2005年2月の私淑言

 


2005. 2. 27.

演出家G2と俳優松尾貴史率いる『AGAPE store』の第9回公演、『BIG BIZ』上映会+出演者によるトークショー+再演『BIGGER BIZ』のスペシャルステージを、翠條さん、祐さんと見て来た。
会場は新宿スペースゼロ。14時開演で、途中休憩を挟んで約5時間の耐久レース(違)だ。
13時40分に会場で落ち合い、まず最初が再々演『BIG BIZ』の上映会。
長野の大地主が脱税目的で作った架空の会社宮沢木材を舞台に、名目社員の結城、口八丁で無責任に話を広げる結城の友人(と言ったら結城は激怒しそうだが・笑)健三、間借り絵描きの神崎、いろいろ手違いで社員になった青木、ふらっと迷いこんだハッカー皿袋が繰り広げるコメディーである。
『殺し屋の目をしている』結城、『自称画家でフランク=シナトラ大好きで彼の曲にBig Bizを見る』神崎、『リストラされた元刑務所監守』青木、変貌ぶりがものすごいナイスバディの『盗聴屋・ハッカー』皿袋。
どのキャラも強烈だが、何がすごいって松尾氏演じる健三がすごい(笑)。ここまで好き勝手にやりたい放題かつ無責任でおまけにそれが皿袋や青木の力を借りて全部なんとかなって上手くいってしまうんだから、人生相当楽しいだろう。
噛み合わない会話とどんどん膨らむ話ともっとどんどん大きくなる騒動に、笑って笑って大笑いしているうちに、ちっぽけな幽霊会社が1日で大会社になってゆくのは、小気味よくて楽しくて気持ちいい。
でも、『昨日の事』をさも昔のことのように懐かしむのはどうかと思いますが青木さん(笑)。
続けて、『BIGGER BIZ』出演者プラスゲスト(今回は濱田マリ)によるトークショー。『危険だと思うのは』『一緒に飲みたいのは』『どちらが職場としてイヤか』などなど、BIG & BIGGER BIZやAGAPE storeに絡めた2択をネタに、これまた大笑いなトークがなぜかパジャマ姿で炸裂。
20分では物足りないほど楽しいトークだったのだが、「今日は好きに時間決めていいみたいだから」と、休憩時間まで客に決めさせて、ここでも笑わせていただいた。
結局休憩は「あなた! あなた決めて下さい!」と指名された観客の希望により30分に決定。
ほぼすべての観客の希望時間でもあったためすんなり決定して、席を立つ。
休憩中は、ここからがまだ長いので、持参した食料で腹ごしらえ。スタバへ飲み物を買いに出た翠條さんとは別行動で、祐さんと2人、ぱくぱくとパンやクッキーを食べ、開演5分前にいそいそと座席に戻った。
で、『BIGGER BIZ』。これも再演。
『BIG BIZ』で設立された結城BIG BIZ エンタープライズが、経営の危機に陥り、それにまつわる交渉のために結城と部下の加賀がシンガポールを訪れたところから始まる、前作に輪をかけさらにハードボイルド(笑)やコンゲームまで入った、これまたどたばたコメディーだ。
顔は出ないのに存在感は大きい結城、やっぱり行き当たりばったりの健三、とても支社長(なのだ!)には見えない青木、相変わらずシナトラ大好きなすっとぼけ神崎、どこの不二子ちゃんかと思う活躍ぶり(笑)を見せる皿袋に、段々鍛え上げられて行くたぶん今回一番の被害者加賀、彼等を窮地に立たせる株式会社ペルセウスの川島(フォローありがとう祐さん!)。
やってるコトはめちゃくちゃで「おいおいおいっ!」と突っ込みたくなるし自分がこの当事者になるのはごめんだが、軽快なテンポに乗せられて大笑いしているうちに、ラストはキレの良いコンゲームで颯爽と気持ちよくスカッとなれる、本当に楽しい芝居だった。

