誕生日は4月5日だと悟空は言った。 「すっげーっ! 見て見て三蔵悟浄八戒、すげー、サクラ、きれーーーっ!」 ──前略 斎天大聖孫悟空 誕生日は4月5日だと貴方は言った。 ──前略 斎天大聖孫悟空 誕生日おめでとう。
その日がいいのだと、彼が言った。
過去を喪った金眼の少年。
500年もの長きにわたってひとりきりで岩牢に囚われていた……大罪人。
自由を失い記憶を喪いただその名だけを大事に大事に抱えていた悟空は、自分の誕生日が本当はいつなのかも、忘れてしまっていた。
だから彼は誕生日を自分で決めたのだ。
悟空の誕生日は4月5日。
現在の全てが始まった日。
金色の目の大地の愛し子が、孤独の檻から解放された日。
彼が、この世界に生まれなおした、その日。
壮絶な闇を心のどこかに抱えて、それでもそんなことを微塵も感じさせずに太陽のように笑う彼の、その『闇』は、自分達には実際のところ計り知れない。
それでも彼は『誕生日』を喜ぶ。
その日が来るのが嬉しいと言う。
だから、尚更、自分達は……
満開の花の下で悟空が手を広げた。
──夜桜。
久々の大きな街に、辿り着いたのはやっと昨日のそれも日が落ちてからで、宿を取って外に出れば大概の店は閉まっていたからろくな補給も出来なかった。
『明日はここで1日休んで、買い物なんかもゆっくりでいいですよね』
八戒の笑顔の提案に、ただ
『ああ』
と三蔵が返すのを、珍しい、と、喜びながらも悟空が思っていると、それが顔に出ていたのだろう、八戒が、ふわりと微笑ってこう囁いた。
『悟空。明日は何日ですか?』
え、と一瞬悩んで、カレンダーを思い起こした悟空は光が弾けるような笑顔を浮かべた。
昨日の明日──つまり、今日──は4月5日。悟空の、誕生日。
決めたのは自分だけれど、それを誕生日として祝ってくれる、三蔵が、八戒が、悟浄がいるのが悟空はとても嬉しかった。
明けて、今日の昼間。
買い出しに行こうと宿を出た一行は、宿の裏手に桜林があるのを知った。
最初に気づいたのは悟空だ。
ほとんど香ることのないその花の、あえかな香りを彼が捉えた。
昨夜は暗くて判らなかったが、行って見ればそれらはかなりの大木で、しかも全てが満開に近かった。
目にした八戒は『これは……』と絶句し、悟浄は『いい花だねぇ』と喜び、三蔵はただ何も言わずに目を細め、その金色の大きな目をきらきらと輝かせて悟空は……『なあ、夜、また来ようよ!』と、言った。
そうして夜が更け、今がある。
宿の敷地内だからだろう、昼間でもそれほど人影の多くなかったこの桜林だが、夜も更けて深夜も近くなれば流石に他に人はいない。
黒々とした地面には、散った桜が降り敷いて、美しくも複雑な文様を描き出している。大きく張り出した幹も、やはりところどころを花片が飾っていた。
空では白金の月が綺麗な弧を描いている。星を圧するその光は、大気を通る間にその色を変えて、地上の全てを銀に染める。
金の月。銀の光。
その光の中で、ほのかに紅を滲ませた白い姿を銀に染めて、浮かび上がるように桜達は立っていた。
神聖。魔的。端麗。妖艶。天上の妙香と血の匂い、どちらが香っても似合うだろうその姿は、凄絶なまでに美しかった。
「すっげー…………」
一足先に桜の木の下に駆け寄った悟空は、そう言ったきり言葉を失い、一心に花を見上げる。
この世ではないどこか別の場所にいるような、そんな気が、悟空には、した。
──懐かしい。
(え…………?)
