傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 32 [ 2005年6月 ]


Detroit Jr. & Tony at Rosa's Lounge
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2005年6月2日(木曜日)

去年のこの時期、京都から3ヶ月ほど遊びに来ていたギターのK太が、マイルドセブンを引っさげてロザへ現れた。今回は数週間の滞在らしいが、オレの出身地の風が漂う気がして故郷が漫(そぞ)ろ恋しい。

昼頃、マネージャーが今月のスケジュールをやっと知らせて来た。未確定のものを除いてもSOBだけで15本入っている。保留にしていた他ユニットからの日程を当てはめてみると、現場が全部で23本。別にレコーディングが一日とレッスンが数日あるので、完全休日は三日ほどしかなさそうだった。

わーい、わーい、オレ様は大モテミュージシャンだわいと騒いだところで、誰も誉めてはくれない。以前にも書いた(2003年6月26日参照)が、日本の働く人々の方がもっと忙しいに決まっている。問題なのは、これだけ演奏しているのに生活がちっとも良くならないことなのだ。

某紙でニューオリンズのベストギタリストに選ばれたY岸さんなど、フェスティバルの期間には複数本でない日がないほどのモテ様らしい。オレなど今年のシカゴ・ブルース・フェスティバルでは、SOBが出るメインステージの一本のみ。どうせくれるのなら、もっと単価の高い仕事を寄越せと誰かを恨みたくなるが、ツアーやフェスなど、美味しい話のときに限ってSOBの日程とダブっていたりするからやり切れない。それでもある程度スケジュールが埋まるのは、ローカルのクラブ演奏が多いということだ。

たとえフリーランスで活動していたとしても、既に引き受けた仕事を断わって、より条件の良い方を選ぶなど、よっぽどなことでない限り性格的に無理がありそうだ。ちょうど今、単独で日本へ行ってるらしいY岸さんの言葉が思い浮かぶ。『へっ!?ニューオリンズはみんな金で動くよ。そやしワシも、よー裏切られたわ、裏切りもしたけど・・・』

メモリアルデー明けで暇だったからか、トニーの調子が悪かったからか、ロザは早くに店仕舞いした。ベースのバーナードが『秋に3週間ヨーロッパへ行くんだけど、アリヨもどうよ?』と尋ねている。誰と行くのかはもう忘れてしまった。シル・ジョンソンだったかも知れないし、なんとかスコットだったような気もする。どっちにしても実現しそうにないし、上の空で彼の話を聞いていたから忘れたのだろう。

そういやSOBで日本公演が決まったことを、先月だったかマネージャーが言っていた。その後詳細を聞いていないので現実感が沸いてこない。日本のプロモーターからの最初の打診は大抵オレにくるので、交渉はマネージャーがおこなうにしても、ツアー決定をいきなり知らされてびっくりしたのだ。

7月下旬、青森県でのみの公演。せっかくの来日なのに単県とはもったいないが、それだけ贅沢なツアーだと信じて楽しみにしている。


2005年6月4日(土曜日)

シカゴから南へずっと下がったところ、アパートから車で1時間半ほどのリッチトン・パークという町のブルース・フェスティバルにSOBで出演。

オレたちの出番は午後10時からだったが、8時頃に着いてみると、会場となった広い駐車場はがらんとしている。中ぐらいの特設ステージ上にあったであろう機材はすべて片付けられていて、周りの食べ物や土産物などの出店も、営業しているところは数えるほどしかない。辺をうろつく人はすべてフェスの関係者のようだった。

雨である。それも大雨が、開場間もなくの夕方から2時間も続いたらしい。

野外のイベントの成否は天候に左右されやすい。数年前のシカゴ・ブルースフェスティバルでは、メインのオーティス・ラッシュが登場した途端、嵐のような横殴りの雨が襲いかかり、10万人の人々でひしめいていたグランドパークは、ほとんどの人が立ち去った。しかしオーティスの演奏は凄まじく、開き直って雨中に残った500人ほどのファンは、気も狂わんばかりに踊りまくり興奮していたという。

ケーブルテレビのお天気専門局を観て、今日はシカゴ周辺が深夜まで雨なのは知っていた。それも、局地的な豪雨の予想である。オレは昼過ぎから、いつキャンセルの電話が掛かってくるかと待っていたが連絡はなかった。

フリーウエイの94号線をダウンタウンから南へ10キロも進むと、メンフィス方面へ向かう57号線の分岐点に出くわす、その少し手前で高速は渋滞し始める。大雨で前が煙り、どの車も徐行しだしたからだ。15分もすると小降りになり、57号線で運転がスムーズになる頃にはワイパーも要らなくなっていた。

それでも西の空は無気味に暗雲が垂れ込めている。その中に雨雲が点在していて、非常に狭い範囲へバケツの水をひっくり返してくれるのだ。海に囲まれた山国の日本では考えられない、間欠泉のような夕立ちに見舞われることとなる。だから、リッチントン・パークへ通じる高速からの道が乾いていても、どこかに不安があった。

会場周辺の整理にあたる10数名の警察官や、揃いのTシャツを着た係員の姿はあるが、観客と思しき人々がどこにも見えない。Tシャツの指示に従い入口から離れたところへ車を回すと、ビリーが所在なげに立っていた。

ステージはテント下へ移され、オレたちは予定通りに演奏すると彼が告げた先を見ると、駐車場の反対側に大きなテントが張られている。そこでようやく、演奏が始まるのを待ちわびた観客が残っていることを知った。

