい?」
投げやりな口調でセイムが肩をすくめる。
「どうでもいいけど、見たとこただの楡の木だよね。何であの木だけ名前付きなんだろ?」
広場には他にも街路樹が何本もある。中にはニノラの木よりも大きなものもあるのに。
ココの疑問に大雑把にモモが答えた。
「確か、先代の木が枯れた時、他から大きな木を移植しようって話になったけど、その時この木がもうここで芽を出してて、せっかくだからこのままこの木を育てようって頑張った人の名前がニノラだったとか何とか、芙蓉さんが言ってたよ」
「ふ〜ん」「へぇ……」「1つ賢くなったね♪」
ちょっと得意げなハーフエルフだ。と。
ふわっ。
風が吹いて、モモの帽子を飛ばした。
しょーもないことで威張るんじゃないよ、と、と風の精霊が笑っているようだった。
「いやだ、帽子が!」慌ててモモが追いかけたが、風に遊ばれて転がる帽子の方が速い。
「待ってよぉ〜〜」
無駄だと知りつつ手を伸ばしたその時、だが、風に逆らって帽子がふわん、と舞い上がり、伸ばしたモモの手にすとんと収まった。
明らかに、誰かの魔術によるものだ。
「……え……誰……?」
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あの風の勢いだと、もう少し先まで帽子は転がりそうだったのに)
遊び好きな風霊を --
しかも遊んでいる真っ最中の相手を、たしなめて言うことを聞かせるのは、結構難しいのだが……。
驚きながら、モモは広場を見渡す。
( -- いた。あの人だ。こっちを見てる)
その人の姿を認めた瞬間、トクン、とモモの心臓が、ひとつ大きく鳴った。
「モモ?」「どうしたんだい?」
いきなり呆然と立ちつくした少女に、ココとセイムが声をかけたが、当のモモには届かなかった。
その人は木漏れ日のような金色の髪をしていた。瞳の色は遠くて判らないけれど、その人の耳は、人間が持つにはいささか大きすぎた。少し首を傾げてこちらを見るその仕草にも、覚えがあった。
「まさか……」
呟いたモモを励ますように、風が背中を押した。
ゆっくりと、モモはその人に向かって歩き始めた。
-- まさか。まさか……でも!
ひょっとしたら -- 期待。
違ったら -- 不安。
自然早足になったモモの傍らを、やはり待ち合わせなのだろう、背の高い人が、ニノラの木の下の誰かに呼びかけながら駆け抜けた。
「おーい、スーク!」
スーク! 兄の名だ。この呼びかけに、あの金の髪の魔術師が反応してくれたら、そうしたら……。
(お兄ちゃんかも、知れない……神様!)
ニノラの木の少し手前で立ち止まって、祈るように両手を組んだモモは、『大丈夫だよ』という誰かの声を聞いた気がした。
そして。
「おーい、スーク! 待ったか?」
「いいや。大して待ってないよ。ほんの半刻だ。ウォルカにしちゃ早い方だろ」
モモの視線の先で、その人は呼びかけに応えた。
「スーク……ひょっとして怒ってる?」
「このくらいで怒ってたら、君と友達でなんかいられないよ」
「ありがたいお言葉。喜ぶべきか悲しむべきか?」
「何より先に反省して欲しいね」
笑いを含んで軽口で返す、その声が、懐かしかった。
間違いない。この人は兄だ。1年前から手紙が途絶え、行方知れずだったモモの兄。会いたくて会いたくて捜した、タスクーディ。
「……お兄ちゃん!」
叫んで、駆け寄ってそして --
驚いて振り向いた彼に、モモは1年半ぶりに抱きついた。
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