この通称『乙女ツアー』は、高瀬美恵さんのサイトWater
Garden(水庭)のオフ会として、4月6日〜8日の3日間開催されたものである。
何故『乙女』なのかって? そりゃアナタ、吉野ったらば、聖地だからですよ、あらゆる歴史上の人物や小説を通しての、『乙女心』の。元々のツアー名はそもそも『乙女の聖地吉野ツアー』だったのだから。
まあそれはさておき。
ツアー最多時のメンバーは、ゆかりさん、みーにゃんさん、祐さん、ななさん、さーやさん、高瀬さん、ちよまさん、るーさん、鯱子さん、猫茶さん、優さんに芦屋のMさん、まさみさん、Rudolfさんの男性陣と、私、化け狐の総勢15名。
このうち7日から参加するのは芦屋のMさん、まさみさん、Rudolfさん、鯱子さん、猫茶さん、優さんと私で、優さんだけが7日夕方からの合流になっていた。(ゆかりさん、みーにゃんさん、祐さん、ななさん、さーやさん、高瀬さん、ちよまさん、るーさんは、近藤史恵さんを加えた9名で、一足先に6日から旅を楽しんでいらした)
これは、その楽しかった旅を記憶と記録に残すために私が偏った記憶で綴る旅行記である。
出発前:雨雲を吹き飛ばせ!
今回の『乙女ツアー』が我々の話題に上ったのは、去年の冬のことだった。
「吉野の桜、見に行きたいですね」と、やはり水庭関連のオフ会の時のどなたかが口にしたのに、その時そのオフに参加していなかった面々までが心惹かれて、「今年はもう無理だろうから、来年やりましょう!」とその気になった。
つまり、1年越しの計画なワケだ。
日程も決め、宿も決め、食事の手配もすませれば、心配なのは、天気と桜の咲き具合。
ところがだ。
いよいよ出発まであと1週間を切ったところで京都・奈良の週間天気予報を見ると、なんと週末は雨で気温も低いというではないか。
私達は願った。晴れるように、せめて桜が5分くらいには開いているようにと。
だが、週末雨の予報は、水曜になっても変わらなかった。
それが、だ。
スバラシイことにと言うべきか、ものすごいことにと言うべきか。
ひっくり返ったのだ。木曜の予報で、ものの見事に。
旅の間の天気はいつも『晴れ』で、気温も20度を超えた。木曜日から晴れて気温が上がったお陰で、吉野の桜も京都の桜もほぼ満開だった。
結果的に我々は、雨雲を吹き飛ばして最高の旅を楽しむことが出来たのである。
4月7日:
1 波乱含みの出発
7日朝出発組は、鯱子さん、猫茶さん、まさみさん、Rudolfさんに、私の5人。待ち合わせは東京駅の、JRの新幹線乗り換え中央改札前に7時前、となっていた。
私が着いたのは7時10分ほど前。既にまさみさんがいらしていた。
続いて現れたのはRudolfさん。実は、私がうっかりしていたせいで、Rudolfさんは、JRの乗り換え中央改札ではなく、JR以外の路線を使った方が新幹線に乗るために使用する中央改札前でずっと待っていらしたのだ。そうとは知らず、まさみさんと2人「来ませんね」などと言っていた私。Rudolfさんにはまことに申し訳ないことをしてしまった。
4人目、猫茶さんがいらした時点で、既に時刻は7時。鯱子さんがまだ来ない。
乗るつもりの新幹線は7時21分発新大阪行きである。
7時5分。まだ来ない。
10分。4人の顔に焦りの色が見え始めた。21分の便に乗り遅れると、この後の予定にズレが生じる。
覚悟を決めた。「改札入って中から眺めながら、呼び出しもかけましょう!」
まさみさんとRudolfさんに後を任せて、私と猫茶さんは呼び出しを頼みに走った。
駅員さんに鯱子さんのお名前と大雑把な住所、待ち合わせ場所を告げ、「それじゃあ」と駅員さんが呼び出しをかけようとした、その時だった。
「来ました!」の声とともに、Rudolfさんが走っていらした。
危ういところで呼び出しは中止され、鯱子さんとも合流し、座席もなんとか確保して、私達は一路京都へと向かうことが出来たのだ。
後で知ったことだが、前日6日出発組では、お二方が待ち合わせ時刻に遅れ、予定より遅い列車で遅れて合流したのだそうだ。両日共に波乱含みの出発となっていたワケである。幹事さんの心労に合掌。
でもって、余談だが。
鯱子さんの場合、私が名刺をいただいていたのでご本名が判っていたが、迂闊にオフ会で遅刻すると、呼び出しをかける側も呼び出される側もかーなーり、恥ずかしい思いをすることになる。携帯などで連絡が取れずにやむなく呼び出しをかける場合、ハンドルネームしか知らないと、それで呼び出してもらうしかなくなるからだ。
オフ会の待ち合わせには、稀にこういう覚悟も要る。
2 合流、そして吉野へ
京都に着いた私達は、待ち合わせ場所で無事に先発隊と合流を果たした。
