G線上のフーガ

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 3・天使は笑顔で無茶を言う(1)

 暗闇に虹色の光が点った。
 『虚空』と呼ばれながら決して『虚ろ』ではない漆黒の空間に、ロウソクのようにぽぉっと浮かび上がったそれは、だんだん大きく明瞭になり、やがて1つのかたちを取る。
 宇宙船乗りなら誰でも知っている、ワープアウトの光景である。虹色の光はすぐに薄れ、本来の宇宙船の形と色が現れる。
 現れた色は、銀だった。
 優美な曲線を描いて銀色に輝くそれは、どこか、地球の海を泳ぐという『サカナ』と言う名の生物を思わせる。
 宇宙を泳ぐ銀のサカナ。
 その名を、トーマ=ガーネイと言った。

「で、今どの辺にいるんだって、トーマ?」
 高速移動中でなければシートベルトは必要ない。ベルトを外し、コンソール・パネルにひじを突いて訊ねるタスクに、訊かれたメインコンピューターは、いつもの素っ気ない声で律儀に答えた。
『Bライン、つまりナリア=キョーディ航路のすぐ近くです。先程の場所からだと通常の航行で約30分くらいの距離ですね』
 ついでに付け加える。
『そう私に指示したのは貴方のはずですが、タスク?』
 言外に、そんなに自分が信用できないか、と文句を言っているのだ。
「確かに指示したのは俺だけどな。一応確かめとこうと思って。お前、時々勝手なことするからなー」
「そうだな。一・応、確認しといた方が得策だろうな」
 すかさずタスクとジョーが反撃に出る。
「旦那方……」
 コンピューターと人間という隔たりをものともせず真面目に喧嘩するこの2人と1機が、ちょっと怖いとニーノは思った。
 と、いきなりトーマが話を変える。
『……それで、どうします?』
「決まってるだろ。さっきの場所へ戻るんだ -- と、言いたいところだが……どうして欲しい、モモ?」
 背後を振り返ってタスクが言った。
 問われたモモが一瞬不思議そうな目をする。
「どうして欲しい、とは、どういう意味です、タスクさま?」
「そのまんまの意味さ」
  -- 判りきったことを訊くな。
 口調だけは軽いが、瞳は真剣だった。
「お前は連中から逃げてきた。自分が賞金首になった理由を話せば助けてくれるかってお前は訊いたな。ああ、いいとも。こうなったらとことんお前に付き合ってやる。だから言え、モモ。お前は、これから、どうしたい?」
  -- お前は、どうして欲しい?
 問われてモモは、髪と同じ薄茶の瞳を一瞬大きく見開いた。
 助けを得られる歓喜と安堵。他人を巻き込んでしまうことへの後悔と、罪悪感。感情をよく移す瞳に、様々な想いが浮かんだ。
 心細くなかったはずはない。助けを得られて嬉しくないはずはない。
 一国の王女はそれでも気丈に言い返す。
「いいえ。先程のことで良く判りました。わたくしと一緒にいては、あなた方のお命まで狙われてしまいます。ナリアで結構です、降ろして下さい」
『姫君!』「お姫様!」
 王女の言葉に、トーマとニーノが驚いた。
 だが、タスクとジョーは動じない。
 すっとシートから立ち上がり、モモのシートに歩み寄って、立っていても自分達の胸ほどしか身長のない王女を、わざと高みから見下ろして言い放った。
「莫迦言うんじゃねーよ」
「貴女1人ナリアに降りて何が出来るというんです。ミニエからだって、ニーノの手を借りなければ逃げられなかった人が?」
 不敬罪を問われても仕方のない言葉と態度だ。だがそれだけに、王女を怯ませるだけの迫力があった。
「……でも、このまま一緒にいては、あなた方が……。わたくし、自分のために、自分の好きな方を危険にさらすなど、いやです!」
