1・禍来たりてお茶を飲む(1)
出発前の整備を終えて操縦室に戻ると、買い物から帰ったスール=ジョーがコーヒーを飲んでいた。
漂う香りは特製ブレンド。置かれたカップは1人分。念のため覗いたミニキッチンの、コーヒーメーカーのサーバーは空で、フィルターも既に片付けてある。
「よっ、タスク。整備は終わったんだな」
ご苦労、と言葉にだけは一応ねぎらいを入れ、ひらひらと手を振って、ジョーが言った。
蜜色の髪に青い瞳のこの青年、男のタスクも認めざるを得ないほどの美貌の持ち主で、こんな無造作な動作までむかつくほど絵になる。(ちなみにタスクは髪も瞳も黒だ。)
すっかりくつろいでいるのは、買い付けたモノの配送・装填が終了して、各地での補給の手はずも全て整い、持ち帰ったモノも所定の場所に片づけ終わったからだろう。
「そんじゃ、出発しますかね」
金髪の相棒は、言ってさっさとカップを片付け、タスクに着席を目で促して、惑星ナリア宇宙港管制塔とさくさく連絡を取り合い、メインコンピューターに離陸を指示する。
「……コーヒー、俺の分は?」
流石に離陸作業中にコーヒーを飲むような真似は出来なかったが、ナリアの重力圏を抜けた後、試しにタスクは訊いてみた。
「いつ戻るか判らないヤツのために、飲むかどうかも判らないコーヒーを淹れとくなんて、コーヒー豆と水と保温用エネルギーの無駄遣いだと思わないか?」
真顔で返った答えがそれだ。
(くっそぉ、こ〜のどケチ野郎ぉ〜〜!)
これがなければこの男、もっと女に持てるだろうに、とタスクが常々思う、これがスール=ジョーの悪癖である。
涙が出るほど優しい台詞に、タスクのこめかみがぴくりとひきつる。
気を取り直し、今度は対象を変えて言った。
「トーマ。コーヒー淹れてくれ」
『私も色々忙しいんです。ご自分のことはご自分でなさって下さい』
どこからともなく即座に響いた無機的な音声に、再びタスクのこめかみがひきつった。
「トーマ=ガーネイ。お前……コンピューターのくせに」
『ただのコンピューターではありません。この船を預かるメインコンピューターです。あなたにコーヒーを淹れるより先に、やらねばならないことはいくらでもあります』
前の持ち主が、豪傑で知られた祖父の名をつけたというこのコンピューター、前の主にしっかり人間扱いされていたためか、並の人間よりも遙かに高いプライドを持っている。
「つーん」と顎を上げているのが見えるような声で、冷たくきっぱり言い放った。
「正論だな」
スール=ジョーが追い打ちをかける。
「貴様等……」
思わず呻いたタスクだったが、睨んだところで、相手がコンピューターでは効果の程など期待できない。第一どこを睨めばよいのやら見当もつけられない。もとよりジョーはタスクの視線など気にしていない。
それでもやっぱり叫びたかった。
「お前等なぁっ、この船のキャプテンを、一体誰だと思ってやがる!?」
「お前だろう、一応」
『まさか、お忘れになったのですか?』
「……判ってるんなら」
-- キャプテンを少しはいたわれ。
そう続けようとしたタスクだったが、ジョーとトーマにあっさり遮られた。
「その割に、船を維持しようという経済観念には大幅に欠けてるが」
『船を護っている私の苦労もちっとも判って下さらない』
「…………。」
何を言っても無駄だと、いつも通り思い知らされて、タスクはおとなしくミニキッチンへと向かったのだった。
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相棒達の冷たい扱いにぶちぶち文句を言いつつコーヒーを淹れ、湯気の立つマグカップ片手に操縦室に戻ったタスクは、すぐさまネットワークにアクセスした。
キーを叩いて呼び出すのは賞金首情報……ではなく、リゾート情報である。
先日、名の知れた詐欺師をとっつかまえて200万ギルの賞金を稼いだばかりだ。トーマ(メインコンピューターのみならず、これがタスクの宇宙船の名前でもある)の燃料や食料、武器など必要経費は結構かかるが、それらを考慮しても、あと3ヶ月は余裕で暮らせる。ちょっとリゾートに行くくらいのゼイタクは許されて然るべきだろう。
「さて、と。どこに行こうかな♪ やっぱカワイー娘がたっくさんいるとこがいいよな〜」
うきうき、わくわく。
鼻歌混じりで検索をかけていると、振り返ったジョーが自分の手元のモニタを指さした。
「タスク、メールが届いてるぞ」
「あん……? 誰だよ、一体」
プライベート用と仕事用のメールアドレスは分けてある。これは、その他の通信手段も同じ。操縦室に届く通信は、だから全て仕事用である。
サブジェクトは『依頼状』だった。送信者は、ご丁寧にも匿名である。
賞金稼ぎとして結構名の売れた2人には、時々こうして直接依頼が届くことも、あるにはある、のだが。
「誰だよ一体」
もう1度タスクが呟いた。
キーを叩いてメールを開く。
全文が映し出される数瞬の間、タスクもジョーも黙ってモニタを見つめていた。
だが、モニタにメールの内容が全て映し出された時、操縦室を包んだのは、一層の沈黙だった。
透明なジェルが操縦室を占拠して音を奪ったようだった。
メールの大意はこうである。
『数日前、モマンギアーナ=ハープシコードなる人物が、ミニエ王国の国家機密を盗み出した上、逃亡を図った。
ついては、極秘裏に彼女を捕捉の後、ミニエまで連行されたし。
成功の暁には、報酬としてミニエ王家より5000万ギルが支払われるものとする。』
依頼人は、現ミニエ王の実弟だった。
-- 5000万ギル。
法外、と言って良い賞金である。
しかも、捕捉・連行依頼を出されているモマンギアーナなる人物は、まだ15〜6の少女にしか見えなかった。
楽そうな仕事だ。普通なら二つ返事でほいほい依頼を受けそうなものだ。だが、この時2人はそれをためらったのである。
-- 何故ならば。
映し出された顔写真に、タスクもジョーも見覚えがあったのだ
--
というよりも、写真の人物の『実物』を、彼等2人は知っていた。
名前にはあまり馴染みはないが、それは単にメールに記載されているのがフルネームだからだ。本人を前にした時、タスクは、呼ぶにはいささか長すぎる名前をすっきり縮めて「モモ」と呼んでいた。
ついでに言うなら、賞金をかけられた当の本人は、本来ならばおよそ賞金首とは無縁の立場にいて、そんな人間と関わり合いになることすら稀であるような性格をしている。
なんとなれば。
ハープシコードは、ミニエ王家の姓なのだ。
つまり、秘密裏とはいえ宇宙のお尋ね者になっているモマンギアーナ=ハープシコードは、ミニエの王族なのだ。しかも彼女は現王の長女で、王位継承権を立派に持っている。
そんな人物が、何故わざわざ国家機密を盗み出し、お尋ね者にならにゃーならんのか。
メールを読み、写真を見、たっぷり10秒ほど黙り込んで、
「……何やってんだ、あいつは……?」
タスクがぼそっと唸ったのと、起こるはずのないことが起こったのが同時だった。
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