傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 8 [ 2003年6月 ]


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2003年6月1日

8日間10本連ちゃんの6本目終了

疲れてる . . . . 非常に . . . .

ローディが欲しい

昨日は、昼のフェス単独出演の余韻も冷めぬまま、夜にはバディ・ガイズ・レジェンドで SOB のライブ。10時前 (メインの SOB は11:30開演) に着いた時には、中に入り切れない客が店の前に溢れていた。前座のオーティス・テイラーの演奏はまだ始まっておらず、そのまた前座のバンドが終わったばかりのようだった。

入り口から少し離れた搬入口の前に車を停め、機材を運び込もうとトランクを開けた時、「イャッホウ!」と駆け寄って来た二人がいた。ジェームス・コットンバンドのドラム、マーク・マックとベースのチャールズ・マック (彼はラッキー・ピーターソンのベースでもある) の兄弟。

兄「機材運ぶから一緒に中へ入れてくれ」
「えっ!?顔パス効かんの?」
弟「入り口がごったがえしてるからダメって」
兄「ほらっ、あいつらも入いれんのよ」

マークが大きな体の肩越しに親指で示す先を見ると、一般客に混じって不良達が寂しくたむろしている。ひょうきんなチコ・バンクスを始め、ベースA、ベースB、ドラムCのシカゴ・ローカル・若手トップミュージシャン (この形容も微妙) 達。普段はブルースクラブの老舗、キングストン・マインズやブルース (音楽の「ブルース」と混同するので、話す時は店の立地する通りの名を加えて "B.L.U.E.S. on Halsted" と呼ぶ) で大きな顔をしている彼らでさえ、書入れ時のレジェンドでは冷遇されるのも仕方がない。

兄「それに今日の昼、アリヨの声援にいけなかったから」
弟「二人して寝坊したんよ」
兄「すまん」

あっ、そういやフェスでは見かけなかった。

「分かった、お前らは今からオレのローディじゃ!」
兄「おう!」
弟「おう!」

二人を指示して機材を搬入していると、目の端に不良達がゾロゾロ付いて来ているのが見えた。一緒に中へ入れるよう便宜を計れと頼まれるのは分かっていたし、後で恨まれるのもイヤだったので、知らぬ振りをして先に進む。マック兄弟は搬入口のドアを開けてくれたセキュリティに、「アリヨのロード・クルーです」と告げ、まんまと入り込む。他は案の定閉め出されていた。その中には関係のない見知らぬ白人のオッサンもいたような気がした。

店の中でも二人は、「アリヨのロード・クルーが通ります。前を開けてくださぁーい」と健気に働く。気持ち良いことこの上ない。ステージ脇の VIP 席に見知った顔を見かけると、「今日ワタクシ、ローディ付きなんです」と半ば本気で吹聴して廻った。
「アリヨのロード・クルーですよろしく」と彼らも心得ている。大変気持ちがよろしい。日本では自分で機材を運ぶことなど滅多になかったから、今になってそのありがたさが身に染みる。

オーティスの演奏が終わり、SOB がステージのセッティングをするまで、オレは一切機材に手を触れず指図だけをする。大将のビリーでさえローディを付けず自分で持ち物を運んでいるのに、手下のオレが偉そうにしているのは気が引けたが、何、構うことはない、彼らは不義理を犯した上に便宜を計ってもらった恩があるのだ。しかし、ドラマーとべーシストにキーボードの配線や座り位置は分らないので、さすがにそれだけは自分でする。

息苦しい程満杯になった観客を前に、昼間の鬱憤を晴らすような演奏が続く。何せ寒さで身が凍え、ロボットの様な動きで演奏をしていた昼の野外と比べ、レジェンドのステージは熱気で汗ばむ程だった。ビリーを始め SOB のメンバー達も普段より勢いがあるかに思えた。拳を振り上げて「ザ・スリル・イズ・ゴーン」と唄う丸山さんの声にも張りがある。オーナーのバディ・ガイ本体が店の入り口に陣取り、気軽にサインに応じているシカゴ・ブルース・フェスティバル中の週末なのだ。

