G線上のフーガ

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  1・禍来たりてお茶を飲む(2)

 シュッ
 操縦室のドアの開く音が聞こえた……ような気がした。
 2人が同時に幻聴を聞くことなどまずあり得ないのだが、「幻聴かな」と一瞬タスクもジョーも思った。
 何故なら、ドアを開けられる人間は、2人揃って今操縦室の中にいるのだから。
 この艦は声紋・指紋登録式のオートロックである。クルーとして登録しておかない限り、勝手にドアが開くことはない。あるとすればそれは、コンピューターが誤作動した時、ということになるのだが、何しろプライドの高いトーマ、自分の性能にも絶対の自信を持っていて、意地と根性にかけて -- コンピューターにそれがあれば、だが -- 誤作動などあり得ないと常日頃豪語していた。
 ふっと互いに目を見合わせたタスクとジョーが、「まさかな」と頷きあい、脳裏をかすめた『ドアの開くもう一つの可能性』を無理矢理ねじ伏せて、件の音を幻聴で片付けようとした、まさにその時。
「こんにちは。お邪魔いたします」
 計ったようなタイミングで、ふわん、とした作りたての綿菓子のような甘く柔らかな声が、2人の背後から響いた。
  -- あり得ない。
 いきなり操縦室に女の声が響くなど。
 しかもそれは、2人にとってしっかりきっぱり聞き覚えのあるものだった。
(振り向くな、振り向くんじゃないっ、スール=ジョー!)
(そうだ、振り向くんじゃない、タスク。こんなことはあり得ないんだっ!)
 振り返りそうになるのを必死でこらえてモニタを見つめる。
 だが、闖入者は、そんな2人の努力にもお構いなしだった。
 トコトコトコ、と歩み寄り、ソプラノの声を投げかける。
「お久しぶりです、スール=ジョー=クラヴサンさま」
 ジョーの視界の隅に、極上の笑顔が映った。
「お会いしとうございました、タスカヴィーレ=チェンバロさま」
 タスクは視界の隅に、優雅に膝を折る小柄な体を見た。
 それでも2人は振り向かない。
(幻聴だー、幻覚だー)
(そうだっ、これは幻なんだっ!)
 意志の力を総動員して首の筋肉を固定している。
 そんな2人の努力を、トーマがあっさり無にしてのけた。
『ようこそいらっしゃいました、姫君』
「まあ、トーマ=ガーネイ=ヴィオラダガンバ。先程はありがとう。あなたともお久しぶりですね」
(おい)
『はい、最後にお会いしてからかれこれ3ヶ月にもなりましょうか。ルーナは元気ですか』
「ええ、わたくしが国を出る時には元気でしたわ」
 ルーナとは、タスク達とモモが知り合うきっかけとなった、彼女の愛猫の名である。
(こらまて)
 モニタを凝視したまま無言の抗議を続けるクルー2人をしっかり無視して会話は進む。
 気のせいどころではなく、トーマの態度が変わっていた。
『どうぞ、姫君』
「ありがとう」
 ウィンとシートの動く音がして、続いてカチャリと薄手の陶器のぶつかる音が聞こえた。
 操縦室にそんなものが元からあるわけがない。では、どこから来たのか、というと。
  -- 決まっている。トーマが勝手にキッチンから持ってきたのだ。
 ほのかに漂うのは、極上のウィーズ紅茶の香りである。勿論粉末に熱湯を注いで……などという似非紅茶ではなく、きちんと湯を沸かし、リーフを使ってポットで淹れたものだ。
 とうとうタスクがぶちきれた。
「トーマ、てめぇっ! 俺にはコーヒー作ってくれなかったくせに、何でモモには出してんだ!?」
「そおゆう問題じゃないだろう……」
 溜息をついてジョーが続ける。
「トーマ。君のセキュリティは声紋・指紋認証方式で、クルーとして登録しないとドアは開けられないはずじゃなかったか?」
『勿論、そうですよ、ジョー』
「念のため聞くが、モモ姫はクルー登録されては……」
『おりません。』
 いっそ自慢気に聞こえる声だったが、台詞と現実が力一杯矛盾している。
「だったら何で、今ここに、クルー登録してないモモが、い・る・ん・だ・よっ!?」
『私がドアを開けたからです。決まっているでしょう。わたくしはフェミニストなのです』
 コーヒーの恨みから立ち直ったタスクの追求に、しれっと答えてトーマが言った。
 ふふふん、と鼻歌でも歌い出しそうな声だった。
 プライドが高くてフェミニストな宇宙船。
 それがトーマだった。
「っざぁけんなっ、てめぇっ!!」
 タスクの雄叫びが、さして広くもない操縦室に響き渡った。

 

************

 