このシリーズ、3部作品だそうだが、ラストの『BIGGEST BIZ』は来年だとか。
今からとても楽しみだけれど、待ってるウチに先の2作の細かなところを忘れそうで困っている(^^;;;)。

 


2005. 2. 26. H2A、宇宙へ。

2003年11月、6号機の打ち上げに失敗して以来、ずっとトラブルや諸々の事情で延び延びになっていたH2Aロケット打ち上げ計画。
今日、2005年2月26日18時25分、7号が予定より1時間16分遅れながら無事打ち上げに成功し、さらに40分後、気象観測などを担う運輸多目的衛星(MTSAT)新1号の切り離し・予定軌道への投入にも成功したそうだ。
これから微調整や動作確認を重ね、実際の運用開始は5月になるという話だが、ひまわり5号の運用停止以来、ずっとアメリカの衛星から画像を配信してもらっていた日本の気象観測が、これで再び自国の手に還る。
無事宇宙へ旅立ってくれたH2Aに、開発、製作、打ち上げその他関わってこられた方々に。
ありがとうと、おめでとうと、これからよろしくを、ここから。

 


2005. 2. 24.

隣の奥様から大変愛らしいものをいただいた。
和紙で出来た手作りの雛飾り。

大きさは全体で15cm x 10cm x 10cmほど。わずかに大きな白い箱入りで、そのまま収納・保管出来るコンパクトさだ。
ありがたくいただき、リビングに飾って、小さいが華やかな『春』である。

 


2005. 2. 23.

春一番が吹いた。
東京では最高気温が19.4度を記録して、各地で3月下旬から4月上旬の暖かさになったらしい。
早いかと思ったらそうでもなく、2月下旬は平年並み。
調べてみたら、暖冬だった去年には2月14日に春一番が吹いている。
そういえば、去年は最寄り駅前公園の桜が数本、26日には開花していたのだ。今年はまだまだその片鱗もないのだから、気温の乱高下はあっても、やはり『平年並み』、なのだろう。
ほんの2週間ほど前には最高気温がマイナスの人外魔境にいたのが嘘のような今日の天気だったが、明日、24日にはまた冬の気温に戻るとか。
なんとも忙しい『きさらぎ』である。

 


2005. 2. 17.

17日午前0時、愛知県常滑市沖に中部国際空港が開港した。
T字型のターミナルビルで国内線と国際線の発着場を分けたこの空港、各ターミナルもとても近く、乗り継ぎも非常に便利であるらしい。
伊丹−関空、羽田−成田の乗り継ぎの煩わしさを考えると便利さはことのほかだろう。
のみならず展望露天風呂があったり、単なる空港に終わらない施設だというから面白い。
愛称の『セントレア』が『南セントレア』なる妙な新市名に使われかけて、住民はじめ各方面から猛反対が出たいわくもあるが、話の種に訪れてみたい場所ではある。

 


2005. 2. 16.

今日、2005年2月16日、温室効果ガスの削減を義務付ける『京都議定書』が発効した。
地球温暖化防止を目指して世界が踏み出した第1歩だが、世界最大の温室効果ガス排出国であるアメリカは不参加を決め込み、中国、インドや、開発途上国には削減の義務がない。
片手落ちと言うのすらかたはらいたいが、せっかく発効に持ち込んだ議定書だ。
なんとかまだ参加していない国々を巻き込むためにも、出来ることをやるしかない。
自分達の環境を守るのは、この星に住ませてもらっている我々の義務だから。

 


2005. 2. 13. 真冬の人外魔境ツアー・その3

3日目。後々のスケジュールが詰まっているためこの日も朝7時前に起床。
前夜買って来たパンやハム、ミルクに、手持ちの卵その他を組み合わせて朝食を整え、紅茶を淹れて、お三方に召し上がっていただく。
食べながら見るのはこの日が放送初回の某戦隊もの。魔法絡みで兄妹でおかーさんも変身するとか色々情報は聞いていたのだが、今回のこれも設定が無茶だわきょうだい順応早いわで大笑い。
更にその後、Kさまが笑えると仰る某仮面もみてこれまた大笑い。
いつからお笑い系になったんでしょーか特撮?(苦笑)
で、そんなものをゆっくり見てしまったために、自宅を出るのが9時前になってしまった。
これが後々響いて来るのだ。もっと急いでおけばよかった……。

