モモ!

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7・北北東へ退路を取れ

 

 彼は待っていた。
 彼の祖父が眠るニルヴィの丘で、少女が呼び出しに応じて現れるのを、ただひたすらに待っていた。
「モーム=ウォンガ。何故来ない? それとも、話し合う必要などないと言うのか?」
 話をする気も、ないというのか……。
 彼は知らなかった。彼が『招待状』に書いたはずの肝心の『場所』が、読みとり不可能な状態に陥っていたことを。
 シミを隠すために施された細工は見事すぎて、彼には、手紙の内容を誤解した姉が親切心から書き加えたものとしか思えなかった。
 封筒の愛らしさと中身のギャップに苦笑はしたが、それでも彼は姉を愛していたから、姉の行為を無にしたくなかった。
 全ては、姉のためにやっていることなのだ。姉の居場所を守るために。
 母を亡くして本家に引き取られた妾腹の自分を、姉は心から可愛がってくれた。事故で父と養母が亡くなった時も、自分のことよりも先に弟を思ってくれた。
 その姉の地位を脅かす存在が、今オーツにいる。今度は自分が姉を守る番だ。
「僕が守るんだ、姉さんを」
 呟いた彼の脳裏に、年上のいとこの美貌が浮かぶ。ほんの2年前まで存在すら知らなかった、祖父が死の直前に明かした秘密。
 慌てて手を打ったらオーツにやってきた。何も要らないと言いながら、祖母に請われるままに屋敷に居座り半年が過ぎた。そして今度は妹が旅に出たと報告が入った。道中で思い直すように何度も邪魔をしたのに、とうとう彼女はオーツにまで辿り着いた。
 その次に何が起こるのか、考えるまでもなく、判る。
 相手の言葉を鵜呑みにしていた自分達が莫迦だったのだ。
「そちらがその気なら、遠慮はしない」
 見上げた空は、既に薄闇に包まれようとしていた。

 

