月の綺麗な夜だから

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 各人思い思いになんだかんだと世間話を繰り出しながら賑やかに歩いて、清水達がちよ間屋に着いたのは、それからしばらく後のことだった。
「ごめんよっ」
 すっかり馴染みになっている店の戸を開けのれんをくぐると、
「いらっしゃ〜……って、なんだ、旦那かぁ」
 とこんな声が飛んできた。
 声の主は、このちよ間屋の女主人、ちよである。自分の名前をそのまま店の名前にしているわけだ。
 嘉灘家の初や先程出会った初国のような美人でも、登竜のような綺麗な顔立ちをしているわけでもないが、いつもふっくらとした口元に笑みを浮かべ、くるくると良く動く手と口と表情の、愛嬌のある江戸女だった。
 流行病に倒れた両親の後を継いで、この店を切り盛りするようになって早三年。三十路にはまだ遠いというのに、すっかり『女将』の風格がある。料理上手で名を馳せた母親の血をしっかり引いて、今ではちよ間屋はこの界隈でもちょっとした人気店になっていた。
「なんだって、ちよ、お前なぁ……客に向かってそれはねぇだろう」
 あからさまに「愛想振りまいて損した」と言いたげなちよの言葉を聞きつけて、清水がそんな風に苦情を申し述べると、当の女主人はあっけらかんと
「あっははは、ごめんごめん。いらっしゃいませ、だ〜んなっ」
 ほとんど彼等専用のようになっている店の最奥へと、清水達を厨房の中から手で導いた。
 ついでに
「お連れさんが見えてるよ〜」
 と付け加えるのも忘れない。
「連れ?」
 それは一体誰のことだ、と清水が首を伸ばして件の座敷を覗き込むと、そこには……
「……なんでここにいるんだ。お初どのはちゃんと送り届けたんだろうな?」
「送り届けましたとも。このわたくしをなんとお思いですか」
 威張るように心持ちあごを持ち上げるのは、誰あろう翠條である。
「相席で、いいよね?」
 にこやかに言うちよに「構いませんよ」と鷹揚にうなづくその様は、すっかり町人暮らしが染みついた清水よりも数段武家らしい。
「お邪魔しますよ」「こんにちは」
 清水と一緒にこの店にやって来た本当の『連れ』達は、すっかり状況に馴染んでいる。
「あ〜あ、やれやれ」
 肩を落とした清水に、ちよが更に追い打ちをかけた。
「旦那、これ、翠條さんのご注文の品。ほら、こっちきて、運んで運んで!」
「お前ぇ……客を使うな、客を!」
 ぶつくさと文句を言いながらそれでも受け取りに行く辺り、清水も大概女性に弱い。
「つべこべ言わずにはいこれ!」
 来い来い、と清水を手招いて、くずもちの載った盆をその両手に置きながら
「で? みなさん方は何になさいます?」
 とちよが訊ねた。
 梶源が悩むのはいつものことだし、登竜も何があるのか判らないから注文には手間取るだろう、ということで、
「俺は、そうだな、やっぱりくずもち。でもって小桃は、あんみつ、なんだろ?」
 背後に声を投げかけた清水だったが。
「小桃ちゃん? どこにいるのよ」
 きょとん、とした顔でちよが言う。
 更に隣にやってきた登竜が
「……そういえば、さっきから姿が……」
「はぁ? 何言ってんだよ登竜。いるだろそこに。梶源にくっついて」
「おりませんよ、若殿」
「おいらのとこにはいやせんよ。あいつ、旦那がいる時には親のおいらよりも旦那の方にくっついてるじゃないですか」
「おい、何だって!?」
 驚いて振り向けば、確かに小桃の姿がない。自分の足下にも、いない。
 ──そんなバカな。
「さっきまでいたじゃねーかよ!」
 そう。いたのだ、さっきまで。少なくともこのちよ間屋に入る直前までは。
「おい、外にいるのか、小桃っ?」
「小桃、小桃どこにいるっ!?」
 梶源と二人、慌てて表に走り出てみたが、そこにも小桃の姿はなかった。
