(…………!)
歯を食いしばって清水はその時を待った。
その時──自分の肩か、頭か背中に、硬い棒が食い込む時を。
けれど、ただの喧嘩好きの素人とは言えいくらなんでもこれだけあれば得物を振り下ろすことが出来るだろう、というだけの時間が過ぎても、清水の体にその衝撃は来なかった。
その代わり。
──カンッ!
小気味よい音が響いた。
「え……?」「誰……」
小桃と登竜が首を傾げて清水の背後を見る。
「……?」
不思議に思った清水の耳に、そして今度は聞き覚えのない声が届く。
「すみませんが、早く戦線復帰してください。私一人ではいささか荷が重いです」
女性とも男性とも取れる、涼やかに甘い声。
「あ、ああ、すまん」
慌てて振り向いた清水の目の前には、見知らぬ少年の背中があった。
「誰だ貴様っ!」
ちんぴらどもから誰何の声があがる。中の一人が問いかけるそばから、他の連中がぬかりなく襲ってくるあたり、敵もなかなか集団戦法に慣れている。
それを、敵の顔面に右足をめり込ませてきっちり防ぎながら、心で清水は頷いた。
(そいつぁー俺も知りたいぜ。)
清水の足蹴で一人が沈没した。もう一人が少年の刀を(こちらも清水と同じく鞘のままだ)腹のど真ん中にくらってやはり地面と熱い抱擁を交わす。それでも懲りずに続いた敵を、今度は清水が刀を突き出して鳩尾に一撃。その間に少年は横様に鞘を薙ぎ払い、横から迫った不良棒手振りの下顎をしたたかに叩いて脳震盪を起こさせる。
清水と少年、どちらの動きにも無駄がない。背後の小桃と登竜を完全に守りながら、相手の戦力を確実に削って行く。
そうして十人が八人、八人が六人になり、六人がとうとう一人になった時……。
一応連中の『頭』であるらしい魚辰が、殺生にも
「ち、ちくしょお、出直しだっ!」
と叫んであっさり逃げた。
「あっこら! てめ、自分の出したゴミはちゃんと自分で始末しねぇかっ!」
清水の非難にも答えず、魚辰は走る。その後を追って、のびていた他の連中もなんとか起きあがり、のろのろとその後に続く。
去り際の言葉はお約束の
「おぼえてろよぉ〜〜〜おっ!」
「……なんともまぁ、独創性のない。それともアレかね。下っ端の悪人の退場の台詞はコレってぇ、何か決まりでもあんのかね」
「悪役指南書がある、とか、ですか?」
「知らないけど、連中、あたしにもよくあんなコト言うよ」
「小桃にまでかよ……。あー、それじゃあれだ。何とかの一つ覚えってヤツだな」
風と人混みに紛れてかすれたちんぴらどもの捨て台詞に、清水が思わず素直な感想を漏らすと、登竜と小桃がすかさず会話に加わり、それを聞いて隣でクスッと少年が笑った。
(おっと)
この御仁のことを忘れてはいけない。
「どこのどなたか知らねぇが、危ないところを助けていただいた。感謝する。いや、本当に助かったぜ! 強ぇな、あんたっ」
大の男を十人ほども相手にして少しも怯むことのなかった少年である。一度も刀を抜かず、それでも確実に相手の力を削ぐ手腕と言い、その速さと言い、まったくもって感嘆に値する。清水も諦めたあの一瞬に清水と敵の間に割って入って攻撃を防いだこと一つ取っても、尋常ではなかった。
「ホントにありがとうございました。でもびっくりしちゃった。お兄ちゃん強いねぇ!」
「私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました。あのままだったら、こちらの旦那は絶対に怪我をしていました」
心からの感謝と賞讃を口々に言葉にしながら、清水と小桃と登竜は、初めてこの少年の顔を真正面から見た。
見て、そして……静止した。
(こ、これはっ……!)