我が家を出て、向かうは上野・東京都美術館。
3月27日まで開催中のミュシャ展を鑑賞するのだ。
3日目の予定をどうするか、と相談した時、Kさまから希望が出たのがこれだった。私も心惹かれていたし、M。さまは心の師と仰るし、Mさまからも反対は出なかったので、難無く決定したのであった。
閲覧時間はだいたい長くて2時間ぐらいだろうと踏んで入ったのだが、展示されている点数も多く、時代もミュシャの学生時代や活動初期から晩年に至るまで多岐に渡っている。
ミュシャの原画は美麗だし、ポスターもパッケージもカレンダーも美しい。彼の描く女性は表情が官能的で美しく、肌の色合いもなんとも言えず艶やか。
ついうっかり『撫でてみたい』などと思ったとは、正直に白状しておこう(自爆)。
しかも途中にビデオも流れていたりしたため、急ぎ足で回ったにもかかわらず案外時間を食ってしまった。
このため、本当ならせめて上野駅までお見送りしたかったM。さまの電車の時間が迫ってしまい、泣く泣く途中でお別れすることに。時間管理が出来ず、大変申し訳ない事をしてしまった……。
M。さまとお別れしてからも、まだ我々は展示を見終わっていなかったため、残りの展示を多少急ぎ足で眺め、ショップで気に入った絵の絵葉書その他を買い求める。
ここで、展示物の中にあったミュシャの『装飾資料集』に心惹かれていたKさまと私はそれを探してみたのだが、展示室脇のショップにはなく、残念がりながらも諦めて、展示室を出たのだが。
美術館自体の、こちらは一般書籍も扱っているショップを覗いてみたら、ここにあったのだそれが。
学術書扱いで、価格は5桁。学術書であることと中身を鑑みれば(『装飾資料集』と『装飾人物集』が1冊に収録されていたのだ)まあ納得な値段ではあるが、高い。
が。これを、「今じゃなきゃ多分買わないから」と、太っ腹にもKさまが御購入。Mさまと惜しみない拍手を贈ったのであった。
買い物を終えたところで時刻はそろそろお昼。
昼食をどうしようか、ということになったのだが、その時間から店を探しても見つける頃には混んでいそうだしなによりお二方は荷物もあるので下手に歩いて探すのは避けたい。かといって東京駅まで行こうとすると、それこと着く頃にはまともに昼時の混雑とかちあう、ということで、そのまま美術館のレストランで食事を御一緒する事に。
我々が入った時点ではまだ、待つ人はいてもさほど混み合ってはいなかったのだが、食事を終えて出る頃には長蛇の列が出来ていたので、この選択はどうやら正解だった模様。ここでも「おなかすいた」と「ねむい」を連発なさるKさまに苦笑しつつ、食事と会話を楽しませていただき、上野駅で名残りを惜しみつつお別れ。
2泊3日のツアーが幕を下ろしたのであった。

思い返せば(とくに初日が)とても2泊3日とは思えない濃い内容だったこのツアー。
雪も会話も食事も堪能しまくりで、長時間を御一緒させて頂き、楽しい時間を過ごさせて頂いたお三方に、心よりの感謝を捧げたい。

 


2005. 2. 12. 真冬の人外魔境ツアー・その2

(証拠写真集へはここからも)

