傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 20 [ 2004年6月 ]


Rosa's 20th Anniversary
Photo by Sumito Ariyoshi, All rights Reserved.

top


2004年6月3日(土曜日)

事情により、シカゴへは6月16日に戻ります。申し訳ありません。


2004年6月19日(土曜日)

身内の不幸ごとで緊急に帰国したのが5月18日。いろんな事情が重なり、当初2週間の滞在が4週間に伸びてしまった。2年振りの日本を楽しむ余裕はなく、親しい友人にもほとんど連絡せず、ましてやどこかで演奏することなどは考えられない。それでも、義母の看護のため病院へ向かう道中や、泊まり込みの後で立ち寄るコンビニなどが細(ささ)やかな楽園となった。

どれもが正価で売られているということは、シカゴの日本食料品店で全品4-6割引きセールをしているに等しく、気が付けば、以前は食べなかったようなデザートまでカゴに入れている。悲しく重苦しい日々で食欲があったはずはない。最初の10日間で7軒、延べ9舟のタコ焼きを食べたが大食はしなかった。胃が欲してと言うよりも、久し振りの日本でこれだけは食べておかないとといった思い込みや、見た目の欲で買い求めたに過ぎない。おしなべて不規則な摂食となり、ラーメンなどの単品や口当たりの良い甘いものが多くなってしまう。お陰で離日する頃は、10ポンド(約4.5kg)も体重を増やしてしまっていた。

シカゴに戻って数日経つが、思考自体を息苦しくさせている妙な異物感は消えていない。その上ひと月も休んだためにぼけたのか、ロザで一度演奏はしたが、アパートに鎮座していると無機質な怠惰と向き合うばかりで、テレビを観ていても気が付けばぼーっとしている。かといって積極的に外出する気も起こらない。空腹を水で済ませ・・・あれから5ポンドも体重を減らしてしまった。


2004年6月22日(火曜日)

ひと月も演奏をしていないと、腕は鈍るが頭が欲求して弾き過ぎてしまう。身体を前に傾かせて指をもつれさせながら、もっともっとと先を急がせ忙しない。この歳になると、演奏は技術よりも気持ちの問題だと改めて教えられる。

昨日のアーティスでは、オレの境遇を知る友人が言った「有吉さんの時間が今までより貴重になりましたね。そういう演奏してください」を肝に命じて臨んでみた。ある瞬間は出せた気がするけが、やっぱりまだまだ。もっと精神の高みに昇りたい。

それにしてもみんな暖かく迎えてくれる。会うヒト会う人「歓迎と心配」の混在した表情で、破顔してオレを抱き締めると声を落とし「それでアリヨは大丈夫なのか?」と問う。オレは・・・大丈夫で、というより休みボケの感が強い。


2004年6月23日(水曜日)

陽気なチャールズとランチの約束をしていたが、実際にサウスサイドで彼を拾ったのは午後3時を大きく回っていた。彼はジェームス・コットンバンドのベースとして、日本のブルーノートで来月演奏する。現在のメンバーは、昨年初頭にオレが参加していたスラム・アレンのバンドが中心(2003年9月19日参照)なので、一緒に渡日できれば楽しかろうといつも話している。

この夏ビリーは、今年リリースされたケニー・ニールとのコラボレートアルバムのプロモーションに忙しいため、最近はSOBの仕事が減っている。今がチャンスとチャールズはジェームスのマネージャーにオレを入れるよう進言してくれたが、既にレギュラーの白人サイドギターが加入しているのであっさり断わられていた。どのバンドであれ、日本行きはオレにとって特別なので残念でならない。ましてやコットンなら尚更だ。暗いメキシカン・レストランでチャールズが「あいつ辞めんかなぁ」と呟いた。誰を指して言ったのかは分からない。

「アリヨと日本で遊びたぁーい」
「お前はオレをダシにして女性に声を掛けまくるやろ」
「ダイジョーブ、ニホンゴベンキョウシマス」

最後は妙にこなれた日本語で発音した。コットンバンド来日を知って帰国中のベースHが、「チャールズの腕をへし折って、オレに椅子が回ってくるようにセッティングしておいてくださいよ」と頼んできたが、チャールズなら腕が折れていても「折れてないもん」と嘘を付き、絶対に日本へ行くに違いない。そのことを彼に言うと笑いながら、「ボクは腕がなくてもあるって言い張るよ」と答える。

相変わらずアメリカの牛肉には手を付けたくないので、豚肉入りタコスを注文したが、日本から戻ってきたばかりでは何もかもが不味く、3分の2を残してしまった。前回のお返しにオレが勘定を払う。「ダイジョウブ?」と、歳下なのに心配してくれる彼の日本語が、その言葉の意味のまま受け止めて良いものかどうか迷ったが、「お気の毒に」の意味でも使う "I'm sorry" を直訳した、「ゴメンナサイ」を連発していたことを思い出し、そのままにしておいた。