「うわぁ〜……」
言葉を失くした清水と登竜の傍らで、小桃が溜息混じりの声をあげる。
「あの、私の顔に何かついていますか?」
固まった三人を不思議そうに見渡して、青年が首を傾げた。
「いや……別になんにもついちゃあいねぇが……いやいや、なんにもってワケじゃあなくて、目鼻口はちゃんとあるが……」
「……旦那、ダメですよ、それじゃ。眉毛と耳を忘れてます」
うわずった声で突っ込む登竜の台詞も清水のことは言えないのだが。
──それも、仕方のないことかも知れない。
清水達の目の前に立つ青年は、百人いたら九十九人までが「美人だ」と断言しそうなくらい整った顔立ちをしていた。登竜もなかなか綺麗な顔ではあるが、そして年もほんの少し登竜よりこの少年の方が上なだけでしかないのだろうが、二人の差は歴然だった。
雰囲気が違い、美の質が違った。同じ早春の花でも雪割草と白梅がまるきり異なるような、そんな違いだ。
どちらがどうというのではないけれど、それでもやはり、少年の美貌は人の目を奪った。
「あの……」
こういう反応には慣れているのか、苦笑混じりに少年が呼びかける。
「あ……ああ、すまねぇ。お前さんがあんまり綺麗なもんだから、つい見惚れちまった」
清水がきっぱり言い切るのを聞いて、少年がやはり苦笑混じりにクスクス笑う。
「それは……ありがとうございます、とお礼を申し上げた方がよろしいのでしょうか」
「とんでもねぇ! 礼を言うのはこちらの方だ。さっきも言ったが、本当に助かった。ありがたかった。感謝してる。何度言っても言い足りないくらいだ」
「いえ。ただ、あまりに多勢に無勢なのが気に入らなかっただけです。それに、あなたの腕前なら私の助けなど必要なかったようにも思えますし。礼など、言って頂くにはおよびません」
そっと目を伏せて首を横に振る少年に、小桃が横から声をかけた。
「そんなことないよ! 殿ちゃん、あのままだったら絶対こてんぱんにのされてたって!」
「そうですよ。旦那おひとりじゃ、やっぱりあの人数は無理でしたよ」
登竜までがそんなことを言う。さすがの清水もこれにはいささかムッとした。
「貴様らぁ〜〜、厄介事はそっくり俺に押しつけて、てめぇはさっさと俺の後ろに逃げ込んだクセしやがってぇ〜」
「あ、あはは、あは……」
ギロン、と清水に睨み付けられて、小桃と登竜は慌てて逃げ場を探す。少年は、その様子を見て、また、クスリと笑った。
と。
「あっ!」
いきなり小桃と登竜が声をあげた。
「何だ、一体? 話を逸らそうったってそうはいかねぇぞ。あっ! 雲が空にある! なんて当たり前のこと言いやがったら承知しねえからな」
「……しまった、読まれてた」
こっそり呟く登竜の隣で、小桃は嬉しげな顔をしている。
「違う。ほら、向こうから、父ちゃんが」
言われて指さす先を見れば、なるほど、ちんぴらどもが走り去ったのと逆の方向から、小桃の父・梶源が走ってくる。
「小桃ぉー、無事かーーっ!」
生来の俊足に子を案じる父の思いが加わってか、商売道具一式を肩に担いだままの梶源は、素晴らしい速度で駆けてくる。そして、「無事かーーっ!」の余韻の消えないうちに清水達の前にやってきて……止まりきれずに通り過ぎ、方向転換しようとしたところで、
大回りしすぎて石にけつまづいた。
ガラン、ガラガラッ、ドサッ!
