4・真夜中の訪問者
カーテンの隙間から月光が漏れてくる。その光が部屋の中に細い青銀の帯を描く。その帯は、己の居場所を変えることで、時の移ろいを教えてくれていたけれど……
それでもモモは、相変わらず水晶玉を握りしめたまま、動こうとしなかった。
そんな相棒をしばらく見つめて、苦笑混じりにココが言った。
「目が冴えちゃったね、何だか」
「うん」薄く笑ってモモ。
2人とも、気分的にはこのまま起きていてもいいのだが、長旅の後だ。体には疲れが溜まっているはずである。現に、一行の中では一番体力もあって気配にも敏感なはずのセイムが、2人の会話にも気付かず熟睡している。
夜明けまでにはまだ数刻。朝日が昇ったら、スークの消息を訊ねるために行動を開始しなくてはならない。眠っておくに越したことはないのだが、如何せん、目が冴えてしまって布団に潜り込む気にならないのだった。
「……あれ、使ってみようか」
ふと、何やら思いついた様子で、モモがベッドを降りた。
「あれって?」
ココが首を傾げても答えない。無言で荷物をごそごそやっている。
流石にこれでセイムが目覚めた。
「……何やってんだい、2人とも……?」
むっくり起きあがって不思議そうに唸った。
「あ、ごめん、セイムさん……起こしちゃった? ……あ、あった」
ココに蹴られてびっくりして起きたら、そのまま目が冴えちゃったから、ちょっとこれ使ってみようかと思って……。
とっさに言い繕ったモモが手にしていたのは、小さな円錐形の固形物だった。
「え〜と、ちょっとこれを拝借してっと……」
備え付けの小テーブルを窓際に運び、同じく備え付けの陶器の灰皿に、謎の物体を置く。
「何だい、それ?」
覗き込むセイムとココに「まあ待って」とウィンクをして、モモは小さなとんがり帽子にマッチで火をつけた。
ぽうっ。
とんがり帽子の頭に一瞬火が点り、そして……そのまま消えた。
「あれっ? 消えちゃった。湿気ってたのかなぁ?」きょとん、とモモ。
「だから、何なんだよ、これは?」
「ジョーイさんにもらったの。気分を変えたい時に使いなさいって。形から見て、お香だと思ったんだけど……」
火をつけても、煙も出なければ香りもしないお香など、聞いたことがない。
「湿気ってる匂いはしないけど……ま、試しに外に出しといて、明日の夜辺りにまた火をつけてみたら?」
肩をすくめてココが横を向いた。
「そだね。あ〜あ、それにしても、これで本格的に目が冴えちゃった。いっそ窓でも開けてみようか」
モモが窓に近づいた、その時。
ヒュッ -- 『いけない、モモ!』
窓もドアも開いてないのに、部屋の中を風が吹き抜けた。風の音に紛れて誰かの声も聞こえた気がして、モモが足を止めた。
「な、何っ!?」風に押されて数歩後ずさる。
-- 間一髪だった。
パァンッッッ!
窓のガラスが、外から、割れた。
「きゃあっ!」
ついさっきまでモモがいた場所に、ガラスの破片が突き刺さる。
「モモ!」ココが叫んだ。
セイムが慌てて少女の腕を引っ張り、自分の後ろにかばってから、剣を抜き放つ。
「誰だい、一体! こんな物騒なことしやがるのは!?」
向き直った3人の視線の先。割れたガラスの向こう。月明かりに照らし出されたテラスに、黒尽くめの影が、立っていた。
「モーム=ウォンガ……」
影は、モモの名を呼んだ。そして更に不思議なことを言った。
「……いや、モーム=イーズヨール。とうとう来たんだな、この街に。あれほど、僕は、止めたのに」
月の光を背中から受けて、相手の顔が良く見えない。髪の色も判らない。声までが影のようにあやふやで、男か女か判らない。勿論、その人影が、何のためにここにいるのかも。だが、それでも、短い台詞の中に、聞き逃せないものが確かにあった。
フーーーーッ!