ふと浮かんだ言葉に、悟空は首を傾げる。
今、確かに何かが思考の隅を掠めた。
その尻尾を捉えようとしたけれど、それは水のように捉えどころがなくて、曖昧で。
もどかしい思いで立ちつくす悟空を、けれどゆっくり歩いて追いついてきた仲間達の声が現実に引き戻した。
「大したもんだな。これだけの木を」
「本当に、見事としか言いようがないですね」
振り返る悟空のすぐ後ろで三蔵が桜の根本に腰を下ろし、その隣では八戒が、持ってきた酒や料理をシートの上に並べている。
隣りに立った悟浄は、笑いながら言った。
「おー、すげー。こんだけ幹が広がってたら幹渡りしたくなるな。やるか、猿?」
確かに目の前の桜はことのほか大きくて、幹も横に張り出していて、その上を歩いて渡るのはとても面白そうだったから。
「危ないですよ。気をつけてくださいね?」
「安心しろ。落ちたら苦しまずにすむようにちゃんとトドメを刺してやる」
いかにも彼ららしい言葉で注意を促す八戒と三蔵を地上に残し、
「やるっ!」
応えて悟空は身軽に幹に飛び上がった。
タン、タン、タンッ。
次はこの幹、その次はここ、と次々立ち位置を変えて飛び移って。
そうして悟空は、ふとその足を止めて桜に見入った。
遠くから眺めても下から眺めても十分綺麗な桜だけれど、こうして木に登ってみると、花に包まれている感じが強くなる。
見上げる天蓋に桜。目の前に桜。足下にもほのかに紅いその花があって、はらはらと花片が闇夜に舞って。
更に下には三蔵と八戒がいて、そうして自分の後ろには悟浄が。
また、悟空は思った。
懐かしいと。
いつかもこんなことがあった、と。
いつだったかは判らない。どこだったかもそばに誰がいたのかも判らない。それでも確かに自分はこんな時間を知っていた。
懐かしくて、愛しくて、そうして切ないこんな風景を、確かに、自分は……。
──どこで。いつ。誰と。
そんな記憶も全て喪くしてしまったのに、ただ『想い』だけが残っている。
そうまでして残るものに、喪ったものの大きさを思い知らされる。いつもは心の片隅に閉じこめてある疑問や不安が、その存在を主張する。
そうして、思う。
記憶も喪って、自由も失って、500年岩牢に閉じこめられるほどの、自分はどんな罪を犯したのだろう。
──自分は、何を喪ったのだろう。
自分で誕生日だと決めた、今日、自分は三蔵にあの暗闇から連れだしてもらったけれど……そこから全てが始まったけれど、果たしてそれは許されることだったのか。
自ら犯しながら忘れてしまっている『罪』を──おそらくはそのせいで大事な何かを喪ったその罪を──今ここにいる自分が繰り返さない保証はどこにもない。
忘れているならなおのこと。
ならば、自分は……
(……俺は……ここに……)
──ズキリ、と。
続いて浮かんだ言葉に胸の奥が痛んだ。
それがあんまり痛くて、視界が揺れて。
慌てて踏み出した足は空を蹴った。
伸ばした腕も枝に届かず、
(……落ちるっ!)
瞬間目を閉じた悟空の身体は、けれど落下の途中でその動きを止めた。
「悟空っ!? おいナニやってんだバカ!」
「…………悟浄…………」
「アホかお前。猿が木から落ちるなんて諺実践してどーするよ? それともナニ、自分で猿だって証明したかったってか?」
軽い口調で揶揄しながら、それでも自分がきちんと幹に立つまで支えてくれる悟浄に、悟空はちいさくこう返す。
「ごめん……さんきゅ」
その口調が、表情が。
何故か悟浄には──そして三蔵にも八戒にも、常の悟空らしくなく、淡く思えて。
「悟空……」
名を呼んで後を続けられない八戒の、声に続けて三蔵が、叩きつけるように、言った。
「猿がイッチョマエに考え事なんかしてんじゃねーよ。脳ミソ沸騰するぞ」
いつもなら怒って騒ぎ出す悟空の返す声は、けれどそれでもまだ、弱い。
「さんぞー……俺……俺は……」
──自分は、ここに……
悟空が言葉に出来ないその問いを、三蔵は言葉で撃ち砕いた。
「バカ猿。さっさと来ねーとお前の分の料理も酒も全部俺達の胃に収めるぞ」
──さっさと、来ないと。
弾かれたように悟空は三蔵を見る。
