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「結局あれ、何だったの?」
喫茶十六夜へと引き上げる道すがら、高岡の背中で祐が訊ねた。
「見たとおりのモノさ」
素っ気なく言ったのは翠だ。
「説明になってないよ、ちっとも!」
むくれた祐に、芙蓉が笑って答えた。
「あれはね。付喪神っていって……あたし達と同じ、妖怪の一種よ」
-- あたし達と同じ。
サラリと言った芙蓉の言葉に、少年が驚く気配は、ない。
意識を失っていた一時を除いて、高岡が馬鹿力で教室のドアを蹴り飛ばすのも、芙蓉達の目が金色に光るのも、芙蓉の振るう緑の鞭も田坂の翼も、翠が水気を招来するのまでしっかり見て認識していたという少年は、驚いたことに、抱え上げた高岡の腕の中で
「ねえねえ、芙蓉お姉ちゃんやコウさん達って、何者? 人間じゃ、ないよねっ」
と目をきらきらさせて問いかけた。
そこに怯えの色があれば、「夢でも見たんだろう」でシラを切り通したのだが
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そしてそういう反応への対処にこそ、芙蓉達は慣れていたのだが
-- 呆れたことに、祐は、続けて言い放ったモノである。
「ね、人間じゃないんでしょ? 超能力者? それとも、妖怪っ? どっちにしても、カッコイイーーーっ!」
怯えられこそすれ、まさか「カッコイイ」と来るとは思わなかった芙蓉達は、少年の勢いに押されてついうっかり「うん」と頷いてしまった。
人外の存在に怯えるどころか、その人外の存在に助けてもらった少年はすっかり喜んでしまい、高岡の背中で「カッコイイ」を連発し、そのまま今に至っているのである。
意識ははっきりしている癖に自分で歩こうとしないのは、祐曰く、「やっぱ、真っ黒なお化けに捕まって息出来なかったってのは結構来てるみたい。えへ。足に力入んない」からであるらしい。
つくづく度胸の据わった少年である。
今も瞳を輝かせて芙蓉に問いかけている。
「で、つくもがみ、って、何?」
「命のないモノ……楽器とか、靴とか食器とかね……に、長い間経つ内に魂が宿ることがあるの。それが、付喪神」
答えた芙蓉に続けて、田坂。
「学校の備品なんて、ただでさえ使われる年月が長い上に、使う人間も半端じゃなく多いからな。受ける『想い』も多くて、その分早く付喪神になるんだろうよ」
「ふぅん……付喪神、ねぇ」
判ったような判らないような生返事を祐がすると、芙蓉が笑って実例を挙げた。
「ほら、針供養ってあるでしょ? 長い間使ってる針には魂が宿るから、使えなくなったらその針に感謝して魂を供養しようって、あれ。あれと同じ考え方って思ってくれると判りやすいと思う」
「あ、なるほどね。そっか〜、じゃあ、何でも『お化け』になっちゃうんだ」
「大事にしないと、そういうこともあるわね。まあ、全部が全部悪いものになるわけじゃないから」
妙な感心の仕方をする少年に、芙蓉が苦笑混じりの補足説明を加える。
「じゃ、大事にしてなかったから、あの楽器はボクらを恨んでお化けになったの?」
何だか八つ当たりされた気分。
祐が口をとがらせると、潤んだ瞳でアイラが言った。
「違うと思うわ。淋しかったのよ、きっと。ずぅっと長い間しまわれたままで、ほこりかぶって……」
「でもって、賑やかになったと思ったら校舎取り壊しで」
「自分達は出して使ってもらえるのかと思ったら、片づけられたまま忘れられてて」
「このままじゃ、校舎と一緒に壊されて、か」
夜空を見上げながら翠が呟き、高岡と田坂が言葉を繋いだ。
「せめて最後に、もう一度だけ、楽器として音を奏でてみたかったのよ、きっと」
ほんの少しだけ切なさを滲ませた瞳で芙蓉が笑いかける。
「そっか……楽器にも、心はあるんだ……」
高岡の背中に顔を埋めて祐が囁いた。
そのまま、全員が無言で、星を見ながら夜の街を歩く。
そうしていくつかの流れ星を見送った頃、深夜の散歩を楽しんだ妖怪と人間の奇妙なパーティーは、喫茶十六夜へと戻ってきた。
「さて、着いたぞ」
エアコンつけなきゃな。
田坂が喫茶店のドアを開けながら言った。
-- コロロロン
聞き慣れたドアベルの音が響く。
と。
涼やかな風が一同を包んだ。店内も明るい。
「あれ? 電気、ついてる? それにエアコンのタイマー、かけてなかったはずなのに」
訝しんだ芙蓉に向かって、カウンターの中から笑いを含んで答える声がある。
「自分の店に私がいちゃ、いけないかい?」
穏やかな微笑みを浮かべて芙蓉達を見つめているのは、この店のマスターその人だった。
「マスター。いつ帰ったんです?」
訊ねるアイラに、やはり笑って答える。
「10時過ぎ、だったかな」
「はあ、そうですか……お帰りなさい」
「ただいま。みんなも、お帰り。さあ、座った座った」
にこやかに言いながらテーブルを指さして、喫茶の主人は着席を促す。
そうしてカウンターから現れた彼は、手に大きなトレイを持っていた。
トレイの上には、人数分の飲み物 --
しかも、それぞれの好みの。
「坊やの分は、好みが判らなかったからブレンドのアイスティーにしておいたよ」
ホットサンドをテーブルに置きながら言う彼を見て、呆気にとられた一同である。
いつの間に、彼は、これだけの支度を整えたんだ?
作り置きでないことは彼の性格を考えればすぐに判る。第一、たとえ作り置きでも、このタイミングで出してくること自体が難しい。
「……おじさんも、妖怪……?」
「さあ、どうでしょうね?」
思わず漏れた祐の呟きに、喫茶十六夜の主人はふんわり笑った。
(この人が一番謎だよなぁ……)
穏やかな笑顔を見つめながら、おそらく全員が同じ感想を抱いているだろうことを、芙蓉は疑わなかった。
***
旧校舎のお化けの噂は、夏の終わりを待たずに、消えた。
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