決勝戦
因縁の対決と言うべきか、当然の結果と言うべきか --
極上ワイン&小麦粉を賭けて最後に戦うことになったのは、またしてもジェニアスとカイルだった。
「またこの対戦が見られるんだなぁ」
「今度はどっちが勝つだべか?」
「どっちでもいいよ♪」
「神官さまもマスターも頑張るだよ〜っ」
口々に皆がエールを送る。
「どっちが勝ってもいいから、ワイン俺にも飲ませてね〜♪」
しっかりサウルも復活している。
そして、当人達は……
「また、あなたと決勝戦なんですね、カイル」
「……そういうことらしいな」
「負けませんよ、今度こそ」
「返り討ちにしてやる」
向かい合った銀と黒の2人、それぞれの勝利宣言。
子馬亭の人々の期待は否が応でも高まる。
「用意」
組み合わされる2人の右手。
ごくっ、と誰かが唾を飲み込んだ次の瞬間、
「始めっっ!」
絶妙のタイミングで、審判をつとめる子馬亭主の声が響いた。
「神官さま、頑張って!」
「マスターも頑張るだよ!」
「いやいや、どっちもがんば……れ……?」
だが、観客からエールが飛んだのはほんの数瞬のことだった。最初は賑やかだった歓声が、ひとつ消え、ふたつ消え、潮が引くように減って行く。
やがて子馬亭は、銀髪の神官と黒髪の黒呪術師を中心にして、水を打ったような静寂に包まれた。
「一体、何が起こってるんだろ……?」
「さ、さあ……」
小声で囁き交わすマルトとクリスの声が、やけに大きく聞こえる。
「隊長? どうして神官さまとマスターは全然動かないんだか……?」
--
何故、2人は……2人の腕は、最初の位置に留まっているのか。
ベンの質問は、全員の心を代表していた。
答えるサウルはあっさりしたモノである。
「ありゃあな、動かないんじゃなくて、動けないんだよ」
「動け、ない……?」
「そっ。つまり、全くの互角ってことだな」
「互角……」
と、いうことは。
顔を見合わせて、皆は思う。
「力が互角ってことは……」
「それはつまり、勝負を決めるのは、どちらがより意地っ張りか、ということで……」
--
そうして、今戦っている2人は、皆が認める『意地っ張り』なのだった。
(この試合、いつ決着がつくんだろう?)
アーヴィンの、兵達の、ジュディスの、子馬亭主の、そして宴に集まった人々の顔に、同じ不安の色が浮かぶ。
「まっ、先は長いから、酒でも飲んで気楽に見てようぜ」
明るく言い放ったサウルの台詞は、けれど皆のため息を誘うだけに終わった。
-- 10分経過。
まだ2人は動かない。
時折2人の腕がわずかにどちらかに揺れる気はするが、ほとんど不動と言って良い。
-- 30分経過。
人間、動きのないモノを見ていると、段々眠くなってくるものである。
まず、見物に疲れた子供達が、夢の世界に誘われた。
そもそもこの宴会の始まったのが宵の帳が降りた後だったから、腕相撲大会が始まった頃には子供の寝る時間が迫っていたのだ。今まで起きていられたのは、ひとえに興奮していたお陰だろう。
この時点で、子馬亭主の指図により、皆に毛布が渡された。
-- 1時間経過。
(長い…………)
いい加減、大人達も見物に疲れ始めている。
夜の早いじいさまばあさまが机に突っ伏し、眠る幼子を膝に抱えていた大人達が我が子につられて船をこぎ始めた。
2時間が経過しても状況はまだ変わらない。
既に深夜と呼べる時刻。間もなく今日と明日を隔てる時の扉が開く。
このころになるとほとんどの人達が夢の中である。兵達も然り、だ。
「神官さま〜、マスター、頑張るだよ〜……」
誰かが寝言で呟いた。

-- 3時間。
アーヴィンが果て、根性で起きていた審判役の子馬亭主が
「隊長さん、あとは、よろしく……」
との言葉を残して床に沈んだ。
「よろしくって言われても、なあ……」
この時点で、起きているのはサウルと、戦っている2人のみになっている。当人達には周りのことは目に入っていないようだし、状況は相変わらずなのだから、見ていて退屈でしょうがない。眠気を紛らす話し相手もいないし、第一、いい加減酒を飲んでいるのだから、眠くなって当たり前だった。
「ま、決着がついたら判るだろ」
ぼそっと呟いて、サウルもまた眠りに身を委ねたのだった。
***
ピーチチチ……
コケーーッ!