「それにしても、あたし達がここにいるってどうやって知ったの、ユカ?」
「決まってるでしょ。魔術で、この街であんた達の気配が1番濃い所を捜したのよ。で、そこであんた達の行方を尋ねたの」
 訊ねたモモにユカが自慢げに答えた。
 モモ達の気配が1番濃かった場所、とは、言わずもがなの白鹿亭である。
「で、その襲撃者ってのは、来たの?」
「……忘れてた……」ユカに言われて顔を見合わせたモモ、ココ、セイムの3人である。
 兄妹の感動の(?)再会はあるわ、死んだはずの父親が守護についていたことが判明するわ、幼なじみは合流するわで、当初の目的をすっぱり失念していた。
「モモ、何だい、その襲撃者って?」
「うん……あのね、これなんだけど……」
 問いかけた兄に『招待状』を見せ、モモは旅に出てからのあらましを語った。
「ふぅ……ん。なるほど。そういうわけか。だから彼は……」
「お兄ちゃん?」
「ああ、何でもない。で、指定の場所が判らなかったからここに来た、と。指定の時間は5の刻か」
 既に約束の刻限を大幅に過ぎている。空は淡い紫に染まり始めていた。
 場所が違ったのか、それとも現れはしたが、人数の多さに敵が怖じ気づいて逃げたのか、判断に苦しむところだった。
「どうすれば、良いと思う? お兄ちゃん」
 見上げたモモに、何故かウォルカが答えた。
「ほっときゃいーんじゃねーの? どうせしびれ切らしてまた来るさ」
「また襲撃されるのかい? あたし達もイヤだし、白鹿亭に迷惑だよ」と、これはセイム。
「でも、今日敵さんに会えてたって、どの道襲撃食らってたんだぜ?」
「そりゃそうだけどさぁ……」
「こっちから仕掛けるってのは無理なの?」
 物騒なことを言ってのけたのはユカだ。モモが返した。
「相手が誰かも判らないのに?」
「……それもそうか……」
「やっぱ待つしかないのかなぁ」
「……多分、そう待たなくてもいいと思うよ」
 ココが天を仰ぐと、スークが不思議な笑みを浮かべた。
( -- え?)
『 -- 来る!』
 モモがスークの顔を見るのと、ナルが厳しく言い放つのが同時だった。
 瞬間、モモの背筋に悪寒が走った。
「風霊、地霊、結界を張れ!」スークが叫ぶ。
 直後に何かが飛来した。
 紙一重のところで間に合った結界が、それを地面に叩き落とした。一瞬の早業である。
 叩き落とされたそれは、短剣だった。柄まで地面に突き刺さっている。スークがやったことだ。迂闊に跳ね返したのでは誰に被害が及ぶか判らないから、スークはそうすることで、自分達だけでなく無関係の周囲の人間も守ったのだ。
「すごい……」「流石」「相変わらずやるなぁ」
 一同の感嘆の声に答えることなく、スークは短剣の飛んできた方向を見る。彼の視線の先には、スークよりも少し年下の少年が、鋭い眼差しで立っていた。
「こんな場所でいきなり攻撃を仕掛けるなんて、穏やかじゃないね」
「そうかな? 一応、被害を広げないように的は絞ったつもりでしたよ。あなたが邪魔をしなければ、今頃全て終わっていたのに」
「邪魔? 君の言う『的』が自分の妹だったら、守らないかい、普通?」
 落ち着いた声で交わされる会話だが、内容がとんでもない。
「ところで……呼び出しにも応じず、こんなところで何をしている、モーム=ウォンガ?」
 呼びかけられて、モモは相手を見つめた。聞き覚えのある声だった。自分とよく似た色の、薄茶の髪とヘイゼルの瞳。不思議な感じがした。どこかでみた顔だ、とも、思った。だが、知らない顔だった。
「あなたね、夜中にあたしを襲ったのは……」
「質問に答えろ。手紙を読んだはずだ。なのにどうしてこんなところにいる?」
「肝心の場所が滲んで読み取れなかったから、とりあえず『ニ』の付く場所に来たんだそうだよ」言ってスークが妹を背中にかばう。
「なるほど、こちらの落ち度と言うわけか。ならば結構。場所が変わっただけだ。用件をさっさと済ませてしまおう」
「どう『済ませる』のか訊いてもいいかい?」
 剣を構えたセイムに襲撃者は「いいよ。こうだよ」笑って今度は丸いものを取り出す。
「ちっ、今度は火薬玉か!」
「ったく、場所を考えろよ」
 セイムとウォルカが意味合いの異なる舌打ちを漏らす。
「よせ、ユークウィス!」
 スークが叫んだが既に遅い。導火線から火花を散らしながら、先日のものより一回り大きな火薬玉が飛んできた。爆発まで間がない。
「水霊!」今度は4人が同時に結界を張った。スーク、ナル、ユカ、そして……ウォルカ。
 危ういところで間に合った結界が、爆発を封じ込めた。
「ウォルカさんも、魔術師なんですか……」
 呟いたモモに
「スークには及ばないけど、一応、な」
 ウォルカがウィンクで返した。
「それにしても、見境ってもんがないなぁ」
「同感ね」
 呆れたココにユカが同意した。
「お兄ちゃん……何だか判らないけど、このままじゃ……」
 広場にいた人々は、何事かと不審の目で見てはいるが、詳細を知らないから誰も避難しようとしていない。今はまだ被害は出ていないが、火薬玉を複数使われたら、手が回りきらずに巻き込んでしまう可能性もある。
「その通りだよ、おチビちゃん。スーク!」
「判ってるよ。……みんな、付いてきて!」
 駆け出したスークは、
「逃げるのか!?」
 というユーキの言葉に振り向いて
「とんでもない。場所を変えるだけだよ。ここじゃ、周りに迷惑がかかる。逃げたってどうせまた仕掛けて来るんだろう?」
 広場から八方へ伸びる通りのうち、北東へのそれを選んだ。



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