映画にでも行かないかと誘われたが、なよなよっとして見えるチャールズと二人で映画館にいることを想像するとどこか侘びしい。会話中であっても、グラマラスな女性が目に入ると、露骨に顔で追い掛ける生っ粋の女性好きにも拘わらず、彼自身もオカマっぽく見られがちなことを気にしている。

帰る途中立ち寄った大型家電店では、映画館の代わりのDVDソフトを物色した。やはり彼が買い求めた5枚すべてのパッケージには、ビキニ姿のセクシーな女性しか写っていなかった。


2004年6月24日(木曜日)

ひと月穴を空けていたのとビリーの不在でスケジュールががらがらだったのに、カレンダーを見たら来月の半分まで埋まってきている。いやいやありがたいことで・・・。でもね、今晩のロザに団体さんが入るからと、いつもより一時間も早出で始めさせられ、ウチに帰ってシャワー浴びてご飯作って食べてMacの前に座ったら、もう少しして出ていかないといけない。J.W.ウイリアムスとカルロス・ジョンソンとSOBの番頭さんのモーズでケンタッキーへ行くの。朝6時(今は既に5時)にモーズを拾い、オレの車を含め2台で出発。移動も仕事の内。はぁあああ・・・、宿泊食事代自前のローディさんと運転手さんが欲しい。あっ、無給なのは言うまでもない。


2004年6月27日(日曜日)

もうくたくた、へとへと・・・。

J.W.のRVでは機材と4人は乗り切らないので、オレの可愛い日産マキシちゃんも駆って、ニ台揃って410マイル(約650km)先のケンタッキー州オウンズボロへ。

朝7時に集合ゆーたん違うん?アーティスの駐車場にモーズと二人一時間も待ったやん。こっちはロザ終わりで寝んと来てんの。眠気で運転がアカンようになる前に現地に着きたいでしょ。それから、安全運転で制限速度はそれほど超えませんって言いませんでした?エレガンスなマキシちゃんと永くご一緒したいから、無理な運転したくないんよね。それが高速に入ったらいきなり時速90マイル(時速約145km)って・・・おい!あんたは速球派のピッチャーか。それやのに、何でそんなにガソリンスタンドに寄るの?えっ、おしっこが近い?糖尿でインシュリンを打たんならん?薬飲むから何か食べたい?そうゆーたら、RVに同乗のモーズは体型似てるから同じ病気持ってる
ねんなぁ。オレの隣のカルロスは鼾をかいてずっと眠ってる。はあっっ、今度は何ぃ?み、道間違えたぁ?結局オウンズボロのクラブに着いたら午後4時過ぎやん。ホテルのベッドで横になれたのが5時・・・。

この4人が一緒に演奏するのは初めて。J.W.のライブはショウ的な進行で音の中断がなく、演奏中に次の曲のキーを伝えて回る。ドラムのモーズにキーを言っても仕方がないとは思うが、どんどん曲をこなしてゆくドライブ感が楽しい。J.W.のベースはシンプルなのでモーズも崩れず、ゆったりしたリズムの上にカルロスとオレがのっかるから気持ちが良い。浮ついた者がいないので、見た目もクールな大人のバンドであった。

それにしてもモーズはアレンジの細かいJ.W.の曲を良く知ってるなぁと思っていたら、J.W.とモーズこそSOB草創期以来のメンバーではないか。そうえばカルロスも元SOB。奇しくも新旧SOBのユニットであった。

翌日はさすがに夕方まで良く寝た。同室のカルロスとホテルのレストランで食事を取った後、ひとり館内を散策する。オウンズボロはインディアナ州とケンタッキー州を分けるオハイオ川沿いに位置し、ホテルはその畔(ほとり)に建っていた。500人以上を収容できる劇場が付設されていて、かつてはレイ・チャールズやフォートップス、プラッターズなども出演していたようだが、壁に掛かった額入り写真のほとんどはカントリー系の人々であった。街ではブルーグラス・フェスティバルが開催中だから、そういった音楽のメッカなのかも知れない。フロント横の広いコンコース内に常設されているFM局のサテライト・スタジオには、フォークギターとバンジョーが飾られていた。

川沿いのプールサイドからは、リゾートホテルに相応しい夕陽が眺められた。何そうもの舫い舟が川面に映えている。そこから急斜面を這いずるように生い茂った草木の隙間から、こちらの様子を窺う動物がいた。頭から肩にかけてしか見えなかったがビーバーに違いない。対岸は何マイルも続く森林地帯で、ビーバーの棲息に適している。確かめようと用心して身体をゆっくり動かしたが、その途端姿を消されてしまった。アパートの敷地内を夜中に闊歩していたスカンクを見て以来、今は何を見ても驚かない。

