2・オーツの街の夜は更けて
少年 -- トリユと名乗った --
が一行を案内したのは、オーツの街の中心部から少し離れた所にある、居酒屋も兼ねた白鹿亭という宿屋だった。トリユはここの息子だったのである。商売上手な少年は、自分の好奇心を満たすと共に、ちゃっかり家計を助けることにも成功したわけだ。
事情を知って一瞬呆れた一行だったが、夕闇の迫る時刻に猫連れの客を泊めてくれる宿を他に探すのも面倒だ。それに、白鹿亭の立地も雰囲気も客層も悪くない。何よりも、食堂から漂ってくる香りに胃袋を刺激されて、結局そのままそこに部屋を取ることにした。
そして、荷物を置いた2人と1匹は、早速食堂へと向かったのであった。
「ねえ、モモ。さっきのあれだけどさ……」
やっぱりあんた達を狙ってるっていう、アレかねぇ……?
トリユに一押しだと薦められた料理をあらかた食べ終えて、一息ついたところでセイムが言った。
「多分……。あの火薬玉、まともにあたしの足下に落ちたしね」
答えて少女も、ハーブティーのカップを手にしたまま顔を上げた。
-- モモ。それが少女の名である。
正式には、モーム=ウォンガ。略してモモ。今年で13才になる。一見だたの少女に見えるが、実は
--
人間を父に、ハイエルフを母に持つハーフエルフ、だったりする。
「何回目だっけ、こんな風に襲われるの?」
「ん〜と。あたし達がセイムさんと会ってからでも……10回は越えてるはず。数えてないから判んないけど」
「あんたの記憶にある限りだと?」
「知らない。数えるのも莫迦らしいから」
「ご苦労なこったねぇ……」
襲われているモモ達を通りすがりに助けたのが縁で、そのままボディーガードになってしまった女剣士は、しみじみと言った。
狙われるだの襲われるだの、食後のお茶の友には甚だ物騒な話題であるのだが、本人達の声は至ってのほほんとしている。お陰で、隣のテーブルからも不審の目で見られるようなことがない。食堂兼居酒屋の喧噪の中では、口調さえその場の雰囲気に合っていれば、多少内容が物騒でも他の人間の話し声に紛れてしまうのである。
「それにしても大したもんだよね。僕達、今日オーツに着いたばかりだってのに」
どっから調べてくるんだか。
呆れたように呟いたのは……猫だった。
「黙ってな、猫」
すかさずセイムが頭をはたいた。
「何すんだよ!」
「おだまり! 人に聞かれたらどうすんだい」
「聞こえたって誰も気にしやしないよ。こんだけ人がいて賑やかなんだから! 大体セイムとモモだって、さっきから十分人に聞かれたらやばい話してるじゃないか」
「だからって、2人と1匹しかいないテーブルから3人分の声が聞こえたら変だろう? そこら辺をわきまえな、猫!」
「その猫猫言うのやめてよ! 僕にはちゃんとネ=ココって名前があるんだから!」
「大して変わりゃしないじゃないか。それに、猫を猫と呼んで何が悪い」
最初は低かった声のトーンが、次第に高くなってくる。慌ててモモが割り込んだ。
「ちょっと、やめてよ2人とも!」
「だってモモ、セイムが……」
「この猫が……」
「お・だ・ま・り。止めないとあたし、今ここで魔術使うわよ」
モモの一言で、先程の騒動を思い出した2人(?)が青ざめて沈黙した。
ちなみにここまでの会話、全て人語である。
つまり、この少女と女剣士と猫、という普通でも珍しいパーティーは、実はハーフエルフと女剣士と人語を解する猫、という、更に希少な一行なのだった。
「ところでモモ。敵さんに心当たりは?」
防壁を作ろうとして竜巻を起こした張本人に、こんな狭いところで魔術を使われてはたまらないと、慌ててセイムが話題を変えた。
が。確かに話題は変わったが、今度は空気が一気に重くなってしまった。
「あったら、こんなことしてない……」
言ったきり、冷えたハーブティーのカップを見つめて、モモが黙り込む。
(心当たりなんて、あったらあたしはこんなところにいない。そんなものがあるんなら、あたしはまっすぐそこに行ってる。そんなものがあるんだったら、お兄ちゃんは……)
少女の目が潤み始めるのを見て、セイムとココがフォローに回った。
俯いたモモの頭を、帽子の上から軽くぽんぽんと叩いてセイムが言う。
「大丈夫だよ、モモ。あんたの兄さんはきっと見つかる。ついでに敵さんの正体も掴んで、みんなで十分お礼してやろうよ。ね?」
「そうだよ、モモ。そのために僕達ここに来たんだから。この、オーツへ」
声を潜めてココも続けた。
「……うん。そうだね。そうだよね」
顔を上げてモモが、小さく笑った。
そこへ、明るい声が響いた。
「ねぇねぇ、どうだった、料理? 美味しかったでしょ? 母さんの料理はこの辺りじゃ評判なんだから! あっ、お茶のおかわりはいらない?」
トリユだ。
商売上手なのか、元からなのか、良く喋る少年である。うまいことに、それが決して人にうるさいという印象を与えない。更に良く出来たことに、彼の賑やかさを中和する存在までが、この白鹿亭にはいた。
「トリユ。あなたがそんなにぽんぽん喋ったら、みなさんが返事をする暇がないじゃない」
おっとりした口調でたしなめたのが、その御仁。向き直ってモモに言った。
「で、おかわりは如何? ココさん」
問いかける相手としては正しいが、呼びかける名前が違う。
「ミューツキ……間違ってる。ミューが話しかけてるのは、モモ。ネ=ココは、その隣の猫だよ。ちなみにもう一人はセイムさん」
まったく、どーやったら猫と人を間違えるかなぁ?
