俺様はノラである。


 2

 月待学園には、グラウンドの脇に、学園の裏門から正門へと続く煉瓦道が作られている。その煉瓦道の上が、全部、藤棚だ。
 学園と外との仕切りは、フェンスじゃなくて生け垣だから、道行く人の視線は気にならない。それに藤棚の下には所々にベンチもあるから、生徒や教師がよくそこでお喋りしてる。もちろん、俺達猫もよく使う。
 鳥海がいつもいるのは、この藤棚の下。丁度体育館の影になって、校舎からは見えない辺りだ。
 俺と行村さんが目指したのもそこだった。
 とりあえず、それ以外の所には鳥海がいないのを確認して、それから
『じゃ、行村さん、お先!』
 俺は言い置いて走った。
 だって、さ。
 鳥海が、そこにいれば、いいよ。
 でもいなかったら? ただいないんじゃなくて、ちょっと前にどっかに行ったんだったら、どう?
 俺なら、多分そこにいる雀とか猫とかから、情報がもらえる。
 だけど行村さんと一緒に行ったら、絶対雀も猫も逃げちゃうよ。情報はもらえない。
 そこまで考えて先行したっていうのに、行村さんは俺の背中に向かってこう言った。
「おお、とっとと行け。ついでに俺につきまとうのもやめてくれ」
 ……ちっ。ったくよー。俺様を誰だと思ってるんだ?
 戻って文句を言いたい気分だったけど、そんな場合じゃないからやめた。
 あー、俺ってオトナだなぁ。
 なんて言ってる間に、目的地に着いた。
 鳥海は -- いなかった。
 俺は頭上でさえずる雀達に声をかけた。
『よぉ、おはよう』
 挨拶は社交の基本である。これをしないと、雀達は俺に襲われると思って逃げちゃうからね。
『おはよう、ニノラ』『おはよう』
 雀達が応えてくれるのを待って、それから本題に入った。
『なあ、ここにさ、眼鏡かけた男の子、来なかった? 来たのはせいぜい20分くらい前だと思うんだけど』
 時間を区切ったのは、鳥海がHR前までは教室にいたと聞いたからだ。
 雀達の答えは至って簡潔だった。
『予鈴鳴る前からここにいるけど見てないよ』
『そうか……ありがと』
  -- はずれか。ちょっと無駄足。
 俺がほんの少しだけがっかりして肩を落とした頃になって、やっと行村さんが現れた。
「……ここじゃ、なかったか……」
『そうみたいだよ、行村さん。じゃ、次へ行こうか』
 先に立って歩き出した俺を見て、行村さんはちょっと変な顔をして、それから -- やっぱり、俺と同じく、また校舎の方へと戻り始めた。


