モモ!

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3・夢の中、君を想い……

 

『それじゃあ、行って来る。モモ、元気でね。魔術の練習、さぼるんじゃないよ?』
 懐かしい声が聞こえた。懐かしい顔が見えた。だからモモは、それが夢だと知った。
 この数ヶ月、繰り返し見ている夢……。
 夢の中で、スークはいつも微笑っている。微笑ってモモに手を振っている。
 スーク -- タスクーディ。たった1人の、5つ年上の、モモの兄だ。
 同じ夢の中、モモは心で叫んでいる。
(お兄ちゃん、行かないで。行っちゃダメ!)
  -- 行ったら、会えなくなる……。
 けれどその叫びが言葉になってスークに届くことはなくて……そして、モモは何度も見てしまうのだ、兄との別れの場面を。
(お兄ちゃん、行かないで。お願いだから)
 繰り返し見ている夢なのに、想いが届かないことは良く知っているのに……だからこそモモは、その結末を変えたくて、やはりいつも叫んでいる。叫んで、そして、目が覚める。
 目覚めると、頬が濡れているのが常だった。
「……お兄ちゃん……」
 哀しみで張り裂けそうな心を鎮めるため、モモは胸の守り袋を握りしめた。
 紐を緩めて、袋の中身を手のひらに乗せる。
 それは、小さな水晶の玉だった。1年半前、スークが旅立つ時にくれたものだ。
『淋しくなったら、これを見て。僕はいつでもモモのことを想っているから』
 言って水晶玉を握らせてくれたスークの手の温かさを、モモは今でも覚えている。
 優しい兄。母親のハイエルフの血を濃く引いた、陽に透ける金の髪と新緑の瞳の持ち主だ。魔術の腕も一級で、里のエルフの誰にも引けを取らなかった。
 そのスークが、旅に出たまま行方知れずになった。
  -- 1年前のことだ。
「……モモ?」
 水晶玉を握りしめて動かないハーフエルフに、背後からそっとココが囁いた。
「モモ。起きてるつもりだったら、何か羽織らないと。体が冷えて風邪引くよ」
 モモが夜中に起きてしまった理由も、どうして水晶玉を握っているのかも、判っていて、ココはわざと違うことを言った。ついでに、椅子にかけてあった彼女の上着をくわえてきて手渡す。こうでもしなければ、少女は本当に体が冷え切ってしまっても、薄い夜着のままでいてしまうことを、つきあいの長い『自称保護者』は知っていた。
「うん……ありがと」
 素直に受け取って上着を羽織ったモモは、そのままココを膝に抱きかかえる。
 それは、人に抱きかかえられるのを嫌う、この人語を解する猫が、モモとスークにだけ許した行為だった。
 やれやれ、と、ココは思う。
(スーク、お前一体どこで何してるんだよ?)
 たった一人の妹をこんなに心配させて。こんなに、泣かせて。
 それでも、保護者が被保護者と一緒に落ち込んでしまってはどうにもならないから、ココはわざと明るい声を出した。
「泣くなって、モモ。大丈夫。手がかりはきっと見つかる。それに、モモ達を襲ってくる敵さんの正体も、きっと判る。そのために僕達はここまで来たんだから。スークが最後に手紙を寄越した、このオーツに」
 確証なんてない。それでも、少女が落ち込んだ時には自信たっぷりに笑って元気づけてやるのが、同行した自分の役割だとココは思っていた。
 ココの言葉で、やっとモモが顔を上げる。
 微笑って言った。
「そうだね」
 探し出さなければ。兄を、そして自分達を狙う敵の正体を。
 そのために、自分達は旅に出たのだから。
 そして、スークを捜すことはそのまま敵の正体を探ることにも繋がるはずだった。
 彼の旅の目的は、2年ほど前に突然始まった自分達一家への『誰か』からの襲撃を、その理由を突き止めた上で止めさせること。
 モモの目から見ても、兄にはそれが誰であるのか見当が付いているようだったし、また彼は、そんじょの魔術師など足下にも及ばない程の実力の持ち主だったから、本人も周囲も、結構安心して送り出した。
 そしておそらく、スークは目的を達成したのだ。何故なら、1年ほど前を境にして、エルフの里のモモ達の住まいへの襲撃は、ぱったりと途絶えたのだから。
 だが、変わりに、スークが消えてしまった。
 手がかりはここにあるはずだ。このオーツの街に。半月に一度は届いていたスークからの手紙は、ここからのものを最後に途絶えた。だから、手がかりはここにあるはずだった。