 答えを聞いて、タスクは溜息をつく。
  -- そうなのだ。
 この王女は、どういうワケか自分なんぞに惚れている。一国の王女が、賞金稼ぎにだ。
 出会ったのは3年前だった。行方不明になったモモの飼い猫を、探し出してやった。
 だが……それだけだ。タスクが殊更に優しい態度を取ったワケでもない。まして思わせぶりなことなど言った覚えもない。それなのに、以来この姫は(流石に周りがうるさいので、知っているのはごく少数なのだが)「タスクが好きだ」と言って憚らず、事ある毎に自分に便りを寄越すし、会いに来る。
 タスクにしてみれば、嫌いというわけではないから迷惑とまではいかないのだが、困惑しているのも確かたっだ。
 まして今は場合が場合。
 惚れた相手を巻き込みたくない、という気持ちは判るが、既に手遅れなこの状況でそれを理由に船を下りると言われても、「はい、そうですか」と頷けるワケがなかった。
「アホウ」
 王女の頭をはたく。
「とっくに危険だろーが。チューバに会う前ならともかく、今じゃ俺達は、王女殺害未遂の目撃者なんだぞ。お前がいようがいまいが、狙われることに違いはないさ。第一、今ナリアでお前を降ろしてお前が連中に殺されでもしたら、後味悪くてやってらんねーだろーが」
「ですが……」
 なおも食い下がろうとするモモに、ジョーが冷たい台詞を投げる。
「言っちゃぁなんですが、貴女はこの際関係ないんですよ。チューバは……いえ、貴女の叔父上は、俺達をバカにした。このまま黙ってちゃ、俺達の気が収まらないんです。貴女はね、モモ姫。この件に首を突っ込む口実みたいなものなんです」
 相変わらずフォローの巧い相棒である。
 それにしても、王女を捕まえて口実とはよくぞ言った。
 だが、それを呆れたことと憤慨する者も、驚き慌てる者も、この場にはいなかった。
「チューバとか言ったか、あのおっさん。あいつ、賞金懸けてまでお前を見つけたがってたくせに、お前が同行を断ったらいきなり主砲発射しやがった」
『賞金稼ぎをバカにするにも程がありますね』
「そう、バカにするにも程がある。だからこそ、姫が盗んだという国家機密とやらに俄然興味がわいてくる」
 口元に笑みを浮かべ、軽やかな声で歌うようにタスクが言うと、見事としか言いようがないほど綺麗に続けて彼の仲間が言葉を紡ぐ。
「アタシも興味がありますねぇ♪」
 笑いを含んで泥棒が囁いた。
「一流の賞金稼ぎには、一流の賞金稼ぎのプライドってモンがあるんですよ、お姫様。一流の泥棒に一流の泥棒のプライドがあるように、ね」
『一流の宇宙船にも、一流の宇宙船なりのプライドがあります』
 言い放つ男どもの瞳にも声にも怯えの色はない。
 涙混じりの笑顔でモモが呟いた。
「あなた方……なんて無茶な方々ですの……」
 俯く頭をぽん、と軽く叩いてタスクが促す。
「無茶じゃねーよ、俺達にはな。だからモモ、さっさと言え。お前は、どこに行きたい?」
「モモ姫」『姫君』「お姫様?」
 続けて名を呼ばれ、さらにしばらく経ってから、やっとモモが顔を上げた。
 微笑んで、まっすぐに前を見つめ、王女が行き先を告げる。
「それでは……ミニエに、向かって下さい」
 逃げてきたはずの自分の国へ、と王女は言う。訝しんで然るべきその言葉に、けれど誰も異論を差し挟まない。
「了解」「ま、とりあえずはナリアだな」「ですねぇ」『かしこまりました』
 男達がシートにつくのを待ってトーマが再び出力を上げ始める。
「あ〜あ、あのおっさんのせいで余計な燃料使っちまったな」
 ぼそっと呟いたジョーの台詞を、タスクとトーマは聞き逃さなかった。