明けて2日目は7時に起床。
朝食が7時30分〜8時30分であるためなのだが、起きるなりM。さまが「肩が凝った」と宣う。
……温泉にゆったりつかって眠ったはずなのに何故…………。
急遽マッサージルームが短時間開設され、少し凝りを解してから身支度を整え食堂へ。
昨夜の夕食の折、朝食には中華粥を頼んであったので、朝食も微妙に中華。たっぷりの中華粥と卵料理、豆腐料理、味付きのなめこ、中華風の漬け物に、味噌汁、海苔に梅干し、こちらは和風の漬け物と、朝から結構満腹になった。
朝食を終えて部屋に戻るが、チェックアウトの時間まではまだまだ間がある。
そのため、ニュースか何か、と思いつけたテレビで、いくつかチャンネルを切り替える内に、飛び込んで来たのは『うる星やつら』。聞けば山間地なため普通の地上波が入らずテレビはBSとのこと。懐かしさとばかばかしさに突っ込みを入れて笑いつつ結局30分しっかり見て、更にその後に始まったのが話には聞いていたが私は見るのも始めてなら原作を読んだこともない『今日からマのつく自由業』。「だいたいの好みはカバーしてます」的なキャラクター達にこれまた突っ込みを入れて笑いつつ、やはり30分しっかり観賞してしまった。
そうこうするうちにチェックアウトの時間になったので、忘れ物がないか確認してからロビーへ。
チェックアウトの手続きをしてから、M。さまが車に積もった雪を落としに駐車場へ向かわれるのに、交代で荷物番をしながら一夜明けた外を眺めに行く。
車の上の雪を見よ
これでM。さま曰く「降った内に入らない」らしい。……次元が違う…………。
M。さまの準備が整ったので、またまた車に乗せて頂き、今度はM。さま宅へGO。
ここでM。さまは車を置き、バスで駅に出て、御一緒に東京へ向かうのだ。
走ること数十分。M。さまの御在所には秋にも訪れたはずなのだが、この時期すべては雪の下
家々も雪の壁に阻まれて道路からは見えず、普通はすぐ判るはずの学校も、校庭が雪捨て場になっているため言われなければどこだか判らず、更に秋には見えていた町中を流れる川の水面が、道路はおろか橋の上からも欄干に積もった雪に阻まれて見えない有り様。
気温の低さと雪深さにあらためておののき、乗車予定のバスを待つ間、M。さまのお住まいで過ごさせて頂く。
ここでも時間潰しの手段はトランプ。そしてやはりKさまは「おなかすいた」と「眠い」を交互に連発なさり、Mさまはジジに好かれまくる。
昼食は宿にお願いして用意してもらった中華ちまき。それをレンジで温めて、Mさま手ずから淹れて下さったお茶やスープを頂きながら、しばしのランチタイムである。
やがてバスの時間が近付き、準備をして、M。さまも御一緒に、駅へ向かうためバス停へ。
で、これがそのバス停。
教えてもらわなければ気付かなかっただろう。多分。いや、間違いなく。
やってきたバスに乗り込み駅まで約1時間30分。
M。さまの車からでもなかなかすごい雪原っぷりを堪能させて頂いたが、車高の高いバスからの眺めはひとしおである。雪原の広さ白さが目にまばゆい。
何がすごいって、秋にも同じ景色を眺めているはずなのに、雪がまぶしすぎて深すぎて、雪原の下にどんな光景が本来広がっているのか、思い出そうとしても思い出せないのだ。何かあったに違いないし、絶対に見ているはずなのに、ひたすら広い雪原に見えるのである。
走行中のバスからでは写真も撮れず、証拠をお見せ出来ないのが残念でたまらない。
途中、葬儀に行き会い、
「この時期だと納骨出来ないんじゃない?」
とMさまが仰るのに、Kさまや私は普通に納得したのだが、ここでM。さまがひとこと。
「そうだねー、大変だねー。迂闊に死ねないねー
…………そこですか!? また口調が真剣かつしみじみとしたものだったため、失礼だとは思ったが、ついつい爆笑してしまった。
にしても、さすがに雪道にも慣れたプロは違う。普通のスピードで雪道を走る。
天気も悪いとは言えないほどだったので、ほぼ定刻通りに駅に到着。ここから列車で東京へ。
電車の中でもやっぱりKさまは「おなかすいた」と「眠い」の交互連発炸裂。が、車中のつまみにとMさまが御用意下さったものが微妙に辛くてKさまには食べられないものだったのでそれもかなわず。何か車中用に辛くないものを用意しておけばよかった、と後悔。申し訳なかった。
この長い電車での移動時間中、M。さまはひたすら窓の外を眺めて犬を探し、発見しては叫んでおられた。
静かになったと思ったら
「はっ! 今、脳内妄想で柴犬と戯れてた!」
などと仰るのだから、筋金入りの犬好きである。
時間が進んで夕方になり、刻々暗くなって行く景色を見ながら、
「暗くなってきたねー。もう犬が見えないーーー」
と嘆かれたのには、揃って「そこ!?」と突っ込んだものだ。
やがて列車は東京に到着。更に移動して、まず夕食のために、私のお薦めの店へと向かう。
店が小さいため大人数では行き辛く、また最寄り駅が新宿などのターミナル駅でもないため、あまり他人様を御案内出来ないのだが、和洋中なんでもアリで酒もジュースも茶類も豊富、おまけにデザートも甘味好きを感嘆させた、私の奥の手的な店のひとつだ。
御案内したお三方には、料理も飲み物もデザートも気に入っていただけたようなので、密かにほっとした。
食事を堪能したら、後は我が家へGO、である。
最寄り駅で降りて、少し遠回りして日曜の朝食用の買い物を済ませ、お三方を我が家へ御案内。
トランプが出ない代わりに煩悩話に花が咲き、交代で風呂を使ってお茶を飲みつつ喋って喋って、やはり翌日に備えて日付けが変わる頃に就寝したのであった。

