夜の声 闇の歌

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 世の中に不気味な場所は数え上げればいくらでもあるが、人気のない夜の学校は間違いなくその中でもトップクラスに入るだろう。
 何しろ、広い。
 校舎がある。校庭がある。体育館がある。
 人を満たす器となるよう作られた場所は、ただ『人がいない』というだけで違和感を漂わせて余りある。そしてそこに『夜』という要素が加わると、学校という場所は、人を満たす器から闇を満たす器へと、途端に表情を一変させる。
 校舎の陰、校庭の隅、植えられた木々の下。窓から見える教室、そこに整然と並んだ机、椅子。視線を向ければあらゆる場所に、闇が淀み、凝っている。
 それらが、芙蓉には、寄り集まって息づく人の思念の塊のように思えた。
 旧校舎は、そんな夜の学校の中に、まるでそれ自身が闇から出来ているかのように、暗く、静かに、それでいて言いようのない圧迫感を持って、建っている。
 コクン。
 耳に響いた音が自分の喉の鳴る音だと悟るのに、数瞬を要したことに気付いて芙蓉は肩をすくめた。
(圧倒されてるなぁ、あたし)
 自嘲混じりに溜息をもらす。
 先頭にいた高岡がヒュッと口笛を吹いた。
「すげー。雰囲気ありまくり」
「ほ〜んと。これじゃあマジでなんかいてもおかしくないよね」
 答えた翠共々、口調はあくまで軽い。
「なんだか、生きてるような気がするわねえ」
 アイラがしみじみと呟くと、
「生きてるようなもんだろう、学校なんて」
 腕組みをしたまま田坂が返した。
「生きてるようなもんだよ。学校なんて」
 動物が食物を摂るように、植物が水と酸素を吸収するように、学校は昼の間に人を飲み込み、『想い』をため込む。そうして、夜、闇の中で、ため込んだ『想い』を寄せ集め、凝らせて、自らの糧とする。
「だから、そこらに凝って見える『闇』は、きっと学校ってヤツの見る夢なんだろうよ」
 たとえそれが、使われなくなって久しい校舎でも……
  -- いや、使われない月日が長ければ長い分だけ、余計に古い想いが凝り固まってしまうのかも知れない。
(学校は生き物、凝る闇は学校の見る夢、か)
 芙蓉はコトンと頷いた。
 そう言われて納得してしまえるだけの存在感を、夜の学校は持っていた。
「だからこそ、『学校の怪談』なんてモノが生まれる、ってか?」
「かもな」
 田坂の肩に肘をかけて顔を覗き込んだ高岡に、クスリと笑って田坂が答える。
「な〜るほど。じゃ、学校は現代の妖怪製造所ってわけか」
「そう、と言えなくもないだろうな」
「じゃあ、さっさと確かめようよ。その、『学校が生み出したかも知れない妖怪』を」
 男2人の会話に背後から割り込んだ翠の瞳は、闇の中でもそれと判るほどにきらきらと輝いていた。
「楽しそうに、ま〜」
 呆れた高岡が苦笑いをこぼす。
 同じく苦笑しながら芙蓉が言った。
「ミドリさんらしいというか何というか……。ところで、祐くんがその『お化け』に会ったのって、旧校舎のどの辺なんです?」
 後半は高岡に向けられたモノだった。
 芙蓉の声にあわせて、他の3人の視線も高岡に集中する。
 だが、芙蓉の台詞は、実は小型の爆弾だった。
「……しまった、聞き忘れた。」
「えっ!? コウさん、聞いたんじゃなかったんですか?」
「うそぉ! てっきりコウがあのボーヤから聞いてるもんだと思ってたのに」
「詰めが甘いな、高岡」
 アイラ以外の全員から非難の声が飛んだ。
  -- 当然といえば当然かも知れない。
 使われてない旧校舎といっても、狭いわけでは決してない。木造平屋で縦1列に8つ教室が並ぶ、南北に長い建物だ。敷地だけを見るなら、使用中の校舎に引けを取らない。
 その、結構広い旧校舎で、いるかいないかも判らない『お化け』を捜すというのだ。
 ひょっとしたら祐の言う『お化け』の出没地点は1カ所ではないのかも知れないが、それにしたって、まずは確実に「見た」という場所から探したいのが人情 -- 妖怪にこの言葉を使うのは語弊があるかも知れないが -- というものだろう。
「ううっ……すまん!」
 芙蓉、翠、田坂の3人にじと目で睨まれた -- ちなみにアイラは、「困りましたね」と少しだけ滲ませた顔で苦笑している -- 高岡が、パンッと両手を顔の前で合わせて『ごめんね許してポーズ』を取る。
「……しょーがないですよね。手分けして適当なところで待ち伏せしてみましょ」
 肩をすくめて芙蓉が言った。
「そだねー」
 翠の同意を合図に、5人が思い思いの方向に、歩き始めたその足を……
「そっちじゃないよ」
 幼い声が、呼び止めた。

 

***

 