トリユが頭を抱えて間違いを指摘した。
「あらイヤだ、あたしったら。ごめんなさいね。で、みなさん、お茶のおかわりは如何?」
ふんわり笑ってミュー。
多少のボケも、この笑顔で相殺される。
お喋りなトリユ、おっとりのミューツキ。白鹿亭の名物コンビなのだった。
「じゃあ、お言葉に甘えてお茶をもう一杯」
「あたしにももらえるかい?」
すかさずココも自己主張して、それぞれが飲み物のおかわりをもらったところで、バイオリン奏者を従えたこの店のもう一人の人気者が現れた。
フロアの隅々から声がかかる。
「待ってました、芙蓉の君!」
「よっ、オーツ1の歌姫!」
芙蓉の花が好きだと言ったら、金持ちのファンが彼女のために芙蓉尽くしの四阿を庭に造ってしまった、という逸話まで持つ歌姫は、客人達の歓声を笑顔で鎮めてから、耳に心地よいハスキーヴォイスで恋歌を歌い始めた。
あなたに最後に会ってから どれだけの時が過ぎたでしょう?
あなたに今度会えるまで どれだけの時が過ぎるのでしょう……
その歌を聴きながら、モモは思いを馳せる。
会いたくて会いたくて、会えない人へと。
(待っててね、お兄ちゃん。あたし、絶対お兄ちゃんを見つけてみせる。でもって、あたし達を狙ってる相手も見つけ出してみせる。だからお兄ちゃん、待っててね……)
-- 同じ頃。
オーツの街の北東、高級住宅街と俗に呼ばれる辺りのとある屋敷で、10代後半とおぼしき美しい娘が、弟に小言を言っていた。
「ユークウィス。ユーキ。その腕、大丈夫なの? 手当してあげるからいらっしゃい。本当に、どうしてそんな怪我を……」
娘の名を、マティカという。オーツの街の名門・イーズヨール伯爵家の次期当主だ。
彼女の弟は、右腕の肘から下をすりむいていて、何をするにも痛そうだった。
「ん、これ? これはだから、ちょっと転んでしまったんですよ。消毒も済ませてありますから、大丈夫ですよ、マティカ姉さん」
答える弟・ユーキの声には、どこか嘘臭いものがあったのだが、マティカはそれを痛み故と解釈して、心配そうに言った。
「そうなの? それなら良いけれど……。バザールで竜巻が起こったというし、気を付けてちょうだいね?」
「え……? ええ、そうします」
今度のユーキの声は、ひきつってすらいる。
が、それにもマティカは気付かない。あくまで素直に、腕が痛むせいだと思っていた。
「ところで、この手紙、このまま封をしてしまっていいの?」
「ええ、お願いします。流石にこの腕だと、細かい作業をすると痛くて。……それであの、姉さん? その手紙……ちょっと恥ずかしいから、中は絶対読まないで下さいね?」
痛む腕ではうまく封が出来ない。中身は読まれたくない。けれど急ぎたい。
弟の言うことを総合して、マティカはその手紙を、弟が誰かに当てた恋文だと判断した。だから、もう一度念を押した。
「それは勿論だけど……本当にいいのね?」
「はい。あっ、投函は僕がしますから、おいといて下さい。僕、やっぱりちょっと包帯巻いてもらってきます」
言い置いて出ていった弟を見遣って、マティカは呟いた。
「いいのかしら? この手紙、さっきあの子がこぼしたコーヒーの上に置いてあったのに」
封筒を裏返すと、案の定、真ん中にコーヒーのシミが出来ている。
「本当に、いいのかしらねぇ……?」
-- ラブレターなのに。
「……あっ、そうだわ♪」
勝手にラブレターだと決めつけた姉は、愛する弟のため、そのシミに手を加えて、赤いリボンを付けたクマに仕立てたのであった。
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