眼鏡を掛け続けることへの疑問

眼鏡を掛け続けることへの疑問

 そもそもの発端は,夜間,車で帰って来る時のことだった.知らない道で,道路の 案内標識が見えにくいことに気がついたことである.『既に四十歳だと言うのに…』 俺様は,深い疑惑に駆られた….                        『近眼は,ある一定の年齢までは進みますが,それ以降は,度が安定して進むことは ないので,正しい度数の眼鏡を掛け続けることが目の為に大切なことです』何処かで こんな言葉を信じ続けて来たことに疑惑を持ったのだ.               眼鏡屋は,平然と『この眼鏡では,次の運転免許更新が出来ません』平然と脅しを 掛けてきた.更新まで半年ある.俺様は,眼鏡の新調はせぬ代わりに慎重になった. こうなったら眼鏡を外してみたらどうなのか?                   俺様は,運転免許を三十半ばを過ぎて取得した.その時まで,不自由がないままに 度の弱くなった眼鏡をそのまま使用していた.免許を取るには,それでは通らない. そこで,その際に眼鏡を新しくした….                      ところが更新の時期が来て,またしても視力が落ちている.既にマイナス3.0の レンズを使用し,それが合わなくなったのだ….俺様は,免許更新までの半年間は, 出来るだけ眼鏡を外す生活を続けた….                      眼鏡屋の言葉とは裏腹に,俺様は,半年後,免許更新が出来ない筈の眼鏡で,無事 更新を済ませた….中年になって,近眼の眼鏡を出来るだけ外して行動するだけで, 着実に視力が向上したのだ.                           近眼の発端…                                 俺様が,眼鏡を掛け始めたのは,遠く中学生時代である.後ろの席にいた俺様は, 立ったまま,呆然としていた….『こんな簡単な漢字が読めないの?』先生の言葉も 耳に入らなかった….                              書かれている文字が読めないのではなくて,見えないのだと自分が気がつくまでに かなり時間が掛かったような気もする….視力が落ちる意味が解っていなかった?  ある時,「これ掛けてみろ?」と友達が自分の眼鏡を差し出した….        「えっ? ナニコレ…」俺様はその瞬間,視界がパッと広がった衝撃に圧倒された. 黒板が今までになく鮮明に見える….俺様はその時,初めて視力が落ちていることを 知ったのである.                                今まで自分が不自由な視力で過ごしていたことにまるで気がつかなかった.然し, 一度それがはっきりすると,俺様は,無性に眼鏡の必要を感じた.漠然とした眼鏡に 対する憧れのような感情さえ芽生えた….                     あるいは,この年代には,眼鏡に対する変な憧れ感覚があったのか? ともかく, 俺様は,その完璧な視界が得られる道具に完全に魅せられていた….眼科での診察で 眼鏡が必要だと言われたが….                          この時の,眼科の先生は,『必要な時だけに眼鏡を掛けて,出来るだけ外すように して下さい』と,俺様に忠告を与えた.『例えば,本を読む時や家で勉強する時には 必要ない筈です』とも….                            この先生は,近視が治る可能性のあることを知っていたのだろうか? まさしく, この言葉は正しかったのだ.然し,俺様は,快適に見える世界に魅了されて,必要な 場合どころか,滅多なことでは外さなくなっていた….              『もう度が合わなくなったのか?』親もあきれる程,極めて短期間に,快適な眼鏡は 役に立たなくなった.『一定の年齢まで度が進むのは仕方がないことで…』眼鏡屋は そんなことを言った….                             眼科での診察の順番待ちなどを省略しようと,直接,眼鏡屋を訪れたら,診断書の 必要もなく,眼鏡屋は簡単に視力検査をして新しい眼鏡を調整した….結局,こんな ことを繰り返しながら度は進んでしまった….                   改めてここで考えるのである.一般に近眼とは,網膜に当たる光の位置が通常より 手前に像を結んでしまう為の屈折異常であるから,この屈折を調整して,正しい像を 結んでやればいい….このように信じられている….                さながら,正しい像を結ばないのは,目の機能自体が異常を起こしている所為で, 人為的に調整しなければ治す方法はないと言わんばかりである.では何故屈折異常が 起きるのか? この説明は十分ではない.                     何処かに屈折異常を起こす原因があった筈である.最近の俺様は,この屈折異常は 人体の防御反応だと考えている.つまり,正しくピントが合った状態で,ものを見る ことに何らかの差し障りがある….                        原因も考えずに,ピント調整を行う眼鏡を掛ければ,そこからピントをずらして, 何とか体を守ろうとする目の防御反応が働いてしまう….その結果,どんどん視力は 低下してしまう….                               最初に近眼を発見したことで,眼鏡を掛けると,後は雪だるまのように視力低下を 招いてしまう….最初に,黒板の文字が見えないところで,眼鏡を掛けずにいれば, 恐らく,そこから更に度が進む可能性は少ない….                 ある程度,見えないことを覚悟して僅かな不自由の中で生活をする覚悟を決める. 僅かな視力低下に眼鏡を掛けて正常に戻してしまうのは,ある意味では贅沢である. 多くの盲人が極端に不自由な視力で生活している.                 黒板の文字を見るのに眼鏡を掛ける.これは贅沢の極致である.眼鏡を使用せずに 問題を解決する方法は幾らでもある.ピントがずれた原因を考えずに,ずれただけ, ピントを戻すだけでは根本的な解決にはならない….                視力が落ちたと言うことは,実は軽い問題ではなく,実に大きな問題の筈である. 眼鏡を掛けずに,近視の治療をするシステムは眼科にはない? 最近では,手術で, ピントを戻してしまう方法まで実施されている….                 これとても基本的に眼鏡を掛ける場合と変わらないのである.必ずや,再び視力の 低下を招くことが必定であろう.俺様は四十歳になって,改めて近眼の度が進んで, ようやくこの矛盾に気がついた.                         現在,51歳の俺様は,少なくとも40歳の頃より,はるかにいい視力を保っている. 恐らく,眼鏡なしで,あの中学校時代の黒板の文字も見える? 眼鏡なしで,ものを 見ることに完璧に慣れてしまっている….                     一体,この俺様に何が起きたのか? 俺様は,近眼が治ったと言うつもりはない. 基本的には相変わらず近眼には違いない.然し,眼鏡を掛けずに不自由をすることは ほとんどなくなっている….                           ここで展開するのは,そんな体験話であり,ものを見ることについて,更に奥深く 考えてみようとするものである.ここでもまた,眼鏡に対する絶対的な信仰心を抱く 人々にはお引き取りを願いたいと思うばかりである.** 悪魔 **      

 ・眼鏡は眼科医・眼鏡屋の必需品
 ・視力回復の可能性を何処にみいだすか?
 ・近眼と老眼の関係
 ・日本語の表紙へ…