「悟空は……あの子はあの時……」
明かりを消した室内で、窓を開け放ち月の光を招き入れ、それに照らされて銀色に浮かび上がる夜桜を眺めながら八戒が漏らした言葉を、黙ったままで悟浄は聞いた。
カラン、と、2人の手の中で、琥珀色の酒に浮かべた氷が揺れた。
悟空が──あの太陽のように輝く金の眼をした少年が、あの時何を言おうとしたのか。
言いさして最後まで紡がれることのなかったそれを、おぼろげながら悟浄も、八戒も、知っていた。
「ああ」
短い悟浄の答えに、八戒は吐息をこぼす。
彼が喪った大事な『何か』。忘れてしまった『罪』の記憶。そうして500年もの間封印されていた、という、その事実を。
考え合わせれば自ずと知れる。
──自分は、ここに、いてもいいのか。
4人ともがそれぞれに抱えているその問いが、けれどその心に最も深い陰を落としているのは、実はおそらく悟空だろう。
普段は欠片すら感じさせないその『闇』が、ふとしたきっかけで浮かび上がって悟空の瞳を曇らせることに、悟浄も八戒も三蔵も、気付いていた。
「大丈夫、ですよね……?」
ぽつり、と、八戒が呟く。
「ああ。大丈夫、だろ」
──あいつが、いるから。
悟空を、抱えた闇ごと包むのは八戒。闇を闇と知りながら笑い飛ばすのは悟浄。三蔵は、闇ごと光で射抜いてのける。
自分達がいる。そして誰よりも三蔵がいる。だからきっと大丈夫だ。
言うと八戒が「そうですね」と微笑った。
その笑顔に、問いかけてみたくなる。
「……お前は?」
「…………え?」
「お前は? 八戒」
言葉にされることのなかった悟空の問いは、ここに在りたいからこそ出るものだ。
だから悟浄はふと思ったのだ。
ならば八戒はどうなのだろうと。
名を悟能から八戒に変えた時、決して生きたがっていたわけではなかっただろう彼は、けれど死ぬのが少し怖く思えると言った。
積極的に『生きたい』と思っていたわけでないのは自分も同じ、そしてきっと三蔵も同じなはずだった。
──それでも。
それでも、今は願っている。
目の前にいるこの青年が、誰でもない自分自身のために『生』を望んでくれることを。
彼と共にある時間が、長く、永く続くことを。
そうして祈るように悟浄が紡いだ問いかけに、八戒が返したのは困ったような笑みと問いかけだった。
「……悟浄、あなたは?」
「あ?」
「僕にそんなことを訊く、悟浄、あなたはどうなんですか?」
ここにいたいと想ってくれますか。
共に在りたいと想ってくれますか。
──共に生きたいと、想ってくれますか。
言葉にしなくても想いは届く。
言葉にしない想いは、言葉の後ろに、向こうに、隠れて届く。
だから悟浄は笑って言った。
「ンなの、言うまでもないコトっしょ?」
「なら、僕にも訊かないでくださいそんなこと。」
「あー……ワリ」
悪戯を見つかった子供のような悟浄の表情を、見つめて八戒がふわりと微笑う。
「悟空、大丈夫ですよね」
「ああ、大丈夫だろ」
明日にはきっと『太陽』が戻る。
それを取り戻すために三蔵がどんな言葉を紡ぐのか。
判る気はするけれど、どうせなら聞き出してみたい。
「明日小猿ちゃんに訊いてみよ。」
「朝早くはやめてくださいね? 宿の方々にご迷惑ですよ」
「りょーかい」
やれやれ、と八戒が笑って、にやり、と悟浄が口元に笑みを浮かべる。
そうして見やった視線の先で、月光を受けながら桜が舞って、闇に白い軌跡を残した。