勝利の右手 ふたたび

 事の起こり 

1〜2回戦
2〜3回戦
決勝戦


2〜3回戦

 

「隊・長・さん」
 銀髪の青年が、音もなく背後に歩み寄って、ぽんっとサウルの肩を叩いた。
  -- ぎくぅぅっっ!
 瞬間、サウルの笑みが引きつった。
 普段は穏やかなこの美貌の神官が、怒ると一転過激かつ凶暴になることを、アーヴィン以上に知っているのがサウルだ。うっかりジェニアスを怒らせて、ベッドとお友達の包帯人間になったこともある。
「な、なにかな〜〜? 神官さん」
 脳裏を過ぎる過去の記憶に怯えながら振り向いたサウルが見たものは、ジェニアスの笑顔だった。
「ほんっとうにあなたは、次から次へと色んな手を考えつきますねぇ」
 囁く声音も優しげだ。
 だが。
(怒ってる、怒ってるよぉ〜〜〜……)
 サウルが冷や汗をかいたのには訳があった。
 優しい声にはふんだんに棘がちりばめられている。『精霊みたいに綺麗』と言われる顔は、一見微笑んでいるようだが、よく見れば笑みを作っているだけで、サウルを見据える瞳はちっとも笑っていないのが判る。
 嵐の前の静けさ以外の何モノでもない。
「いつの間にあんなものを仕込んだんです?」
「え〜と……折を見て」
「折り、ですか。隙ではなくて? それにしてもよくあんな短時間で用意出来ましたね」
「いや、そりゃ、まあ……」
「経験、ですか」
「そ、そうそう」
「ほぉ〜〜」
 顔が綺麗で髪が長い分、ジェニアスは怒ると迫力があった。銀髪が主人の発する怒気に併せてさわさわと揺れているような錯覚すら覚える。鋭利な刃物のようなカイルの怒り方とはまた違った怖さだ。
「し、神官さん……」

 如何に被害を少なくしてジェニアスの怒りを鎮めようか、とサウルが考え考え口を開いた時、ジェニアスの雷が子馬亭に落ちた。
「失格ですっ! あなたって人は、まったくっ! どうしてそう毎回姑息な手を使うんですかっ!? 仮にも軍人でしょう、正々堂々と戦ったらどうなんです!」
 大音響である。宴会に来ていたドレングの村の住人や、兵達、アーヴィンにカイルまでが、ジェニアスのあまりの剣幕に蒼ざめた。
 ところが、だ。怒鳴られてすくみ上がるかと思われたサウル=カダフが、これで開き直ってしまった。
「ふっ、やだねぇ、神官さん。軍人なんて姑息なもんだよ」
 口元は笑っているが、目が喧嘩を売っている。
「なんですって!?」
 ジェニアスのすみれの瞳がすぅっと細くなる。本気で怒っている証拠だ。
 だが、サウルはお構いなしだった。
「軍人は姑息だって言ったの。何しろ味方の被害を最小限に抑えて楽して勝つのが最上なんだから、悪知恵も必要なんだよ、俺達には。ま、潔癖性のあんたには判らんだろうがね」
  -- かちん。
 言われたジェニアスの美麗な顔に、氷の笑みが張り付いた。
「ええ、確かに私には戦争のことは判りません。ですが隊長さん。仲間内での武術比べでも同じ理屈が通るんですか? 技量を競い合う試合でもそうやって人を騙すんですか」
 畳みかけるようなジェニアスの声は、どこまでも冷たい。
「いや、あの……」
 ジェニアスの気迫に押されてサウルが引いた。束の間の勝利だった。
「私には戦のことは判りません。ですが競技と戦争とは違います。己の持てる技量を競い合い、自分の技量の程度を見極めるべき場で、人を騙して勝ちを得て誉められるはずがありません。あなたは私を甘ちゃんだと思っておいででしょうが、私にだってそのくらいのことは判ります」
「神官さん……」
 一歩一歩サウルを壁際に追いつめながら、怒鳴るでもなく淡々と、ジェニアスが言葉を投げかけて行く。
「し、神官さまが、怖いだよ……」
 『嵐の前の静けさ』どころではない。自分達は今まさに『台風の目の中』にいるのだと、子馬亭に集った人々は覚悟を決めた。
  -- すぐにまた、大荒れになる。
 先ほどの雷を思い出して、皆が耳をふさごうとした、その時。
 サウルの胸ぐらを掴んだジェニアスが、グラスの中の飲み物にさざ波が立つほどの大声で、たった一言告げた。

「失格です!!」

 ジェニアスの去った後には、あまりの音量に一瞬聴力を奪われ、ついでに眩暈まで起こして座り込むサウル=カダフが残された。

 

***

 

