Here, the Green Wood


〜手塚忍の血の色みどりな一日〜


 

 1

 

 もうすぐ冬休みも終わる、という頃になって、寮母のおばさんが寝込んだ。
 インフルエンザ。
 今年のは、熱も高くて、それが結構何日も続いて、おまけに吐き気やなんかもあって、相当辛い、のであるらしい。
 幸いというかなんというか、冬休みはまだあと3日ほど残っていて、寮に戻っている生徒も少なくて。だからそれに伴ってやってくるはずの不便やトラブルは、普段に比べれば格段に少ない、はず、だったのだ。
 その、はず、だったのだけれど。
 どうしたワケだか違ってしまったのだ。
 特に、彼、私立緑都学園付属緑林寮の現寮長・蓮川一也にとっては。

 

************

 

『115号室の○○くん、荷物が届いているので管理人室まで取りに来てください。』
 届いた荷物を受け取って、サインして、本当の受取人を呼び出して。マイクのスイッチを切りながら、ぼそっと蓮川は呟いた。
「あーあ。おばさん早く良くならないかなー」
 そのまま部屋に戻るでもなく、こたつに入ってテレビに目を向ける。
 はっきり言って、暇だった。
 いっそ部屋に戻っていたいと思うのだが、そう思った瞬間忍の言葉が甦る。
『誰かが管理人室にいないとマズイだろう。お前がイヤだというなら仕方ないが、おばさんがいない今、寮長がそれをやらずに他の誰かに任せたとして、寮長としての責任はどこへ行くんだ。お前の良心は痛まないのか?』
 ちくちく、ちくちく。
 正論には違いないのだが、言い方が忍らしい。相手を良く知っている。こう言われては、蓮川に断ることなど出来るはずがなかった。
(口八丁って忍先輩のための言葉だよな……)
 溜息をついた瞬間、
「どうしたんだ蓮川。そんな盛大な溜息をついて?」
「うわぁあっっ! し、忍先輩……っ!?」
 噂をすれば影が通るとよく言うが、噂もしてないのに計ったようなタイミングで、当の本人が現れた。
(お、音……っ、音、ドア開ける音、しなかった、よな、確かっ!?)
 それともそこまで自分は呆けていたのだろうか。
 一瞬自分を疑った蓮川の耳に、忍の背後にいる二人のひそやかな声が届いた。
「光流先輩光流先輩、今さー、ドア開ける音、ほっとんどしなかったよねぇ……?」
「……気にするな、気にするんじゃない瞬」
 どうやらアレは、蓮川一人の気のせいではなかったらしい。
 そのことを喜べばいいのかどうなのか、真剣に悩んでしまった蓮川に、素知らぬそぶりで忍が言う。
「大変だぞ寮長。風呂の湯が出ないそうだ」
 焦りのカケラもないいつもの口調。顔には一見穏やかな笑み。「明日の天気は雨らしい」とでも言うように、けれど落とした爆弾はなかなか強力だった。
「はあ、そうですか。……って、ええっ!? だってちゃんと出てたじゃないですかさっきまで!」
 そう、湯は出ていた。つい先ほどまで。実際蓮川も、風呂の順番待ちの列を目にしてこの管理人室に来ている。
 忍お得意の罠かと思ったが、それにしては瞬と光流の表情がおかしい。更に三人の背後にいる藤掛と渡辺が、だめ押しのように心底困った顔をしているのに、それが真実であることを蓮川も悟った。
 夏ならともかくこの真冬。いくらなんでも水風呂は辛すぎる。いや、『辛い』を通り越してすでに死活問題ですらあった。
「…………外のボイラー、見てきます」
「あっ、すかちゃんボクも行く!」
 懐中電灯片手に立ち上がった蓮川を、追いかけて瞬も管理人室を出てゆく。
 その背中を見送って、入れ替わりに室内に入った忍が、光流と藤掛、渡辺の三人に笑いかけた。
「さて。俺たちはここでお茶でも飲んで待っていよう」
 言いながら自分はさっさとこたつに入る。
「お茶って、あの……?」
 そのお茶を淹れるのは誰だろう?
 一瞬言葉を失って首を傾げた渡辺に、有無を言わせぬ笑顔が返った。
 手塚忍。
 自分の手は可能な限り使わない、これが緑都学園の前生徒会長だった。

 

 