エディ・テイラーJr.がサイドを務めるルリー・ベルのバンドが始まると、どこから湧き出て来たのか、テントの外にまで人が溢れる盛況となった。もっとも、元々の規模に比べると寂しい状態なのだろうが、ひとりひとりの歓声や拍手の力強さがそれを感じさせない。ソロ後の反応も自然発生的で、フェスを本当に楽しみにしていた人々が残っていた。

結局オレたちが演奏を終えるまで、再び雨が降り出すことはなかった。主催者にしてみれば、雨雲の通過がもう4時間ほど早いか遅ければと空を恨んでいたことだろう。

しかし気になるのは、フェスのトリであったSOBの演奏への観客の反応が、出だしに比べて次第に落ちていったことだ。それは、最後までテンションの下がらなかったルリーのセットとは対照的に思える。客席とステージ上とで拍手の印象は変わるが、SOBの90分では明らかに客がダレていったのが分った。

ルリーでエネルギーを使い果たした人々が、オレたちの前半で力尽きたと思いたいが、確信の持てないところが、今のSOBの窮状を表している。


2005年6月6日(月曜日)

4日間で100万人近い人々が集う、世界最大規模のシカゴ・ブルースフェスティバルの週が明けた。

アーティスへの車中で、ロックステーション(93.1FM)が今年のフェスのスケジュールを告知しながら、それぞれの曲を掛けているのを聴いていたら、フェス自体のコマーシャルでBGMにSOBのCD(オレや丸山さんは参加していない)を使っていた。そして本格的なCMになると、ビリーが出演しているビールのコマーシャルまで流している。

店に着くなりビリーにそれを告げようとすると、逆に彼から『FMのフェスの宣伝を聴いたか?』と訊かれた。『ええ、おまけにあなたのビールのコマーシャルまで聴かされましたよ』と答えると嬉しそうに笑った。

世界のブルースファンが訪れる今週は、黒人街のこの店も国際色豊かになる。京都からのギタリストのK太を始め、バルト海のラトビアからは5人組のブルースバンドが来ていたし、ドイツ人のギタリストやスイス人夫婦の姿もあった。

大将は遠来の人から、または早くに来店していた人からステージへ上げていく。そんなビリーの気配りは頼もしいが、珍しく腰を上げたフィル・ガイが4曲も演ったために、6人いたベースの二人は上がれなかった。完璧にはいかないところもビリーらしい。

バディ・ガイの日本公演を終えて今日帰国したばかりのマーティ(P)は、オレを捉まえて『サケ、サケ』と囃し立てる。でもお気に入りは、大阪都ホテル横のインド料理だったらしい。SOBの出演は土曜日のメインステージ、バディ・ガイのトリ前だ。

知ったミュージシャンを見れば『お前はどの日どこで誰と演奏するんだ』と訊いている、「お祭りモード」のシカゴの夜は更けゆく。


2005年6月8日(水曜日)

ブルースフェス観賞にスイスから来訪中のカップルが、南の郊外のクラブ・ジェネシスへ白人の友達を連れて来ていた。

ずんぐりとしたその人はオレたちの演奏がとても気に入ったらしく、上気した表情で『私はフロリダに住んでいますが、オヘア空港が基地であるユナイテッド航空のパイロットなのでシカゴ滞在が多いのです。だからブルースクラブへはよく行きますが、今夜のライブは私が観た中で一番でした。とくにアナタのピアノは素晴らしい』と讃えてくれた。

何故かは分からないが、今日のオレの演奏はいつもと違っていた。流れる曲に身を任せ、指が運ばれるまま、客に煽られるまま、忘我の境地に到っていたような気がする。それは常連客のみならず、デロレスを始めいろんなミュージシャンが褒めちぎってくれたから、素直に受け入れられる。

初めてこんな状態になったときは(2004年6月28日参照)意識した態度が先にあったが、今日は何も考えていなかった。演奏を始める前から、ただ機嫌だけは良かったのを覚えている。だから言われて初めて、(そうか、良い演奏だったのか)と気付いたくらいだ。これが常態になりもっと先へ進まねばならないのだが、明日はまた普段の演奏なのだろう。少しずつでも成長できていれば嬉しいのだが。

機材を片付けていると、スイス人らのテーブルに座って談笑するニックを見付けたので、『こっちの人はユナイテッドのパイロットだって』と教えた。『知ってるよ』と応えられたのがどこか悔しくて、『フロリダに住んでるんだって』と続けると、再び『知ってる、全部知ってるよ』と笑われた。オレは意地になり止めない。

『ハリケーンで家が壊れたんだって』
『それも知ってる』
『じゃぁ、オレたちの演奏を彼がとても気に入ったってことも?』
『知ってるさ』
『アンタ以外をだけど』

最後の言葉にニックは一瞬間を置いた。そして小さな声で答える。

"I know..."

ニックは「お笑い」が分っていらっしゃる。


2005年6月9日(木曜日)

ブルース祭り始まる。

来週の金曜日までは今日の昼しかミツワで食材を買い出す時間がなく、それでも夕方までブルフェスを観て夜はロザで演奏、なんてことができるほどの若さもなく、ついでの所用を済ませて夕方ベッドへ落ちて、起きた勢いでロザへ出掛けた。

普段の木曜日はジャムのホストバンドだが、ブルース・フェス開催中はジャマーも分散するだろうし、なによりフェス帰りのお客さんでごった返すから、木曜スペシャルユニットが、セッションなしのレギュラー・ライブを繰り広げるのは毎年の恒例。 

観光客の集まるキングストン・マインズやブルース(B.L.U.E.S.)は満杯で入れなかったのか、こちらの方がゆったり居られるからか、あまり顔を見せないゾラ・ヤングやリンゼイ・アレキサンダーが来店していた。

