2001年春・吉野乙女ツアーレポート

 

 

4月8日:

 

1 朝の散歩、そして出発

 8日の予定は、7時半朝食、8時半出発になっていた。
 早くに目覚めたというちよまさん、みーにゃんさん、ゆかりさんは、朝の吉野散策に出かける。
 私も6時に目が覚めたので、「他の人たち、ちゃんと間に合うように起きるよね……?」といささか心配しながらも、目覚めていらした数人に後を任せて、祐さんと一緒にちよまさんたちを追った。
 宿の前の坂道を上って、公園に出る。更に上って『火の見櫓』と名付けられた展望台へ。
 見下ろす中千本の桜は、土曜日の天気に誘われて更に花を開かせていた。
 枝垂れ桜、山桜、八重桜、色の濃いもの淡いもの、いっそ白に近いもの。
 人が増えてきたこともあり、朝食の時間もあったので、あまりのんびりせずに宿に戻ったが、本当に良いタイミングで来たのだな、と、心から、思った。
 やはり話に花を咲かせつつ、卵焼き、塩鮭、のり、みそ汁など定番の朝食を済ませれば、もう出発である。
 本当はそんな早い時間に吉野駅に向かうバスはなかったのだが、宿の方がご好意でマイクロバスを出してくださり、無事、予定の列車に間に合うことが出来た。
 列車には少し時間があったので、駅前でも土産物を物色。桜ソフトクリームに心惹かれた方々はすかさずお買いあげになる。ひとくち食べさせてもらったのだが、桜ソフトクリーム、ほのかな甘さの中にちゃんと桜の味と香りが漂って、なかなか美味しいものだった。
 そうして、吉野に別れを告げ、出発。
 窓の外の景色を楽しみながら、橿原神宮前で乗り継いで、一路京都へ。
 京都駅でコインロッカーに荷物を預けて、山科へと向かった。

 

2 山科、墨染

 山科の駅を出て少し歩くと、すぐに山科疎水に出る。
 疎水沿いの道には、前日・前々日の陽気に誘われて満開になった桜、その根元にはやはり満開の菜の花。
 疎水の水、桜の薄紅、菜の花の黄色が、いかにも春らしい景色を作り出していた。
 大きく看板が出て『山科疎水』『疎水の道』などと記してあったにもかかわらず、「綺麗な川ですねー」と宣った御仁がいた、というのはヒミツである。本人の名誉のために名前は秘す。
 時間があれば疎水沿いの道を散策してみたかったのだが、墨染、更に京都に出ての昼食と、後の予定が詰まっていたので、すぐに山科での目的地・毘沙門堂に向かった。
 毘沙門堂。桜の名所であるらしく、『般若の枝垂れ桜』との看板が出ていた。が、ゆかりさんには別の思い入れがあったようだ。
「ゆかりさん、顔が嬉しそう」
 という我々の言葉に
「えー、そんなことないですよお」
 と応えつつも、彼女の足取りは軽かった。
 少し歩いて辿り着いた毘沙門堂でも、桜は満開になっていた。枝垂れ桜も美しく花開いていた。
 この日はちょうど大正琴演奏グループの発表会にあたっていたようで、そろいの和服に身を包んだ年輩の女性陣が、本堂の濡れ縁に陣取って、大正琴独特の音色を響かせていた。
 しかし……いくら春の曲の定番とはいえ、山科で『花』(春のうららの隅田川)はいいのか? いやそれよりも、何故曲目に『船頭小唄』があるのだ。ちょっと不思議な演奏会だった。
 ちなみに、私は『船頭小唄』、曲目紹介を見るまで判らなかったが、るーさんはメロディで判った模様。さすがは見た目年齢10代、年齢公称20代前半の実年齢50代前半と噂の御仁、と、感服した次第(笑)。
 山科を後にして、次に向かったのは墨染である。
 ここの墨染寺も桜の名所なのだそうで、『墨染めの桜』で有名なのであるらしい。
 平安時代、藤原基経の死を悼んだ上野岑雄(かんつけのみねお)に「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」と詠みかけられて、以来墨染めに咲くようになったというこの桜。
 当代で3代目になるというその花は、確かに他の桜と違っていっそ白に近いほど色が薄く、『墨染め』という名も頷ける、不思議な色合いをしていた。

 

