夜の声 闇の歌

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 閉店時間を過ぎ、表のシャッターも通りに面した窓の鎧戸も閉めた喫茶十六夜の店内で、5つの影がテーブルを囲んでいた。
 空調の利いた店内、それぞれの前には各々の好みの飲み物が置かれている。
 アイスコーヒーのグラスを片手に高岡が言った。
「……で、どー思うよ、あれ?」
 心なしか声が疲れているのは、あのままの剣幕で「絶対お化けだもん! 疑うんなら、今から確かめに行こうよ」と再び学校まで走って行きかけた祐を、なだめすかしてひとまず家まで送り届けてきた後だからだ。
「どうって言われても……」
「旧校舎のお化けか〜」
 飲み物にきっちりケーキまでつけてテーブルについた芙蓉と翠が顔を見合わせる。
「あいつの気のせいだろ、どうせ」
 冷たく言い放ったのは田坂だ。まず最初に対立意見を述べてみるのが、議論する時の彼のやり方だった。
「でも、あの子、本気で怯えてたわよ?」
「なんですよねぇ。絶対猫でも風でもなかったって言い張ってたし……」
 アイラの台詞に芙蓉が頷くと、
「でも人間って、怖いと思えばただの影でも怖がるもんでしょ?」
 どうだかねぇ、とシフォンケーキをぱくつきながら翠が言った。
「ま、そーだけどな」
 苦笑混じりに高岡。
「妖気も霊気もそうでないのも判別つかないってのは、不便よね」
「判れば、無駄に怯えることもなくなるんでしょうけどね」
 アイラと芙蓉が肩をすくめて呟いた台詞を、田坂がまとめた。
「しょうがない。人間だからな」
 この一言でオチをつける田坂も田坂なら、それで「まあ、そうだ」と納得する芙蓉達も芙蓉達である。普通なら、「そー言うあんたは何者なんだ」と突っ込まれそうな台詞だ。
 だが、他に客がいれば「妙なことを」と聞きとがめたに違いないこの会話も、閉店後の喫茶の中では誰の違和感も誘わなかった。
 それもそのはず。
 何しろ、彼等は、人間ではない、のである。
 彼等は、人外のモノ。つまり、人の呼ぶところの『妖怪』なのだった。であればこそ、『人間』という台詞も出てくるワケだ。
「で。マジでどーする。ほっとくか?」
 器用に椅子の上で胡座を組んで、高岡が一同を見渡す。
「人の噂も75日、か?」
 まあ、学校の怪談だ心霊スポットだって言っても、人間にとっちゃ風物詩みたいなモンだろうしな、と、眼鏡を押し上げながら、グラス片手に田坂。
「祐くんの話を聞く限りじゃ、取り立てて悪さするわけでもないみたいだし。本物かどうかも判らないし、ねぇ」
 頬杖をついて、これはアイラだ。
「でも、幽霊だったらまだしも、これで犯人が妖怪だったら困ったことになりますよ」
 真顔の芙蓉が沈んだ声を出す。
「そうなのよねぇ……」
 どうしましょうか、とアイラが溜息混じりにこぼすと、力を使いたい翠がちょっと嬉しそうにサラリと言った。
「とりあえず、疑わしきは抜き取れってのは、花壇の手入れの基本なんだよね〜」
「……翠、お前、普段はやれ晴れすぎだの暑すぎだの乾燥しすぎだのって文句言っちゃー人に面倒押しつけるくせに、こーゆー時は積極的だよな」
「あれ、そんなこと言う? だってさー、コウ。せっかくウチらがこうやって正体隠して平穏な生活続けてるのに、どっかのバカが下手なことやらかして、妖怪の存在がおおっぴらになってだね。おまけに人間の不信感煽っちゃったりしてくれたら、人間のことだよ、妖怪狩りなんて始めかねないじゃんよ」
 翠の言葉に、一同は「う〜ん」と悩んでしまった。
 せっかくこうして、正体を知られずに -- 中には芙蓉達の正体を知っても平然としている変わった人間もいないではないが -- 平穏無事に暮らしているのだ。これで妖怪の存在が大っぴらになって、加えて『妖怪は人間に危害を加えるモノだ』などという認識が広まりでもしたら……
 はっきり言って、それは困る。
 いや、困るどころではすまされない。
 今は「ホントに変わらない」で済んでいるご近所のみなさまの芙蓉達を見る目が、そうなるといつ「あんなに外見が変わらないのはおかしい」に変化するか知れたものではない。
 疑惑が芽生えるのは簡単だ。
 そして一度生まれてしまったら、芙蓉達が姿を消すまで解消されることはないのだ。
 もとよりその寿命の長さ故に、一つところに定住できない彼等である。いずれは住処を変えなければならない。判っている。だがそれでも『いやすい場所』というのはあって、今彼等のいるこの場所は、そしてこの街は、間違いなく、数少ないそういう場所のひとつなのだ。
 失いたくなかった。
「どうします、田坂さん?」
 問われて田坂は怜悧な微笑を浮かべる。
「どうするにしても、確かめてからだろう」
 まず祐の言う『旧校舎のお化け』とやらの正体を確かめてみるのが先決。
 祐達人間の気のせいならばそれでよし。幽霊だったとしても、自分達にはあまり関係ない。
 だが、もし『旧校舎のお化け』が『妖怪』だったなら……。
「妖怪、だったら?」
 上目遣いで見つめる芙蓉に、今度は高岡と翠が口元に笑みを浮かべた。
「その時は、その時さ」
「ま、相手の出方次第だよね」
 笑わない瞳で彼等は言う。
 せっかく手にした居場所を、みすみす手放す気など、さらさらない。そのためなら、妖怪同士対立することになっても構わない、と。
「……そうですね」
 芙蓉が頷くのを見て、アイラが
「じゃ、一働きする前に何かお腹に入れなきゃね!」
 いそいそと厨房に戻り、手際よくサンドイッチを作り始めた。



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