金色の髪の最高僧は、相変わらず不機嫌そうに眉間にしわを寄せたまま、愛用の煙草に火をつけた。
「それは、ちょっと……。いくらなんでも僕らだけでこれ全部は無理ですよ、悟空がいないと」
三蔵の隣で八戒が笑う。
「あー、でもチャレンジしてみるってのはイイかも」
そうして悟空の後ろからは、悟浄の声。
──変わらない。いつも。
過去がなくても、天界の罪人でも、人間でないのはもちろん、普通の妖怪ですらなくても、それでも全部、関係ないのだと。
彼らは、言葉で、態度で、伝えてくれる。
そうして自分に居場所をくれる。
だから自分は『悟空』でいられた。
『悟空』に、戻ることが出来た。
彼らと共に在るために。彼らに誇れる自分であるために。
──自分が自分であることを、見失ったりしたくない。
金の瞳に光が戻る。
「ヤダよ! だってそれ、俺のためのもんだろー!?」
「ならさっさと来いバカ猿。いつまでも遊んでると夜が明けるぞ」
「うんっ!」
返しながら悟空は、先ほど落ちかけた幹から、今度は危なげなくひらりと飛び降りた。
見送って悟浄がクスリと笑う。
「さーっすが、保護者さん♪」
八戒がふわりと微笑んだ。
「お見事、ですね」
その言葉を贈られた金髪紫眼の悟空の保護者は、ただ不機嫌に「ふん」と、さもうんざりした風に、煙草の煙を吐き出した。
大地の愛し子が駆けてくる。そのすぐ後ろから悟浄がゆったり歩いてくる。隣りに座る三蔵は、不機嫌を装ってこそいるけれど、それが本心でないことぐらい見れば判る。
悟空を迎えた八戒は、柔らかな笑みを浮かべて、大きな箱をシートの中央に置いた。
両手で蓋を持ち上げる。
そうして言った。
「Happy Birthday, 悟空!」
「うわっ、やった♪ 八戒、悟浄、三蔵! ……サンキュなっ!」
嬉しそうに笑う悟空の顔は、『太陽』のそれに戻っていた。
その日がいいのだと、貴方が言った。
今の全てが始まった日だから、自分の今の誕生日はこの日がいいと。
記憶を喪い自由を失って、たったひとりで500年の孤独に耐えた金眼の子供。
──斎天大聖孫悟空。
時々貴方が遠い目をするのを知っている。
思い出して懐かしむ自由さえ奪われてしまった過ぎ去った時が、ふと甦って貴方にそんな顔をさせるのだと、自分達は知っている。
貴方が天界で罪を犯し、だから五行山に封印されていたのだと、それも知ってはいるけれど……。
それは、誰にとっての罪だろう?
自分達はそれを知らない。だから自分達には関係ない。貴方の罪が何だろうと。
『今の貴方』を知る自分達には、『今の貴方』で十分だから。
そうして思う。
──きっと。
貴方が天界にいた頃にも、こうして貴方の誕生日を祝う『誰か』がそばにいた。
きっとその『誰か』は、ありったけの心で貴方を慈しんだに違いない。
なぜなら貴方はまっすぐだから。
まっすぐで、眩しくて、とてもキレイな魂を持っているから。
愛されて育った子供の『靱さ』を、貴方は持っているから。
──貴方のそばにいた『誰か』が、今も在るのか、自分達は知らない。
けれど。
たとえもうその『誰か』がいなくても。
貴方が在ることを。
貴方が再び自由を手にしたことを。
貴方が生きるのを止めなかった、そのことを。
きっとその『誰か』がここにいたら、自分達と一緒に喜ぶと思うから。
だから、今貴方のそばにいない『誰か』の分まで、自分達が貴方に伝えよう。
そして、ありがとう。
全てが始まったこの日まで、貴方が生きることを諦めなかったからこそ『現在(いま)』がある。
あとがき(もしくは言い訳・^^;) お待たせしました。悟空への『お誕生日おめでとう』小説です。(え、待ってない?)
八戒さん、悟浄、三蔵ときて、悟空に向けてのこれが書けないはずがなかった。でもって、書かないワケにもいかなかった。悟空ひとりだけ仲間はずれなんて可哀想だし、そんなことしたら保護者さんたちが怒ってきそうで(苦笑)。そして『おまけ』を付け足すあたりが……
いつも言うことですが、感想、いただけるととても嬉しいです。掲示板でもメールでも結構ですので、是非。