 

************

 

 航行すること30分。
 危うく宇宙の藻屑にされるところだった空間に再び戻ってきたタスク達は、己が目を疑うことになった。
 辺りには、金属の破片が散乱している。
 そしてその中心に、見覚えのある宇宙船が、無惨な姿で漂っていた。
 航行不能なのは、一目で分かる。それでもまだ、誰の船かを認識できるほど原形をとどめているのが救いだった。
「一体……」
 何が、と呟くより先に、トーマが言った。
『タスク、通信です』
「……ああ、いいぜ、受けてやる」
 タスクが最後まで言わない内に、トーマが通信回路を開く。
 サブスクリーンに現れたのは、茶色の髪の青年だった。
 相手が間違いなく生きているのを確認して、タスクが囁く。
「……トール……」
 正直、ほっとした。あの様子では、トールの命も危ういと思っていたのだ。
「……ああ、タスク、ジョー、トーマ……無事だったんだね、よかった……」
 自分の方が余程甚大な被害を被っているくせに、トールは震える声でそんなことを言う。
 しかも、紡がれる言葉に棘がない。
「あの程度の攻撃でやられる俺達じゃない」
 わざとぶっきらぼうにタスクが返しても、憎まれ口を返すでも軽口でからかうでもなく
「うん、そうだよね。そうだ……」
 感極まったような涙声を出している。
 人を出し抜くのは大好きな男だが、こういうところは妙に純なのだ。
(だからコイツをイマイチ憎みきれないんだよなぁ……)
 タスクとジョーが顔を見合わせて苦笑いを漏らし、それから、ふっと表情を引き締めた。
「それで……あれから何があったんだ?」
 返る答えを予測しながらジョーが訊く。
 何しろ、裏の司令を知らなかったとはいえ、一度はチューバと協力体制を取りながら土壇場で「止めろ」と叫んだトールだ。王女抹殺の司令が実行に移されるのをその目で見ていた生き証人。チューバ達にしてみれば、逃げたタスク達はすぐに追いかけるとしても、トールはその場で始末を付けたいはずだった。
 答えてトールは
「見ての通りさ。君達を攻撃するのとほぼ同時に、連中、ボクにも攻撃しかけてね。まあ、君達を狙い始めた時点でそれは予測がついたんだけど、やっぱり君達の方に一瞬気を取られて、それでもってビーム砲の集中砲火だったから、流石に全部は避けられなくてね」
  -- お陰でこの有様だよ。
 あっけらかんと笑う。
「おいおい……よく無事だったなぁ」
 天井を仰いでタスクが感心した。
 本当に、よく生きていたものだ。
「まぁね。トーマほどじゃないけど、これも結構丈夫な船だし」
 エンジンをやられたから動けないけれど、それさえ直せばまあ大丈夫だ、と誇らしげに言うトールに、続けてジョーが訊いた。
「それで、連中は?」
「ああ、キョーディの方へ向かったよ。連中、君の行動は予測出来なかったみたいだね。まあ、逃げるときはより遠くへ行くのがお約束だし、このキンギー・エリアから逃げるんだったら、行き先は普通はキョーディなんだけど。君達に限ってはそれは通用しないよね」
 口元に笑みを浮かべながら、タスク達の行動をほぼ正確に予測していた青年は言う。
「ふ〜ん。キョーディ。素直だねぇ」
 タスクが口の端に笑みを浮かべた、
 小ワープで一時的に避難した場所を思えばすれ違う危険もあったのかも知れないが、とにかくこれでわずかなりとも時間稼ぎが出来たわけだ。上出来だと思った。
「で、トール、ナリアの宇宙港へは?」
「連絡したよ。もう20分もすればお迎えに来てくれるってさ」
 ならば、置いていっても安心だ。
「そうか。じゃあ、それまでここで」
 待っていろ、と言いかけたタスクの声に、きっぱりとしたトールのそれが重なった。
「イヤだ」
「トール?」
 訝しげな視線を送るジョーに、答えてトールが言い募る。
「待たない。待ちたくない。賞金を貰い損ねた上に命まで取られそうになったんだ。奴らの狙いを知りたくもなるじゃないか。なのにここで待ってるだけじゃ、何も判らない」
 連中は最初、モモの捜索と連行を依頼した。なのにいざ見つけてみれば、どうやら最初から殺すつもりもあったらしい。
 そうなってくると、モモが賞金首になった経緯を知りたくなる。
 モモは何故追われる身になったのか。彼女が『盗んだ』国家機密とは一体何なのか。
 このままナリアに戻っては -- 攻撃されたからと言って逃げ回っていては、ただの狙われ損、ということになる。
 それはイヤだと、トールが呟いた。
「だから、頼む、タスク、ジョー。ボクも君達に同行させて欲しい」
 タスクとジョーは顔を見合わせた。
 考えることは皆同じらしい。
 類友だな、と思わず苦笑を漏らした2人だったが、同時に納得もしている。
 確かに、これで怒らなかったら嘘だろう。
 それに、これだけの材料を提供されて好奇心を刺激されないなら、そんなヤツは宇宙船を捨て、どこかの田舎星に引っ込んで、とっとと穏やかな余生とやらを始めればいい。
 タスクは、見つめた相棒の瞳の中に、了承の色を見る。
「トーマ」
 そっと囁くと、
『いいですよ』
 名を呼ぶだけで真意を察するもうひとりの大事な『仲間』が、己が体をゆっくりトールの船に近づけはじめた。



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