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PioneerHeaven
 「滅びの子」〜スノゥ〜
−・0・−
Fanatic Child



 悲鳴はくぐもった、かすかなものだった。
 でもそれは、私を戦慄させるのにじゅうぶんなものだった。
「! シェナッ」
 身に置かれた状況を忘れて、私は背後を振りかえる。
 夜に染まる天体と――
 闇よりも昏く、建物を塗りつぶす影。
 シティは眠りについていた。
 閑散とした、静寂に浸された空気。
 そのなかを、霧が漂う。
 目に見える情景はすべて霧にかすんでみえて、どこか頼りない。
 現実の確かさまでもがゆらいでいるような、錯覚。
 そのなかを――ストリートはただまっすぐと続いていた。
 左右に従えたストリートライトの灯が、路面にぼんやりとした青い光を投げ出しているが、光量はおぼろげで、そのほのあかるさがよけいに夜のくらがりを強調しているように思えてならない。闇を払うはずの照明が、かえってその闇をおびきだしているような……そんな倒錯めいたものを感じた。
 ひどく、幻想的なヴィジョンだった。
 まるでむかし読んだ怪奇小説のワンシーンを再現したような、うらさびれ、背徳の匂いをかもしだす情景。夜の畏怖に裏打ちされた神秘すら、私はそこに感じてしまう。
 そんな、ストリートの途上に――
 街灯に浮かぶシルエットを一つ、私は認めた。
 ――シェナ。
 霧にかすんで、その詳細はわからない。
 シルエットは動かない。微動だにせず、力なく腕をだらりとさげて、天を仰いでいるように思えた。
 その、シルエットの頚部からなにかがしぶいている。
(あ……)
 それは噴水のようにいきおいよくふきだし、降りつづける雨のようにとめどもない。
 ……雨?
(ちがう)
 反射的に思考がイメージを拒絶した。
(あれは――血だ)
 直感が事実を認識した。
 頬にうずきをおぼえた。
 知らず私は頬に手をあてていた。
 指のさきが血でぬめる。
(まさか……)
 予感が走る。息を呑む。
 ――あのときのスライサーの一撃。 
(あれは、私だけをねらったものじゃ、ない?)
 私にむけて放たれたあのフォトンの刃は、同時にシェナをもその照準にさだめていたというのだろうか。
 旋回するフォトンの刃。
 それは虚勢をはる私の頬を裂き、逃げるシェナの首を薙いでいき……。
(…………)
 眼はばかになったようにシルエットから離れない。
 その姿をいつまでも見つめつづけていく。
(…………)
 その首からはいまもまだ、鮮血がいきおいよくあふれだしていた。
 失血が致命的なのは、火を見るよりもあきらかだった。
 ぞわ――粟立つような悪寒が身体じゅうにめぐった。
 脊髄が凍る。思考が凍結する。整然とまとまらない。
「ぁ……ぁぁ」
 言葉すら出ない。
 そして――シルエットの膝がくずれた。
 肢体はゆっくりと傾き、静かに地面へたおれこむ。
 そのさまは緩慢で、まるでスローモーションを見ているかのように思えた。
 どさりと、地に付すそのひびきまでもが耳にとどくように思えて。
 血の染みが路面に広がっていく。
 みずからが広げる血の溜りにシェナは沈む。
 血の染みはとまらない――
 とまらない――
「ぁぁ……あ……」
 頭のなかで、なにかがはじけた。
「シェナっ!」
 悲鳴をあげた。身体が駆けだした。
 そこへ、誰かが私の肩をつかんてきた。
 振りかえろうとした。目の奥に赤い火花が散った。
 ――殴られたのだ。
「人の心配よかまずはてめえの心配したらどうよ、ええ」
 低い、男の恫喝。
 襟をつかまれ、私は宙にひきずりあげられた。
「てめえのことぁ、好きにしていいんだろう。おれぁ、ちゃあんとてめえの大好きなダチとやらを逃がしてやったぜ、ナァ」
 追従するように、複数の笑声がその後につづいた。