この期間はフェスに出演していなくても、大抵のお店は盛況なので、ゲストとして迎え入れられれば絶好のデモンストレーションになるし、客はすでにフェスで出来上がっているから聴く気満々。ロザも週末の2セット目の終わりくらいには人が入って、適度に盛り上がっていた。

マネージャーのトニーはフェス会場にロザの土産物屋を出店中なので、ジェームスを立てながらもオレが後ろから、『あと一曲で休憩です』『誰某が来ていますからゲストで呼びましょう』『もう5分で休憩終了です』と仕切りの代役を務める。

この任務は一見気持ち良さそうに思えるが、実際は問題が起ったとき矢面に立たされ要らぬ神経を使うし、いつものように不備のあるときだけトニーに助言する方が楽なのだ。いくらジャム・ナイトでないといっても、著名ミュージシャンが顔を見せれば呼ばないわけにはいかず、誰を優先するかの線引きも難しい。

気心の知れたゾラが下りたあと、リンゼイは数曲唄うとジェームスと交渉して、やたら音のデカイ女性ギタリストに交代させた。もう午前一時も疾(と)うに過ぎたし、ベースもドラムも代わったし、他にめぼしいミュージシャンもなくこのまま終局へ、で構いません。

ドラムのリズムが走る、ベースのスリムとオレが必死で抑える、長い黒髪で存在の薄ぅーい暗ぁーい表情の女性はやっぱり音がでかく、リンゼイはそいつを愛でているらしく、最後のセットは誰も他人の音を聴いていなかった。

唄い手がスリムに代わって二曲目、彼がオレを見ながらハッキリ『アリヨ』と叫んだ。ほいほいソロっすね、おっ、何じゃこの女!ジェームス先生のアンプに腰掛けて俯いたまま顔も上げず、一段と音量を上げ挑戦的にピアノ音を凌駕する。うっ、お客さま本位・・・譲りましょう。きっとこの人の名前も「アリヨ」に近い名前で、自分が指名されたと間違えたのでしょう。

たどたどしくブチブチにつなぎ合わせたソロですか、ほぉ。日本が誇るブルースギター・マスター、塩次伸二の愛弟子、静沢マキの爪の垢でも煎じたいところなれど、清潔なマキちゃんには垢もなく、2コーラスを終えて後ろ姿は微動だにせず。そしてスリムが観客にその演奏の点数を問う。

『如何でしたか?アリヨは』

スリム、誰がソロを弾いているかぐらいは聴けよ!

あとで分ったが爆音女の名は「マリア」だった。カタカナで書くと何となく似てるけれど・・・。


2005年6月10日(金曜日)

SOBが演奏を始める午後11時には、ブルースフェスを観終えた客でバディ・ガイズ・レジェンドは満杯になっていた。

丸山さんはいつもより長いソロで張り切っていたが、オレはまったく良いところなし。だって、ステージがめちゃ暑い。昨日の昼間は34℃だったから、今日も相当暑かったはずだ。店内を少し高い目の温度設定にした方が飲み物は売れるのだろうが、ステージが暑いと演奏にひびく。オープニング曲のソロが回ってくる頃には汗だくで、エネルギーは消耗し、放心状態で演奏していたもの。

しかし来駕中のソウル・シンガーJaye 公山(子供番組の「ポンキッキ」で活躍中)は楽しかったと言ってくれた。人の演奏を観る方が気楽だからかも知れない。拙い演奏を披露してしまい忸怩たる思いなのだが。

帰宅してシャワーを浴び夕飯を頂こうとしていた午前3時半頃、鉄の箱がぶつかり潰れたような音が聞こえた。カーテンを開けると、古い大型のバンがアパートの前に停まっているのが見える。一方通行の道の両脇には駐車した車が隙間なく並んでいて、そのどれかに当てたようだ。

狭い通りなので擦るのなら分かるが、あれは激突した如き音だった。一瞬してバンは凄い勢いで発進すると、再びこちら側にガゴッ、あちら側にグヮシャと、まるでわざとしているように衝撃音を残して去っていった。相当の酔っ払いなのか?

四ツ辻の縁に停められた銀色の真新しい4ドアのシェビーは、遠目にも横っ腹が凹んでいるのが分かり痛々しい。朝になると、被害車の持ち主の怒声でオレは目覚めることになるのだろう。


2005年6月11日(土曜日)

いよいよブルース・フェスティバルのメイン会場(ペトリロ・ミュージック・シェル)に登場する。

1987年に故バレリー・ウェリントンのバンドで演奏して以来、ミュージック・シェルにはついぞ今まで出る機会がなかった。あのときもベースはニックだったから、余計に感慨深い。当時のメンバーは二人も逝去しているのだ。

平均年齢が20代の若いオレたちは、晴れの檜舞台に興奮していたのが思い出される。

お茶目なバレリーは、衣装を揃えたと楽屋で紙袋を差し出した。青と黄の縦じまの半袖シャツに黄色のズボン。メンバーの唖然とする顔を尻目に、『アリヨとブレディ(・ウイリアムス、ドラム)のサイズがなかったので、パンツはジョン(・デューイッチ、ギター)とニックの2本だけ』と彼女は鼻袋を広げる。自分のきらびやかなラメ入りの青色ドレスに合わせたつもりらしい。

『青と黄色の、それも縦じまって・・・』
『いくらなんでもこの色はないよな』
『なんで下も黄色の細パンなの?オレ絶対穿かない』

各自の不満の最後に、オレがポツリと付け加える。

『・・・ピエロの衣装・・・』

爆笑のあと、とりあえずシャツを着てみた。ひとりだけだと格好悪いが、4人揃うと、日本のガソリンスタンドの従業員みたいで「チーム」には見える。懇願に近いリーダーの命令なので、みんな仕方なしに従ったが、ズボンだけはジョンが譲らない。

