視力回復の可能性を何処にみいだすか?

視力回復の可能性を何処にみいだすか?

 俺様の体験では、視力回復のために、わざわざ訓練センターと称せられる施設へと 通う必要もない。単純に眼鏡を外して行動するだけでもいい。但し、長年にわたって 眼鏡に慣らされた目である。最初は不自由を感じる。                例えば『近眼は病気ではない』とする眼科医もいる。病気でなければ、医者に通う 必要もないのだ。俺様は、眼鏡を必要としない目を目指して、努力を重ねる過程で、 医者の世話になったことはない。                         俺様が、自分の視力をよくしようと考えた頃は、まだ、視力回復については情報に 乏しい状況にあった。その中で俺様は『眼科への挑戦』という本を見つけた。近眼と 違う眼病からも自力で視力を回復した内容だった。                 その中に視力回復の訓練法が書かれていたが、それを重要視した訳ではなかった。 ともかく、近眼が、多少なりとも回復するという実例というか、可能性のあることを 知りたかったのである。                             俺様は、『人間は与えられた環境に順応する動物である』と考えている。それ故に 目に眼鏡を与えられれば、目は眼鏡に慣れるし、眼鏡を外せば、手が眼鏡を求めて、 さまよい始める…。                               だが、目は、眼鏡を外された瞬間…、それでも外された環境に順応せんと、すぐに 努力を開始する…。眼鏡を外した瞬間、ぼやけた視界が、一瞬、ピントが合うように ほんの少しよく見えるようになる…。                       基本的に、ぼやけた視界は変らぬまでも、外しただけで回復する裸眼で生活をする 習慣を持つことで、裸眼での視力を強化することに繋がる。その昔、俺様が度の弱い 眼鏡のまま、運転免許更新が出来たのもこれである。                裸眼での視力は、幾ら眼鏡を外して行動したところで、目に見えて良くなる効果は 先ず期待できない。逆に、相変わらずぼやけた視界は視力訓練の効果に自信をなくす 結果になるかも知れぬ。                             然し、眼鏡の度が弱くなった段階で、眼鏡を外したときと、掛けたときの視力を、 感覚的に比較することで、眼鏡を外すことが、少なくとも視力を悪化させないために 効果があることは、割合、短期間に体験出来る。                  読書やパソコン操作に、眼鏡の必要を感じなくなるのも、長い時間は掛からない。 ただ、外した当初、かなりの戸惑いを感じることは否定出来ない。うっとうしさには 閉口させられる。それに耐える努力は必要とされる。** 悪魔 **      

 ・眼鏡を掛け続けることへの疑問
 ・眼鏡は眼科医・眼鏡屋の必需品
 ・近眼と老眼の関係
 ・日本語の表紙へ…