 次の目的地は、校舎2階の図書室。
 鳥海は、ここにもよくいるんだ。
 図書室は、校舎の玄関から見て一番奥、高等部と中央特別教室棟と中等部の3つの建物をつなぐ渡り廊下に面している。当たり前だけど、俺は入れてはもらえない。
 だけど、窓の外にはちょっとしたスペースがあって、そこは日当たりもいいから、俺達も結構そこで、人間観察しながらひなたぼっこしたりするんだ。
 というわけで、ここからはちょっと行村さんとは別行動。と言っても、行き先はやっぱりおんなじだけどね。
『さて、行くか。じゃ、行村さん、後でね』
 校舎の前で行村さんと別れて、外から図書室へ向かった。
 道すがら、俺は鳥海のことを考えていた。
 鳥海 -- 鳥海淳也。
 ほんの1ヶ月前までは、こんな風に突然いなくなったりするヤツじゃなかった。そりゃもちろん、教師のことをちょっと辛口に批判したり、教頭の長話が飛び出すに決まってる朝礼を前にして、「ああ、サボりたい……」なんてしみじみ言うこともあったけど、そんなのは誰でもやることだ。
 鳥海が変わったのは、4月も終わりに近づいて、中等部と高等部の違いにもだいぶん慣れた頃だった。
 詳しいことは俺は知らない。
 ただ、その頃、4つ年下の妹が何かの病気になって入院したのだとだけ、漏れ聞いた行村さんや鮎川さんの話から、知った。
 それからだ。鳥海がちょくちょく授業を抜け出すようになったのは。
 抜け出してどこへ行くわけでもない。何だか不機嫌な顔のまま、図書室で本を読んだり、藤棚の下や屋上で空を眺めたりやっぱり本を読んだりしている。
 なら来なきゃいいじゃないかって、思う?
 うん……学校にいるのがイヤなんだったら、そうだろうね。
 だけど、鳥海はそうじゃないんだ。
 前に鳥海は俺に言ったことがある。
(クラスのみんなの顔を見てると、自分がすっげーヤなヤツに思えて情けなくなるけど、お前は猫だから……間違っても愛理のドナーに、なんて考えないからいいや)
 「どなー」って、何なのか、俺には良く判らない。だけど、きっとそれは妹の病気に関係のあることで、クラスのみんなの顔を見てるとどうしてもそのことを考えてしまうようなものなんだろう。そうして、その度に鳥海は、そんなことを考えてしまう自分がイヤになって、それで -- 教室を抜け出すんだろう。
  -- 今度もまた、おんなじなんだろうか。
  -- 今度もまた、鳥海は、図書室か屋上かで、1人で自分に怒ってるんだろうか。
 不機嫌な鳥海の顔を思い浮かべながら走って、いつの間にか図書室の真下に来ていた。
『あれ……?』
 見上げた2階の窓の外に、見慣れた色のしっぽが見えた。
『タサカさん。ここに来てたのか』
 猫専用の特別ルートで2階に上がって声をかけると、
『何だ、ニノラ、来たの』
 振り向いてタサカさんが言った。
 丁度いいや。
『タサカさん、ここにさ、鳥海、来てない?』
『鳥海って、あの眼鏡の子だよね。いたよ〜、ほんのちょっと前まで。あたしの目の前に座ってた』
 過去形かぁ。
『席移しただけってんじゃ、ないんだよな?』
 ガラス越しに図書室を見渡しても、鳥海の姿はなかった。
『うん。ほら、向こうの女の子3人。あの子達が入ってきた途端、出てっちゃった』
 一足違いだったね、とタサカさんは残念そうに言ってくれた。
『まあいいや。行き先の見当はつくから。それより、タサカさん……』
 鳥海は、やっぱり今日も自分に怒っていたんだろうか。やっぱり今日も、口をへの字に結んでいたんだろうか?
 ずっと気になってたことだ。
 ところが。
『それがねぇ……』
 タサカさんが首を傾げた。
『え……? 様子が変だった?』
『うん。』
 鳥海は、何だか嬉しそうで、いつもは不機嫌まるわかりのその顔に、今日に限っては今にもハミングしそうなくらいの柔らかな笑みを浮かべていたのだそうだ。
『いやでも、だからって、変ってのは……』
 嬉しそうだからって、変よばわりされたんじゃあ、鳥海が可哀想だ。それに、読んでる本がそういう笑顔を誘う内容だったかも知れないじゃないか。
 俺が弁護したら、タサカさんは更に言った。
『だって。読んでる本のタイトル、見えたんだもん。あたしは中身は知らないけど、笑顔で読むようなタイトルじゃなかったよ?』
『どんなタイトルだったんだよ?』
『20世紀 どんな時代だったのか・革命編』
『………………。』
 変だ。
 それは絶対に変だ。
 笑点見て号泣するのと同じくらい変だ。
 いや、俺だって、鳥海が読んでたっていう本の内容知ってるわけじゃないけどさぁ。ないけど、そんな、にこにこ笑うようなタイトルか、これって!?
 怖い。はっきり言って怖すぎる。
 何があったんだよぉっ、鳥海ぃ〜〜っ!
『……って、あれ?』
 タサカさんに聞いた状況のあまりの不気味さに、一瞬パニクった俺は -- 情けないことに、ひとしきり頭を抱えて唸ってから、やっと気付いた。
 教科書や広辞苑並に硬いタイトルの本を読みながら、それでも顔がほころんでしまうってことは、だ。それだけ、鳥海にとって嬉しいことがあったってことじゃないか。
『何だ……心配して損した』
 いきなり力が抜けた。
 抜けて、そして、別のことに興味がわいた。
 もちろん、何が鳥海にとってそんなに嬉しかったのか、だ。
 何だかうきうきしてきた。
 良いことを聞いたと思った。
 だけど同時にちょっと残念にも思った。
 だってそうだろ?
 これから俺が探しに行くのは、しかめっ面の鳥海じゃなくて、笑顔の鳥海なんだぜ?
 探しに行くには気分が軽くなっていいけど、最初っから知ってる分、見つけたときの感動が薄まるじゃないか。
 それでも --
 これは俺にとっては嬉しい二律背反。
 だから俺はタサカさんに感謝した。
『ありがとっ、タサカさん! 良いこと教えてくれて』
 探しに行こう -- いや、会いに行こう。
 笑顔で空を見上げてるはずの、鳥海に。
『結果報告はちゃんとするよ。じゃあなっ!』
 背中に羽が生えたような気分で屋上へと駆け出した視界の端に、やっと図書室に辿り着いたらしい行村さんの姿が映った。
 途端に俺は最初の疑問を思い出した。
『……何で、鳥海は教室から逃げたんだ?』



狐作物語集Topへ戻る  続きを読む