隅の方でニックが大人しくズボンを脱ぎ始める。合うサイズがない幸運に恵まれたオレとブレディは、苦笑いしながら複雑な表情で見つめていた。ひとりだけ40代と一番年上なのに、音楽も労働条件も主張せず、いつもみんなのあとを付いて来る印象のニックらしい保守性が表れていたからだ。

それが結果的に、ジョンひとりをバレリーの反抗者として浮き出させることになる。面倒見良くバックバンドをまとめている白人のジョンは人一倍誇りが高く、何もかも言いなりになるのが嫌なだけだ。

ジョンが縦じまの袖をひとつ折り返した。オレもそれに習い、ブレディも従う。気が付くとニックも折り返していた。

大新聞のシカゴ・トリビューンのテレビコマーシャルで売れたヴァレリーの、オリジナルメンバーが活躍したこの年は、マクドナルド、ミケラブビール、ピザハット、シェビーシティなどのコマーシャルを始め、テレビや雑誌の取材が毎月のようにあった。

オレでさえ街を歩いていて声を掛けられるほど、バンドの認知度は相当なものだったから、ブルースフェスのメインステージへ登場したときの歓声に、大雨の中で走り回るような快感は途切れない。

生中継のFMのDJが『ときにマイクの要らない』と形容する、圧倒的なヴァレリーのボーカルを、オリジナルのオレたちが支えていた。

ジョンがスライドを唸らせる、ピンスポットを浴びたアリヨが立ち弾きをする、ブレディがテクニカルな小技を利かせながらグルーブを生み出す、そしてニックは無理なソロをとってリズムを裏返していた。

楽屋に戻ったジョンとヴァレリーが、感情的に言い争う原因となった黄色いズボンは切っ掛けに過ぎない。ブレディは冷静に『二人のエゴ』と説明した。ステージでは、唄とギターの音量が常にぶつかっていたからだ。

ジョンが出ていったあとヴァレリーは『White Pig!』と吐き棄てた。決して差別的な価値観を持つ女性ではなかったのに、信頼していた裏返しだったのかも知れない。

その日がジョンの最後になってしまった部屋の前で、ニックとオレは遠ざかれど去らぬ日々を追っていた。皮肉なことに、「若いエゴ」がぶつかっていた二人とも、90年代に病死している。

オレたちは歳を重ね、今ではあのニックがSOBで一番エゴを主張しているが、想い出の中の二人は若々しいままだ。

茹だるような暑さは今日も続いている。気温は35℃を上回っていた。午後二時にサウンドチェックのあと演奏を始める6時20分まで、あっちでふらふら、こっちでふらふらして、知ったミュージシャンの演奏をつまみ食いし、出会った友達のところで時間を潰す。

ニックと衣装を合わせ、黒のスラックスに黒の半袖長丈シャツ、インナーにも黒のTシャツを着ていたので、大汗を掻く前にロザの出店ブースへ行き、トニーに着替えのTシャツをねだりもした。

SOBの出番はピアノの故ジミー・ウォーカー記念のセットで、ゲスト(ルリー・ベル、スティーブ・フレウンド、ピート・クロウフォード)が多いため、ソロ回しを望むべくもない。ピート(元"RED BEANS"レコード社長)が唄うジミーの曲の出だしを、彼のギターとピアノで始めるところだけがオレのハイライトと考えていたので、ヴァレリーとのような高揚感もなく、それでも「お祭り」の構成者のひとりである自覚が雰囲気を楽しませていた。

演奏が始まってみると、結局オレが一番弾(はじ)けていたかも知れない。足下のモニターから聴こえてくるピアノ音源の質がとても気持ち良いのだ。やはり18年振りのメイン会場は、オレの中のどこかに、静かな盛り上がりの種火を点したたのだろう。昨日のレジェンドでの鬱憤が残ってもいた。意外にも、ソロ回しは少ないどころかビリーに次いで多かったほどで、大トリのバディ・ガイのキーボードのマーティは、『アリヨが一番ウケてたじゃない』と讃えてくれる。

ところが一番のハイライトだったはずの曲・・・。ソングリストを持っていたニックがオレに教えたキーは、かの曲のキーではなかったので、別の曲と思い込んで弾き始めたがどこかおかしい。実際にはそれがかの曲だったので、二人で始める出だしに遅れ、その上ひとコーラス不協和音を響かせてしまった。

モニターからはギターがあまり聴こえてこないので、耳が悪くないオレも最初は気が付かなかった。ベースとオレは合ってるはずなのに、どこか全体の音がおかしい。反対側の端に位置するニックが、申し訳なさそうにしている。観客にはほとんど分からなかっただろうが、オレの中のハイライトは微塵に打ち砕かれていた。

ニックが苦笑いをしながらオレに言い訳をする。『ゴメン、キーを書き間違えてた』あのね、"C"と"G"を間違えないでくれる?アンタとのメインステージは何かあるな。


2005年6月15日(水曜日)

日曜日のブルースフェスで、クロスロード・ステージのラッキー・ピーターソンとリコ・マクファーランドのデュオを観ていたら、吃驚した顔でオレに近付くあばた顔の兄ちゃんがいる。『いつ戻って来たんだ?』と言うが直ぐには思い出せない。しばらく話していてようやく気付いた。チャック・・・元ヴァレリーの彼氏。90年代にカリフォルニアへ移り、最近シカゴへ帰って来たから、オレが戻っていたのを知らなかったらしい。