75分間の1セット目を終え意気揚々と舞台を下りるオレの目に、ちゃっかり VIP 席で寛ぐチコ達の姿が目に入った。その中に妙齢の女性を口説いている二人組がいる。

紛れもない「アリヨのロード・クルー」の二人だった。


2003年6月6日

ようやく連ちゃんが終わった。
明日から週末というのに珍しく3連休。普段ならこの僥倖を、如何に楽しもうかと思案すること自体が楽しいはずなのにそうはいかない。この半年間、頭の隅で常に巣くっている憂鬱が日に日に大きくなっている。P-VINE (オレをソロ・デビューさせてくれた希有な日本のレコード会社) から依頼された、ビリー・ブランチとカルロス・ジョンソン共同名義のアルバム・プロデュースが進んでいないのだ。

各々のイニシャルを採って ABC プロジェクトと自分で名付け、当初は相当意気込んでいたのに、様々な障害が重なって時間ばかりが過ぎていった。予算折衝から始まり、契約事項、スタジオ交渉、ミュージシャンの選定、各スケジュール調整などまるで皿回しのように、あちらの皿が回り始めたらこちらが落ちそうになり、こちらが大丈夫なら今度はあっちと振り回され続けていた。人様のお金で楽しいスタジオ遊びができると前向きに考えていたのに、人様のお金だから不確定な日程で予算だけ食ったいい加減なものは作れないと苦しむ始末だ。

人の良い日本のレコード会社もこれ以上待てるはずがない。今月末から3週間、ビリーはケニー・ニールのゲストで単独ヨーロッパを廻る。それまでにほとんどの作業を仕上げられるよう、この連休を前に決意を新たにする。


2003年6月10日

ビリーのアパートでABCプロジェクトの打ち合わせ。

オシャレな棚に飾られた数々の受賞トロフィーや記念品の前で、「とにかくもうスタジオ予約しますからね」と尻を叩くオレを尻目に「ほれっ、これがオレ。器械体操で鞍馬やってたんだ」と高校時代のアルバムを見せる。「ほう、あなたのお歳で黒人が器械体操とは珍しい」と一旦乗って見せてから「で、今月中には録音作業始めます」と念を押す。

ステージでは自身満々な大物振りを見せるビリーも、中身は繊細で少し気の小さいところがあり、今回のような初めてのプロジェクトで、充分な打ち合わせのないままスタジオ入りすることが不安なのだ。早く現場に入りたいカルロスと、もっと打ち合わせをしたいビリーとの板挟みになっていたが背に腹は替えられない。

「不安なのは分りますが、結果的にはいつも上手くいっていたでしょ?普段通りに演ればいいんです」と、何回も使った言葉を繰り返す。以前、同じような状況の時「宿題後回しにするタイプだったでしょ」と聞いたことがある。「うん、皆同じだろ?」と言いながら、「自分でどうしたら良いか分らない時はいつも誰かが助けてくれたんだ」と付け加えた。問題を先送りにされたくない人が常に側にいてくれたのは、本人にとってありがたかったかも知れない。見方を変えれば、それだけビリーに魅力があるということだ。

「んだね。スタジオ電話すっかぁ」

歯医者の予約が入ってるビリーと別れスタジオへ。音響のジャックと日程の打ち合わせの後、連絡の取れなかったカルロスには留守電とメールで知らせ、彼のベース、サム・グリーンに他メンバーへの打診を頼む。とりあえず今月23日から4日間を仮押えした。

月曜 (昨夜) のアーティスは最前列に大阪から新婚旅行を兼ねてきているカップルを含め、P-VINEのC嬢、日本から来駕されているカメラウーマンのT嬢、NYの全日空営業M嬢の妙齢どころが並ぶ。間もなくベースの江口弘史や、あの日ローディをしてくれたチャールズ・マックも現われ、オレや丸山さんの知り合い達で賑わしい夜となった。

江口は最近、ステイプルズ・シンガーズのメイビス・ステイプルズ (Mavis Staples) のバンドに正式加入し俄に忙しくなってきているようだ。ワイルド・マグノリアスの山岸さん、ココ・テイラーのシュン (菊田氏)、WARの仲村さん、そして江口と、世界的に名のあるバンドで同胞が活躍するというのは励みになる。

終演後、元祖マクセルストリート・ホットドックの初賞味を試みるという3女史に屋台の場所を教える。生のみじん切りされた玉葱や安物のトマト、でかいピクルスの載るぱさぱさした酸味だけが強い従来のホットドックに比べそれは、ジューシーでぶっといポーリッシュソーセージの上に、バターと醤油で味付けしたような炒めた玉葱のみがたっぷりと掛けられている。サイドには唐辛子とポテトフライが付いて $2.2 (約250円)。

