眼鏡をはずして…

眼鏡をはずして…

 慣れないままに,眼鏡を外して行動すると何が起きるか? 晴天の日は,やたらと 日差しがまぶしい.乱反射した光があちらこちらから目に殺到する感触に晒される. 必然的に,目を細めてしまう….                         然し,眼鏡をはずした目で,ものを見る際に,見えないものを見ようとして,目を 細めてはいけない.あくまでも普通に開いた目で見るようにする.つまり,見えない ものは見えないなりに見ることだ.                        ビントが合わない状態で,目を細めてしまうというのは,ピントの合わない状態を 容認してしまうことなのである.視力の回復とは,あくまでも抵抗なく開いた目から ピントを合わせられることを目指すのである.                   然し,その効果はすぐには現れない….俺様は,毎日通っている喫茶店の窓から, 特定の看板を見続けた.狭い道路を隔てたところにある小さな看板だったが,割合, 大きく書かれた文字が読めなかった….                      あの文字が読み取れるようになるのかどうか….虚しい努力のように思えた.が, それでも,眼鏡をかけた際の視力が,見違えるように向上する現象があって,外して 行動する効果は確かにあった.                          今では,喫茶店から見える看板の大抵の文字は読み取れる.かなり回復したと思う 中にあっても,例えば,晴天の日に,どうかすれば読み取れる瞬間がある程度だった 文字が,今では天候に関わりなく楽に読み取れる.                 眼鏡をはずして行動する中で,ふと気がつくと,眼鏡を掛けているようにスッキリ 見えている瞬間が訪れる.『眼科への挑戦』の中に書かれていたことだが,俺様は, これを偶然,体験することになった.                       俺様は,車を運転して,交差点で信号停止した.前に止まった車のステッカーを, ぼんやり見ていた….交通安全云々の神社のステッカーだったが,その細かい文字を 俺様は楽に読み取っていた.                           ハッと気がつくと,俺様は眼鏡を掛けていない….何と俺様は,眼鏡を掛け忘れて 平然と運転をしていた….その事実に気がついた瞬間,急激にステッカーがぼやけて 一番大きな文字も読めなくなっていた….                     俺様は,慌てて眼鏡を取り出して掛けた….完璧に見える瞬間….確かにそういう ことがある….俺様は,本の記述を実際に体験した….これが視力回復への大いなる 自信になった.                                 視力回復の手順は,普通に開いた目で見えないものが,じっと見ている内に何とか 見えて来るようなものが,次第に見たいときに見えるようになる.その進行は,誠に 緩やかで意識されることもない….                        気がついたら見えるようになっていた…,そんな形態で進んでゆく.近視の侵攻も 気がついたら見えなくなっていた…と言う形態を辿って来た訳であるから,その逆を 辿ると思えばいい.                               気がついたら落ちていた視力が,眼科で診察を受けて,眼鏡を調整して,帰りには 見えるようになっている….何が原因でそうなったかが,まるで考えられていない. 原因を取り除かないのであるから侵攻は止められない.               ある眼科医は,高校生の頃に,視力が 0.7 に落ちて,視力回復センターに通った 体験があるという.毎日,一時間,視力回復の訓練をしたら,1.0 に回復したとか. 但し,止めたら,3か月で元に戻ってしまった….                 その眼科医 は,毎日一時間,視力回復のために時間を割くより,勉強に専念して より多くのことを勉強した方がはるかに有意義であるとしている.近視になっても, 眼鏡で矯正が簡単なのだから…と.                        視力訓練のために,特別の時間を割く必要が本当にあるのかどうか….教えられる 通りのことを,そのまま実行するならその通りである.だが,目を開いている時間の 全てが視力訓練になるのだ.                           それは,従来の『見える』視力から,見たいものを自力で『捉えられる』視力への 移行を考えるだけでいい….先ず,普通に目を開いて,見ているものを見える所まで 引き寄せる意欲でみる.例え動かぬものであろうと….              『ほんの少しの信仰心があれば山をも動かすことが出来る』この言葉は,視力回復の 世界では現実に起こるのだ.普通に開いて,ぼやけた世界がよく見えるまで,自分に 引き寄せる….断じて自分が近づくのではない.                  じっと見て『さあ…俺様に見えるまで近づいて来いっ!』こう念じればよいのだ. 見えない目をそのまゝに,安易に眼鏡を掛けるのか? 緊急避難として,眼鏡を持つ 必要はあるだろう….だが,掛け続ける必要はどうか?               つまらぬ超能力の獲得に振り回される若者が多い昨今である.