野生アフリカツメガエル ギリシャのクレタ島での第16回アフリカツメガエル国際会議

8月25日から9月2日まで、第16回の国際アフリカツメガエル・コンファレンスに出席のため、ギリシャのクレタ島を訪問しました。福岡、羽田、フランクフルト、アテネ、クレタ島のハニア空港という道筋でしたが、8月26日のアテネ到着時に家内の荷物は届きましたが、私の荷物が届かず、大変困りました。空港の係官に旅程をよく説明し、予定通りアテネのホテルに入り、まずマーケットに行き、スーツケースや下着を買いそろえました。アテネでは翌日も荷物は届きませんでした。しかし、気を取り直して、とりあえず、アクロポリスの遺跡を訪ねる等、最低限の観光は行いました。
 アテネで2晩過ごし、翌日の夕方にはクレタ島に飛び、学会会場であるOAC(Orthodox Academy of Crete)へ移動しました。ところが、紛失から3日後、すなわちクレタ島の第2日めの早朝には、すでにほとんど諦めていたスーツケースがうそのようにホテルまで運ばれてきて、私は本当に助かりました。
クレタ島は日差しがとても強く、日中に外に出るのは大変でしたが、1度だけ、エーゲ海の海の水に胸まで浸かって、足場が悪く泳ぎはしませんでしたが、海水浴のまねをしました。学会に関しては、荷物が届きましたので、私のポスター発表は無事済ませることができました。今回は九州大学・東京大学・帝京大学・福岡医療専門学校所属という形で、これまでよく発表していた形態形成遺伝子ではなく、すべての細胞でタンパク合成をおこなう装置となっているリボソーム粒子の半分の重さを占める「リボソームRNA」の合成の初期発生過程での調節について、発表しました。これを研究している人は今ではアフリカツメガエルの研究者には、まず一人もいないと思いましたが、30年前の段階では、世界で最も盛んに研究された重要テーマだったわけですし、私としましては、自分が若い時代に開始した『学位論文』の研究のその後の展開の『総まとめ』を今になって、この学会の記録に留めておきたかったのです。
学会の終わりの日に、ポスター発表の優秀作品に対して、賞を与える会がありました。その次には、クレタ島の地元のダンスの披露があったのですが、その前に、「今回は特別賞があります」とアナウンスがなされ、だしぬけに、私の名前が呼ばれたのです。実は私は1984年のヴァージニアで開かれた初回の学会(米国NIHの資金で集められたわずか30人程度から成るワークショップ)に出席し、その後は今回に至る2年毎のアフリカツメガエルの国際会議(おおむね、250-300人規模)のすべてに一回も休むこともなく出席している世界でただ一人の人物になっていたのです。ですから、このコンファレンスに貢献してきたという評価に基づき、ここで表彰しておこうということになったのです。こうして、私は第16回の国際学会の4人の実行委員会全員のサインおよび2012年のノーベル賞受賞者であるガードン教授(彼自身は、今回ニュージーランドに呼ばれていて、クレタ島には来なかったのですが)の直筆の文章とサインのある賞状を「国際アフリカツメガエル研究会議」の名前で与えられました。これは私を含め、会場に居た皆さんにとっては大きなサプライズでした。私は73歳の時に帝京大学の実験室を定年で失い、今は75歳ですが、無理してクレタ島まで出かけて良かったと思います。



ガードン博士の直筆の文章は、司会者が読みやすいようにと、次の文章がタイプで添えられていた。Dear Shiokawa I would like to congratulate you on your total commitment to supporting the Xenopus meetings from the first one until today. With best wishes John G.

(以前送信頂いた原稿の一部) 2016 9 16



1984年に世界初のアフリカツメガエル研究者の国際会議がアメリカのバージニアにあるエーリー・ハウス(Airlie House)で行われ、それが出発点となって、1986年にガードン博士が世話役となって第1回の200人規模のアフリカツメガエル国際会議がイギリスで持たれた。以来、今日まで、2年毎にこの国際会議がダーウィッド博士とガードン博士を中心として世界各国で場所を変えながら続けられて、今日に至っている。



ガードン博士(右)とその生涯の友人、ダーウィッド博士(中央)、およびブラウン博士(左)。この3人が3人とも、発生の分子生物学研究の世界的指導者である。世界のアフリカツメガエルの研究者の社会も、少なくともこの50年間は、この3人を中心として一つの学問の社会を構築してきた。
2017年度筑豊博物研究会雑誌原稿に記載