ゆかりさんから吉野行きの切符を受け取り、一度ばらけてお昼を各自調達してから再び集合。すかさずゆかりさんとちよまさんが人数の確認に入る。
ざっと見渡して、ちよまさんとゆかりさんが言った。
「全員いますね。」
うん、と、残るメンバーも頷いた。数は、多分誰も数えなかったはずだ。何故なら、このツアーの参加者は、水庭のオフ会で少なくとも数回は顔を合わせたことがあり、顔と名前がほぼ一致していたから。だから全員が頷いたのだ、いるべき人は、全員いる、と。
この『キーワード=全員』が、後にちょっとした事件の引き金になろうとは、この時はまだ誰一人知る由もなかった。
近鉄を使い、橿原神宮前で乗り換えて、吉野へ。
面白かったのはこの時の座席である。狙ったワケでもないのに、『穏やかチーム』と『賑やかチーム』に、なんとコンパートメントまで隔てて分かれてしまったのだ。賑やかチームもなかなか楽しそうだったのだけれど、穏やかチームも、のんびりゆったり外の景色を眺めながら吉野までの旅を楽しんだ。
吉野に着いたらまず駅舎をバックに写真撮影。それからバスに乗って宿へと向かう。最初は本当に『山の中』な道だったのだけれど、中千本に近づくにつれて段々桜が増えてくる。
吉野の桜は、その多くが山桜だ。種類も、白いもの、色の濃いもの、花片の小さいもの、葉も一緒に出るものと色々あって、だからソメイヨシノだけの桜並木とは違った雰囲気と美しさを持っていた。
急な石段に気力と体力をいささか奪われながら辿り着いた宿に荷物を預け、散策に出かける。
心から楽しみにしていた、吉野の桜。
ポスター等の影響だろう、山がまるごと桜色に染まっているのかと思っていたけれど、それは違って。
散策路は、まるきり観光地然で土産物屋が軒を連ねていて。
がっかりしたのも事実ではあったけれど、花は花で、道なりに植わっていたり、山の斜面を飾っていたり、神社仏閣の境内に咲き誇っていたり、して。
思い込みと情報の不正確さを実感しながら、それでも目を奪われる桜たちだった。
そうして土産物屋をひやかしたり、ところどころで写真を撮ったりしながらそぞろ歩いて、少し歩き疲れた一行は、お薄や桜湯やくずもちや桜餅や草餅に心惹かれて、とある御茶屋さんに入ったのだ。
そうして、事件が、起こった。
3 15人いる!?
ぞろぞろと店内に入った私達に、店の人が訊いた。
「何名さまですか?」
ゆかりさんだったかちよまさんだったか、はたまた別の誰かだったか知らないが、ともかく我々はその問いにこう答えた。
「15人です」
実はこの時数字の落とし穴が一行を襲っていたのだ。
座敷を抜け、奥庭の席を陣取って、注文を取る。お薄くず餅が10人、くずきり1人、桜湯桜餅1人、桜湯草餅1人、そして、お薄桜餅が、2人。
続々と注文の品が届いて、それぞれが自分の頼んだものを受け取ってゆく。が、何故かお薄桜餅が届いた時、それを受け取るべき人物が1人足りない。おかしい、変だと訝りながらも、結局その1セットはちよまさんが引き受けることにした、のだが。
その直後だ、お店の人が「すみません、あとお薄くず餅何人様分おもちすればよろしいでしょう?」と訊きに来たのは。
この時点で訝ってしかるべきだったのかもしれない。けれど誰もが「人数多いからねぇ」と、それで笑ってすませてしまった。
そうして、美味しく甘味を頂いて、いざ会計を済ませる段になって、問題が発生した。
各自、自分の食べたものの値段に消費税分もプラスして、多少多めの金額がゆかりさんの手元に集まっている、はず、だったのに。請求された金額は、それを上回っていたのだ。それも、ほぼ、1人分。
払ってない人は、いないはずだった。なのに足りない。ゆかりさん、ちよまさんと私は、首を傾げた。
それでもいつまでも店先で訝っているわけにもいかないから、ひとまずゆかりさんが不足分を補ってくださり、「この分はあとで何とかしましょう」と3人で頷きながら店を出たのだ。
この金額不足の理由は、それから間を置かずに判明した。
1人、多く、認識していたのだ。一行の人数を、誰もが。
発覚したのは偶然だった。
散策を再開したそぞろ歩きの道すがらで、人混みに紛れて一行が二手に分かれてしまった。先行組は9人。ゆかりさん、ちよまさん、祐さん、ななさん、猫茶さん、まさみさん、みーにゃんさん、Rudolfさんに私。
後ろには6人がいるはずだった。名前を挙げて数え上げる。
「高瀬さん、るーさん、Mさん、鯱子さん、さーやさん……あと1人は?」
その、『後1人』が、どうしても出てこないのだ。誰が何度数えても。
いくらなんでも可哀想だ、と、ゆかりさんが参加者リストを取り出した。
そこで、気がついたのだ。
吉野ツアー参加者15人のうち、優さんだけは、遅れて7日夕方の合流になっていたことに。
つまり、京都駅でメンバーの確認をして以来、ずっと私達は、14人しかいないのに15人だと思いこんで行動していたわけなのだ。
