俺様はノラである。


 3

 高等部校舎の屋上の片隅に、鳥海はいた。
 フェンスにもたれて、空を見上げて。
『鳥海?』
 声をかけたら視線を下ろして
「ニノラか……。来いよ、ほら」
 俺を手招きした。
 来いって言われてもなぁ。そりゃ、鳥海を捜してたんだから、すぐにそばに行ってやってもいいけど、でも呼ばれたからってほいほい飛んで行くようじゃあ、ノラ猫の沽券に関わるぜ?
 そう思って、まずはちょっと離れたところに腰を下ろしたんだけど。
「なんだ。俺がいるから来てくれたんじゃないのか……」と鳥海。
 あっ、何だよ、その目はっ!
 やめろよ〜、そんな捨て猫みたいな目、するなよ〜。判ったよ判りました。悪かったよじらしたりして。
『ったくもー。今回だけの大サービスだぞ』
 鳥海の無言の「ここに来てお願い攻撃」に負けて、俺は -- それでもノラ猫としての威厳を保つためになるべくゆっくり歩いて -- 鳥海の目の前に、ちょこん、と座った。
「へへっ、やったぁ」
 嬉しそうに鳥海。
 ホントに今日は機嫌がいいな、お前。
 そんなに機嫌がいいのに、何だってこんなところにいるんだ? 教室の -- クラスメイトの一体何がイヤだったんだよ。
 自分で訊けるもんなら訊いてみたかった。
 俺が首を傾げているのにも気付かないまま、鳥海は上機嫌ついでに俺を抱え上げて、背中を撫でる。
 まではいいけどこらっ、しっぽはよせ!
「あれ? 何だよニノラ、お前のしっぽ……ちょっとだけ先が2つに割れてる?」
『くすぐったいからよせって!』
 得意技の猫パンチを軽くお見舞いして、しっぽを鳥海の手から奪還した。
 念のために言っとくけど、爪はちゃんと引っ込めてあったからな。
「しっぽ触られるの、イヤだったのか? ごめんな。……でも何で2つに割れてんだ?」
 急に真顔になって鳥海が言った。
『それは……』
 答えてやりたいけど、俺には人間の言葉は話せないからなあ……。
 肩をすくめた時、聞き慣れた声がした。
「子猫の頃に事故にあったからだってさ」
「……梶原」
「校長先生が前に言ってたろ。淳也もあの時一緒にいたじゃないか」
 梶原青。いつも鳥海を迎えに来るのが彼だ。1年で既に生徒会の役員をしている。
「ああ、そういえばそうか……事故の名残か」
 梶原の言葉を聞いて、しみじみと俺のしっぽを見つめながら、鳥海が「苦労してるよな、お前も」と呟いた。
 その鳥海を見て、梶原が、こちらに向かって歩きながら真顔で言った。
「いいなぁ、淳也。ニノラに触らせてもらえて。僕もエサやってるのに……」
 ああ、くれるよな。試供品のペットフードとか、新発売のお菓子とか、色々。でもって、俺の食いっぷりを見てから、他のノラ猫とかにエサをやるんだよな。
 でもさぁ。ラビットフードはやめろよ。でもって、俺が食ったモノをウサギや池のカメにやるのもよせよ。食うモノ違うんだから。
 梶原といい鮎川さんといい、まったく。
 ……ああ、俺に人間の言葉が話せたら、盛大に文句を言ってやるのに。
 と思ったら、鳥海が代わりに言ってくれた。
「だってお前、ニノラを実験台にしてるじゃないか。だからだろ」
「う〜〜ん、やっぱりそうなのかなぁ? でも、今ならひょっとして……」
 そぉっと俺の方に手を伸ばしながら梶原。
 しょうがないから撫でさせてやったら、にこにこ笑った。
「ところで淳也。何で教室出ていったんだ?」
 おっ、いきなり核心。
「それは……」
 鳥海が俯いた時、
「それは、俺にも教えてほしい」
 ドアが開いて、また聞き慣れた声が響いた。
「行村先生……」
 俺を抱えたまま鳥海が呟いた。
「あたしもいたりなんかして♪」
「……鮎川先生まで」
 何だってまた、みんな揃って、と鳥海が頭を抱える。
『ば〜か、理由なんて明白ってやつだろ』
 呆れついでにもう1発、猫パンチをお見舞いしてやった。
 言葉に出して言ってくれたのは、梶原だ。
「淳也を捜しに来たに決まってるだろ。さあ、教えろよ。僕が声かけたら急に教室出ていって。僕、何か気に障るようなこと言った?」
「言ったよ」ぶすっとして鳥海。
「何が気に入らなかったんだよ? おはようって言って、それから……」
「何だかご機嫌だねって言っただろ!」
「はぁ?」
 多分、全員が思った。
  -- それのどこが悪いんじゃい?
 視線を受けた鳥海は上目遣いに梶原を見て
「ほっとくと顔がにやけてブキミだと思って、だから笑わないように笑わないようにって苦労してたんだ、俺は! それなのに……」
 口をへの字に曲げた。
 ……まただよ。
 だから、何がそんなに嬉しいんだよ鳥海?
「ほっとくと顔がにやけるって、何があったのよ、鳥海くん?」
 今度の代表者は鮎川さんだ。
 いつの間にか、鮎川さんも梶原の行村さんも、屋上のコンクリートの床に直に腰を下ろしている。
 問われた鳥海は、一瞬「う……」と言葉に詰まり、「う〜〜ん」と唸ってちょっと考え込んで、それから「……まあいいか」と、ふんわりと微笑った。
 鳥海のこんな笑顔を、久々に見た。
 ちょっと照れたような笑みを浮かべて、鳥海が続ける。
「骨髄バンクから連絡あった。妹の……愛理のドナーが見つかった」
 その後が大騒ぎだった。
 梶原も、行村さんも鮎川さんも、みんなが「え?」という顔をして、それから全員が「ホントか?」「見つかったのか!」「よかったわねぇ!」と口々に叫んだんだ。
 俺は -- 何だかよく判らないけど、とにかく鳥海と鳥海の妹にとってものすご〜く良いことがあったんだな、と、嬉しくなった。