長くシカゴに住む日本人もマクセルストリートのポーリッシュ・ホットドックを知っている人は少ない。元々ウエストサイドの怪しい地区に在ったし、その後チェーン店化した今もほとんどの店は南に点在しているため、黒人街に慣れていなければ足も向き難いだろう。オレのいつも行く店はダウンタウン近くのフリーウエイ沿いに在り、24時間営業でいつも人がたむろしている。そのなかに必ず「おつり頂戴」とたかる無気力な目をした輩もいて、日本人女性にとっては煩わしかろうと一瞬思ったが、3人もいれば逆に姦 (かしま) しかろうと彼女らの自力に委ねた。

丸山さんと交代で家に送っているモーズ (ドラム) が、奇しくも同じ屋台に寄りたいと言ったので回り道をする。彼なりにいつも気を遣って「アリヨも要るだろ?」と奢ろうとしたが、残念なことに前日食べたばっかりだったので辞退した。

しかし車の中で食べるなよな。閉め切った車内、匂いが充満する。助手席にキーボードを積んでいるため運転席の後ろの狭いスペースに座り、ケラケラと笑い、話し、物を頬張る口の抜けた前歯の間から、食べ滓が飛んできているのを背中で覚悟しながらふと目をやると、ダウンタウンのビル群を背景に大きな看板が見えた。

「ロット賞金 $ 95ミリオン (110数億円) 」

さすがにその時は得な気分になれず、無感動な目を前に戻した。


2003年6月12日

毎週木曜日にエディ . テイラーJr. や江口弘史と共に、ジャムセッションのホストバンドを担当するロザ (Rosa's Lounge) 。

2週間前のブルースフェスでは声援をしに行くと言いながら、前日に酔いつぶれて姿を見せなかったビーニ & デーモンズのベース、トム・ミラーをチクリチクリ虐めているオレのテーブルに、江口がどかっと座り込み雑誌を広げて指で示す。ライターの火をかざし覗き込むと、

ARIYO
"PIANO BLUE"

の文字。ブルースの専門誌として世界的に知られる「リビング . ブルース」のCD評に、長々と過分な評価をしてくれているではないの。CDケースの裏の曲名を記した文字が細かいため、読み辛いのが唯一の難点とまで丁寧に解説してくれている。脇からトムが「これは物凄く評価してるよ ! 一つ一つの言葉も最上級のものだし、とにかく素晴らしいCD評だよ」と、自分の失点を挽回する機会を得たかのようにオレを執り成す。
「アホか、そこまではゆぅてないやろ」と悪態を吐 (つ) きながらも気分は良い。5年前に出たCDをなんで今頃と疑問に感じながらも、深く考えると興が冷めると、頭の中で喜びの宴に浸る裸身が隠れる程度の平然を装うことだけを心掛けた。

マネージャーのトニーを始め、ドアマンのガスやウエイトレスまでが「凄い凄い」と寄って来る。「エヘヘ . . . . 」と照れているオレの手からエディが、「あっ、それ僕の雑誌。忘れるとこだった」と持って行ってしまった。(こいつ、人が楽しんでるのに気分悪ぅ) と思っていたが後で聞くと、大きな写真入りでエディの特集をしている本人が持ってきた雑誌に、たまたまオレが扱われていたらしい。エディにすれば、好評価とはいえ所詮CDレビューのオレの記事で盛り上がられては自分の立場がない。

最新号なのに、頁の端が折れたり反り上がったりしていたのを思い出し、方々でエディが見せびらかせている光景を想像すると、微笑ましくも、何故か少し寂しくなってしまった。逆の立場ならオレもきっと面白くなかろうと、車のないトムを苛めながら送って行く道すがら、ぼんやりと考えていた。


2003年6月13日

ニューオリンズの山岸潤史さんから電話。早速今年のブルースフェスでのソロ演奏や、リビングブルース誌のCDレビューの話等をご報告。

「アリヨすごいやんケ、いやオレもなっ、オモロなってんねん!」

やっぱりきたな!活躍話のぶつけ合い。

「オールマンブラザーズにいた××となっ . . . . 」
「えっ、××!!」
「そやがなー、ほんでオーストラリアでは▽▽の◯◯がな . . . . 」
「えっ、◯◯と?」
「ええでぇー◯◯は、やっぱりぃー、最高やわぁ」