「おっかしいよなぁ……」
「ヘンだよねぇ」
 ぶつぶつ言いながら蓮川と瞬が帰ってきたのは、それから10分ほど後のことである。
「で、どーだったんだ?」
 光流の問いに蓮川が、少し困ったような顔をした。
「ええ、まあ、お湯はちゃんと出るようになったんですけど……」
 返す言葉も歯切れが悪い。
「ナンだよ、なんか問題アリなのか?」
「ん、それがね。何でか判らないんだけど、ガスの栓が閉まってたんだよねー」
「はぁー?」
「ガスの栓が? 如月、それ本当?」
「閉めるって、一体誰がそんなことを……」
 瞬の答えに光流が呆れた声を出し、渡辺と藤掛までもが「信じられない」という顔をした。
 アタリマエだ。
 ボイラーの在処など、この緑林寮の寮生でもまず知らない。まして外部の人間が知るはずがないし、そんな判りやすい場所にもない。寮生なら知っていることもひょっとしたらあるかもしれないが、この冬場に湯を止めてヤローの団体の恨みを買う勇気のある人間など、普通に考えて、いるはずもなかった。
 ひとり忍だけが妙に冷静に言う。
「剛胆なヤツだな。」
 ──剛胆。
 そんな言葉で済む問題だろうか。
 一瞬残る5人の脳裏を同じ思いが駆け抜ける。が、誰も声には出さなかった。
 何しろ相手は『手塚忍』なのだから。
「ま、アレだな。今夜はちょっと要警戒ってことで、見回りも点呼もいつもよりしっかりやるんだな、蓮川」
 気を取り直した光流のまっとうな提案に、蓮川はおとなしく頷いた。
「……はい」
 心に宿る妙な胸騒ぎを、少し不審に思いながら。

 

 

 蓮川の胸騒ぎは的中した。
 その夜、寮母不在の緑林寮は、滅多にない、というよりも、あるはずのない、更に言うならそうそうあっては困る事件に、見舞われ続けたのだ。
 まず、閉められていたガスの元栓を再び開いて復旧させたはずの風呂で、今度は『湯しか』出なくなった。
 幸いなことにたいしたやけどを負う寮生もいなかったし、5分ほどでそれもおさまったらしく、知らせを受けた蓮川が駆けつけた時にはもういつもの『寮の風呂』に戻ってはいたが、ホッとしたのも束の間、今度は食堂の照明がいきなり消えた。
 停電ではない。周囲の家々は普通に明かりがついているし、第一食堂以外の場所では同じ寮内でもちゃんと明かりは点っていた。
 慌てて駆けつけた蓮川たちは、原因を調べるべく向かった機械室で、今度も不思議なモノを目にすることになった。
 不思議なモノ──ひとつだけ落ちた、食堂の電力を制御しているブレーカー。
 人の手が触れない限り、その状態になることはまずない。消費電力の負荷に耐えかねて落ちるなら、ブレーカーは大本からか、そうでなくても寮内をいくつかに分けた中の、食堂を含むエリア分くらいはまとめて、普通は落ちるものなのだ。
 そうして、機械室の鍵は、普段寮母が持っている。
 今は寮母不在につき一時的に蓮川が預かってはいるが、つまりそれは、そういうことで。
 一般の寮生が簡単に入れる場所ではないのだ、そこは。
 閉められたガスの栓。湯しか出なくなった風呂の蛇口。そしてひとつだけ落ちたブレーカー。
「……ねぇ。なんか、イヤな予感、しない?」
 落ちたブレーカーを元に戻し、機械室のドアに鍵をかける蓮川に、引き気味の声に及び腰のおまけまでつけて瞬が囁く。
「ああ……まぁな。けど……」
 それに答えながら、蓮川は思った。
 これは、果たして『予感』だろうか。
 ──違う。
 まずもってないことが立て続けに3件。ひとつ目が発生した時に『予感』と言うならそれは正しいことなのだろうが、こうも連続した後では、それは既に『予感』ではなく『疑惑』と言うべきではないか。いっそもう一歩進めて『確信』と言ってもいいくらいに。
 何かが、起こっている。この、緑林寮で。
 考えながら管理人室に戻って、コトの顛末を報告した蓮川に、渡辺と藤掛は同じ事を感じたのだろう、不安の混じった目を向けた。
 そうして、忍と光流は、何を思ったのか、ただふたり静かな声で
「そうか」
 とだけ、応えた。




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これは、幻の『十六夜茶寮2万ヒット記念小説』脇キャラ出場権の代替リクエストです。この代替案は、最後のキリ番記念に脇キャラとして登場しそこねた方々に、特別措置として「私が知っている作品のパロディ、もしくは十六夜茶寮に現存する化け狐オリジナル小説(含・過去のキリ番記念)のうち、お好きなモノひとつの続きを書きます」と、リクエストしていただいたもの。
第1段は、パロディ『ここはグリーンウッド』。万里ちゃんからのリクエストです。
しかし、私、最後に『グリーンウッド』読んだのってもう数年前なんですが……大丈夫か自分!?(自爆)