 ひとしきり喜びあった後、梶原が訊いた。
「で、それで何で教室を出てかなきゃならないんだ?」
 そーいやそーだよなー。
 話が最初の疑問に戻ったところで、みんなの視線がまた鳥海に集中した。
 鳥海は……
「だってさ……昨日まで、みんなの顔見る度に、こいつらの誰かが愛理のドナーかも知れないのに、とか、人の気も知らないで気楽に笑って、とか思って腹立てて、でもってそんなこと考える自分も嫌ってたのに……」
 勝手に腹を立てていたのに、ドナーが見つかった途端ころっと態度の変わる自分がすごく現金に思えて、それでもってそんな自分の心をみんなに見透かされたくなかったんだと -- そんなようなことを鳥海はぼそぼそと言った。
 ……やれやれ。
 どうやらみんな俺と同じことを思ったらしい。
「意地っ張り」
 くすくす笑って鮎川さんが言った。
「だって!」
 反論しようとする鳥海の額をぺしっとはたいて、今度は行村さんが遮る。
「嬉しい時ぁ、素直に嬉しいって言え」
 続けて梶原。
「そうだよ。……それに、僕は、知ってたよ。何で鳥海が怒った顔して教室出ていくのか。他にも気付いてた人、クラスにいるよ」
 梶原の台詞を聞いた鳥海は、目を見開いて一瞬絶句した。
「ちなみに俺も知っていた」
 行村さんがいたずらっこの目をして言う。
「実は、あたしも♪」
 鮎川さんがウィンクする。
「ばればれだよ、淳也。淳也の顔ちゃんと見てれば判るよ。だって、百面相なんだもん」
 最初に誰かをじろってにらんで、それから、はっ、てして、で、次はちょっと哀しそうな顔してそれから唇噛んで、最後に怒って出てくんだ。
 細かく解説して、梶原がトドメを刺した。
 鳥海は、びっくりした顔で3人の言葉を聞いて、それから
「……なんか、俺って、ばっかみて〜……」
 言って、俺の背中に顔を埋めた。
 違うよ、鳥海。
 鳥海は、莫迦なんかじゃない。
 莫迦なんかじゃなくて、鳥海は……
「莫迦なんじゃなくて、優しいんだよ、淳也は」
 俺が、言葉にして伝えたくても絶対に伝えられない、でも今心から言いたいことを、梶原が言ってくれた。
 ありがとな、梶原。だけど、それを言うお前も優しいぜ。
 鳥海は顔を上げない。
 俺の背中のとある部分がちょっと冷たくなったけれど、俺は武士の情けで文句を言わないことにしてやった。
 そうして、青空をいくつかの雲が横切って行った後。
 キーン コーン カーン コーン
 チャイムが鳴り響いた。
「あらいやだ、1時間目、終わっちゃった!」
「しまった、次、俺、授業が!」
 鮎川さんと行村さんが慌てて立ち上がった。
「お前達も教室に戻れよっ!」
 言い置いて走って行く2人を見送って、梶原も立ち上がり、そして
「ほら、鳥海。」
 まだ座ったままの鳥海に、手を差し延べて、笑った。