「あいつ……どこへ……?」
「とりあえず探しましょう旦那。小桃ちゃんの足じゃ、そんなに遠くへは行けませんから、きっとその辺にいるはずです」
 言いながら、登竜が店から出てくる。
「そうだ、登竜お前、ちょいちょいと占ってみちゃくれねぇか、小桃が今どこにいるのか」
 少年の姿を目にして、ふと思いついたことを清水はそのまま口にしたのだが
「無茶言わないでくださいよ旦那」
 あっさり却下されてしまった。
「無茶たぁなんでぇ、登竜さんよっ!」
「無茶は無茶です、梶源さん。子供の行動って、読み辛いんです。まして小桃ちゃんなんて、一瞬後にはどこを見てるか判ったもんじゃないじゃないですか」
 そんな子供が次に取る行動を予測することなど、ほとんど不可能。今居場所が見えたとしても、次の瞬間に一つ曲がり角を曲がられたら、もう終わりだ。第一居場所が判っても、清水達が辿り着くまで小桃がそこにいなければ意味がない。
「小桃ちゃんがひとつところにじっとしてるなんて、まさか思ってないでしょ旦那方」
 少年占い師に見上げられた清水と梶源は、否定できずに顔を見合わせてしまった。
「しゃーねぇ、手当たり次第の人海戦術といくかぁ〜」
 いなくなってからそれほど時間が経ってないのだから、そこらを探せば見つかるだろう。
 ぼりぼりと頭をかきながら清水が言うのに
「わたくしもお手伝いいたしますよ、若殿」
 と翠條が加わって、ちよ間屋を連絡地点にした『小桃大捜索』が開始されたのだった。
 ──────が。
 それから一刻ほど後。
 早々とのれんをしまって店を閉めたちよ間屋に、再び清水達が勢揃いしていた。
 ただし、小桃抜きで。
「どこへ行ったんだよ、小桃ぉ……」
 梶源が頭を抱えている。
「私達がちよ間屋に入ってから、小桃ちゃんがいないのに気付くまで、薄茶をたてるほどの時間も経ってませんよね。それなのに……」
 それなのに、その一時の間に、これだけ探しても見つからないほどの遠くまで、どうやって小桃の足で行けるというのだ?
「それに何より、この界隈の誰も、一人で歩く小桃の姿を見てないというのが妙でしょう」
 翠條の言葉に全員が頷く。
「と、言うことは、だ。言いたくねぇが……」
 思いつくことといったら、かどわかし。
「となるとやったのは、あの連中ですね。動機は……」
「俺等への意趣返し、てとこか」
「それにしては、何の連絡もないのが妙では」
 意趣返しなら意趣返しで、何かしらの通告があって然るべきだ。
 翠條が呟いた、その時だった。
「あの……こちらのちよ間屋さんに、清水さまはいらっしゃいますでしょうか?」
 聞き覚えのある柔らかな娘の声が、ちよ間屋の入口から、響いた。
 全員の視線が、入口に集まる。
 出て行こうとするちよを目で制して
「その清水ってのが俺のことなら、確かにいるが?」
 ──あんたは誰だ。
 からり、と清水がちよ間屋の戸を開けると、そこに、誰あろう嘉灘家の初が立っていた。
「初どの……なぜあなたがここに?」
 店が開いているならともかく、のれんをおろしたちよ間屋に、しかも清水を名指しで来るとはどういうことだ。
 清水の視線が険しくなる。
 初は、それに少し怯えた様子で、けれど
「いえ……その先の橋のたもとで、知らない男の子に、これをこちらにおいでの清水さまに渡して欲しいと、手渡されましたので……」
 言って結び文を差し出した。
 険しい顔のまま、清水がそれを受け取る。
「旦那」「若殿」「清水の旦那……」「清水さま、なにか良くない文なのでしょうか……?」
 誰からともなく集まって心配そうに手元を覗き込む梶源達に、素早く文を開いた清水が
「……ああ……最悪かもな」
 ぽつりと一言呟いて、ばさり、と文を彼等に投げつけた。
 床に落ちる前にそれをさっと拾い上げたちよが、文に目を走らせ読み上げる。
「なになに……?