「まったくもう」
 まだ少し怒ったまま、呆れ顔で腕相撲大会に戻るジェニアスに、後ろから話しかける人物がいた。黒髪、黒い瞳の青年軍人。アーヴィンである。
「あの、神官さま……」
 先ほどの剣幕を間近で見ているから、呼びかける声もどこか引いている。
 だが、不機嫌そのものの返事を覚悟していたアーヴィンの予想に反して、返された言葉は静かなものだった。
「……すみません、あんな風に怒鳴ったりして。隊長さんのすることにいちいち目くじらをたててはいけないと、そう思ってはいるんですが……」
  -- 修行が足りませんね、私は。
 振り向いたジェニアスは、恥ずかしげな顔でそう言った。
「被害を最小に止めて勝つのが最上というのは、戦に関しては正しいと思います……ええ、私にだってそのくらいは判りますよ。だから、戦争に関わる人は、多少姑息な手段だろうと使う必要もあるでしょう」
 勿論、戦争なんてないのが一番ですけど。
 銀髪の神官は、すみれの瞳をそっと伏せて寂しそうに呟く。
「神官さま……」
 『軍人』のアーヴィンは答えに詰まった。
 こういう場合、相手が女性か子供なら、何も言わずにそっと抱きしめる、という手も使えないではないのだが -- サウルあたりなら実際そうするのだろうが、アーヴィンにそれは出来ない。相手がジェニアスとあっては尚更である。迂闊なことをすれば命が危ない。
(どうしよう……?)
 困ってしまったアーヴィンである。上手く茶化して浮上させられれば良いが、ジェニアス相手にそれが出来るのはサウルくらいだ。かといって、このまま沈まれてはせっかくの宴会が暗くなるし、何よりアーヴィン自身、ジェニアスには笑っていて欲しいと思う。
 が、彼の心配は杞憂に終わった。
 俯き加減で立ち止まっていたジェニアスが、突然握り拳で力強く言い放ったのだ。
「でも、それとこれとは話が別です。そうですよね、アーヴィン!」
「え、ええ、神官さま」
 勢いに押され、その浮上の速さに戸惑いつつも頷くアーヴィンに、今度はにこやかに笑ってジェニアス。
「じゃあ、行きましょうか。次は私達ですよ」
「は……?」
 アーヴィンには、何が『次』で何が『私達』なのか、一瞬理解できなかった。
「は、って……次は私達の番ですよ。腕相撲大会の3回戦」
「えっ、神官さまと当たるんですか!?」
「……見てなかったんですか、対戦表?」
 呆れ顔でジェニアスに言われてしまったが、実はその通りなのである。アーヴィンには出場する気など無かったのに、優勝賞品の極上ワインを狙って、サウルが勝手に彼の分もエントリーしてしまったのだ。そうと知ったのは、実際に腕相撲大会が始まって自分の名前が呼ばれた時で、それから人の対戦を見たり自分の番が来たりで、結局対戦表を見ないままになってしまっていたのだった。
「ええ……隊長が勝手にエントリーしていて」
  -- 名前を呼ばれるまで、出ていることも知らなかったんですよ。
 苦笑混じりにアーヴィンが言うと、ため息混じりにジェニアスが「まったくしょうがないですねぇ、隊長さんは」と言って笑った。
「でも、だからって手加減はしませんからね」
「お手柔らかにお願いしますよ、神官さま」
 アーヴィンの台詞は半ば以上本気である。
 何しろジェニアスは、そのたおやかな見かけを見事に裏切る怪力の持ち主なのだ。前回はカイルが優勝したが、カイルの右手がその後1週間は使いモノにならなかったのに、ジェニアスは翌日からちゃんと畑仕事をしていたとも聞いている。
(カイルさんの二の舞にはなりたくないなぁ)
 対戦相手を見つめて、しみじみそう思った。
「用〜意」
 審判係りの号令で、右手を差し出す。ついでにそこでうっかりジェニアスに視線を戻してしまった。
  -- それがいけなかった。
 相手は、(本人はそう言われるのを嫌うのだが)美貌のジェニアスである。『なまじな美人よりずっと綺麗』と皆が言う。都で美人を見慣れているはずのサウルですらそうと認める人だ。その美しい顔が間近にあるのだから、アーヴィンでなくとも思わず見とれる。だがそうなると、自然、意識は手よりもそちらに集中する。腕相撲には致命的だった。

「はじめっ!」
 しまった、と思った時には既に遅い。とっさに右手に力を込めたアーヴィンだったが、間に合うはずもない。
 勝負は一瞬だった。
「やめっ! 神官さまの勝ちだよ〜」
 見物人からどよめきがわき上がる。
「さすが、強いだなぁ、神官さまは」
「そりゃおめぇ、鋤をお1人で引かれるんだからよ」
(それもあるだろうけど……)
 ジェニアスの試合がやたら短時間で決着が付くのには、彼の容姿も少なからず関係しているのではなかろうか?
 思わず浮かんだ考えを、アーヴィンは身の安全のため、即座に闇の彼方に葬り去った。

 




狐作物語集Topへ   続きを読む