奥に細長いが、2階席からもステージが見下ろせる洒落たクラブは、前日と変わらず満員になっていった。ブルースが好きでJ.W.を観に来たのではなく、数少ないクラブへ音楽を楽しみに来た客がほとんどのようだ。ステージ前に立つ人々はみんな踊りたがるが、2階席の前にずらりと並んだ人たちは静かに聴き込んでいる。入りに比べて拍手や歓声が小さく思えたが、休憩中にはメンバー各々が何人もに話し掛けられていたし、最後のセットまで客がそれほど退かなかったのを考えると、オレたちの演奏は大いに楽しんでもらえたのだろう。地方で演奏すると、音に飢えていたような大歓声に迎えられることもあるが、ブルースの生演奏にどう反応して良いか戸惑っているように見えることもある。何れにしても、たまにシカゴ以外の地域で演奏するのは楽しい。

そして今朝の8時にホテルを出発。往路で何度も寄り道する度にカルロスが文句を言ったので、復路を運転するモーズは3回しか止まらなかった。サンドイッチやスナックなどを買い込んだRV車の二人とは違い、嗜好の片寄るオレとカルロスは、高速沿いに見えるマックやサブウエイ、ガソリンスタンドのサンドで済ますことが出来ず、朝から何も食べずにケンタッキー・フライドチキンの出現を待っていた。しかしケンタッキー州内では見掛けず、インディアナ州でも見掛けず、それはイリノイ州に入って午後3時を回り、シカゴまで残り40マイル(約65km)となったところでようやく看板が現れた。カルロス安堵する、オレたちは駆け込む。

レジを除くほとんどの店員の目がおどおどとしており、動きもどこかゆっくりでもどかしい。カルロスに訊ねたら、知的障害者の「就業研修プログラム」受け入れ店だった。

1990年に制定された「アメリカ障害者法」は、自立したい障害者を社会が援助し、差別なく受け入れることを保証した画期的な法律であるようだ。そういやアパートの近所の大型スーパー・ジュールでも彼らは頑張っている。それを見ると微笑ましいし、逆に励みとなる。住民も障害者らの社会参加を自然に受け入れ、接している。障害者を奇異な目で見る人の多い日本と違って、こういう部分は、アメリカ人とこの国の社会の成熟を羨ましく思う。

RVとマキシちゃんの2台同時にガソリンを満タンにし、同じ距離を走って再びガソリンを満タンにしたらマキシちゃんの分が少なく済んだので、マキシちゃんの方が燃費が良いと何度説明してもきょとんとした顔をして、「オレのRVのガソリンタンクの方が大きいからたくさん入るんだよ」と答えたJ.W.君、彼らを見習いなさい。

モーズの「ギャッ!」っという声で振り向くと、彼は浮浪者のように、ゴミ箱に上半身を突っ込んでいた。手に持っていたゴミと一緒に車のキーまで棄てたらしい。はい、君も「研修プログラム」行きね。


2004年6月28日(月曜日)

今日のアーティス、大将ヨーロッパよりまだ帰らず2週続けて4人で演奏する。SOBは全員歌を唄うが、ビリー以外に歌手として一本立ちできる人がいないので、オレのテンションはぐうっと下がってしまった。それでもモーズはギャラが上乗せされるので喜んでいる。鼻クソが目クソになった程度なのに・・・。

ある曲が始まった時、<このソロが人生最後の演奏だったとしたらどうする?>と自分に問いかけてみた。気負いや無理がなく、<宝くじが当たったらどーする?>程度に楽しく問いかけてみた。すると突然気持ちが穏やかになり、煩悩が消えていった。純粋に自分のためだけに演奏していた。

そういう時は上滑りしないもので、バンドを自然に引っ張ることができる。『これが最後の演奏だと思って弾いています』と口にするのは簡単だが、本当に最後だと自覚したら演奏どころではない。常にその姿勢でいることは大切だが、バンドや音響の善し悪し、雑念もあって、実際はそのような気持ちを持っていたことさえ忘れている。

いつまでシカゴに居られるか分からない今の境涯が、問いを素直に受け入れさせたのだろう。大言壮語しないオレが言うのだから、良い演奏だったと思う。久し振りに顔を見せていた"Red Beans Record"の元オーナーのピートが、わざわざそのソロを誉めてくれたから、本当に良い演奏だったのだろう。

そんな感情を意識なく表出できた時、オレはもっと高みにいるのかも知れないが、最近自分の中で何かが変わりつつあることを感じている。


2004年6月29日(火曜日)

おいおい、ESPN(スポーツ専門ケーブル局)エエ加減にせえよ。ウインブルドン準々決勝、杉山愛対マリア・シャラポワ。シャラポワばっかしアップにしてるやないか。まぁ、英国BBCの国際映像やろしESPNには責任ないか。しかし、逆転負けした杉山は無惨。昨日の放映予告でもシャラポアしか映ってなかった。