 


2005. 2. 11. 真冬の人外魔境ツアー・その1

(証拠写真集へはここからも)

一部で人外魔境と噂される某所に、ただ豪雪を体感するためだけに行って来た。
名付けて『真冬の人外魔境を体験しようツアー』(そのまんま)。メンバーは10月に旅行したのと全く同じ4人である。
事の起こりは去年の10月、件の人外魔境での紅葉を堪能する2泊3日の旅を終えた我々が、前々からM。さまが言っていた「一度この豪雪を体験させたい!」という台詞に好奇心を刺激されたこと。
その後「本気? ホントにいいの? やるなら行くよ?」と言いつつ誰からも却下がなされないままさくさくとKさまが宿を手配下さり、冬真っ盛りのこの時期をわざわざ選んでツアーを実行したのである。
ただし、「人外魔境の豪雪を体験するのは1泊で十分」というKさま、Mさま、私の意見の一致により、豪雪地帯での宿泊は1泊で、後はM。さまも一緒に東京に戻って我が家で1泊、翌日少し東京で遊ぼう、という計画。

まず11日。関西からお越しのKさま、Mさまと浅草で合流、昼食用の弁当を買い込んで、一路人外魔境へ。
途中、鬼怒川辺りまでは景色に全く雪がなく、
「どこから雪になるんだろうね?」
などとのほほんと言い合っていたのだが、鬼怒川を過ぎた辺りからいきなり来た!
最初は山中の日陰にうっすら残る程度だったそれが、トンネルを抜けるたびに増えて行く。
なんたって、これが、わずか2分後、次のトンネルを抜けた瞬間こうなって、更に1分後、別のトンネルを抜けたらこうなるのだ。
気分は『国境のトンネルを抜けると雪国』どころか『トンネルを抜けるとどんどん異世界』である。
だが、現地で迎えて下さるM。さまによれば、件の人外魔境の雪は11日現在3mに手が届くと言う。こんな程度で圧倒されてはいけなかったのである。
下車駅に到着して改札を抜けた我々を、ホームから駅舎に繋がる渡り廊下に流れるBGMが迎えてくれる。
耳に飛び込んで来たその曲は