 10分後。
 新たなコーヒーをトーマに淹れさせ、気を取り直したタスクは、招かれざる客人に視線を投げた。
 既にトーマは宇宙空間を航行中である。まさかハッチを開けて放り出すわけにもいかない。かといって、ナリア宇宙港に引き返すには再度管制塔の入港許可を取る必要があるし、宇宙港の使用料(これがバカ高いのだ)も必要になる。
 タスクは「面倒だ」と言い、ジョーは「燃料と宙港使用料が勿体ない」と言った。
 更に言えば、目の前にいるのは『賞金首になった王女さま』。好奇心をくすぐられることこの上ない存在である。それが自ら飛び込んできたのだ。興味の沸かない訳がなかった。
「で。モモ姫さんよ。なんでお前がここにいるんだ」
 相手が姫だろうと、タスクの口調は変わらない。ぞんざいに訊いた。
「それは……トーマが入れてくれたから、ですわ、タスクさま」
 すっとぼけた答えが返る。
「そおぢゃなくて。な・ん・で、お前がこのナリアにいるのかって訊いてんの。」
「あら。だって、ミニエから一番近いのはここですわ」
「だから訊きたいのはそれじゃねーんだよ!」
 じれたタスクがバン、とデスクを叩いた。
「大体どうやってここまで来たんだ!? お前、宇宙船の操縦なんて出来ねぇだろう」
 トーマがハッチを開けたにしても、それはナリアでのことだ。どうやってモモがミニエからナリアまでやって来られたのか、それが謎だった。
「ああ、それでしたら、この方が……」
「……誰だよ、この方って……?」
 訝しんだタスクとジョーがモモの指さした方を見ると。
「よっ、旦那方♪」
 オフホワイトのドアに背中を預けて、彼が胡座を組んでいた。
 モモよりほんの少し高い程度の身長で、一見人畜無害な顔をしている。顔色が多少悪く見えるが、それは彼等の種族の肌色だった。
 どこにでもいそうな人間ではあるが、彼の顔と声を忘れるタスクとジョーではない。
「ニ、ニー……げほっ!」
 慌てたタスクがコーヒーにむせた。
「ニーノ=ラー=ガムラン……いつから」
 気の毒そうな視線をタスクに向けてから、呆然と呟いたジョーに向かってニーノは明るく言い放つ。
「決まってるでしょ。そこのお嬢さんと一緒に来たんです」
『今まで気付いていなかったんですか、タスク、ジョー?』
 呆れたような声音を見事に作ってトーマ。
「悪かったなっ! しょーがねーだろ」
 タスクが、まだかすれてはいるがむっとした声で弁明した。
 気付かなかったのか、と不思議そうにトーマは言うが、それは無理な注文だった。
 ニーノの属するオガ人は、気配を消す、という特技を持っているのだから。
 それも半端な能力ではない。元々植物から進化した人類で、何時間、ことによっては何日も飲まず食わず喋らず動かずで同じ場所にいても、一向に平気なのである。気の荒いことで有名などこぞの星の猛獣を、至近距離で気配を断ってやりすごした、という話も聞く。
 物体の認識に形状、熱、音や光の反射などあらゆる情報を利用するトーマと違い、人間は、エスパーでもない限り、特に背後の物体の認識には、音は勿論だが気配もある程度頼りにするものだ。それを断たれては、気付けと言われる方が無理な相談なのである。
 それにしても。
「よりにもよって、何でこんなヤツと一緒にいるんだ、モモ……」
 額を押さえてタスクが呻くとにっこり笑ってモモ。
「ミニエの宇宙港で捕まりそうになったところを、この方に助けて頂いたのですわ。ご自分もお取り込み中でいらしたようですのに、本当にご親切に……」
 聞けばモモは、ミニエで、どう見ても訓練された職業軍人もしくは私兵としか思えない連中に襲われていたらしい。そこを『偶然通りかかった』ニーノが助けたというのだ。
 ニーノがナリアに向かう途中だと知ったモモは、渡りに船と便乗させてもらったらしい。幸か不幸か -- タスクは不幸だとしみじみ思った -- この時モモは、タスクがナリアにいることを知っていた。
 モモの台詞に調子よくニーノが笑う。
「いえいえ。こんな可愛いお嬢さんを20人がかりでとっつかまえようとしてましたんでね。お助けしたんですよ。地球風に言えば、据え膳食わぬは男の恥、でしたっけ、旦那」
「思いっきり間違ってる」
 タスクが突っ込んだが、地球系出身でないモモは気付かなかったようだ。
 砂糖菓子の笑みを浮かべて言った。
「本当に、あの時はありがとうございました。その上こうしてタスクさまの許に連れてきて頂いて……」
「いえいえ、とんでもない」
 いかにもお人好し然としたニーノの台詞で、ジョーがデスクに突っ伏した。
「モモ姫、あなた、ニーノがその時何で取り込んでいたのかお気付きにならなかったんですか?」
「え……?」
 聞き返すモモに、とぼける様子はない。
「教えてやろう」
 吐き出すようにタスクが呻いた。
「そいつはなぁ、宇宙をまたにかけた泥棒なんだよ。きっぱりはっきり、賞金首! ミニエの宙港で取り込んでたのも、きっとどこぞで宝石でも盗んで逃げてくる最中だったからだろうよっ!」
「……まあ、そうだったんですか?」
「ええ、まあ……。成功はしたんですが、何しろ相手方、用心棒16人も雇ってまして」
 一向に悪びれた様子もなく、ニーノは「ちょいと苦労しました」と頭をかいて笑う。
「まあ……それは大変でしたわね」
「いえいえ、それほどでも」
「……いい加減にしろよ、お前等」
 泥棒の労をねぎらう王女がどこにいるか。
 理解を超える2人の会話に頭を抱えながら、タスクとジョーは半ば本気で「話なんて一切聞かずにこいつらまとめてミニエに突き出して賞金せしめてやろうか」と思った。



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