 ヒュー……
 カタン
 キン
 ヒィーー……
 何とも形容のしがたい音が響いていた。
 夜の学校に限らず、どこで聞いても違和感を感じるような、そんな音だった。
「ね?」
 雁首揃えて窓を覗き込む芙蓉達5人に、振り向いてそう告げたのは、他でもない、祐だ。
 旧校舎である。
 そして、祐が『お化け』の声を聞き、姿を見たと言った、その場所だった。
「聞こえるよね?」
 念を押すように祐が小声で囁く。
「うん。聞こえる」
 芙蓉が答えるのに会わせて他の4人も首を縦に振った。
 確かに聞こえる。
「風の音じゃ、ないよね?」
「ええ、違うみたいね」
 次の問いかけ -- 確認にはアイラが答えた。
 実際耳にするまでは半信半疑だった芙蓉達だが、こうして聞いてみると、祐のいう『お化けの声』と風の音とは明らかに違う。
 どこの風が、いくら物置と化して久しいとはいえガラス窓で仕切られた教室の中で、こんな音を立てるというのか。まして、ただ立っているだけでも汗ばむくらいに気温も高く、空気の流れが滞って木々の葉もそよとすら動かない夜だというのに。
 同様に、音を聞く限り、迷い込んだ猫や犬というわけでもなさそうだった。
(……これは、本物だなぁ)
 祐に気取られないように視線で会話を交わして、芙蓉はそっと溜息をついた。
 問題は、音の発生源が幽霊か妖怪か、だ。
(幽霊ならいいんだけどねー)
 言葉にしないそれは、妖怪5人の本心である。
 幽霊なら、いい。ただ存在を確認して、後は知らんぷりを決め込むことが出来る。
 だがこれが妖怪だったなら、自分達の穏やかな生活を守るために、「ちょっと大人しくしててくれ」と教育的指導を入れなくてはならなくなる。
 話し合いでケリが着けばよいが、そうでなければ力ずく。当然、妖力を使っての『喧嘩』になる。
 祐のいる前でそれはしたくなかった -- というより、出来なかった。
 妖怪の存在を隠すために暗躍しようとしているのに、肝心の『隠したい相手』の目の前で人外の力を使っては意味がない。どころか、そんなことをすれば疑惑は芙蓉達も及ぶ。
 彼の反応が読めない以上、祐の目の前で妖力など使えるワケがなかった。
「……どうします?」
 芙蓉が、そのたった一言に様々な意味を乗せて訊ねると、田坂が祐を見つめて言った。
「なあチビ。判ったから、お前もう帰れ」
 無理だろうな、と思ったのは、芙蓉だけではなかっただろう。
 案の定、逆効果だった。
 対する答えはやはり
「やだ。ここまで来たんだから確かめる!」
 言い捨てて、祐が駆け出す。
「おい!?」
 呼びかけて引き留めようとした高岡の腕を、子供ならではのすばしこさですり抜けて、祐は3つほど向こうの窓枠の前で足を止めた。
「ちょっと待て!」
 少年が何をしようとしているのか、悟った翠が止めたが、遅い。
 窓枠に手をかけた祐が、小さな両手に力を込めると、
 ガタン
 つっかかる何かを乗り越えるように大きな音を出した後、
 ガリガリガリガリ
 そこだけは鍵が壊れていたのだろう、嫌な音をたてて軋みながら、窓が開いた。
「ちょっと、祐くんっ!」
 アイラの叫び声を背中に受けて、祐はやっと半分ほど開いた窓から校舎の中へと身を躍らせ、廊下を走って、見る間に元々覗き込んでいた教室の入り口に辿り着く。
 慌てて芙蓉達も祐の後を追った。
 だが、子供には楽に通り抜けられる空間でも、大人にはいささか辛い。更に、長年まともに使われることのなかった木造校舎の窓枠は非常に建て付けが悪くなっていて、半分開いた窓を全開にするだけでも、普通に窓を開ける倍以上の手間と時間を取ってしまった。
 祐が校舎に入ってから、最後のアイラが窓枠を乗り越えるまで、要した時間は1分半。祐の次に飛び込んだ芙蓉が目的の教室に辿り着くまでにも、30秒を要している。
 この時間差はわずかにして決定的だった。
 祐が教室の引き戸を開けるのと、芙蓉が窓から廊下に降り立つのが同時。
「待って、祐くん、1人で入っちゃダメ!」
 必死に呼びかけた芙蓉の声も、間に合わなかった。
 影を縒り合わせて作った細い紐。あるいは鞭……開いた扉の内部から、そんなものを連想させる黒くて細い影が、祐に向かって伸びていた。
「気を付けろ、ボーズ!」
 細い『紐』の射程距離から少年を引き離そうと、高岡が手を伸ばす。
 だが、影の方が一瞬速かった。
「え……? ぅわあっっ!!」
 叫び声を残して、少年の体が教室の中へと、消えた。
 バンッ!
 誰の手も触れてないのに、扉が閉まる。
「祐くんっっ!!」
 芙蓉が、そして翠が、教室の中に入ろうと扉に手をかけたが、祐の力であれほど簡単に開いたはずの引き戸が、今はびくともしない。
 その、閉じた入り口の向こう。そして教室と廊下を隔てる窓の向こうで、漆黒の『何か』が祐を抱きとめるのが、闇の中、芙蓉達には確かに見えた。



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