『残酷な天使のテーゼ』

よりにもよって何故コレが………………(脱力)。
途中からだったにもかかわらずうっかり一緒に口ずさんで、廊下を抜け、わざわざ向かえに来て下さったM。さまと合流。帰りには買う時間がないかもしれないから、と、駅の土産物売り場に寒さを避けがてら土産を物色するため避難する。しかしここにも我々向けのトラップが仕込まれていたようで、保志総一郎氏の歌声が……(^^;)。
とりわけ買いたいものもなかったのと宿にも売店はあるのとで、その場では買い物をせず、M。さまの車に乗せて頂き一路宿へ。
途中だんだん高さを増して行く道路脇の雪の壁に呆れたり、防雪堤や防雪ネットのない山の斜面の雪崩の可能性に背筋をすこぅし冷やしたり、雪よけのために作られているトンネルの壁に出来上がった滴り落ちる湧き水の氷柱(というかむしろ凍った滝。写真を撮れなかったためお見せ出来ないのが残念。)に厳しい寒さを思ったり、それでもまだ実は密かに余裕があったりしたのだが。
我々が訪れるしばらく前に降ったという、1週間に3mの実に20年以上ぶりらしい豪雪はハッキリ言って半端じゃなかった。2階の屋根から滑り落ちた雪が落ちた場所でそのまま放置され、その後積もった屋根の雪と切れ目なく繋がっている場所がある。人が住まなくなって久しい人家や、人家よりやはり多少強さに劣る車庫が雪の重みで歪んでいる。挙げ句、老朽化して使われれなくなり地域の方々も存在を忘れかけていたらしいとはいえ、屋根に積もった雪の重みで潰れた上にまだ潰れ続けているため2次災害を警戒してそのまま放置されている体育館があったり。
宿までの道は秋にも通っているにもかかわらず、周りが白すぎて自分がどこにいるのか判らない。幹線道路から宿へ入る道も、秋にはちゃんと判ったのに、この時期は周りが雪の壁だからどこが壁の切れ目か判らないのだ。おそるべし豪雪地帯。
そして辿り着いた宿は、こんなアリサマだったのである。ロビーから見る庭が既に雪に埋もれて影も形もない。以前同じ宿に宿泊したことがあるはずのM。さま、Kさま、Mさまも、そこがどんな庭だったか思い出せないという恐ろしさだ。
とりあえずロビーでサービスの蕎麦茶と茶菓子を美味しく頂き、更に部屋に入り荷物を置いてここでもサービスの茶菓子と今度は緑茶でひと心地。
で、その部屋の窓から見えたのがこの光景。世界を覆う雪の下に何があるのかなど最早さっぱりである。
ほっと一息ついた後は、いよいよこの旅のメインの1つ、『人外魔境の雪を実感しよう』を実行するため、防寒をしっかりしてからいざ、外へ!
が、秋にも同じ宿の駐車場を短時間借りてそこから少し歩き、景色を楽しんだはずの我々、全く同じ道を歩いているはずなのに、視界を埋め尽くす雪のせいで、実際には宿から10分も歩いていなかったにもかかわらず、自分がどこを歩いているのか、宿からどれほど離れたのかも判らなくなってしまい、

人外魔境を実感する。

更に宿に戻ってから、面白がって離れと本館を繋ぐ渡り廊下を見に行ってみたら、渡り廊下がこんなことに
人外魔境に恐れ入りつつ、ロビーの売店で早速土産を買い込み、部屋に戻って、夕食の時間までMさまが淹れてくださるお茶をいただきながら、健康的にトランプなど。このあたりからKさまが「おなかすいた」と「眠い」を交互に言い始めたり、ジジ抜きをやったらMさまが異様にジジに好かれたりで笑いが出始める。
18時を過ぎて夕食の時間になったので、食堂へ降りて美味、かつ量もたっぷりの中華コースに舌鼓。
それから部屋に戻ってまたトランプ。ここでもKさまは「眠い」と「おなかすいた」を交互に連発、Mさまは相変わらずジジに好かれ、「どうしたことか」と揃って首を傾げたのであった。
23時頃ゆったりとお風呂(温泉であったv)に入り、露天風呂(でも雪囲いの中なので外はほとんど見えない・笑)を堪能してから、翌日に備えて健康的に日付けが変わる頃就寝。
ものすごく長く感じる1日がひとまず終わりを告げたのである。