***

 放課後の校舎は、ひそやかなざわめきをはらんだ不思議な静けさに満ちている。多分、昼間生徒や教師が作り出したざわめきが、校舎のどこかで反響しているんだろう。
 感慨に耽る俺の目の前で、
「あ〜、やっと静かになった。さて、お茶にでもしようか」
 タン、と書類を揃えて鮎川さんが言った。
 今日のメニューは、えびせんべい。
 猫を保健室に入れちゃいかんのじゃないかと俺は思うんだけど、誰かがそう言う度に、グラウンド走り回ってきた生徒も俺も汚れ具合は大して変わらない、なんてことをしれっと言い放つのが鮎川さんだ。
 だから俺は、鮎川さんの信頼に応えて、薬品とかベッドとか、とにかく清潔一番のものには絶対に触れないことにしている。
 その鮎川さんが、ばり、と袋を開けた時、保健室の戸が開いた。
『あれ、鳥海』
「あら、鳥海くん。どうしたの?」
「経過報告」
 振り向いた俺達に、鳥海が笑った。
「あ、妹さんの?」
 鮎川さんの言葉に鳥海が頷く。
「1週間経ったけど、拒絶反応もないって」
「そう、よかったわー。油断しちゃいけないけど、今まで拒絶反応が出ないんだったら一安心ね」
「はい」
 答える鳥海の顔に、もうあの暗い表情は見あたらない。
「きみも安心でしょう、ニノラ? 昼寝の場所を鳥海くんにとられなくてすむもんね」
 いきなり鮎川さんが俺に話を振った。
『まあね』
 しっぽを振ったら、2人が笑った。
 でも、安心した理由はそれだけじゃない。
 俺は、鳥海がちゃんと笑えるようになったのが嬉しいんだ。
 ホント、よかったよ。
 鳥海が元気になって。
 でなきゃ、俺が校長に顔向け出来ない。
 何たって俺は、月待学園をよろしく、って、校長から頼まれてるんだからな。
 大体、ニノラって名前にしてからが、「きみは、この学園に君臨する2代目のノラ猫ですよ。だから名前は2代目ノラ、略してニノラです」って、校長がつけてくれたんだから。
『さて、と……』
 俺が立ち上がると、
「あら、ニノラ、もう行っちゃうの? もうちょっとしたら行村さんもお茶しに来るのに」
 鮎川さんが残念そうな声を出した。
 そういえばあれ以来、行村さんの俺への態度もずいぶん変わった。
 あの時俺は、普通の猫なら逃げ出しそうなところを、鳥海をいたわるようにそばに居続けた。行村さんはそれを見て、ただもんじゃないと思ったのだそうな。
 俺に言わせりゃ、今更、である。
「見回りに行くんだよな、ニノラ」
 行ってらっしゃい、と手を振る鳥海に
『おう、行って来るぜ』
 律儀に挨拶して、俺は保健室を飛び出した。

 あの時 -- あの屋上で梶原が差し出した手を取る直前、鳥海は俺にしか聞こえないくらいの小声でこう言った。
「来てくれてありがとう、ニノラ。ずっと俺の膝にいてくれてありがとう。涙……隠してくれて、ありがとう」
『俺がそうしたいからそうしたんだ。礼を言われることじゃねーよ』
 同じくらい声をひそめて俺が応えると、通じたわけでもないだろうに、鳥海は微笑った。
 間違いなく俺だけに向けられたその笑顔が、俺はものすごく嬉しかった。
  -- この学園は、人間が作ったモノだ。
 だけど同時に、俺にとっても大事な場所だ。
 建物も、人も、全部ひっくるめて、俺はここが好きなんだ。
 だから俺は、今日も見回りに出かける。
 猫にしかできないやり方で、この学園の平和を護るために。
 だって俺は、この学園の、ニノラだから。



 

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あとあがき(^^;)

キリ番ゲット記念小説第3弾です。
今回は、前2作に比べて短いものになりました。や〜、よかった(←おい)。
キャラ設定希望を出して下さったみなさまのご希望に添えたかどうか、そしてこの物語がきちんと『物語』として成立しているかのどうか・・・いまだに甚だ不安です。
どうか、ご感想をお聞かせ下さいまし。
この企画にご参加下さったみなさまからのキャラクター設定希望はこちらです。