 落ち込むよりも先に、やることがある。
「そうだね。やっとオーツに来たんだもんね。落ち込んでる暇なんてないよね」
 浮上したモモが頷くと、ココも笑った。
「そうそう。それに、落ち込んでるのが連中に知れたら、そら見たことかって笑われるよ」
 苦笑混じりに茶化してみせる。
「そうだよねぇ……」
 しみじみとため息をついたモモの脳裏に、懐かしい顔が浮かんだ。
『なあ、モモ。ほんまに行くん? 悪いことは言わん。やめときって』
 旅立ちを決心したモモをそう言って引き留めたのは、いつも周りを飛んでいた友人・サトゥカイア。エルフの里の、木の精霊だ。
 南国でしか育たない木の種が、鳥に運ばれて偶然エルフの里の魔術結界の中に落ち、そこで発芽してしまった。育った場所に満ちる魔力のせいで、樹齢5年にもならない内に木霊が目覚めた。それが、彼女だ。外界の風は、彼女には冷たすぎて、だから彼女は結界の外に出られない。
『魔術もへったくそで、守護してくれる精霊もおらへんのやで? 無茶やと思わへん?』
 遠慮のない口調で、痛いところをついた。
『本気なの、モモ? あなた、自分達を襲っていた相手が何者か、見当もついていないんでしょう。それに、今は止まっているけれど、旅の最中にまた襲われたらどうするの。せめて、もう少し魔術が上達してからにするとか、シギールミに……お母さんに一緒に行ってもらうとかした方が……』
 穏やかな口調でたしなめたのは、エルフの里の薬師、スイ=ジョーイ。サトゥカイアとはまた違った言葉で、モモを引き留めようとしてくれた。
 他のエルフ達も同様に -- 時には諭し、時には怒ってモモを止めたけれど、散々なことを言ってのけるのは、本気で心配しているからだと、モモもココも知っていた。
  -- それでも。
 それでも、誰も、モモの旅に同行を申し出てはくれなかった。兄の行方が判らないのに、落ち着いてなんていられないと言っても、みんな、困った顔をするだけだった。
 母であるシギールミすら、
『スークは大丈夫。あなたがココと旅に出る方がよっぽど危険だわ。どうしてもっていうなら、もう少し魔術が上達してからになさい』
 と、モモを引き留めたのだ。
 その台詞を聞いた時には、唖然としたものだ。だってそれは、母親が行方不明の息子を見捨てると言ったのと同じだったから。
 何かが、あるのだろう、とモモは思った。自分の知らない何か -- 大人のエルフも後込みするほどの、何かが。そうでなければ、母親がこんなことを言うはずがない。まして、勝ち気なシギールミが、息子が行方不明になって落ち着いているはずがなかった。
(お母さんは、お兄ちゃんのことを諦めちゃったんだ。諦めて……お父さんも死んじゃって、お兄ちゃんもいなくなって、だから、せめてあたしだけはって、そう思ってるんだ)
 それはとても哀しい想像だったけれど、スークのくれたものにとてもよく似た水晶玉を、陽にかざして語りかける母の姿を目にする度に、モモにはそう思えて仕方がなかった。
 母親に兄を捜す気がないのなら、自分がやるしかない。
 だから、シギールミには書き置きを残して、黙って里を出てきた。ただ、サトゥカイアとスイ=ジョーイにだけは、別れを告げて。
 2人は、呆れながら -- それでもため息混じりに、サトゥカイアは精霊の祝福を、ジョーイは数種類の薬を、モモに贈ってくれた。
 本当はもう1人、別れを告げておきたい相手がいたのだけれど……彼女はその時別の街に遣いに行っていて、仕方なくモモは彼女宛の手紙をジョーイに託してきた。
 モモ達が旅に出た途端に、彼女への襲撃が始まったのだから、結果的には引き留めた母達の意見が正しいことになるのだろうが -- それでも、モモは旅に出たことを後悔したことはなかった。
 そうして、今、彼女達はオーツにいる。
 落ち込んでいる暇はない。落ち込んでいるわけにもいかない。
 後込みした里のエルフ達を見返すためにも、諦めて後ろ向きになってしまった母親のためにも、無茶だと呆れながらも旅立つモモの想いを理解してくれた友人達のためにも。
 そして何より、大好きな兄に、もう一度会うために。
(お兄ちゃん、待っててね)
 水晶玉を握りしめて、少女はそっと呟いた。



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