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「うぽ〜〜……」
ゴブレットから解放されたアモンは、見るからに上機嫌だった。
楽になったのが嬉しいのか、とカイルは思ったが、どうやらそうではないらしい。
ヤドカリ状態からの脱出が嬉しいのなら、さっさと美枝森へでも帰りそうなものである。いや、人間に捕まっていた
-- とも言い難いのだが --
アモンとしては、それが普通の反応だろう。
だが、『彼』は、そうしなかった。
「変ですね……」
「……そうだな」
「だろう?」
頷きあった3人である。
と、その時。
アモンが何やら嬉しそうに、自分の腕に鼻を近づけた。
「うぽ〜〜。うぽぽっ♪」
匂いを嗅いで、にへら〜〜っと笑う。
「こっ、この動作はっ……!」
「こいつ、まさか……?」
「いや、これはやっぱり、そうかもよ……」
ジェニアスも、カイルも、サウルも、いきなり悟った。
アモンは、石鹸の匂いが気に入ったのだ、と。
そうなのだ。
アモンは、初めて嗅いだ石鹸の香りに陶然となっていた。ついでに言えば、両手をこすりあわせれば、まだ少し残っている石鹸水が泡立つことにも、光を反射して虹色に輝くその泡にも。
シャボン玉を作り、嬉しそうに吹き飛ばすアモン。
激しくブキミである。
かつて兵達が揃って女装したことがあったが、このブキミさはその比ではない。
「………………。」
沈黙が庵を包んだ。
1人アモンだけが楽しげである。
シャボンで遊んでいる。
ふと、アモンが顔を上げた。
何やら空気の匂いを嗅ぐような素振りを見せる。
「……?」
見守る人間達の目の前で、いきなりアモンが立ち上がった。
『何を……』
するつもりなのだろう?
言葉もなく視線を交わした3人に、けれどアモンはすぐに答えをくれた。
アモンが目指したものは、ジェニアスが石鹸水を作った残りの、石鹸本体だったのである。
どうやらこれが『泡の素』だと悟ったらしい。ジェニアスのする事を見て覚えていたのだろう。
ひょろりと細い腕で、自分よりも遙かに重いだろう石鹸を抱えようとしていた。
「いくら何でも、そりゃ無理だろーよ」
呆れ果ててサウルが言ったが、アモンは聞こうとしなかった。
キーキー唸りながら、一生懸命石鹸の塊を動かそうとしている。
どうあっても石鹸を我がものにしようとしているようだった。
「……まったく……」
溜息をついて、カイルがテーブルを離れた。
「……カイル? 何を」
するつもりなのか、と訊きかけたジェニアスだったが、戻ってきた黒呪術師が右手に小型のナイフを持っているのを見て、その意図を察した。
「ちょっと、離れていて下さいね」
両手でそっとアモンを押さえる。
すかさずカイルが石鹸を手に取り、小さな塊を切り出した。
「ほらよ」
それをつまんでサウルが差し出す。
目の前に現れた、芳香を放つ小さな塊を、じっと見つめてアモンは
「うぽ〜〜〜……」
嬉しそうにじんわりと目を潤ませた。
差し出されたそれを、大事そうに抱え込む。
「さあ、もう美枝森にお帰りなさい」
言ってジェニアスが手を離してやると、アモンはぴょこんと頭を下げて、ぱたぱたと窓から外へ出ていった。
後に残った人間達は、
「はぁ〜〜〜……」
深い溜息をついて床に座り込み、そして --
「……ぶっ」
「くすくす」
「くっくっく……」
誰からともなく笑い始めたのであった。
******
美枝森のはずれに、小さな庵がある。
そこから少し離れて、ルーマカール星径神殿と、国境守備隊の兵営。
この3つの建物では、時折、小さくなった石鹸がなくなることがあるのだそうだ。
そうして、石鹸の代わりには、決まって大きなくるみが何個か落ちているらしい。
そんな時には、その建物の主 --
勿論、カイルか、ジェニアスか、サウルだ --
は、他の2人に声をかける。
「例のモノが、届いたよ」と。
-- くるみの中身は、極上の果実酒である。
面白いことに、くるみに入った果実酒は、カイルの持っている小さな銀のゴブレットの1杯分とぴったり同じ分量で……。
3人は、極上のゴブレットに極上の果実酒を注ぎ、このささやかな酒宴のきっかけとなった出来事を思い出しては、くすくすと笑いあうのだそうだ。
それから、もうひとつ。
この件以来、美枝森から風に乗って聞こえてくるアモンの歌に、新しいフレーズが加わったそうである。
曰く、
「銀の音、しりん。金の音、しゃらん。虹の泡、ぱちん……」
どうやらルーマカールのアモンには、金と銀の他に、好きなものがもうひとつ増えたようである。

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