『もらっとく三蔵 浄八サイド』

 

 

 はにかんだ、そして嬉しそうな中に少しばかりの不安も織り交ぜた笑みを残して、悟空は行った。カチャリ、と、閉まるドアが小さな音しか立てなかったのは、悟空の不安の現れだったろうか。
 廊下を行く足音が十分遠ざかってから、悟浄はそっと呟いた。
「行った、な」
「ええ、行きましたね」
 答える声は、相棒のもの。穏やかな、しなやかな、優しい声。
 けれどその声に、今は何故かただ優しいだけではないモノを感じ取って、悟浄は思わず自分の隣に目を向けた。
「……八戒?」
「……はい?」
 呼ばれて振り向いた翡翠の瞳にも、どこがどうとは言えないが、翳が揺れている、ような気がする。
 ふと思いついて訊いてみた。
「ナニお前、ひょっとして淋しいの?」
 飛んできた言葉に、八戒の目元がほんのりほころぶ。
「違いますよ。淋しい、んじゃ、ないです。ただ……」
「ただ?」
「いえ、花嫁の家族って、こんな気分かなぁ、って。」
 ──変と言えば変ですし、今更かもしれませんけどね。
 呟いて、八戒は今度はふんわりと微笑った。
「何か、判る気するワ、それ」
「でしょ?」
 哀しいんじゃない。淋しいのでもない。彼等が幸せなら自分達も嬉しい。けれどそれでも、どこかに言いようのない感情が在る。
 そんな立場になったことはないけれど。そしてこれからも、ないのだけれど、『花嫁の家族』とは言い得て妙だと思った。
 そうして、ふと、思い当たる。
 翡翠の瞳が翳る、もうひとつの理由。その、可能性。
「八戒」
「はい?」
「もしもの話は、ナシだからな。」
 何に関して、とは言いたくなかった。名前を出したくなんかなかった。その人の名前だけで、この相棒は、いくらでも自分を抉るから。
 4人の中でただひとり、『花嫁の家族』になる可能性のあった彼。奪ったモノ、喪ったモノ。大きすぎる傷は、痛みは、こんなちいさなことで簡単に甦る。
 伝わるだろうか。通じるだろうか。けれど今のお前は『八戒』なのだと。
 口元に笑みを浮かべながらそれでも眼差しだけは真摯に、見つめると八戒は薄く笑った。
「…………はい」
 その、笑顔に、手を伸ばす。やわらかな髪を指で梳いて、そのままそっと抱き寄せる。
「悟浄?」
「変わらねぇよ、何にも。あいつらはあいつらのままだし、俺達も俺達だ。ヤだっつってもこの旅はもうしばらくは続くし、それが終わっても、また前に戻るだけだ。なにひとつ変わりゃしねぇよ。俺達はそう簡単には死なねぇし、死んでやるほどヤワでもねぇ」
 永遠はないけれど、それでも時を越えて変わらないモノは、多分ある。
「だから……」
 だから、そんな顔をするなと。言葉にする代わりに抱きしめる手に力を込めると、腕の中で八戒が、自分に言い聞かせるように呟いた。
「ええ。そうですね。変わりませんよね、少しも」
「ああ、変わらねぇ。少しもってのにはちっと異論があるけどな」
「異論、あるんですか?」
「そ。俺らが俺らなのは変わらねーけど、『想い』は積もっていくだろが」
「……積もりますか」
「おーよ」
「……積もりすぎて発酵したりしません?」
「……お前ね」
「あ、根雪になるってのもあるかも……」
 明らかに八戒は腕の中で楽しんでいる。笑っている。
(けど、笑ってくれるならそっちがいいよな。ずっとイイ)
 だから笑って言葉を返した。
「いーんでないの? 根雪になっても永久凍土になっても。積もって積もってかったーくなって、ちょっとやそっとじゃ壊れねーってコトでしょ」
 したら半永久保存も出来ちゃうぜ。
「だろ?」
「……そうですね。」
 腕を緩めて覗き込む。
 湖水を思わせる深い碧が、今は笑顔に揺れていた。

 

 願わくはこの碧水が、暗く沈むことのないように。

 

 

三蔵BD小説の『おまけ』は、これで終わりです。
浄八サイドの方が三空サイドよりも長いのは……
それはひとえに主の想いの差、というかなんというか(笑)。
ところでコレ、最初は『ほの甘』のつもりで書き始めたのですが、
書き終えてみたらどうにも『甘々』に思えてしょーがありません(^^;)。やれやれ。
 

 

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