 清水某
 さきほとは世話になった。
 ついては礼がしたいゆえ、われらの正体をお受けくださるようおねがい申しあげそろ。

 ……って、『招待』の間違いじゃないの?
 でもってぇ?

 お受けくたされば、あずかりものもおかえしもおす。
 なお、ばしょについては、そちらのお連れの汁占いどのにならすぐおわかりもうほおそどに、こちらからおしえる必要はなきものとしんじておりそうろ。
 あずかりもの、あつかいには気をつけおるが、なにぶんなまものなれば、お早めにおいでくださるねば傷むやもしらもさす、今夜ちゅうにおいてくださるよおかさねておねがい申し上げそうろ。

 って、なによこれぇーーっ!」
「うわ〜、間違いだらけですねぇ。その『汁占い』ってのはひょっとして私のことですか」
 横から覗き込んで『辻占い』登竜。翠條が
「それに読み辛いことこの上ないのぉ」
 と突っ込めば、梶源までが
「こりゃー、小桃の字よりもひでぇや」
 文字を読めればこその突っ込みではあるのだが、どうにもこうにも論点が違う。
「お前ら、そう言う問題じゃないだろう……」
 どっと脱力した清水の耳に、
「これは……脅迫状、ですか」
 やっとまともな言葉が届いた。初だ。
「ああ、そうだ」答えた清水の声が低くなる。
「なんだかんだと書き連ねちゃあいるが、簡単に言やあ、さっきの意趣返しに小桃をかっさらった。引き取りに来れば返してやるから、さっさと罠に飛び込んできやがれってぇことだろう」
「しかも場所の指定なしで、でございますね」
「そこへ持ってきて、今夜中に行かなきゃ、小桃の無事は保証しねぇ、とくる……」
「場所は私に占いで当てて見せろ、ですか」
「好き勝手言ってくれるじゃないのさ」
「……卑怯な」
 翠條が、登竜が、梶源が、ちよが、そして初までもが、連中のやりように剣呑な声を出した。
「どうするんだい、旦那?」
 目をすがめ、心持ち顎を上げて、ちよが清水を見る。ひとりで店を切り盛りしているだけあって、かなり鉄火な性格だった。
「よもやまさか、引き下がったりはいたしませんでしょうね、若殿?」
 気の強いことでは翠條も引けを取らない。
「おいらひとりでも行きやすぜ」
 商売道具の担ぎ棒を手に、梶源。
「清水さま……」心配そうに初が呟く。
 登竜だけが、ただ無言で立っている。
 五人を一渡り見渡して、清水が言った。
「バッキャーロー! 俺を誰だと思ってる。売られた喧嘩は倍額で買ってやらぁ。見てろ」
 軽く伏せた目に光が宿る。口元には薄い笑みが浮かんでいる。
 五人は清水の声にならない声を聞いた。
 ──見ていろ。後悔させてやる。
 静まり返った店の中、再び清水が顔を上げた。
「問題は、場所、か。それと時間だな」
 既に日暮れが迫っている。ぐずぐずしている暇はない。
 清水が登竜に目を向けた。
「どうだ、やれるか登竜?」
 登竜が小桃の居場所を捜し出せるかどうか。
 すべてはそこにかかっている。
 一同の眼差しを受けた少年占い師は
「私をなんだと思ってるんですか」
 こくりとひとつ頷いて、こともなげに言い切り、笑った。
「え〜と、それじゃ……アレはっと」
 ぶつぶつと呟きながら、商売道具の入った袋をがさがさと探る。「あ、あった」とまず取りだして、机の上に置いたのが、方位図。方位だけでなく、真ん中に描かれた円を五つに分けて『土・水・火・風・木』と書いてある。次に「あとは……」と何故だか店の外に出た登竜が、持ってきたのは
 ──石、だった。
 別段形が変わっているとか、色が珍しいとかいうわけでもない。そこいらへんにいくらでも転がっている、ただの石っころである。
(どうするんだよ、そんなもん……?)
 脳裏を走るイヤな予感を、声に出すのをなんとか抑えて見守る清水達の目の前で、登竜は件の石を両手で包み、
「よいよいよいっ」
 両手を振って
「えいっ!」
 方位図の真ん中に石を落とした。
 コン、コン、コロコロ。
 石が転がる。
 それが動きを止めたところで笑顔で登竜
「艮ですって。」
「ちょっと待てえぇ〜〜〜っ!」
 いいのか、そんなやり方で決めて!?