派手な音を立てて、梶源の体は地面に沈む。
「げっ」「うわっ」「だ、大丈夫ですか」「父ちゃん、しっかりしてっ!」
そのまましばらく動かなかった梶源だったが、娘の声に反応したのだろう。いきなりガバッと復活した。
「小桃、無事かっ、怪我はねぇか! ちくしょう、極悪棒手振りども、俺が相手だ!」
叫んで立ち上がったその手には、商売道具が握られていた。武器のつもりであるらしい。
「父ちゃん」「おじさん」「あの……」
年少三人は、呼びかけるだけ呼びかけてそのまま後を続けられない。それが何故なのかに気付く風もなく、梶源は清水に大声で問いかける。
「旦那っ、奴らいってぇどこへ行きゃあがったんですかい、教えてくだせぇ!」
呆れて清水がつっこんだ。
「梶源よぉ、小桃を守ろうってぇのは判るが、お前、それで一体ナニしようってんで?」
言われて初めて梶源は自分の手の中にあるものを見る。
彼が、武器だと思って持っていたモノ──それは、まさしく彼の『商売道具』。今朝方漁れた大きな鰯、だった。
「あっ、何だコレ! しまったてっきり棒だと思ってたのに」
「鰯の頭も信心からってぇが、鬼でもあるまいし、ちんぴらにまじないは効かんだろ」
清水の台詞に登竜が「あはは」と笑う。
「人相だけならあの人達、立派に人外でしたけどねぇ」
「でも、鬼はあんなに弱くないよね、きっと」
(き、きっつー)
登竜と小桃の容赦のないやりとりに、残る三人は思わず苦笑を漏らしてしまった。
最初に立ち直ったのは梶源である。自分の大ボケも娘達のきつい台詞も、娘を案じる親心には何の障害にもならなかったらしい。
「で、小桃、お前、大丈夫なのか。怪我とか、してねぇか? え、どうなんだ」
小桃の肩を両手で掴み、着物の袖を引き上げ裾をめくって腕と足を見る。背中をなで腹をさすりじっと娘の目を見つめる。
その目を見返して、小桃はにっこり笑った。
「うん。大丈夫。どっこも痛くないし、血も出てないよ。殿ちゃんと、そこのお兄ちゃん達が守ってくれたから」
「そうか……」
ほっと大きな溜息をついてから、梶源は改めて清水達に目を向けた。
「旦那、お二方、娘を守っていただいて、本当にありがとうございました。よろしければそちらのお二方、お名前を教えていただけやせんか。是非ともお礼をさせていただきたいんですが……」
「名前は登竜ですが……お礼なんていりませんよ。私は小桃ちゃんと一緒にこちらのお二方に守っていただいたクチですから」
やはり「あはは」と笑いながら答えた登竜に「はあ」と曖昧な返事を返してから、梶源は今度はその視線を件の少年に向ける。
──そういえば、この少年の名を知らない。
「名乗るほどの者ではありませんし、お礼なんてしていただくには及びませんから……」
言葉を濁す少年に、清水達が問いかけの眼差しを向ける中、一人登竜だけがにこにこと笑っている。
「いや、しかし……」
「いえ、本当に……」
放っておけば際限なく続きそうな二人のやりとりに、決着を付けたのは小桃だった。
「お兄ちゃん。あたし、自分を助けてくれた人の名前くらいは覚えときたい。お兄ちゃん、顔はものすご〜く綺麗だから絶対忘れないけど、今度会った時名前呼べないのって淋しい」
うなづく梶源と登竜に、清水がだめ押しとばかりに言葉を続ける。
「名を訊いておいて名乗らぬのは無礼だな。失礼した。俺は、清水、と申す。みなは簡単に『旦那』と呼ぶが。小桃もああ言っていることだし、そちらも、全部明かしてくれなくてもいい、姓だけでも名だけでもいいから、教えてはいただけないか」
真摯な言葉と眼差しに、少年が折れた。
「……姓を明かすのはご容赦ください。しがない武家の末っ子です。ですが、名は……、はつくに、と。初めの国と書いて初国です」
「初国、どの……」
噛み締めるように繰り返しながら、おかしな日だ、と清水は思う。
たった数刻の間に、二人も『初』の字のつく人間に出会った。しかも二人とも、男女の違いや雰囲気の違いはあれ、すこぶるつきの美人ときている。
(──そういえば、顔立ちもなんとなく似ているような……?)