側にいたチャールズ・マックは『こいつが今ラッキー・ピーターソンのベースなんだ』と悔しそうに囁いた。『君はジェームス・コットンと掛け持ちできないでしょ、だからリコはジェームスんとこを辞めてラッキーだけにしたじゃない』と小声で返す。

チャックとは18年振りだったので互いに懐かしかったが、翌日の午前10時には彼からの電話で起こされ、その後一時間半も話が途切れなかったので閉口する。

月曜日はモリース・ジョン・バーンがアーティスへ現れる。初めてキングストン・マインズでレギュラーの仕事を貰ったときのギターが彼だった。最初は気付かなかったが、ピアノを聴いているウチに思い出したと、フルネームで叫ばれた。彼とは20年振り。

第一期シカゴ時代(1983-88年)の同僚との再会は、青春の残滓の如き甘い香に包まれて、しばし隔離された意識の鼓動が蘇る。

いやいやそんなことよりも、先週末から右手中指様の様子がおかしい。爪の脇の肉が腫れて1センチほどパカッと開いている。いつも鍵盤で擦れるところだが、盛り上がっていてもタコ状になっているので、普段から痛くはなかった。演奏で切るようなバカな奏法もしていないし、はてどこかで切ったかぐらいに思っていたが、月曜日には触れるだけで痛みが脳天を衝くので、バンドエイドを付けていた。しかし直ぐに治る気配もないので、今日は消毒液を染み込ませて包帯を捲く。

ピアニストが指に包帯をしていれば、誰もが心配して何事かと訊いてくる。ああ、これっ?と示して説明するときには、自然と中指を立てて、手の甲の側を相手に向けてしまう。

ううう・・・アメリカでは禁じ手、"Fuck you!"のサイン。


2005年6月16日(木曜日)

ロザのトニーは『足といい歯といい腱鞘炎といい、アリヨはいつもどこかが痛んでいるな』と苦笑した。挨拶の握手をすると右手中指の包帯に誰もが気付く。大切な商売道具だから尚更心配されるのだ。

トニーに限らず仕事仲間はメンバーのコンディションを知っているから、ビリーなどオレが咳をするだけで、『また風邪かぃ、ビタミンが足りないんじゃないか?』と揶揄する。身体が弱いと言っているのだ。

子供の頃から大病もなく健康で丈夫だったはずなのに、シカゴへ戻って以来、確かに五体満足な日は少ないかも知れない。それは胃痛であったり、片頭痛であったり、歯痛であったり、手首や肘などの関節の炎症であったり、風邪だったり、鼻炎からくる喉痛であったり、頑固な肩凝りだったりするが、一度に二つ以上が重なることもない。

つまり単純な切り傷も含めて、様々な不具合は仲良く順番に訪れる。股関節が良くなったら、小学校以来の汗疹ができた。そして、治りかけの指の傷のあとは、虫刺さされのような胸のポツポツが痛み出しそうなのだ。「せいの」で一緒にやって来て、生活もままならない状態にならないよう列をなして待っている、非常に良心的な方々ではある。


2005年6月18日(土曜日)

ロブ・ブレインのバンドでミシガン州のグランド・ラピッドへ日帰りツアー。同世代ということもあり、ロザでロブと仲良くなった京都から旅行中のK太(Vo.G.)を伴う。

バンドメンバーやミシガンの客たちは、包帯を捲かれたオレの右手中指を見て驚き『一体今度は何があったんだ』と訊く。今度は?・・・ああそうか、先月は股関節の炎症で痛みが酷く、足を引きずって歩いていたのだ(2005年5月25日参照)。大仰な包帯は、鍵盤に擦れるとまだ痛むから捲いているだけで、親切な韓国人の薬局で薬を調達してからは日増しに良くなっていた。

ライブが始まるまで時間があったので、ロブはクラブの向いに在るスポーツバーへみんなを誘った。

ミュージシャンであれば肌の色や人種は問われないのだろうが、ライブとは無縁の地方の酒場など、白人しか受け付けないところは多い。アジア系のオレやK太に店内の人々は一瞥を投げたが、大柄なロブ姉兄弟やパンキッシュなその友達たちの連れと分かり、その後はちらりともされなかった。

『オレたちここが地元だから、このバーでも結構喧嘩したんだ。これがいついつの傷で、こことこっちが何々の時の傷』と言い、ロブは大きな手の平や太い腕を突き出す。その二の腕には意味の分からない紋様の入れ墨が彫ってあり、上部には"BLUES"の字が縦に並んでいた。

『あのときは、バーテンダーをしていた筋肉マンのツレが後ろから押さえ付けられていて、なぁ・・・』
『そうそう、あいつ顔面をボコボコっと殴られ・・・』

兄弟の武勇伝にK太が『こいつらアホですね』と笑った。

『気付かなかったけど、"BLUES"って前から入れてたっけ?』
『うん、ずっと前からあるよ。ほらっ、こっちに"・・・Power"アルバート・キングの唄から取ったんだ』

オレが興味を示したと思ったのか、彼はもう一方の肩を自慢気に露にした。K太が再び『アホですね』と言って笑う。鼻ピアスを付けている女子プロレスラーのような彼の姉も、肩から首にかけて本人なりに意味深い入れ墨がある。

『弟も何か入れてるんだろ?』
『バック、アリヨに見せてやれよ』

ロブのバンドのベースで彼よりも背の高い22才のバックは、兄に促されて、やはりオレたちには分からない彫り物を恥ずかしそうに見せた。何かと問うとベースのヘッドを模したと答える。

横のK太を見なくても笑っているのは分っていた。K太が『アホですね』と言うのは、彼らをバカにしてのことでは決してない。本物のアメリカンと共に「仲間」として行動できる自分を嬉しく思っているのだ。

