〜手塚忍の血の色みどりな一日〜
2 その後も不可思議な出来事はいくつか発生した。 しばらくの後。
閉まっていたはずの窓が開いていた。とある部屋のドアが一時的に閉まらなくなった。逆に開かなくなった部屋もある。明かりが消えて、いきなり点ったりもした。
まだ冬休みで、寮生が普段の半分以下だったのは幸いだった。その分だけ騒音や悲鳴が小さくて済む。ご近所への迷惑は少ないに越したことはない。
けれど、寮内の各所で上がる騒音を、同じ寮内にいる人間に対して隠し通せるはずもなく、結果、点呼の時間が来る頃には寮にいる全員が確信していたのだ。
──非常事態が発生している。と。
それも、普通の人間ではちょっと対処不能な部類のソレが。
一般に夏の風物詩のように語られる『アレ』だが、実は『彼ら』の出現に季節はまるで関係がない。時期を選ぶのもいるにはいるが、此岸と彼岸を行き来する『彼ら』がこだわるのは、人であったり場所であったりすることの方が遙かに多い。
そうして、蓮川たちの暮らすこの緑林寮も、そんな『彼ら』が他に比べて頻繁に出没する場所であったりした。
だから、自然こういう事態に耐性の出来てしまった緑林寮の住人たちは、突然のこの状況にもパニックに陥ることはなかったのだ。本人たちにとっては不幸なことに。
それでもやはり蒼ざめた──パニックには陥らなくても、コワいものはコワいのだ──寮生たちに向かって、あっさりと光流が言う。
「出歩くとそれだけ出くわす可能性が高くなるからなー、とりあえず部屋にこもっとけ。不安だったら念仏でも唱えてろ」
──念仏なんて『南無阿弥陀仏』くらいしか知らねーよっ!
音にならない寮生たちの心の声が、蓮川には手に取るように判った。
続けて忍。
「妙なモノを見かけても目は合わせるなよ。話しかけるのもダメだ。見なかったコトにしてそのまま通り過ぎろマニュアル通りに」
「…………判りました」
そんなマニュアルがあるという時点で既におかしいのだが、誰もそこには口を挟まない。
異常事態を前にして管理人室前に集まっていた寮生たちは、忍と光流の言葉でそそくさと自室に引き上げてゆく。
その背中を見送ってから、光流が蓮川を、振り向いた肩越しに見やって、言った。
「さて、行くか。今日は点呼もなるべく手早く済ませた方がいいだろうから、オレと忍で上から回ってきてやるよ。スカと瞬はもっかいボイラーと、それから玄関の鍵も確かめて、下から点呼取ってこい」
「はい」「はーい」
蓮川と瞬は光流の言葉に素直に従って、懐中電灯片手に管理人室を出てゆこうとする。
その、足を、忍の言葉が引き留めた。
「前寮長のお前がこういう場合に協力するのはいいとして、何故俺まで?」
至極冷静かつ薄情な忍の台詞に、けれど光流が、やっと忍の耳に届くか届かないかの小声で返した言葉が、これだ。
「へー、お前行かねーの? 前生徒会長サマなのに? 生徒を守ることってのも生徒会長の役割のひとつじゃなかったっけ。でもって寮生も立派に生徒だよなぁ。
いいワケ、連中に、勝手に、オレらの生活を邪魔されて。でもってオレらの場所をコワされて? お前はソレでもいいワケか、へー」
見返す忍の瞳に剣呑な色が宿る。
そこらの生徒なら──いや下手をすると教師でも──後ずさりしそうな、迫力。
だが光流は怯むことなくそれを見つめ返した。
訪れた沈黙の意味を悟ったらしい蓮川と瞬は、ただ黙って成り行きを見守っている。
光流は知っていた。蓮川も、瞬も。
決してあからさまに表には出さないが、忍は自分のテリトリーに入れたものが害されるのをひどく嫌う。嫌って、そして激怒する。
光流が誘拐された時がそうだった。周囲には余裕の笑みを浮かべて見せながら、その心の中ではブリザードが吹き荒れていた。どこぞの星から落ちてきた忍そっくりのチョコレート人形が緑林寮で暴れ回った時など、何よりもまずその人形の、自分にそっくりな顔から吹っ飛ばしてのけたくらいだ。
判りにくい男の、判りにくい心の動きを読むことに、光流や蓮川や瞬は、他の連中よりもほんの少しだけ、長けていた。
張りつめた静寂を、やがて忍の呟きが破る。
「…………ふん。」
それが、合図。
「よっしゃ」
光流が口元ににやりと笑みを浮かべた。
蓮川と瞬が、こちらは素直な笑顔を見せる。
「じゃあ行きましょう。光流先輩忍先輩よろしくお願いします。あ、藤掛と渡辺は部屋に戻ってて。何かあったら応援頼むから」
「うん」
「判った、それじゃ気をつけてな」
「それじゃあ行くか」
頷きあって6人は、それぞれの目的地へと歩き始めた。
緑林寮の最上階から点呼を始めた忍と光流は、3階と2階を結ぶ階段にいた。
項目にチェックを入れながら光流が呟く。
「とりあえず、いる連中は無事に部屋にいたよな。オッケー、っと」
「そうだな。無事と言えば言えるだろうな。たとえラップ音に悩まされていようが外から窓を叩かれようが突然電気を消されようが、とりあえず怪我はないんだからな」
点呼に応えた住人たちは、みな一様に蒼ざめて、中には半泣きの者もいた。
「…………身体は、無事、と。」
そんな項目はないのだが。
「しっかしヤローの涙なんざ見たくもねーな。早いトコ点呼終わらせよーぜ」
「点呼を終わらせたところで、今夜のこの騒ぎが収まるとも思えないが?」
「イヤなこと言うよな、お前……」
忍のつっこみに光流がぼやきながら、2人が踊り場を回って2階に降りようとした時だった。
2人の目の前、階段の下の廊下に、蓮川が現れた。
「あれ? おいスカ! 下、点呼終わったのか? 瞬はどうした?」
光流の呼びかけに、彼はふと立ち止まって、そして……
緑林寮の現寮長は、やけに冷めた目で2人を見上げた後、興味がないとでも言いたげに視線をそらし、再び歩き始めて光流と忍の視界から、消えた。
「おいスカ!? ……なんだアイツ」
急ぐでもなく焦るでもない、けれど明らかに普段とは違う蓮川のその様子を、不審に思った光流が階段を駆け下る。
けれど、そのまま蓮川が消えた方向へと走って行こうとした光流に、同じく階段を下りきった忍が待ったをかけた。
「待て」
「んだよ?」
「いいから待て。あれは……」
「あれは?」
訝しげに振り向いて、光流が忍に問いかける。
「あれは多分……」
答えようとした忍の声に、その時背後から別の音が重なった。
「あれ、先輩? そこにいるんですか? 廊下を右に行ったと思ったのに違ったんだ」
階段を上りきって2人の前に現れた、その音の発信源は、つい先ほど光流と忍の目の前を横切ったはずの、蓮川一也その人だった。
「…………蓮川…………」
掠れた光流の声が、虚ろに廊下にこだました。
パロディ『ここはグリーンウッド』第2話。 |