3 やはり食事も旅の楽しみ

 墨染を後にした私達の次なる目当ては、昼食である。
 ちよまさんオススメの、『半兵衛麩』という生麩で有名なお店で、『むし養い』というコースをいただく。
 この『むし養い』、お腹の虫をなだめしずめるというところからつけられた名前らしいのだが、くみ出し湯葉、湯葉の天ぷら、生麩田楽、生麩の天ぷら、白味噌仕立てのお味噌汁、中に具を包んだ生麩数種にご飯、お漬け物など、お腹の虫が黙るどころか「ありがとうございます、たっぷり堪能させていただきました」とお礼を言ってきそうなくらいに種類も量もたっぷりで、もちろん味も絶品だった。
 これで3000円というのだから素晴らしい。
 お店の雰囲気もとても良くて、落ち着いた、豊かな昼食だった。
 お店を出たところで、帰途につかれるゆかりさん、鯱子さん、みーにゃんさん、ちよまさんとはここでお別れ。
 11人になった一行は、清水寺へと足を向けた。

 

4 清水の桜、円山公園の花

 清水寺も春だった。桜が満開になっていた。つくづくタイミングに恵まれた旅である。
 本来なら2000年1年間だったはずの、33年に一度のご本尊特別開帳が、どうしたわけかまだ実施されていたのだが、時間が過ぎていてご本尊に逢えなかったのがいささか残念。ついでに夜間特別ライトアップにも時間が早すぎてこちらも眺めることが出来なかったのが、また少し残念でもあったのだけれど、それを補って余りあるほど花も緑も美しかった。
 立ち寄った地主神社で、うっかり丑の刻参りの五寸釘などというシロモノに触れてしまった高瀬さん(そんなモノに『うっかり』触れてしまうあたり、さすが当代粗忽王・^^;;;)が、結構ヤバいものを連れてきてしまう、などというトラブルもあったが、それも優さんが何とか祓ってくださって事なきを得る。
 が、土産物屋を眺めつつ三年坂を下りたあたりで、別のトラブルが発覚。
 さーやさんが、資金が足りなくなって、このままでは東京に戻るチケットも買えないという状況に陥ってしまったのだ。吉野を出てからずっとキャッシュディスペンサーを探していたらしいのだが、見つけられずに清水に至ってしまったのであるらしい。
 さーやさんと一緒に京都駅に向かおうか、という案も出たのだが、花の頃の円山公園を訪れたことのなかった私がついついワガママを言ってしまい、ここでさーやさんと別行動を取ることに。みなさまには申し訳ないことをしてしまった。
 そうまでして見た、円山公園の枝垂れ桜。
 花の盛りは6日だったようで少し花勢は衰えていたものの、それでも、夕暮れ時の薄闇に浮かび上がる姿は幽艶だった。年老いたせいで弱っているのか、幹や枝に白い薬が塗られているのが痛々しかったけれど、それも薄闇の中ライトに照らされれば幽艶さを増す一助になってしまう。
 人の多さを忘れて見惚れる風景だった。

 

5 そして、東京へ

 道が混んでいてバスだと時間が読めない、と、ちよまさんから連絡を頂いていたので、三条から地下鉄で京都駅に向かう。
 大阪在住ながらここまでつきあってくださっていたるーさんとは地下鉄京都駅のホームでお別れ。芦屋のMさんと、京都にもう1泊するという猫茶さん、ななさんとは新幹線改札前でお別れである。
 首尾良く合流を果たしたさーやさんが最後に一発「Mさん、改札入らないんですか?」とかましてくださり(『芦屋』の意味を綺麗に失念していらした模様)、笑いのうちに新幹線に乗り込んだ。
 が、ネタはまだあったのだ。
 京都を出、名古屋過ぎた直後のことだった。三河安城との間で、いきなり新幹線が、異音を検知したとかでストップしたのだ。
 何故最後までこんなトラブルに見舞われるのだ水庭お泊まりオフ!?
 そういえば昨年夏の山中湖お泊まりオフでも、2班に分かれた一方がレンタカーにガソリンを入れるためにガソリンスタンドを探し回り、危うく予定の列車に遅れるところだった。
 幸い新幹線は20分足らずで動き出し、速度を調整して運転してくれたお陰で、定刻通りに東京に戻ることが出来たが、遅れていれば終電に間に合わない方々も出たに違いない。冷や汗をかいた一幕だった。
 更に、東京駅に列車が滑り込み、乗客が席を立ち始めた時、優さんがとあることに気づいた。
 とあること。
 斜め前方の、スキンヘッドらしい青年の、アタマを包むバンダナの柄が、にこやかに微笑むセーラー○ーンの面々で、あることに。
 彼の度胸に感心するべきなのか、はたまた呆れるべきだったのか。いずれにせよ爆笑は出来ないまま、笑いをかみ殺して新幹線を降りたのだ。

 

 こうして吉野の旅は終わりを告げた。
 長いレポートを読破してくださった方々にお礼を申し上げるとともに、旅にご一緒したみなさまにも改めてお礼を申し上げたい。
 本当に、本当に楽しい旅だった。

 さあ、次はどこへ行きましょうか。

 

(吉野ツアー Photo Selection II)

 

狐作物語集Topへ   『おしながき』へ