再会の地

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2章

 ようやく豆粒がきちんと人の形を取る辺りまで門に近付いた時、青年は己が耳を疑うことになった。

  -- 空耳だろうか

 青年がそう思ったのも無理はない。
 聞こえてきたのは、聖域には限りなく縁の無さそうな、お気楽で明るい不良中年の声だ。
「だ〜からっ。いるのは知ってんの! 知ってて会わせてくれって言ってんの。隠さなくってもいいんだって。お〜〜い、ローランド殿下ぁ〜〜っ」
 そのまま『おっじょ〜〜おさ〜〜ん』に科白を変えても何ら違和感の無さそうな、およそフォアサイトには不似合いな声音である。
( -- サウル=カダフ……! 何故ここに?)
 知らず、青年は足を止めていた。
 前方で繰り広げられる光景を呆然と見つめる彼の顔が、心なしか蒼ざめていた。

「……お父様、お知り合いですの?」
 呆気にとられて呟く娘に、思わず「いや」と答えて回れ右をしてしまいそうになる。
 だがそれよりも、サウルが彼を見出す方が早かった。
「あっ、いたっ! お〜〜い、せっいたっかさ〜〜ん! そんなところで立ち止まってないで、早く俺があんたの知り合いだってこの門番のじーさんに証明してくれって。お〜〜い、エルディアさま、ローランド殿下、剣の賢者さま!」
 フォアサイトにおいてすら伝説の王の存命は公にされていないと言うのに、わざとなのか、それとも本当にフォアサイトでなら大丈夫と思っているのか、サウルは遠慮会釈なく青年の呼び名を連呼している。
 軽い頭痛を覚えて、青年は額に手を添えた。
 いくら知識を求める者達の集う場所とは言っても、人の好奇心はそうそう衰えるものではなく、門の騒ぎを知って既に小さな人だかりが出来ている。今はまだ珍しい客人の戯れ言で済んでいるが、その内皆は不思議に思い始めるかもしれない。これ以上騒ぎを大きくしないためには -- そして、自分の名を連呼させないためには、彼等がサウルの前に出て行くしかないのだが……
「……お知り合いの、ようですわね、お父様」
「ははは……そのようだね」
 見上げる娘に答える声が、乾いた笑いを含んで揺れていた。
「背高さんってば!」
「判ったから、そう大声で連呼しないでくれ」
 人を呼ぶだけ呼んでおいて自分は1歩も動こうとしないサウルに、苦笑混じりにそう答えて、青年は娘と2人、門へと歩み寄った。
 彼が伝説の救世王その人だとは知らなくても、剣を携えた彼の姿ならフォアサイトの者は知っている。だから、青年が客人に声をかけたのを潮に、人だかりは口々に「どうやらあの方のご友人の冗談らしい」などと言い合いながらばらけていった。
 青年の様子を見て、門の守りの長も、自分の場所に戻って行く。
 それらを見届けて、サウルがゆっくりと、けれどやはり笑いを含んだ声で言った。
「しばらくぶりだね、背高さん」
 守りの長に拒まれて騒ぎになっても、人だかりに囲まれても、まったく悪びれる気配がない。それどころか、してやったり、とでもいいたげな顔をしている。
 実際その通りなのだろうと、黒髪の賢者は思った。普通に手続きを踏んでも自分に会える可能性は低いから、派手な騒ぎを起こして青年自身がサウルを見つけるように仕向けたのだろうと。
「……まったく。相変わらずだな、あんたは。それにしてもどうやってフォアサイトまで来たのだね? ここへの道は、普通の者の目からは隠されているはずだが」
 一体どうやって、この世俗の塊のような男がその道を見出し、ここまで辿り着けたのか。それが不思議で仕方がなかった。
「な〜に、簡単だよ」
 言って、サウルは門の向こう -- 正確には、半開きの門の陰を振り返る。
 その視線を追って、青年は答えを見つけた。
「……カイル」
 黒髪の、誇り高き呪術師 -- おそらくは、最後の。
 不機嫌そうに歪めた口も、やぶにらみの青い瞳も、肩に乗ったヒヨコも、最後に別れた時のままだ。
「何故、ここへ……?」
 思わず浮かんだ笑みをそのままに青年が尋ねると、やはり不機嫌そうな声音でカイルが答えた。
「俺が会いたくて来たんじゃない。あんたに会わせたい奴がいるから、来たんだ」
「会わせたい奴? 一体……」
 誰だ、と尋ねる青年に、答えることなくカイルはそのまま半歩ほど体をずらす。
 最初に見えたのは、座り込んだジョルジオ=モレス。画材を抱えて、ひたすらフォアサイトをスケッチしている。
 そして、その後ろに見える人影は……
「ジェニアス……?」
 20代半ばの青年だった。旅用の動きやすい服に身を包んでいた。母譲りの銀髪とすみれ色の瞳で、父譲りの美しい顔立ちをしている。女性に間違われるのをひどく嫌っているくせに、日に透ける銀の髪を長く伸ばして決して切ろうとしない、酒好きの神官。
 とても、とても懐かしく、愛しい存在。
 愛して止まない、彼のただ一人の孫だ。
「賢者さま……」
「ジェニアス……。カイル、サウル、どうして……」
 もう2度と会うことはないと -- その必要はないと思い定めて別れてきたのに。
 困ったように自分達を見つめて呟く『賢者さま』に、カイルとサウルは「観念しろよ」とでもいいたげな視線を向けている。
 戸惑う内に、いつの間にかジェニアスが目の前に来ていた。
「賢者さま……。カイルが言った『会わせたい人』というのは、あなただったのですね」
 すみれ色の瞳を涙で潤ませて、ジェニアスが囁く。
「ジェニアス……私は……」
 呟きかけた青年の声に、エルウィングの声が重なった。
「ジェニアス……? あなたは、ジェニアスなの……?」
 あなたが、アベルと私の息子なのですか。
 言葉に出来ない想いを瞳に浮かべて、エルウィングは父を -- そして息子を見つめる。
「……エルウィング……」
 答えた青年の声に、今度はジェニアスが反応した。
「エルウィング……? それに、その髪、その瞳……。賢者さま、もしやその方は -- その方は、私の母上ではないのですか?」
「ジェニアス……」
「背高さん。もういい加減、神官さんに本当のことを教えてやっちゃあどうだい?」
 一瞬返す言葉に詰まった青年に、横からサウルがいやに落ち着いた声をかけた。他の2人は、沈黙を守って立っている。
 2組のすみれの瞳に見つめられ、残る3人の静かな視線に囲まれて、伝説の救世王は、半ば諦めたように -- そして、どこかほっとしたように、「そうだな」、とふわりと笑った。
 その様子を見て、美しい母子は、やっと互いの視線を合わせた。
「では賢者さま、本当にこの方が、私の母上、なのですね……」
「ジェニアス、なのですね、あなたは……」
 同じ色の髪、同じ色の瞳の美しい母子は、手を伸ばせば触れあえる距離で見つめあいながら、互いにそれ以上の言葉を見つけだせないでいる。
 そんな2人を、もう一人の血縁者はただ静かに見守っていた。
 ジョルジオ=モレスは目を潤ませている。カイルは相変わらず不機嫌そうな表情を崩さない。サウルは --
「いっや〜、それにしても美人だっ! エルウィング嬢、わたくし、サウル。サウル=カダフっ! よろしく〜〜」
 サウルは、エルウィングの手を握りしめようとしていた。