思いが顔に出たのだろうか。初国が
「清水さま、何か?」
とそっと首を傾げた。
「いや、何でも……。いや、いきなりでなんだが、初国どの。貴殿、同い年くらいで貴殿に負けないくらい美人の姉妹か親戚かをお持ちでないか?」
「はい……?」
思い切って訊ねた清水に、初国は笑って
「……その、『私に負けないくらい美人』という言い回しが気にはなりますが……残念ながら、近しい親族の中で一番年の近い女性は私の姉で、彼女は私より6歳上ですよ」
と答えた。
「殿ちゃんっ、初国さんのお姉さんのことなんか訊いてっ! 奥さんにしたいとか思ってるんでしょー」
自分を睨み付ける小桃に
「あのな……なんでそうなるんだ?」
と清水が呆れた声を返すと、横から登竜が
「あれ違うんですか? 『そう』なったら喜ぶ方がおいででしょ、旦那?」
喜ぶ連中がいるのは確かだが、当の清水に『その気』はない。
「いるにはいるが……だーらそれとこれとは関係ねぇって。初国どの、気にしないでくれ。忘れていいから、さっきのは」
「……そうですか」
言われた初国は、口元にだけ淡い笑みを浮かべてそっと目を伏せた。
「初国どの?」
口元は笑っているのに、清水にはその声はどこか残念そうに聞こえる。不思議に思って顔を覗き込むと、初国は
「ああ、すみません。なんでもありません。あの……私はそろそろおいとまします」
と、今度は顔を上げて、申し訳なさそうに、言った。
「いやそんな、初国さん。お礼をさせてくださいよ。せめてそこらでお茶でも、ね?」
慌てて梶源が引き留めたが、遅い。
「いえ、お申し出はありがたいのですが、この後に用事を抱えておりまして、あまり遅くもなれませんので……すみませんが、お気持ちだけいただいて、失礼させていただきます」
末っ子とはいえ武家の子息である身で、一介の棒手振りの梶源に、初国は穏やかな笑顔と丁寧な言葉で断りを入れ、ゆったりとした動作で、今度こそきびすを返した。
振り返りもせずに颯爽と歩み去る後ろ姿も凛々しい。
小桃がほおっと溜息をついた。
「かっこいいお兄ちゃんだったねー。また逢えるといいな」
「逢えますよ、きっと。大丈夫です」
にっこり笑って登竜が請け合う。
(こいつがそう言うんなら、逢えるんだろう)
口元に笑みを浮かべて子供達を見下ろす清水の隣で、梶源が陽気に言った。
「じゃ、初国さんへのお礼は後日ってことで、今は清水の旦那と……登竜さん、でしたかね。連中をのしたお祝いに、どうです、これからちょいと何か食べに行きやせんか。もちろん、おごりで」
真っ先に喜んだのは小桃だ。
「やったー! ね、何食べに行くの父ちゃん」
「えっ……よろしいんですか?」
登竜が恐縮しつつも嬉しそうな表情を浮かべるのを斜め上から見下ろして、清水は
「何か、とかおごりとか言ったって、どーせ行くのは『ちよ間』だろーが」
行きつけの小料理屋の名をあげた。
シラけた振りを装って言ってはみたが、実際のところ『ちよ間屋』は、出す料理も手頃な値段でありながら美味、しかも種類も多い上に酒はもとより甘味まで供してくれる、清水にとってもありがたい店、なのだ。
「いいじゃありませんか、『ちよ間屋』さん。お嫌いなわけじゃ、ないんでしょう?」
「そーだよ。時々ツケで食べさせてももらってるくせに、そんなこと言ったらちよさんにいいつけるよ、殿ちゃん」
見透かすようににやにや笑いを向ける登竜と小桃の『脅し』に屈した振りを装って、だから清水は「うぁあ〜〜っ」と一つ伸びをしてから諦めたようにこう言った。
「はいはい、俺が悪うござんした。そんじゃま、行くか、ちよ間屋へ」
|