もう、口惜しいから名前は書かない。

「いや、オレもね、こないだ△△と . . . . 」
「ほんまかいなぁ、すごいなぁそれも」

すでに少々のはったりでは追い付かない。

「んでもアリヨなっ、もっとオモロイ話あんねん」
「??」
「ウチのこないだ出たアルバムなっ、ここのタワーレコードで2週間売り上げトップやねんて」
「アルバムって、ミーターズのドラム、ベースと一緒に演ってるファンクバンド?」
「おぅ。それもなっ、店全体の売り上げの中でトップやねんて」
「はぁ?」
「ノラ・ジョーンズ抑えて売れとんにゃて、笑かっしょるやろぉー」
「あははは . . . . そこのタワーレコードではグラミー賞間違いなしやないですのん」
「そやがなぁ、カカカカ . . . . 」
「ケラケラ . . . . 」
「ほなまたなっ」
「あっ、ほなまた」  ガチャッ

はあぁぁぁぁぁぁ。
山岸っさんは相変わらずすごい。とにかくすごい。実績や演奏だけでなく、何かすごい。

大木トオルさんの唄は「イエローブルース」と呼ばれてるらしいけど、それが本当ならアメリカで演奏している同じ日本人としては、その区別化が重荷になるのではと感じてしまう。確かに、ホワイトブルースと呼ばれる音楽もあったし、オレも見た目はどうしようもなく日本人で、民族に対する人並みならぬ誇りもある。なにも黒人になってしまいたいと言っているのではない。演奏に関しては色眼鏡を掛けず、音だけで判断して欲しいと願いながら演っているのだ。ましてや当の黒人たちがブルースを演奏しなくなっている今、見た目や肌の色なんかで評価する時代ではない。

しかし、山岸さんがそんな下種 (げす) の心配をしているとは思えない。なんせ、黒人から「お前は黒人よりも黒人だ」と呼ばれているし、演奏中は伊勢の和顔も黒人にしか見えないから。

先々週、N.Y. の B.B.King のクラブで山岸さんを観たという、ANA のM嬢から最近の演奏具合を聞いた。
「ギターソロの終わりに指をピッと立ててピースで決めるの、かっこいい」
そりゃかっこエエわぃ。時折、クラシック・ピアニストよりも見た目の動きがなくクール過ぎると批判されるので、さっそく、盛り上がりそうなソロのある曲で真似ようと試みた。

SOBの演目で少し長い目のピアノソロの最後に、同じフレーズを4回繰り返しピタッと決まる曲がある。ピースサインを出すタイミングを充分練って、最後の盛り上がり、4回目のフレーズのお尻にそれっ!と左手の指をピッと立てた。ドラムがブレイクダウン (沸騰したお湯にびっくり水を注す如く) を一発、大きく、タイトに叩いて音が鎮まる。かっこいい!決まったぁー . . . . . ところがベースだけ5回目のフレーズを繰り返している。かっこわるぅ。中途半端に音を残したベースのお陰で、かっこよかったはずのソロまでもがふいになった気がした。

終演後ニックに恨み言を投げ付けると「あと2回だっただろ?」と胸を張る。

「はぁ?」
「指2本立てたの見たもん」

山岸潤史の背中はおぼろげにも見えない。


2003年6月18日

うううぅぅぅ
ウチの一粒種のスピーカー様がトンでしまわれた

元来ピアニストなのでキーボードのことは初心者
線を繋げて音が出れば万事好しとばかりに働かせ過ぎたのでしょう

皆の喧しい音に追い付こうと無理をして

心臓の弱いのに走り過ぎ
胃腸の弱いのに食べ過ぎ
おつむの弱いのに考え過ぎた如く

ピー!ジー!ドン!ドン!と悲鳴を上げ昇天

お修理のお値段も気になりますが
今はあなた様のお身体の具合が心配です

早く良くなって また稼がせてください


2003年6月19日

スピーカー様がお戻りになられた

幸い軽い食中りだったらしく
お腹のネジをしっかり締め直しただけで済んだようだ
これからはもう少し労って差し上げよう

明日からワイオミング
日曜日にシカゴへ戻ると
次の日から懸念のレコーディングが待っている


2003年6月22日

パインデール・ブルース・フェスティバルはワイオミングの片田舎とはいえ、メインのボビー・ラッシュを筆頭に8組が出演する、結構しっかりとしたブルースフェスだった。

ロデオ競技のグランド上にステージが特設されていて、カウボーイの町を楽しませてくれる。勢い下を見ながら歩くのは、不作法な程に落ちている馬糞を避けるためで、おかげで、都会育ちのオレには珍しい馬蹄を拾った。ドラムのモーズが「錆を落として玄関のドアに取り付け、魔よけにすると良い」と教えてくれた。