在留邦人にとっても非日常の風景。バーテンダーの女性を始め、身体に入れ墨のない者の居ない、無教養な白人貧困層の溜まり場のようなバーである。地元に根付いて生活をする黒人たちもそうだが、普段は排他的でも、内へ入れば、みんな気の良いアメリカ人の気さくさがある。彼らの仲間であるオレたちは溶け込んでいた。

大音量でエネルギッシュなロブのステージは、白人の熱狂的ファンを熱くさせる。ブルースを細々と演奏してきたオレにすれば、ロックの如き味わいが新鮮で楽しい。K太も2曲演奏した。アメリカの田舎町に初めて流れる日本人の唄とギターはウケたようで、客席に戻りビールを振る舞われる彼は楽しそうだった。バンド活動を題材にした日本の人気マンガ「べック」の絵が重なる。

ビール片手で頭を上下に揺すり大声を上げていたロブの危なそうな友達は、自分の着ていたTシャツを脱いでK太に差し出した。上半身裸のまま『オレはK太に日本でこのTシャツを着てステージで唄って欲しいんだ』と叫ぶ。『こいつもアホですね』と笑いながら、彼は汗だらけのTシャツを大切そうに受け取った。『アホやぁ』とオレも笑う。

みんな笑っていた。単に酔っていただけかも知れない。酒の飲めないオレも、黒人街とは異なる様相のアメリカと陽気な仲間に酔っていた。馬鹿騒ぎしたくなる夜が更け
ていく。

「アリヨ」の運転するラグジュアリー・マキシマを駆った往復650キロの日帰りに同行し、ピクニック気分の休憩所で手作りの稲荷ずしときんぴらごぼうをほうばり、スポーツバーでロブたちの喧嘩話に耳を傾け、力一杯に演奏して良い気分で酔い、帰り道の助手席で眠っているK太をふと羨ましく思った。

だから一直線に伸びた真っ暗なハイウエイの向こうに、沈みかけの大きな赤い月が幽玄の世界を広げていても、オレは親切心から彼を起こさなかった。


2005年6月21日(火曜日)

一昨日の休日を、久し振りの友人宅のオシャレなポーチBBQ大会で使ってしまい、今月はもう休みがなくなってしまった。治りかけているはずの中指は完治に到らず、胸の虫刺され状は痛痒く、おまけに何故か左腕の付け根の関節が痛みだしている。どれも中途半端で医者へ行くほどではないが、不快な憂鬱が途切れないのも、完全に身体を休めることができないためだ。

およそミュージシャンは、毎日演奏するものではない。エネルギーが続かないし、特にブルース業界は似たような曲ばかりで創造性に欠け、自己研鑽の時間さえなく、逆に、腕や手の腱に負担をかけ寿命を縮めかねない。そしてオレの場合、労力に見合った報酬とはほど遠い日銭に慣れてしまい、糊口を凌ぐために「お断り」の精神が失せてしまっているのが致命的だ。

毎週火曜日のロザのレギュラーのメルビン・テイラーが、トルコだかどこかヨーロッパへ出稼ぎ中なので、今週と次週は若いロブ・ブレインのバンドが穴埋めをしている。

彼は会うなり『先週のグランド・ラピッド(2005年6月18日参照)の帰り、喧嘩になってよぉ』と笑顔で報告する。

『相手は3人で2.3発殴られたけど、車に積んでた工具を振り回してやったら逃げてった、ゲラゲラ・・・』
『なんで喧嘩になってん?』
『オレの車の前をガキの車が塞いだから、文句を言ったら降りてきたんだ』
『相手が銃とかナイフ持ってたらどうするつもりやってん?』
『うっ、考えなかった、やるしかなかったから・・・でもラッキーだったかも』
『車のプレートナンバーとか覚えられへんかったやろな?』
『うう、それは分からん』
『店の近所の奴らと違うやろな?』
『大丈夫、かなり離れたとこだったから』
『お前は月に一度あそこで演奏するから、もし素性が知れたら的(まと)にかけられんとも限らんぞ。それに今はもうミュージシャンなんだから、指だけは怪我しないようにせんと』
『ああ、そうだね・・・』

側にいたドラムのジェームスが『一緒に居らんで良かった』と小声で言った。黒人で引き締まった筋肉質のジェームスの方が強そうに見えるが、彼がそう言ったことで少しほっとした。巻き込まれれば逃げる分けにはいかないが、彼までイケイケだと、煩わしい可能性が膨らむだけだ。

お客さまが楽しんでおられるというささやかな理由から、様々なゲストに充分演奏させた2セット目、オレは重たい鍵盤を休憩なしで2時間も叩いて、ほとほと疲れきっていた。ソロ要らないビームと早く終われ目線で、不機嫌な表情にさえなっていたに違いない。

ハーモニカのオーマーが、長いだらだらとしたエンディングをようやく終わろうとして指を4本立て、一小節毎にその数を減らせている。はい、あと3小節ねっ、2小節、1・・・2本、3本ん?こらっ 増やすな!

オーマーは4本指に戻って終わったが、バンドは誰も終わらなかった。お前の意図はなんやってん!