「母上に触らないで下さい!」
「人の娘に手を出すんじゃない!」
 エルウィングの父と息子が同時に叫び、見事なタイミングで両側からエルウィングをかばう。1人エルウィングだけが、何が何だか判らずに、父と子の間で戸惑っていた。
「ひ、酷い……2人とも。人をまるで病原体みたいに……」
「違うとでも言うのか?」
 嘆くサウルにすかさずカイルがつっこんだ。
 誰も、否定しなかった。
「あのなぁ……」
 イジイジ、イジイジ。
 だが、いつの間にやら門の陰に移動していじけたふりをしているサウルは、既に話しかけた2人の意識の外にいた。
「娘……? 母上が、あなたの娘? それに、隊長さんはあなたのことをエルディア救世王と呼びましたね。伝説の英雄の名で。賢者さま、あなたは一体……?」
 ジェニアスの言葉に青年は、わずかに失言を悔いる表情を見せた。
 だがそれも一瞬のこと。
 エルウィングの存在を肯定した自分が、ことが自分に及べば否定する、というのも理屈に合わない。それに、ジェニアスの母であるエルウィングが自分を父と呼ぶのだから、否定したところで意味がないと、青年は思った。
 何より、ジェニアスは来たのだ。険しい道のりを辿って、フォアサイトへ。
 カイルが -- サウルが連れて来た。
 出生にまつわる全てを……そして母と、ジェニアス自身が『賢者さま』と呼んで慕う者が何者であるのかを、今のジェニアスなら受けとめられると踏んだからこそだろう。
 ならば……
「判った。ジェニアス。全てをそなたに話そう」
 ため息と共にそう言って、青年は立った一人の孫に静かな目を向ける。
「その前に、場所を移そう。ここでは人目につくし、落ち着かない。そなた達も疲れているだろうし、何より、長い話になるからね」
 微笑んで一同を見渡した青年の顔には、戸惑いの陰も後悔のかけらも、既になかった。




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