探せばどこかの土産物屋で綺麗なものを売っているのだろうが、こういうものは縁起物で、自分が偶然見つけたりした方が嬉しい。

一組終わる度に、大人に混じって子供達が、写真入りパンフレットを持ちサインを求めステージ脇に群がる光景は、去年のイタリア・サルデーニャ島のフェスティバルを彷佛させた。音楽のジャンルに関係なく、純粋に演奏を楽しんでくれている様子がこちらをも幸せにしてくれる。

遠くに、テーブルマウンテンと呼ばれる頂上を切りそろえたように平らな山々を望み、空はどこまでも広く、大地はどこまでも蒼かった。

空路とはいえソルトレイクシティ経由 (飛行3時間) なので、空港からワイオミング州パインデールという小さな町までは、ミニバス (運転席を含め定員16名) で5時間 (含休憩) も費やし、結構な大移動となった。

ロッキー山脈の西裾東側山麓沿いの車窓の眺めは絶景ながらも、マネージャーを含めSOB6名、カール・ウェザースビー・バンド4名、ゾラ・ヤングの総計11名で車内は混み合い、和気あいあいが却って疲れを増進させる。

だいたい普通肥満2人、超肥満3人が座席を占めれば他は窮屈にならざるを得なく、もとより当人らも窮屈には変わりないので、車中の5時間は誰もがきつい。

肥満人口が6割を越えるというアメリカの交通機関の座席が何故に狭いのか!

飛行機などその最たるもので、経済効率は個人の快適さを最低限にしか勘案しない。去年のスイス行で一緒だったバンドが、超肥満、超肥満、普通肥満と並んだ3人席は壮観だった。行程の8時間、ピクリともせず鎮座している真ん中の超肥満が、息をしているのさえ不思議だったことを覚えている。60kgに満たないオレを子供料金並みに値下げ、超肥満料金を課するのが公平と考えるより先に、彼らの否運を哀れに思うばかりだ。彼らの、または彼女らの横に座席をブッキングされないように祈ることも忘れてはいけない。

そんな不満や鬱憤が祟ったのか、帰路の空港でホースシューズと呼ばれる馬蹄を、鋭利な釘が付いているのを理由に危険物と見なされ、結局取り上げられてしまった。持ち込み荷物の中に仕舞ったのを失念していたのだ。出発時刻が迫っており、大して粘らず諦めてしまったが、保安員もそんなものでテロが実行出来ると思っている訳はない。彼らは、誰かが作ったマニュアル通りに仕事を遂行しているに過ぎず、咎められたのは否運でしかないのだ。

皆より遅れて搭乗した理由をビリーが知って「不幸の馬蹄だな . . . . . 」と笑った。オレも釣られて力なく笑った。


2003年6月23日

いよいよABCプロジェクトのレコーディングが始まる。初日で一番ぴりぴりしていたにもかかわらず、皆のお陰で今日予定されていたベーストラックは何とか仕上がった。
P-VINEのC嬢やカメラマンのオダ君達も奮闘してくれ、録音だけに集中できたことが大きい。これから先もやっていけそうな感触を掴む。

しかし、予算(時間)を考えねばならないプロデューサーの立場と、音楽の質を考えねばならないミュージシャンの立場の二律背反は辛いところ。


2003年6月24日

レコーディング二日目 
昨日とは別メンバーでベーストラック録音
ある曲で思いきったことをするために 
怯まなかった自分を誉めたい

しかし 
5kg程痩せたような気になった

もうすぐ誕生日


2003年6月25日

自分は断じて方向音痴ではない。

よっぽど疲れていたのだろう、今日は二度も道を間違えてしまった。いつもは、自宅の在る市の北端から小一時間程西へ向かう現場だが、ダウンタウンのスタジオから直接行かねばならず、初めての道なので前日に地図で確認はしていた。