2005年6月22日(水曜日)

クラブ・ジェネシスの在るモールの広い駐車場を、携帯で人と話ながらぶらついていると、転がっているテニスボールが目に入った。

電話をしている間、口と耳は忙しいが、さりとて用のない手足は所在なげに見える。意味もなくポケットへ手を突っ込んだり、目的もなくある方向へ歩み出したりするのは、手足が暇だからであって、気が付くとテニスボールに向かって足は動きだしていた。

薄汚れたボールはちょっと蹴ってみてくれと言う。建物の横の壁へ向けてつま先を押し出すように軽く当てると、そいつは機嫌良く走り去ってあちらにぶつかり、反動で同じ位置へ帰ってきた。

行ったきりではなく、この戻ってくるという行為は、愛玩するペットのようにとても意地らしいもので、足の裏でコロコロさせると、まるでオレを慕うようにじゃれて付きまとう。また壁に向けて押し出してやる。そこはなだらかな傾斜になっていて、つつつと足下へ戻ってくる。慣れてくると足の内側で次第に強く蹴るようになっていた。当然そいつは凄い勢いで飛んで帰ってくる。

ボールがオレのところへ正確に戻るには、蹴る意思に「真直ぐ帰って来いよ」との期待が込められている訳で、「今はまだ君を失いたくはないんだ」という、仄かな愛に近い感情さえ芽生えている。

時折とんでもないところへ行ってしまうと、そいつが本当に遠くへ行く前に捕まえなくちゃと、慌てて追い掛ける失態を演じてもいた。何も説明されていない電話の話し相手は、オレが「ゼイゼイ」するのを訝(いぶか)しがっていただろう。

離れたところでオレを見つめていた影が、こちらへ近寄って来た。毎週のようにキーボードの真ん前へ陣取り、演奏を囃し立ててくれる初老の男性だった。電話中なので口をきくことは出来ないが、代わりにテニスボールを蹴り付けてみる。意図は伝わったが、驚いたことに彼はワンタッチ(ボールを止めず直接蹴ること)でオレの足下へ正確に返してきた。そいつへの愛おしさが残っていたオレは、一度足裏で止めてから僅かに愛撫して蹴り出す。そして再びワンタッチで戻ってくる。

何度か繰り返すうちに、こちらだけが悠然とボールに戯(たわむ)れているのが申し訳なく思えてきて、オレもワンタッチで蹴り返すようになっていた。ところが電話中で意識が散漫になるのか、男性が正確に戻す割合よりもオレの分(ぶ)が明らかに悪い。年上の人を左右へ走らせることで、その思いは増し、一時は「お前、今日は家に来るか?」とまで言い出しかけていたそいつへの愛情は、すっかり失せてしまっていた。

ボールをその場へ置き去りにし、首をクラブの入口へ回して男性に入店を促す。電話先の人へは『次のセットが始まるから』と話を切り上げた。まだ演奏まで時間はあったが、足先のコントロールの悪さへの自己嫌悪が、そいつへの気持ちを急激に冷ませていったからだ。

ふと、マキシマの一代前の車(カローラ)に積んだきりになっていたテニスボールは、その後どうなったのだろうかと思った。あるテニスコート脇の駐車場で拾った真新しいもので、人とキャッチボールなどして気に入ってしまったものだ。しかしキャッチボールはその時だけで、結局長い間助手席の下でゴロゴロしていただけだった。その車は廃車になったと聞いたから、きっと不幸な最期だったのだろう。

今晩のボールは、見るからに汚かったので手に取るのが憚られ、蹴って遊んだ。今度見付けたら家に持って帰り綺麗に洗ってやる、といった気持ちが起きるはずもなく、部屋のクローゼットにあるEの置き土産の新品のテニスボールを思い出し、同じ置き土産のバットでパコンと打ちたいという考えだけが強くなっていた。


2005年6月25日(土曜日)

青い空をのんびり空歩するカモメをぼんやり眺めていた。

鳥のように空を飛べたらどんなに良いかと言う人はいるが、鳥の眼に映るものを具体的に想像しているのだろうかと考えていた。あの高さだと、ここにいるオレたちはこの程度の大きさで・・・。

指は三つのコードをなぞっているだけ。

この木々に囲まれたウエストサイドの広い公園で、持参の折り畳み簡易椅子に腰掛けていたり、ぶらっと立っている観客が20人ほど。ここからはシアーズタワーのてっぺんが見えるから、カモメからはもっとよく見えるのだろうが、360°の視野が逆に小さく見せるかも知れない。

いつもソロはなく、延々三つのマイナー・コードをなぞるだけの曲。

あんなに高いところへ昇ってしまえば、下が平面的に見えて面白くないんだけど、人の顔なんて正面から見ないと誰だかも分からないし、スタイルすら判別できない・・・。大体、眼の位置が人とは違って視野が広いから、魚眼レンズっぽい映像しか思い浮かばない。

11連チャン(12本)の六日目。終われば直ぐに片付けてここを去らないと、キングストン・マインズのメインステージには間に合わない。

人間以外の生物なんて、およそ生存していくためのギリギリの身体能力を持っているだけで、まぁ猿とかはおいておいて、みんなあまり眺望とかを楽しむような機能を備えているとは思えないし、鳥にしても、エサを捕るとか外敵から身を守るための眼なので、単に高いところから下を眺めることだけを想像しても鳥にはなれないなぁ。そうしたら鳥になってもあんまり面白くないかも知れない・・・。

ステージの真ん中のオッサンがこっちを見て何か言っている。隣のギターの人は後ろ向きに俯いて何かしてるけど。

アリヨ、客のほとんど入っていないラベニア・ミュージック・フェスティバルで、ソロの寸前に弦を切ってしまったギターの代わりに、いきなりソロを振られアタフタとする。

マインズには間に合ったけれど、週末で駐車スペースを探すのに時間が掛かりそうだから、$9(+チップ)で駐車場係に車を預けて、それは時間があればまったく要らぬ出費なのです。

もうね、疲れていて演奏以外に神経を使いたくないのに、何で通路から近いってことだけで、ピアノを弾いているオレに話し掛けるのですか?総無視してもいいのだろうけど、それはそれで人だから角が立つし、一応聞く分けですよ。

