勝利の右手 ふたたび

 事の起こり 

1〜2回戦
2〜3回戦
決勝戦


事の起こり

 

ドレング唯一の宿屋兼居酒屋・子馬亭では、その夜、大宴会が催されていた。
 ホールに飾られた、ジュディスとマリエルの手になる垂れ幕には、

 『隊長さん、カイルさん、お帰りなさい
  ようこそアーヴィンさん』

 と、大きな文字が踊っている。
 サウル=カダフが、黒呪術師カイルが辺境に帰ってきた。春のはじめに相次いで2人が旅立って以来、数ヶ月ぶりの帰還。そして、アーヴィン。サウルのお目付役として、都から彼も『戻って』来た。
 だから今夜は歓迎会だ。
 『冬の門』の祭り間近の、少し冷え込む夜だから、大人達にはホットワイン、ビールにウィスキーのお湯割り。子供や酒の苦手な人には果汁、紅茶、コーヒーにココア。テーブルには鶏肉の香草焼き、フライドポテト、肉と野菜の煮込みに、サラダから数種類のケーキまで、主自慢の料理の数々が並んでいる。
 暖炉の火が揺れ、立ち上る湯気が揺れて、会話がはじける。緩やかに流れる時間、穏やかな人々の心。ここはいつも変わらない。
 ジェニアスが笑い、アーヴィンが微笑う。兵達にまとわりつかれて、カイルは鬱陶しそうだ。
「やれやれ。相変わらず平和だな、ここは」
 苦笑混じりにグラスを傾けるサウルに、
「隊長さん、飲んでますかな?」
 言って酒をつぎ足したのは、鉄商人のゴンザロである。
「おっ、悪いね〜♪」
 そうとは知らずうっかり振り向いたサウルは、至近距離のどアップで彼と真向かってしまった。
「都の商業権、常々ありがたく思っておりますぞ。それにしても、入手困難なものを、一体どうやって……?」
  -- にぃ〜〜〜〜〜っ

 

ゴンザロが、心臓によろしいとは決して言えない笑みを浮かべる。
  -- さぁ〜〜〜〜〜っ
 サウルの血の気が音を立てて引いてゆく。
 それでもすかさず立ち直って
 「ゴンザロ、そんなことわざわざ言わなくったって、お前さんなら判るだろ? 蛇の道は蛇ってヤツだよ」
 と切り返すあたり、流石百戦錬磨の不良中年である。
 あまりの怪しさに人々が後ずさり、2人を中心にして真空地帯が出現した。
「なんか、あの2人の影が狐と狸に見えるだよ……」
 誰かが漏らした呟きに反論出来る者は1人もいなかった。

 

***

 