埒もない戯れ言に, 心を奪われている暇があったなら,掛けている眼鏡が必要のない目にする,現実的な 力の獲得に専念した方がより実用的である.                    自分自身にとって,世界の中心は絶対的に自分なのである.眼鏡を掛けて自分から 寄って行く必要などない.この世は,自分が生まれた瞬間から,自分にとって意味を 持つようになったのだ.                             例えば現在の天文学では,太陽の周囲を地球が回っているというのが常識である. だが,本当にそうなのか? それは,地球を離れる際に必要な常識であるが,地上で 生活する限り,あくまでも地球を中心に宇宙が回っているのだ.           どう見ても『日は昇りそして沈む』のである.この地球が回っているなどと考える 必要が何処にあるのか? そして,それを自分の生活の中で,どう実感するのか?  そんな体感は何処にも存在しない….                       一生,眼鏡屋に奉仕するために,これからの人生を送るのも人生である.それを, 自分の視力を確保するための道具だと考えれば納得も出来よう.だが,見ることに, 受動的であれば,自分自身の視力は落ちるばかりである.              積極的に見るようにするために,眼鏡を掛けるのは,自分の目を積極的に悪くする 意味がある.眼科では,矯正視力で適正な視力が出るものを,病気とは見做さない. 例え裸眼視力がどんなに弱くても….                       俺様に言わせれば,裸眼視力を向上させることが,本当の視力の向上なのである. 裸眼視力を向上させれば,眼鏡の度は,逆に弱くて済むのだ.当たり前のことだが, 眼鏡は裸眼視力を弱めて,矯正視力を元に戻している.               眼科医の視力訓練体験は,期せずして眼鏡を掛ける弊害を露呈している.つまり, 視力訓練の結果,1.0 になった目が元の0.7 に戻ってしまったと言うことは,実は, 1.0 に見える眼鏡を掛けたのと同じことなのだ.                  つまり,視力訓練であろうと,眼鏡に頼ろうと,1.0 の視力を獲得しても,近視の 原因を取り除いてはいない共通点がある.視力訓練は,眼鏡を掛けなかったことで, 裸眼視力を落とさずに済んだだけ増しなのである.                 もし,視力訓練をしなかったならば,眼鏡を掛けることで,裸眼視力を更に落とす 結果になってしまう.自分自身の目で,積極的に見る習慣をつけることで,見えない 状態を見える状態に導くことが出来る.                      視力訓練は,別段,何とかセンターに通わなければ駄目と言う訳ではない.眼鏡を 外して,自然に目を開いて,見えないままに,ものを見る習慣を持つだけで,環境に 適応しようと目自体の本来の機能が働き始めるのだ.                俺様の感覚では,ぼんやりとしてよく見えない状態は,目がその機能を休めている 状態とも思える.常時,何もかもクッキリ見えている必要が,どれだけあるのか?  それが負担になるから視力が落ちるとも思える.                  目は,必要な時には,必要な視力を出そうとする本能的な働きがある….俺様は, 視力が目に見えて回復した実感を得た時期に,夕刻,眼鏡を掛けずに運転していた. 必要があってスピードを上げたとき,突然,異変が起きた….            アクセルを踏み込んでスピードが上がるにつれて,まるでズームアップするように 俺様の視力がその瞬間,急激に上昇した.スピードの上昇に連動して,ますます良く 見えるようになったのだ.                            これには俺様自身がビックリした….人間は,与えられた環境に順応する動物だと 信じてはいるが,このような場面で,急激に視力がよくなるようなことがあるのか? 無論,それは一時的な現象かも知れない.                     裸眼視力が普通より弱くても,積極的に見ようとする意識を働かせた結果,柔軟に 環境に適応する目を作り上げる働きがある….であるから,必要以外のところでは, 目は少しピントをずらせて休めている….                     必要以外のところで,眼鏡を外すことは,それだけ目を休めることに繋がるのだ. 眼鏡を掛けた人が,眼鏡を外して,目を押さえている光景を見かける.多分,本人は 無意識にやっているだけでその意味を理解していない.               俺様の目から,そういう光景をみると,四六時中,掛けっぱなしの眼鏡は,目に, 相当な負担を与えている.眼鏡を掛けた目は,休息を与えられないのである.そこで 目は休息のために視力を落とす結果になる…. ** 悪魔 **         * 参考図書 『近視を治す』坪田一男著 講談社 BLUE BACKS

 ・眼鏡を掛け続けることへの疑問
 ・眼鏡は眼科医・眼鏡屋の必需品
 ・視力回復の可能性を何処にみいだすか?
 ・近眼と老眼の関係
 ・日本人の視力は『見える』レベル
 ・待望の? 拳銃射撃との関連
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