西へ一直線に伸びた無料の高速が、ゆるやかに北上し始めると暫くして目当ての出口なのに、一向に標識は出てこない。自分の距離感を信じると、とっくに現れていてもおかしくはない。時間の余裕をみて出発したが、高速や、容易にはUターンできない郊外の高速並みの広い道で迷えば、とんでもないロスになりかねない。疲れていて見過ごしたかと不安になり、適当な出口で高速を降りながら旅行社のNに電話を掛けてみた。

Nが言うには、今降りた出口の次の次が目当ての出口で、もう一度高速に戻れば直ぐらしい。信号で停まった先を見ると、直進すれば戻れそうだった。ところが道路には左折の矢印、つまり直進はできない。一応、周りにパトカーがいないかきょろきょろしてみる。白の車体に青線のシカゴ市警パトカーを見慣れていて、その時まで全く気が付かなかったが、真後ろに停まっているのは、見知らぬ郊外の町のパトカーだった。黒地の車体に黄色字でPOLICEと印されている。

胸を撫で下ろしながらも、左折した後なかなかUターンできそうにない広い道を進み、偶然にも最終的に目指していた名の道に出くわしてしまった。Nに従えば間もなくの筈だから、たとえ下の道で時間がかかろうとも確実に目的地へ着くと踏んで、現場の店の住所にある名前の道を北へ向かう。空は暗く南北の標識もなかったが、伝書鳩の方向感覚並みと自負しているので確信を持ってキタへ向かった。

キタが南とはっきりしたのは、距離感と風景に違和感を覚えたために再度Nの助けを請い、通り過ぎた道の名前を列挙した時だった。偶然見つけた筈の道も、Nが地図を見る限り途中ややこしい場所があるので、迂回してでも確実に辿り着くことが大切だと、10分以上も電話でナビゲーターを務めてくれた。ようやく土地カンのある所に誘導され、更に30分程かけ開演5分前に現場へ到着した。一時間近く迷ったことになる。

午後一時から深夜まで働いて、能面の無表情での帰り道、何度か通った所なのに間違えてしまい、さすがに今度は慎重に来た道を戻った。

途中、イリノイ州の宝くじの看板があった。現在の当選金額は $14 Million (約16億円) と先々週からは暴落している。どこかの誰かが既に $95ミリオン (110数億円) を当ててしまったということだった。

しばらくすると誕生日


2003年6月26日

オレにとって幸いなことに、音響エンジニアの都合で今日のレコーディング作業はキャンセルになった。打ち合わせやリハーサル、ハードな移動日までをも含めると、先週の月曜日から休みなく働いてきたので思わぬ僥倖となる。夕方までぐっすり眠ると疲れはすっかり取れていた。夜のロザの仕事も、ピアニストのジャマー(ジャムセッションで演奏する人)が二人来ていたので、普段の半分程しか演奏していない。

しかしよくよく考えると、日本の労働者は一年を通して働き詰めに違いない。一生のほとんどがそうに違いない。

大体がミュージシャンの言う「忙しい」なんて、世間からすればたかが知れていよう。
実際の仕事など子供の頃からの趣味の延長だし、ライブ時の拘束時間も5時間がいいところだ。スタジオ録音や特別なステージなど神経を使うこともママあるし、その時々のプレッシャーは計り知れないが、終わればケロっとする程度の一過性のものなのだ。
本当のトップミュージシャンでスタジオ作業の多い人は一握り。現場仕事で忙しいと良い格好をしても、「自宅には寝に帰るだけ」ってミュージシャンなんて聞いたことがない。

オレにしたところで、どんなに忙しくとも家に帰って飯をゆっくり喰う時間もあれば、こうやってMac.に向かう余裕もある。時折疲れが頭を侵食してメールチェックさえ面倒な時もあるが、本を読んだり、ケーブルテレビで映画やスポーツを楽しんだり、インターネットで日本のニュースを読んだり、将棋ネットで対戦するという、帰宅した後も日々 (にちにち) を過ごした証のために、義務化された遊びを堪能しないと一日は終わらないのだ。極端に忙しい時は当然睡眠を優先するが、そんな日々が何週間も続くはずはないし、考えただけで過労死してしまいそうだ。