 


2005. 2. 6. 不安・2

先日「不安」と書いたウチの従姉とその息子。
やっと金曜に上京の日を決めたらしい。
土曜午後に電話がかかってきた。
が。その電話、別の従兄の部屋からで。
9日〜11日の試験を受けるのに8日に上京してくるつもりで、そのホテルを5日土曜午後にやっと取ろうとしているらしいのだ。
で、従姉曰く。
「それがねぇ、ないのよホテルが! 大学の近くかそこまで乗り換え無しで行けるところで見付けたいと思ったんだけど!」
…………アタリマエだ。
各大学の入試が重なる時期、日本全国から受験生が来ているというのに、そうそうそんな条件の良いところでホテルがしかもこんな直前で簡単に見つかってたまるものか!(^^;)
今頃慌ててネットで検索をかけさせられている従兄がいい迷惑だ。
6日夜現在、結局ホテルが取れたのかどうか私は知らない。
週明けから予想以上に仕事がたてこむ事が判明したので出迎えに行けない旨を伝え、それっきりであるのだが。
もしホテルが取れてなかったら、乳幼児のいる同じく関東圏に住む別の従兄に泣きついていそうで、それもまた心配ではあるのである。

 

日付けが変わる頃、念のため「取れたの?」と訊ねてあった件の従兄から「取れた」とのメールが届いた。
「でも飛行機の手配まではしてないぞ」
との一言に
「そのぐらい自分でやらせろよ」
と私が返したのはいわずもがな。

…………しかし暢気な親子だよ(呆)。

 


2005. 2. 3. 不安。

先日来、本来私が気にすることではないのに気にかかってしょうがないことがひとつある。
去年の2月、息子の大学受験のためにやってきた従姉親子。
息子が去年希望校の受験に失敗したため今年リベンジを期すのだが、今年はさすがに息子1人で上京させるらしく、ずいぶん前から私はその出迎えを頼まれている。
が。いい加減受験も迫っているだろうと思われるのに、その従姉から一向に連絡がないのだ。
代わりに先日母から電話があって、言うには
「アンタ、K姉から電話かかった? 2月の1・2日に大阪でひとつ受験してそれからすぐ東京へ行くって言ってたんだけど」
「はあ!?」
初耳である。電話などもちろんかかっていない。ので、当然こう返した。
「ンな話全然聞いてないぞ。ちょっとそれでいつ来るって?」
ところがどっこい母の答えが。
「それがねぇ、まだ飛行機もホテルも取ってないって言うのよ
待て。
待て待てちょっと待て!
「待て!! ちょっとそれ大丈夫なの!? つかそもそも本命の受験ていつ!?」
「8日と9日らしいんだけど」
「……それでまだ決めてないってか?」
「そう。呆れてるんだけどねあたしたちも。まあそのうち連絡があると思うから」
「……いやあのおかーさま。ワタクシ2月の第1週と第2週仕事たてこんでるんですが。ンな時に前日とか当日とかに電話かけられて『来てv』言われてもきっぱりはっきり無理なんですが。って言っといてくれ頼むから! ちゅーかそれマジで2月の話か3月とかの間違いじゃないのか!?」
「そうよねぇ……。判った言っとくわ。うん……そうね、確認しとく。」
「…………よろしくね」
床に膝をつく勢いで脱力しながら電話を切った、これが先月の29日の話。
で、2月3日現在、件の従姉からまだ連絡がなにもないのだ。
届くはずはない(むしろ届いては困る)が叫びたい。

アンタらホントに受験生とその親か!?

 


 

 

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