「そんな、約束がちが――」
 頬にとぶ平手が、先の言葉をふさいだ。
「約束だぁ。バカが、誰がてめえとの約束まもるかよ。そこまで価値がてめえにあんのか。のぼせあがんじゃねえっ」
 男の膝が私の腹部をつきささった。
「――がッ……ハ」
 呼吸が一瞬で吐き出された。にじむ鈍痛。逆流する嘔吐。
 こらえきれず、吐いた。吐きながら身をくの字に折りその場に沈んだ。身体の内側すべてが外にあふれだす。圧迫されて、息ができない。
「よぉ」
 髪をつかまれ、顔を無理やりあげさせられた。吐瀉物が口の端を伝う。涙ににじむ視界に男の顔がおぼろげにゆがむ。
「ぅ……ぁ……」
 さんばらにのびた、赤い髪。
 右目には昏い諧謔が、ちろちろと炎のようにまたたいている。
 左目はない。縦にはしる一状の傷痕につぶされて、ガラスの義眼がうめこまれているのみ。
 顎はするどく、それが抜き身の剣呑を漂わせており、常軌を逸した理性――歯止めを知らない狂気が、男の表情をかたどっていた。
 ひどく危険な匂いがあった。病的なまでに白い肌がよけいにその印象を助長させていた。
 その顔には見覚えがあった。
 ぼんやりとした頭で、私はそのことを考える。
 そう、私はこの男を知っている。
 この男の名は――レベッカ。
「てめえ……何様のつもりよ、ん」
 底冷えするほどにやさしい声が、レベッカの薄い唇からもれた。
「たかが売女だろうが。そんなてめえになにができるよ」
 彎曲刀を模した兵器――スライサーが私の頬におしつけられる。
「せいぜいヒィヒィよがって男悦ばせるぐらいしか能ねえくせに。それを――つまんねえ探偵きどるか、あ」
 スライサーの峰が私の頬を殴りつけた。頬が爆発する。火のように熱い。
「それともなによ、え。ただぶちこまれるだけじゃ足りねえってか。もっと程度のいい刺激が欲しいかよ」
 幾度もスライサーが私の頬にとんだ。頬が膨張する。奥歯が折れた。口のなかが切れた。鉄の味が充満した。
「ンなに欲しいならよ……くれてやらぁ」
 レベッカのひとつだけしかない、昏く蒼い、炎のようなまたたきが残忍にきらめいた。
 カチッと、スライサーのスイッチが入る。
 刀身部分に緑色のフォトンがまたたいた。
 ヴヴヴ……フォトン特有の鈍い共鳴を、私はすぐそばで耳にする。
「どこ刻むよ。ほら言えや」
「お……まえなの」
 かろうじて、私は口を開いた。
「あ?」
「おまえが……リンダを、カレンカを…シィフをころ――」
「黙れブタ」
 顎を抑えられた。
 そのまま持ち上げられる。
「……っ…ぅ」
 足が地をもとめて宙を掻いた。
「ンなことおれがきいたか。くだらねえさえずりしてんじゃねえ。黙ってヒィヒィ泣いてろ、おめえは――よッ」
 顎をつかむ手が離れ、路面に投げ出される。そこへレベッカの足が私の胸を蹴りとばした。
 ふきとび、もんどりをうち、視界がぐるぐるとめぐる。全身を壁にたたきつけられ、一瞬、意識がとだえた。
 そのまま仰向けに、私は倒れた。
 視界に、夜の空がひろがる。
 空には星がない。
「ケッ、どのみちてめえぁ、生かすつもりはねえ。ガルガへの見せしめだ。せいぜい派手に殺してやらぁ。おう、ジェイド」
「へい」
「好きにしな」
「へへ、ようそろ」
 ジェイドと呼ばれた大柄な男が、私の視界に入ってきた。
 そのまま私の足の間をわって、覆いかぶさってくる。
「しっかしよ。いちおうは売女のはしくれたぁいえ、よくンなガキ抱けるな。神経うたぐっちまうぜ」
「コイツはね、真性の**なんすよ」
「るせェぞジェドッ。黙ぁってろ」
「だとよ」
「おおこええ」
 三々五々にはやしたてる男たちの声、笑い。
 ごつい手が私の衣服を乱暴に破り捨てる。
 肌に直接、男の体温を感じた。
 ……陵辱される。
「とっととすませろよォおい」
「しゃべんなボケ。こちとらたのしむつもりでヤッてんじゃねえんだ」
「には、見えねえなァ」