日本では年収は下がったのにリストラのしわ寄せで、逆に忙しくなったという話をよく聞く。失業者は大変だが、職場に残った人も大変なようだ。政府は、というより経済政策を立案する人はアメリカしか手本にしないらしいが、この国で本当に (仕事で) 忙しくしている人は少なく、またほとんどの人が日本人と比べると貧乏なのだ。それでも国力 (資源や政治力、軍事力) があるから貧乏でもやっていける。将来の保障を薄くして弱肉強食の国になった日本で、忙しい人は減っても住み難い国になっていることは間違いなさそうだ。

忙しい忙しいといってるのが恥ずかしくなってくる。仕事をしながらビザ申請の準備をしていた頃は毎日の睡眠が3〜4時間程、時間が迫っている目の前の宿題を終えるのに必死で、忙しいことを認識する余裕さえなかった。「いついつから休みなく働いて」なんてタダの日数にしか過ぎず、思えば結構遊んでいるし、日本の過労死予備軍の労働者に失礼な話だ。もう忙しい振りはしません。

本当に忙しい人はこんな日記なんて読んでいないだろうけど . . . . .

あとしばらくで誕生日


2003年6月28日

キムという名の女性と知り合った。ロザの音響屋の新しい彼女で、彼にくっ付いて店に来たらしい。明るい緑色の髪とパンキッシュな服装が、小柄な彼女を娘の様に見せている。実際は30才を少し過ぎているようだ。透き通るような白い肌の所々にピアスや入れ墨が見える。終演後、彼女の方から声を掛けてきた。腕に入れた漢字を見て欲しいという。左の手首の内側に「奇勝」とあった。

市中で見る漢字が日本語としてのものであることは少ない。アメリカ人が英単語の意味の当てはまる漢字を中国系の人から教わり、デザイン性も考えながらTシャツのロゴや入れ墨に使用することが多い。だから「奇勝」を見て中国語だと最初は思った。

ところが彼女はインターネットで日本語の「カンジ」を探し、"Victory" の意味で「奇勝」を選んだという。確かに「奇勝を博する」と思い掛けない勝利を表現することもあるが、ほとんどの日本人は「素晴らしい景色」の方を想像するのではないだろうか?人に見せるものは、読んだ誰もが同じ意味に捉えられる単語でなければならない。

無邪気にオレの顔を覗き込んで言葉を待っていたキムは、説明を聞くと心配そうに「こっちはどんな意味に取れるの?」と尋ねた。少し頬の痩けた小さな顔は笑っているが、容易には消せない入れ墨に微妙な意の漢字を入れてしまったことを、少し後悔し始めているようだった。差し出された右手首のカンジを見ながら「悲しい過去があったんだね」と思わず聞いてしまった。

彼女は最近まで三年間路上生活をしていたと言う

「でもドラッグには手を付けなかった。何度か殺されそうになったけどね」
「もう路上には戻らないよね?」
「だからこのカンジを入れたかったの」
「で、どんな意味が欲しかったの?」
「『生まれ変わる』とか・・・不死鳥のような意味が良かったの」

左上腕の膨らみには夕日を背景にネコの入れ墨が彫ってあり、その下には「原宿」と印されている。日本のアニメから模写したらしい。原宿がどんなところかも知っていた。

ちゃんとした漢字を考え、名前にも当て字を見つけようと言うと大喜びで、「約束よ」と何度も念を押す。

華奢なキムが三年間のホームレスを経たあと実社会に復帰できたのは、彼女自身が何かを克服して強くなったからに違いない。今は屈託のない笑顔を見せてはいるが、そこに堕ちるに至る原因や環境はオレには理解できないだろう。頭で理解できても共有することなんかできやしない。彼女自身が変わらなければ帰って来れなかったはずだ。両手首の入れ墨には、二度とあそこへ戻るまいとする意志が表出していた。

キムという名は「貴夢」がぴったりくる。左手首の「奇勝」は直接的には「勝利」が彼女の望んだ意を汲むが、自分に打ち克ったのだから「克服」が良い。右手首のカンジは消して「新生」にしてあげたい。ダンテの恋愛詩集を想像するが、生まれ変わったキムの人生の新しい印になるはずだし、右手首の内側に彫られている「更生」の文字は、やっぱり妙な笑いに誘われるから。


2003年6月30日

いつもスピーカーさまの上に鎮座あそばしますアンプさまがお疲れのご様子。ご検診・ご入院の間なく困り果てる。

まもなく誕生日