ちよまさんは、集合の直前、8日のお昼の予約最終確認を『15人』で入れていた。ゆかりさんは、混雑を予想して8日の吉野から京都までのチケットを『15人分』買っていた。そうして他のメンバーは、なまじ顔で在不在が確認できることに安心して、誰も数を数えていなかった。
かくして数字の落とし穴がここに成立してしまったのである。
…………が。
それでも残る疑問がひとつ、実はある。
『2人分のお薄桜餅』。
あの時、ゆかりさん、ちよまさんはじめ、私も含めた一行の数人が、注文を数えていた。お薄くず餅は10人。くずきり、桜湯桜餅、桜湯草餅がそれぞれ1人。そうして、お薄桜餅には、確かに2人分の手が、上がっていたのだ。
「いたよね?」「うん、いた」「手、2人分、あったよねぇ……?」「……ありましたねぇ」
旅が終わっても、謎は謎のままである。
4 散策、食事、そして酒宴
謎を謎のまま心に抱いて、私達は散策を再開した。
桜よりも散歩に来ていたシェパードに心奪われた蔵王堂はじめ、いくつかの神社仏閣に参拝しながら、写真を撮るのも忘れない。
中でも出色だったのが吉水神社。
後醍醐天皇や義経・静御前や弁慶ゆかりの神社だそうで、歴史もあり、展示物も多い。が、一番楽しかったのは実はそこの神主さん、だったりした。
きっぱりはっきりラテン系。日焼けした顔もだが、ノリも、だ。
非常に気さくに話もしてくださる。言葉遣いもとても優しく、後醍醐天皇や義経・静御前のことを伺うと即座に答えを返してくださる。そのワリに、庭に咲いている花の名前を伺えば「あれ? 何だったかなあ」と大真面目に首をひねったり、どう見ても自作のカメの形の置物があったり、置かれた切り株にカメの甲羅が刻んであったり。挙げ句、カメラを構えればピースサインをしてくださったり。
後醍醐天皇が歌を詠んだ心中が『むせぶが如く泣くが如く今に琴線にふれ』たり『天下に名高い義経と静の大ロマンス』に『哀愁が胸を去来』したりと、微妙に感情的かつ思い入れたっぷりなこの吉水神社のパンフレットの、少なくとも紹介文はこの神主さんのお手製に違いない。
とても楽しい方だった。
そういえばここの『見わたしの いとよき所』と紹介されている場所。手すりもついて、本当に展望台のようなのだが、その、足場が。足を下ろした感触や、人が歩く時に響く音が、どうにも、心許なく思えて仕方なかった。まさかベニヤ板ということはないだろうが、やはりコワくて「この底、ナニで出来てます?」とは聞けなかった私達である。
吉水神社を後にして、吉野葛や桜の塩漬け、日本酒、桜羊羹など思い思いに友人・知人・家族や自分への土産物をゲットしながら、宿へ。
高かった気温もこの頃には下がって、すっかり過ごしやすくなっていた。
宿に戻って一休み。お茶を飲みつつ話に花も咲かせつつ、優さんの到着を待つ。
全員揃ったところで、夕食。焼き魚あり、鹿肉の刺身あり、天ぷらあり、ミニ鍋ありで食べ応えたっぷりの食事の間も、けれど話題と笑い声が途絶えることはない。
話題の提供者は専らさーやさんで、そこへ代わる代わるフォローと突っ込みが入る。食べ終わってからもしばらくは、お茶を前にしてずっと話し続けていた。
食堂を後にして、お風呂にも入れば、今度は持ち寄ったお酒やつまみを中央に置いての酒宴が始まる。
叶うことならレッドデータブックに記載して保護させていただきたいくらいに珍しい『さーやさんの爪切り』を再び見せていただいたり、思い出話をしたり、政治家秘書の鯱子さんからなかなかディープな話を伺ったり、小説やマンガやネットの話に花を咲かせたり、日本の未来を憂えたり。
水庭掲示板の話題は深く広いが、それは吉野でもしっかり発揮された。
笑ったのが、酒の冷やし方である。
部屋には備え付けの冷蔵庫がなかったのだが、酒はやはり冷やしたい。
どうしよう、と頭をひねっていたら、どなたか──優さんだったのではないかと思うのだが──が、窓を開けて仰った。
「ここで冷やしましょう!」
窓の外にベランダはないが、手すりはあった。そこに酒瓶を出して、外の冷気で酒を冷やそうというのである。あっという間に、手すりにはズラリと酒瓶が並んだ。小さくて手すりに置くには心許ない瓶も、別の酒が入っていた箱を利用して、外へ。
そうやって冷やした酒は、確かに冷蔵庫で冷やすほどには冷えはしなかったが、美味しく頂ける程度にはちゃんと冷えて、我々の味覚を楽しませてくれた。
そうして、ぽつぽつと脱落者が出る中、それでも話のネタは尽きることなく、宴は深夜1時過ぎまで続いたのである。
(吉野ツアー Photo
Selection I)
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