『三蔵、誕生日は?』
訊ねたのはいつのことだったろう。
定かではない記憶の中で、ただ
『11月……29日だ。』
と答えた最高僧の瞳の紫暗がその一瞬ほんの少しだけ深みを増したのを、覚えている。
おそらくは、彼が師匠に拾われた日か、そこから逆算して大体のところに師匠が決めたの、どちらかだろう、その、日に。
それでも自分達には、この金色の青年に、伝えたい言葉があったのだ。
──前略 玄奘三蔵──
昼過ぎに辿り着いた街で、先を急ごうとした三蔵に早めの投宿を提案したのは、八戒だった。
「ここを過ぎたら今夜も野宿ってことになりますよ。買い出しもしたいですから今日はこのままここで宿を取りませんか」
この手の提案にはイチもニもなく飛びつく悟空と悟浄が当然のように八戒方につき、どうせ眠るならジープの座席よりベッドの方がいいに決まっている三蔵の「まあいいか」の一言であっさり話が決まった。
街の中心部の宿は、上手い具合にシングルが4つ空いていて。
各自荷物を運び込んで、八戒の部屋に集まって、コーヒー片手にほっと一息ついたところで、三蔵がつと立ち上がった。
「さんぞー?」
きょとん、と見上げる悟空を見下ろし、同様に視線を向ける八戒と悟浄にひとこと
「散歩がてら煙草買ってくる」
言い置いて三蔵は部屋を出て行く。
「めっずらしー。いっつも自分じゃ行かないくせに」
悟浄が小声で呟いたのは、それでも扉がパタンと閉まる音を聞いてからのことだった。
──半分は本音。けれど残りは、最高僧の行動の裏にある、今日を意識したものへの気遣いを、隠してわざと紡がれた軽口で。
「……でも、丁度いーんじゃない?」
「……そおですね」
同じ想いを共有しながら、悟空と八戒が呟いた。
「で、どうします?」
空のカップにコーヒーをつぎ足しながらの八戒の言葉に、悟空がことんとテーブルに顎を乗せる。
「どーすればいーんだろー……」
悩みの種は金髪の青年。
欲しい『モノ』など無さそうな彼に、伝えたいことを伝えるために、そうして出来れば少しでも喜んでもらうために、どうすればいいのかが判らない。
テーブルに片肘ついた悟浄がぼそりと言った。
「いっそコレに でも付けてみるか?」
「…………コロされますよそんなことしたら僕達。速攻で」
「だよなやっぱり」
「…………ナニ?」
目の前で頭を抱えた八戒に、ひとり会話を理解出来ない悟空が顔を上げて訊ねる。
「いいえ。何でもありません。さて本当にどうしますかねぇ」
苦笑混じりの八戒が逸れた話を元に戻すと、やはり苦笑混じりの悟浄と悟空が応えて曰く
「やっぱ、オーソドックスにいくしかないんじゃねぇ?」
「芸がねぇケド、しょーがねっかー」
「それじゃ、買い出しに行きますか。必需品も足さなくちゃ、ですし」
言って立ち上がった八戒に
「はぁい」
引率の先生に従う生徒よろしく『いいお返事』を返した悟空と悟浄が、役割=荷物持ちを果たすべく、やはり立ち上がってその後に続いた。
いつも通り五月蠅いくらいに賑やかな夕食を終えて、真っ先に部屋に戻ろうとした三蔵は、八戒に呼ばれて歩みを止めた。
「……何だ?」
「ちょっと相談したいことがあるんです。悟空も悟浄も僕の部屋に来てくれますか」
「疲れているから明日にしろ」と言いたい気がしないでもなかったが、実際そう言ったところで「明日じゃちょっと」と返されるのがオチだ。
「ああ。」
短く答えた自分の姿に、八戒はともかく悟空と悟浄の顔にまで、どこか安堵にも似た表情が浮かんだように思ったのは気のせいだろうか。
訝りながら八戒の部屋に入った三蔵は、けれど目の前に広がる光景に、それが決して自分の『気のせい』などではなかったことを知ったのだ。
「……何だコレは。」
テーブルの上に並んでいるのは、ワインのボトル。クリスタルのグラス。チーズにクラッカー、薫製のハムにパン、野菜スティックにディップにフライドポテト。
見たままのソレは、つい20日前と2ヶ月前、自らも荷担して準備したモノに酷似していて、だから三蔵は改めて今日という日を思い出す。
今日──11月29日。
自分の、誕生日だと、されている日。
わずかに眉をひそめた三蔵の耳に、後ろから躊躇いがちな悟空の声が響く。
「さんぞー? ……誕生日、おめでとー。」
既に彼岸へと旅だった二人の次に長く自分の側にいて、喪った師匠と同じくらい、多分自分の近くにいるこの小猿は、『保護者』が『今日という日』に対してどんな想いを抱いているのかを知っている。
それは八戒にしても悟浄にしても同じなはずなのに、彼等は毎年のこの行事を、決して止めようとはしなかった。
それはきっと、なんだかんだと言いながら自分が他の3人のための『その行事』に参画してしまうのと、理由は同じ、なのだろうけれど。そのことを、ちゃんと判っても、いるのだけれど。
それでもやはり毎年同じようにこぼれ落ちる言葉は、止めようがなかった。今年は特に。
「ったく。よくやるな。毎年。嬉しくねーだろ別に誕生日なんて」
師を喪って、今また仕方がなかったとは言え旧い友をその手にかけて、めでたいなんて思えるモノか。
──なにより、自分のこれは、八戒や悟浄のそれとは違うのに。
ウンザリした声の裏にそんな想いが宿っているのは、いつもと同じ。それに答えて
「まあまあ」「いーじゃん別に!」「そうそう、他人様の好意は素直に受けとけって」
そんな風に3人が言うのもいつものことで。
けれど今年は自分の表情がいつもに比して険しかったのだろうか?