 第一すごろくじゃあるまいし、そんなことで本当に小桃の居場所が判るのか。
 それに、このちよ間屋から見て北東と方位を限定してもらったところで、この江戸だ。お堀でたった一匹の目当ての鯉を見つけろと言われるのと大差ないのではあるまいか。
 口にこそ出さなかったが、梶源も翠條もちよも初も思いは同じだったのだろう。登竜を見つめる目が、すこしばかり冷たかった。
 それでも登竜は動じない。代わりに続けて
「それと、艮に落ち着くまでに二回はねたのが木と水のとこですから、ここから見て艮で木と水に関係のあるところってことでしょう。つまり……」
「大川端の、材木倉……か?」
 俗に大川と呼ばれる隅田川の川縁には、材木倉の立ち並ぶ場所がある。中には使われなくなったものもあって、忍び込む手段さえあればかどわかしにはもってこい、ではあるだろう。
 清水の推論に占い師が頷く「ご名答」。
「本当なのかい?」「確かなのでしょうね」
 ちよと翠條が胡乱気な視線を向けたが、清水は昼間、登竜の腕前を目の当たりに見ている。はじき出された結果を疑う理由は、だから彼にはなかった。
 なにより、他に小桃の居場所を突き止める手がかりも手段もない。時間もない。もとより梶源は、登竜の占いに従うつもりでいる。初は、何も言わなかった。
「よし。じゃ、梶源。行くぞ」
 梶源だけを促して(本当は梶源にも来て欲しくないくらいなのだが、さすがにそれは無理だろう)、ちよ間屋を出ようとした清水だった、のだが。
「はい。行きましょう」
 慌てて驚いて後ろを見れば、方位図をしまい込んだ登竜がついてくる。のみならず
「その場所ならば、家に長刀を取りに寄れますね」「あっ、翠條さん、予備があったらあたしにも貸してくださいな」「出来れば、わたくしにも……」
 後方で繰り広げられる女達の会話を耳にして、清水は思わずめまいを覚えた。
 これから喧嘩をおっ始めようというのに、しかも相手がどれだけいるのかも判らないところに、女子供がついてくるなど正気の沙汰ではない、ように、思う。普通は。
 念のため訊いてみた。
「おい、ひょっとしてついてくる気か?」
 今なら、怖い怖いと耳を塞ぎながらも、怪談をしている部屋に居続ける子供の気持ちが判る気がする。聞かずにはいられないのだ。それとこれとでは状況は大きく違うけれど。
 清水のそんな気分を知ってか知らずか、
「もちろんでございます」
 きっぱり言い切ったのは翠條。
「老いたりといえどもこの翠條、そこらのちんぴらごときに負けはいたしませぬ」
「知ってるだろうけど、あたしゃ強いよ」
「わたくしも、はばかりながら道場では段位をいただいております。お手伝いさせてくださいませ。お願いです」
「う〜〜……」
 イヤだ、無理だとお断りしたいところだが、如何せん、翠條とちよの実力は清水も知っている。初の通う(そして翠條が師範を勤める)長刀道場は、段位の認定に厳しいことで有名で、となれば初も本当に強いのだろう。
 迷っているところに横から登竜が囁いた。
「旦那。相手が何人なのか判らないんですから、こちらの手勢も多い方がいいですよ。みなさんお強いようですし。行ってみて相手が少なかったら、女性陣には見物に回っていただけばいいじゃありませんか。あ、私がいないと場所の特定出来ませんから、当然私も連れてってくださいますよね?」
 にこにこ、にこにこ。
 挙げ句梶源が「そりゃありがてぇ♪」などと喜んでしまっては、もうダメだ。
 ──人間諦めが肝心。
 こんな場面では思い出したくもない格言が、清水の脳裏をかすめる。
 盛大な溜息をついて、とうとう言った。
「……しゃーねぇ。それじゃ行くか、全員で」
 これから対峙するちんぴらどもに、なんだか同情したくなる清水であった。



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