アフリカツメガエル国際会議 : Xenopus People

今回ケンブリッジを訪問するに当たって、ガードン博士と奥様のジーンにお土産を持参した。すると思いがけず、学会の最終日にガードン博士からプレゼントを頂いた。
若宮の自宅に戻って箱を開けてみると、それは愛らしいワスレナグサの花をちりばめたように描いた花瓶だった。
この筑豊の田舎に育った私たち夫婦の人付き合いの感覚が、花のケンブリッジやロンドンにあっても、そのまま通用すると教えられたような気がする、うれしい出来事だった。

親しみあふれ自分が学生だったころ、国際学会での発表はなにか途方も無い重大なひのき舞台での一大パフォーマンスに違いないと思っていた。「自分は、日本の代表選手。背広をきちんと着て、ネクタイをまっすぐにつけなきゃ」となるわけだ。ところが、最近は、ネクタイをきちっとつけて講演する外国人にはめったに出会わない。アフリカツメガエルの縫い取りのあるTシャツや、ジーンズなど、ラフな姿ほとんどである。服装ではなく、会議に出席するうえで何が大事なのか。
2年おきに開かれる「アフリカツメガエルの国際会議」では、久しぶりに会った各国の研究仲間と、この2年間の成果を話し合い旧交を温めることが重要な意味を持つ。今回、英国・ケンブリッジであった会議の参加者は16カ国から272人。米国86人、英国66人、ドイツ34人、日本29人などさまざま。会議場は、地球規模の大家族会議のような親しみにあふれた雰囲気に包まれた。

名前呼び合う私たちのようなアフリカツメガエルを使って研究を進める集団は、生物学者の間では「ゼノパス(アフリカツメガエルの学名)・ピープル」と呼ばれる。アフリカツメガエルを使う理由は、年中卵を産み、飼育も牛レバーを食べるので、生きたエサであるハエを飼う必要がないため簡単であること。世界中で同じ動物を使っていると、カエルの種類による違いが無いから、研究が早く進むのである。
この研究者集団の特徴は、日本人と違って、相手を名字でなく、下の名前で呼び合うこと。今回の国際会議の主催者は、ケンブリッジ大学の看板教授で、クローンガエルで名高いイギリス人のジョーン・ガードン博士。
彼は英国女王陛下からサー(卿)の称号を頂いており、国際発生学会の会長も務め、日本の天皇陛下の国際生物学賞ももらったが、そんな彼だって、単に「ジョーン」でよいわけだから、裃がとれて親しく感じられるわけだ。
しかしファースト・ネームで呼び合えば「本当に親しくなっているか」というと、そうでもないような気がする。
それは錯覚であって、単に社会的な約束事に過ぎない。ガードン博士は若宮町の私の家に泊まっていったことがあるし、私も妻と2人で学長の官舎に泊めてもらったこともあり、とても親しい仲である。私も一応、口では「ジョーン」と呼んでいるが、やっぱり気持ちの上では「ドクター・ガードン」と思っている。

(以前送信頂いた原稿の一部) 2002 9 28

帝京大学理工学部客員教授・東京大学名誉教授
福岡医療専門学校生理学担当講師・アジア日本語学院学院長
塩川光一郎 


野生アフリカツメガエル
 2012年度ノーベル賞受賞ガードン博士関連(研究者ページ)


ガードン卿のノーベル賞受賞研究:そのクローンガエル.分子発生学. およびライフスタイルの魅力
2017年度筑豊博物研究会雑誌原稿
2012年度ノーベル賞受賞記念出版 「ガードン卿:その研究と人柄の魅力」塩川光一郎
医学生理学に貢献するアフリカツメガエル
ギリシャのクレタ島での第16回 アフリカツメガエル国際会議
アフリカツメガエル歴史の一部
柔整ホットニュース ビッグインタビュー
生命科学を学ぶ人におくる大学基礎生物学 塩川光一郎(著)
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第16回ギリシャ・アフリカツメガエル国際会議の最終日、ノーベル生理学・医学賞受賞 ジョン・ガードン博士より「親愛なる塩川さん、私はあなたが第一回目から今日まで全てのアフリカツメガエル国際会議に出席しサポートしてくれた、あなたの功績を讃え祝福致します。ジョン G 」と記載された賞状が送られ多くのアフリカツメガエル研究者より祝福を頂たとのお電話を頂きました。 心からお祝いを申し上げます。また、塩川先生とガードン先生のアフリカツメガエルに関するメールのやり取りを拝見させて頂いた事を大変光栄に存じます。