翡翠の瞳に笑みを浮かべて、八戒が言った。
「それに三蔵。誕生日、決めておいた方が何かと都合がいいですよ。」
その隣で紅い髪が揺れる。
「そーそ。でないと俺達、『ひょっとしたら今日カモ、最高僧サマの誕生日?』なんて毎日思ってなきゃいけねーもんなー」
そうして、ダメ押しのように金目の小猿が。
「いーの、三蔵それでも?」
見渡した3つの顔に浮かぶのは、共犯者の笑み。無邪気な悪戯を仕組む子供の笑み。
多分八戒の入れ知恵だろう彼等の笑みの、向こう側に、三蔵は、悪戯が実行された場合の未来の自分の姿を見る。
少なくとも11月ひと月、朝目覚めて顔を合わせる度に自分は言われるに違いない。
『誕生日かも知れない日おめでとう!』
考えただけでゾッとする。
「…………よせ…………」
呟くと同時に懐かしい顔が甦った。
──同じ事を、昔、師匠であり父であった人も、言った。
誕生日が今日でなくても構わないと。ただ、ひとつ年を重ねたことに「おめでとう」を言う日が欲しいのだと。
まさか今になって同じ言葉を聞くことになるなど、想像もしていなかったけれど。
(……まったく、コイツらは……)
額に手を当てて笑い出したくなるのを高すぎるプライドで押さえ込んで椅子に座ると、それを合図に残る3人もテーブルについた。
「解禁後だからな、ヌーボーよん♪」
オープナーでワインを開けながら悟浄。
笑みを浮かべた八戒が詫びるように囁く。
「一応銘柄を基準にはしましたけど、こればっかりはそれだけじゃ判らないから、僕達で試飲して良さそうなのを選んじゃいました」
「あと……色で、な。」
へへっ、と、悟空が笑った。
見ればラベルはボルドーだ。グラスに注がれた液体は、紅に紫を含んで、見慣れた自分の色を連想させた。
「ほい、いいぜ」
「それじゃ。」
悟浄と八戒の視線が、悟空へと向かう。
紅と碧と紫に見つめられた金色は、まっすぐに紫を見返してグラスを掲げた。
「誕生日、おめでとう、三蔵!」
「おめでとうございます」
「おめっとさん。」
聞き慣れた声と同時に、チリン、チリン、チリン、と3度、グラスが合わさる音がする。
「…………ああ。」
相変わらずぶっきらぼうな最高僧は、応えるようにそっとグラスを掲げて見せて、
「……美味いな」
とひとこと呟いた。
──前略 玄奘三蔵
生まれてすぐに川に流されたという貴方の、誕生日が本当はいつだか判らないことくらい、自分達も知っている。
師である光明三蔵法師が、貴方と出会った日か、そこから貴方の大体の生後日数を逆算したあたりを、貴方の『誕生日』と決めたのだろうと。
そうして貴方がその『誕生日』を気にもかけていないだけでなく──多分師を喪ってからは更に──どこかで疎んでいるだろうことも、自分達は判りすぎるくらい判っている。
それでも。
それでも、自分達は感謝したいのだ。
貴方が生きて師と出会ったことに。光明三蔵が貴方を捜し出してくれたことに。
──貴方が今、在ってくれることに。
こんなコト、普段口にするのは照れくさい。うっかり口にしようものならS&Wの弾丸かハリセンが飛んでくるのも目に見えている。
だから、1年に1度くらいは言わせてほしい。
『誕生日』という『特別な日』を借りて。
──前略 玄奘三蔵
誕生日おめでとう。
貴方が在ることがとても嬉しい。
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