モモの足下で、ココが、背中を丸めて威嚇音を出した。
「あれほど止めた、ですって? ってことは、少なくとも、旅の途中であたし達を襲ったのはあんただってことよね」
「教えてもらおうか。何だってこの子を狙うんだい? 場合に寄っちゃ、相手になるよ」
歩き出したモモを左手で制してセイム。剣を右手に構えたまま、テラスの方に歩き出す。その、目が、すわっていた。追い剥ぎならともかく、理由も知らせずただ少女を襲うというやり口に、短気な剣士は結構腹を立てていたのである。剣先から殺気が立ち上っていた。
それなのに。
-- くすっ。
女剣士の放つ殺気にたじろぎもせず、テラスの人影は笑みをこぼした。
「イヤだな、殺気立って。今日は顔を見に来ただけなのに……招待状を渡せれば、それで良かったのに」
仕方ないな。そこのお姉さん、その気になってるみたいだし。喧嘩したいんなら、付き合ってあげるよ。
囁く手にいつの間にか短剣が握られていた。
「顔見せだぁ? っざけんじゃないよ、ガラスなんかぶち割りやがって。顔見せってぇのは、もっとおとなしくやるもんだ」
切り返すセイムの声は、限りなく低い。
「セイムさん……」
呟いてモモは、自分よりも頭一つは軽く背の高い女剣士の背中を見つめた。
廊下では、話し声。宿の他の客や主一家が流石に騒ぎを聞きつけたようだ。
「ホントに、招待状を渡すだけのつもりだったのに……それだけで、今日は帰るつもりだったのにね」
落ち着いた口調で語りかけながら、人影は徐々に距離を詰めてくる。
「モモっ、セイムさん、ココ!」
「来ちゃだめ、トリユ!」
ドアを叩いたトリユと、慌てて止めたモモの声が引き金になった。
「そんなに喧嘩したいなら仕方ないね。付き合ってあげるよ!」
不敵に言い放って、人影が短剣を投げる。と同時に、こちらに向かって駆け出していた。
「セイムっ!」
ココが叫んだが、見越していたのだろう。
キンッ!
セイムは短剣を剣で払い、手近にあった灰皿を、敵に向かって投げつけた。
予期せぬ事が起こったのは、その時だった。
黒尽くめの人物にたたき落とされて、灰皿が -- 中身ごと --
テラスに落ちた。
そして……
ボムッ!
いきなり、煙をあげて爆発したのだ。
割れた灰皿の破片が飛び散る。
「……っ!」どうやら破片の一つに直撃されたらしい。人影が腕を押さえ、信じられないものを見たように立ちつくした。
だが、何が起こったか判らないのはモモ達も同様である。
「……何……?」呆然と呟いた。
驚いたのは廊下の面々だ。最初はガラスの割れる音、今度は爆発音。誰かがマスターキーを取りに走ったらしい。すぐに鍵を開ける音がして、トリユが飛び込んできた。
「モモっ! みんな、怪我は!?」
立ち直ったのは襲来者が先だった。
「ちっ」舌打ちをひとつ漏らし、「やるね、なかなか。邪魔も入ったことだし、やっぱり最初の目的だけで帰ることにするよ」言い置いて、テラスの手すりから身を躍らせた。
「待てっ!」
慌ててセイムが部屋を飛び出し、下をのぞき見たが、既にそこに人影はない。仕方なく剣を収め、部屋に戻って来た。
「何だったんだ、あれ……?」
呟いたのはココだったが、気に留める者は一人もいない。そして、ココの問いに答えることが出来る者もまた、いなかった。
「お香じゃなかったの、あれ……?」
「いや……火をつける前の香りは、ちゃんとお香だったよ」
こそこそと囁きあって、モモとココが顔を見合わせた。
お香の材料で爆発物を作り出すとは、恐るべし、スイ=ジョーイ。
「薬師としては一流なんだけどねぇ……」
彼女の『新作』はなるべく使わないようにしよう --
ハーフエルフと人語を解する猫は、互いに頷きあってため息をついた。
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