窓の外からかすかに鳥の声が聞こえる。
まだ薄暗いけれど、空気には朝の気配。
「う……ん……?」
カラン、と暖炉の薪の燃え残りの崩れる音がして、サウルを眠りの淵から呼び戻した。
同じ音で何人かがふっと意識を浮上させ、半覚醒で寝返りをうつ。彼等が目覚めるのも間もなくだろう。
「朝、か……。さ〜て、どうなったかねぇ、あの2人は?」
ひとりごちて、サウルは起きあがった。
そうして彼の見たモノは……
「……化けもんか、あいつらはっ!」
サウルが唸ったのも無理はなかった。
彼の目に映ったものは、一晩丸々経過してなお腕相撲を続けるジェニアスとカイルの姿だったのである。
しかも、だ。2人の腕の位置も、試合開始から少しも変わっていなかった。
「お前ら、いい加減にしろよ〜〜」
流石のサウルも呆れ果ててしまった。
が。
夜明け前の薄闇で良く判らないが、2人の様子がおかしい。
「神官さん、カイル……?」
近づいて、声をかけても、反応がない。
訝しんだサウルの耳に飛び込んできた音は。
「ぐぅーーー……」
ガクーーーッ
「ね、寝てる……」
一気に脱力したサウルだった。
「やれやれ、まったく……」
ポリポリ、と頭をかいて、サウルはため息をついた。

ため息の理由は1つだ。
--
如何にして、試合を再開させることなくジェニアスとカイルを起こすか。
迂闊なことをして、あの長い試合をまた始められてはたまったものではない。
眠りに落ちてなお意地を張り続ける神官と呪術師をしばし眺めてから、サウルは、組んだ2人の手の上に自分の右手をかざした。
そうして、そっと己が手に力を込める -- 下向きに。
もともと力の抜けた状態で微妙なバランスを保っていたジェニアスとカイルの右手は、サウルのその動作で簡単にほどけ、同時にテーブルに投げ出された。
-- タンッ
「……っ!」
ジェニアスとカイルが目を開けた。同時にアーヴィンや兵達、それに子馬亭の主が起きあがった。残る人々も、それぞれ目を覚まし始める。
「隊長……? 神官さま、カイルさん」
「はい、終わり!」
明るくサウルが言い放つ。
「終わりって……隊長さん、どっちが勝ったんです?」
「そうだ、優勝はどっちだ? ボケ中年」
何が何やら判らないまま、寝ぼけた顔でジェニアスとカイルが聞いた。
突然終わりを告げられても、当人達は納得がいかない。それは、サウル以外の観戦者にしてみても同じことだった。
「だから、終わりだって。ひ・き・わ・け」
「引き分け!?」
「そう、引き分け。お前さん達の手がテーブルに倒れたのは、同時だったからね」
-- 本当か?
疑わしげな目でカイルがサウルを見たが、勿論そんなことで動じる彼ではない。
「アーヴィンも親父さんも、それにお前達も聞いたろう。『テーブルに何かが倒れる音』は、1回きりじゃなかったかね?」
-- 言われてみれば確かに。
互いに目を見交わして、アーヴィン達が頷いた。
「なるほど、同時に倒れたから、引き分けですか」
「そーいうこと」
答えたサウルに、ジェニアスとカイルが反論した。
「でも、決勝戦で引き分けなんて、そんな」
「そうだ。聞いたことがないぞ」
「いいだろ、別に。あんだけの熱戦をやってのけたんだから、引き分けだってありだろ。賞品は山分けにすればいいじゃねーか」
満面の笑みを浮かべるサウルの顔には、再試合なんてごめんだよ〜〜ん、と書いてある。
同時にそれは、長い決勝戦を見ていた者達の共通意見でもあった。途中で眠ったとはいえ、この一晩の疲れがそう簡単に取れるはずがない。再試合など、考えるだに恐ろしい。
「まあ、なまじな決勝戦よりよっぽど見応えはあっただな、確かに」
「どっちが優勝って決めるより、引き分けの方が納得いくだな、気分的にも」
うんうんと頷きあって皆が言う。
「だそうですが、どうします、カイル?」
「……ふん。好きにしろ」
答える2人の声も流石に疲れていた。
「ところで……賞品ですけど」
-- こういう場合、どうするんでしょう?
生真面目な神官の眼差しを受けて、カイルが呟く。
「優勝したわけでもないのに賞品も何もないだろう」
「やっぱりそう思いますか、あなたも?」
「お前と一緒にされるのは嫌だが、な」
ジェニアスの微笑みに、カイルが得意の仏頂面で応えた。
「というわけで、みなさん。小麦粉もワインも、みんなで一緒に頂きましょう」
ジェニアスの一言で、皆の顔に笑みが浮かんだ。
--
じゃあ、スコーンを作って、パンを焼いて、パイやケーキを作って……。
宴会の次はお茶会だ、と、早速計画を練り始める。
だが、
「よ〜し、決まりっ! さあ、みんな、神官さんとカイルのおごりだ! 今夜も宴会しようぜ〜〜〜♪」
サウルの台詞で、名指しされた2人が凍り付いた。
「ちょっと、隊長さん! 誰も『おごる』だなんて言ってませんよ!」
「そうだぞ、ボケ中年! お前やバカ神官におごりで飲まれて見ろ、いくら金があっても足りん!」
同じ抗議ではあるが、論点がずれている。
「カイル、だから人をうわばみみたいに言わないでください!」
「『みたい』じゃなくて『その通り』だろう」
「どっちでもいいよ〜ん、おごりなら」
「だから、違うと言ってるでしょう!?」
「……元気ですねぇ、3人とも」
「だべなぁ」
しみじみ呟くアーヴィンに、兵達が笑って応えた。
「でも、神官さまのあの声が聞こえると、隊長もマスターもいるんだなって思って、なんだか嬉しいだよ」
「そんなものですか」
「そんなもんですだよ」
辺境の冬は厳しい。けれど、ここはいつも暖かいのだと、アーヴィンは思った。
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