「黙ぁってろ。死ぬぞてめえ」
 ……すべてがばかばかしかった。
 絶望も苦痛も、恐怖すらも感じない。
 思考も感情もすべて停滞し、麻痺してしまったようで。
 ただ現実が、遠のいていく。
(……ごめん)
 そう呟いた私の言葉は、いったい誰にむけられた言葉なのだろう。
 目の前の景色がうすれ、やわらかい色が私の目の前に広がっていった。
 たくさんの顔がうかんだ。
 リンダの、やわらかなほほえみが。
 シィフの、おずおすとした表情が。
 カレンカの、憎々しい勝気な眸が。
 それらすべてが、私にむけられていた。
(みんな……)
 べつに、思い出と呼べるほどかさねてきたものじゃない。
 ただ気がつくとそれはすぐそばにあった、そんな顔たちだった。
 どくん――
 世界が暗転する。砂の時計がひるがえる。
 どろりとそれぞれの顔が溶けていく。
 溶けた皮膚の裏側から死者の顔が覗いた。
 うつろに開き、虚空を見据えた眼(まなこ)。
 肌は黝(あおぐろ)く、ぬくもりをなくし。
 生の執着を絶たれた無念と、癒えない苦痛に声なき声をあげて、唇はひらかれて。
 死に顔はどれもやすらかなものとはいえず、苦悶にあふれていた。
 どくん――
 暗転した世界が虹色に脈打つ。顔たちが消える。
 今度は痩せぎずな、肌の白い少女の顔が浮かんだ。
 シェナの顔だった。
 顔は笑う。
 怒り、泣き、めまぐるしく表情を変えて、それはみずからが生きているのだと、懸命に私に主張する。
 ささいなものなのかもしれない。
 他愛のないものなのかもしれない。
 でもそれが、とてもとても大事なことのように、私には思えた。
 ……刃が閃く。
 旋回し、闇の尾をひき、なぎ払っていき――
 弧をえがく刀身部位から解き放たれた投刃(スライサー)の刃は世界を引き裂いていく。
 それが、シェナの背後にせまり。
 首のうえを薙いでいった。
(あ……)
 一瞬の出来事だった。
 刃が過ぎる瞬間、シェナの表情が驚いたものとなった。やがてそれは、力のない死者のそれにとってかわり、一瞬の間をおいて頚部から大量の鮮血がほとばしる。
 頬にうずきがはしった。
 頚部に空想上の痛みがはしった。
 血がとまらない。
 そのなかで――
 静かにシェナの瞳が……閉じられていった。
 息を呑んだ。驚愕が眼をこじ開けた。
 脳髄かしびれる。思考が私から離れて声をあげる。
(駄目……だめだ、よ、シェナ――逃げなきゃ)
(このままじゃ、追いつ、か、れる)
(だから――だからあなただけでも)
(逃げ…て――)
 けど、私のその意志に反して――
 ぐらりとシェナの身は傾き――
 ……倒れた。
(あ……)
 もう、その表情は笑わない。泣かない。怒らない。
 ただ、みずからがひろげた血の染みに――
 沈んでいく。
 ――動かない。
 ……うごけない。
(あ……あああ)
 なにかが音をたてて崩壊する。
 壊れた。くずれた。消えた。
 私が。世界が。すべてが。
(あ…ああア)
 スパークする。
 赤に、黒に、閃く。
 思考が、散り、まとまらない。
 かたちになれない。
 ただ、荒れて――ただ、荒れる。
 奔流はとまらない。
 決壊する理性から、本性が、あふれ、だす。
 もう――
 もう、おさえることなんて、できなかった。
 ――爆発する。
(あ、あ…アアアアアアアアアアアァァッッ!!)


 ごぅ。


 炎が、うねった。
 黒い、うめきに満ちた炎が。
 それは、闇から目覚める生誕――
 怨嗟に満ちた、荒々しい産声だった。
 ――そし、て。


 私は祝福の、声ならぬコエを、あげる。


「え……な、うぎゃあッッ!!」


 ……星のない夜空に。
 あでやかな華が、幾重にも、咲いた。

 赤く、紅く刹那に……。


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