「……うっげ〜〜。やなもん見ちまったぜ。神官さん、こっちむいて〜〜〜」
 アップで迫るゴンザロの「今後ともよろしく」攻撃からやっと逃れてきたサウルが、子馬亭の主に酒のおかわりを頼みながら言った。
「だから、そこでどうして私を使うんですか」
 心底イヤそう〜な顔のジェニアスに、間髪おかずにサウルが答える。
「神官さんがここで一番の美人だから♪」
 ジェニアスが眉をしかめたのを見て、慌ててアーヴィンがフォローを入れた。
「し、神官さま、美人っていうのは誉め言葉ですから……」
「……アーヴィン。ちっとも嬉しくありません!」
「は、はいっ、すみませんっ……」
 この人を怒らせる怖さを身をもって知っているアーヴィンである。
「や〜い、怒られてやんの♪」
 サウルが火に油を注ぐ。
「誰のせいですか、隊長さんっ!?」
「神官さま、落ち着いて……」
 今度は兵達がなだめにかかった。
 一人カイルだけが冷静である。
「うるさい。ゆっくり酒も飲めん」
「いや……見てるわしらは面白いがね……」
 子馬亭の主が笑って言った。
「ご主人、人を出し物みたいに言わないでください」
「おや、神官さま。これは失礼いたしました」
 ひとしきりサウルを追いかけ回して来たジェニアスに、主がワインを手渡す。
「俺にもおかわり」
 ちゃっかりサウルもカップを差し出す。
「はいはい。マスター、アーヴィンさんに兵隊さん、他のみなさんも、おかわりは?」
 それぞれが望みのものをもらって、また暖かな空気が満ちてくる。
「背高さんがここにいたら、もっと良かったのにね」
 ふと思いついたように誰かが言った。
 ある日突然この辺境に現れて、やはりある日突然さよならも言わずに行ってしまった、『背高さん』と呼ばれた黒髪の賢者。
 色々な名前で呼ばれるけれど -- そしてこれは一握りの人しか知らないことなのだけれど、本当は伝説のエルディア救世王で、フォアサイトの2代目グランローヴァで、そうして -- ジェニアスの祖父だ。
「……そうですね」
(ほら、みんなあなたに会いたがっていますよ。やはりあのままここにいて下さればよかったのに)
 静かに笑って応えながら、ジェニアスは遙かな人に思いを馳せる。あののっぽの賢者は、今、どこにいるのかと。
  -- お元気で、いらっしゃいますか?
 この想いが伝わればいい。この呼びかけが届けばいいのに。そうしたら……
 すっとまつげを伏せた銀髪の神官に、黒髪の黒呪術師が顔を背けたまま囁いた。
「想いは、届くぞ。バカ神官」
「来るさ、また、ひょっこり。そしたらまた歓迎会だ」
 反対側から、サウル。
「カイル、隊長さん……はい」
 すみれの瞳がふわりと揺れた。笑みを浮かべるそのまなじりに、小さな涙の粒が見える。
「ああっ、やだやだ。な〜んかしんみりしちまって! おっじょ〜おさ〜……ぐえっ」
「私がせっかく見直しかけたというのに、あなたという人はまったく!」
「いいじゃん、俺達の歓迎会なんだから。出し物もなんにも無いんだしさ〜」
「ちっともっ! よくありません!」
 サウルを怒鳴りつけるジェニアスの表情には、寂しげな陰はもう見あたらない。
「ふん……。相変わらずあいつの扱いが上手いな、ボケ中年」
 賑やかに言い争う2人を一瞥して、ぼそっとカイルが呟いた。
「でも言われてみれば、急だったから何にも準備出来なかったね、出し物」
 思い出したように言ったのは、兵達のまとめ役のマルヴィルだ。
「神官さまのお別れ会の時は、お芝居したけどね」
「衣装、あるだよ。取ってきてまたお芝居やるだか?」
 粉屋のホブとワイン農家のハルが続ける。
「だどもなぁ、1度やったのを、何度もやるのもなぁ……」
「だべなぁ……」
「どうするべ……?」
 決着の付きそうにない兵達の会話を遮ったのは、サウルだった。
「……じゃあさぁ、あれやろうぜ」
  -- あれ、とは何だ?
 皆の視線がサウルに集中する。
「あれ? あれって……まさか『あれ』だべか、隊長!?」
「隊長さん、まさか『あれ』の早編み大会やろうなんて言い出すんじゃないでしょうね」
 編み物も苦手なジェニアスが、ひるんだ声を出した。
 恐ろしい光景が皆の脳裏を過ぎる。
  -- 『あれ』の早編み大会。ということは、ツワモノどもの夢の跡にはうずたかく積み上げられた『毛糸のぱんつ』が残るのか!?

「隊長さん、いくらなんでもそれは……」
 勘弁してほしいだべ。
 フレックの呟きに誰もが頷いた。
「ちっが〜〜〜う! 『あれ』がいっぱい出来るのは嬉しいが、違うっ! あれってのは、あれだよ、『腕相撲大会』!」
「……なんだ。腕相撲だか……」
 サウルの叫びに心底ほっとする一同。
「そっ。いい案だと思わないか? こんだけ人数がいるんだから、立派に『大会』にできるぜ」
「確かに、いい案ではありますね」
 ジェニアスが控えめに賛成すると、
「やりますか? 皆さん。やるなら、景品を出しますが。そうですね……うちの店にある中で最高のワインを5本。如何です?」
 子馬亭の主が誘い水を向ける。
「なんなら、また小麦粉も出すだが?」
 粉屋の一言で全てが決まった。
 「乗った!」「おらも!」「おらもやるだよ」
 参加者が増えてゆく。
「もちろん神官さまもやるだべな? 前回優勝を逃してるんだから」
「ええ、もちろん。雪辱戦ですね」
 横目でカイルを見ながら、ジェニアス。
「マスターは?」
 問いかけられて、カイルは自分の右手を見つめた。
  -- 前回の大会の後、この右手は1週間使いものにならなかった……。
 それでも景品に釣られてつい頷いてしまった黒髪の黒呪術師である。
「…………やる」
「わ〜〜いっ! 早速対戦表を作るだよ!」
 そうと決まれば後は早かった。
 対戦表が作られ、テーブルを寄せて、臨時の会場が子馬亭にしつらえられる。
「じゃあ、始めるだよ!」
 町内会長の声を皮切りに、第2回ドレング腕相撲大会の幕が切って落とされた。

 




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