『はぁ?あっ、リクエストはハーモニカ持って真ん中に立っている人へ直接お願いします』
『飲み物?ありがとうございます、でもコーラがここにあるので結構です』
『どこから来た?日本ですが』
(オメデトウゴザイマス)
『・・・』

『世界中に住んだことがあって、この息子もいろんなところで育ったんだ』そしてそのオジサンは、聞こえない振りをするオレの耳に届けとばかりに、再び何やら知っている日本語を叫び始めた。彼の隣に立つ若い息子は、お父さんの語学力に感心してニコニコしている。

(アイズ、フクシマ、ワカマツ、フジ、カナガワ、マツモト・・・)

うう、地名ばっかり。


2005年6月28日(火曜日)

残り3日で連休・・・

ドラムの某からの電話で起こされる。バディ・ガイのキーボードのマーティから連絡先を知ったと言う。明日の昼の演奏依頼。

『××$だけど、お昼の1時間だけだし、ラクチンな仕事だからどうよ?』
『おう、ええぞ!場所はどこ?』
『デイリー・センター。シティホールんとこ』
『えっ、昼間のダウンタウンど真ん中・・・して、機材はどうやって搬入する?』
『道付けにして、ガードマンが搬入の間は駐車を許可してくれる手筈になってる』
『したら、そのあと車は・・・』
『おう、早めに行って安い駐車場を探さんとイカン』
『駐禁の道だらけで、パーキングメーターのとこに停められる確立は低いよな』
『ああ・・・』
『ちょっと離れたグランドパークの北側駐車場で$13だわなっ?』
『おお、確かそんなもん・・・』
『したら、ギャラから差し引くとポコポコ$だわなっ?』
『ってことになるかぃ?』
『明日の夜、夕方の6時には家を出んと間に合わんとこで仕事があるんよ』
『・・・』
『もしデイリー・センターへ行くとしたら、11時には着いとかんとまずいわな、ってことは、家を10時半には出んとイカンし、10時前に起きんと・・・』
『うんうん分かる分かる』
『それでポコポコ$は・・・』
『うんうん分かる分かる』
『オレは金であまり文句言わんが、今回はさすがに・・・』
『うんうん分かる分かる』
『せっかく電話してくれたのに・・・』
『うんうん分かる分かる』
『マーティは演らんのか?』
『うんうん分かる分かる』
『今何時だ?』
『うんうん分かる分かる』
『・・・ガチャッ!』


2005年6月30日(木曜日)

あっ、クリスティーナちゃんこんにちは、今日もお歌を唄われるんですか?何を伴奏しましょうか、へっ、"Someone send me・・・" ? B.B.Kingのバージョンでいいんですね?・・・あの、唄い出しはそこだったんですけど、いえ、もう一周しますから・・・次ぎサビにいきますよ、ハイッ!ああちょっと音程ズレてます、でもイイですよ。ワタシはベースの人にコード進行を指示しながら弾いてますので、ギターの人にソロを取ってもらってください、いや、だからワタシがソロを弾くと、誰もコードが分からないから、あっ、ほらっ、ソロと伴奏が合わなくなってきたでしょ?いえいえ、いいです、ソロ終わりでサビですよ、ってまた頭からお唄いですか・・・。ハイ、そうそう今度はちゃんとサビのメロディが合いましたね。さぁ、いよいよ最後のところです、クライマックスに向かって・・・えっ、もう歌詞がない、どこを唄ってたんですか?でも、このまま勢いで終えますから、いやいや、そんな適当な歌詞付けても、うっ、今度はこっちが終われないじゃないですか。あっ、また中途半端なところで無言になってしまってる・・・。はいはい、お上手でしたね。またいらしてください、サヨオナラ。

えっ、Aの音が欲しい?でも、ワタシ今調律中ですから、ああ、初めまして、へぇ、ロシアから、バイオリンをお持ちで、エヴァ・・イヴァ・・・ああ、難しい発音のお名前ですね、アリヨと申します、はい、よろしく・・・いや、だからまだ調律中、ボロピアノなんで、弾く毎に狂う弦が何本もあって、いえ、素人ですよ調律は、だから・・・えっ、もっと高いAの音?この音ですか?狂ってる?だから今この弦を調律してるから・・・バイオリンにピックアップ・マイクが付いてて、直接PAに繋げちゃうんですか?うっ、ちょっと煩くありませんか、モニターからのバイオリン音は?ワタシは耳が痛っ、えっ、まだ聞こえない?いえっ、こっちのモニターのコードは引っこ抜きましたから大丈夫です。はい、ブルースクラブですから、もっぱらブルースの曲ばかり演奏します。セッションで上がられて、歌を唄われる方次第ですが。さぁ、始まりましたよ、なに、キーはって?さっきボーカルの方が、大きな声でAって言ってたじゃないですか。イヴァ何とかさん!音入れ過ぎですよっ、もうちょっと唄と重ならないように・・・はあ、全編あなたのソロみたいでしたが、そして奇妙なメロディでしたね、お陰でポップスになりました。また同じノリですか?そして、何をくねくねしてんですか?えっ、踊ってるって?でもリズムと合っていませんよ。ほら、隣の人ともズレてってるでしょ?はい、2曲も共演できて光栄でした、はっ?トニーがもっと演奏しろって言ってる?今日ワタシずっと調律していて休憩もないんですけど・・・あの、イヴァ何とかさん、アリガトウゴザ、えっ、もっと演奏しろってあなたのことですか?まだ邪魔、いえ演奏されるんですか。はいっ?初めて来た店で親切にされて嬉しい?そうですそうです、ここはシカゴ1女性に大甘のクラブですから・・・。