── 晦方
〜つごもりがた〜
──
「それじゃそろそろ帰るね私達」
「じゃあ、紅尾、またねー。桜里さまも清流くんも、また遊ぼうねっ♪」
朗らかな声を残して、彼女達──紅尾の友人ふたりは帰って行った。
小さくなってゆく姿に手を振って、別れを告げて。そうして部屋へと戻りながら、感慨深げに桜里が囁く。
「またね、か」
「なんですか桜里?」
ドアを閉めながら紅尾が問い返すと、
「いや、なに」
部屋に戻りながら桜里はちいさく言葉を返して、それから吐息を漏らすようにこんなことを言った。
「そなたと出会うまで……妾は、この時代の人間から『またね』などと言われるようになるとは、思うておらなんだ故、な」
それも、自分達──桜里と清流を、人外の存在と知ってなお、そんな言葉をこうも簡単に言う人間達に出会うとは。
「あー、なるほど。それ、僕も判りますよ」
桜里の言葉に清流が頷く。
桜里も清流もそれなりに力の強い精霊だから、望めばいつでも人に見える姿を取ることが出来る。けれどだからと言ってそれで清流の『姿』が変わるわけでもなければ、まして彼等が精霊でなくなるわけでも、もちろんなくて。
それなのにこうもあっさりと人外の存在を受け入れる人間達に出会うことになるとは、数年前には思いもしなかったのだ、と。
しみじみと微笑うふたりに、紅尾が、湯飲みに新しい煎茶を注ぎながら言った。
「あー、それはほら、彼女達に抵抗がないからでしょ、あなた方みたいな存在を受け入れることに」
コトン、と急須を置きながら、紅尾が「それに」と言葉を繋ぐ。
「それに……きっとみんな本当は信じたいんじゃないかと思いますけど。あなた方が、在ることを」
桜里や清流のような人外の存在を。時を越えて生きる不思議の体現者がいることを。
「信じたい……ですか、紅尾さん」
「だと思うよ、清流」
「そうかの?」
「そうですよ桜里。多分ね」
多分、と言いながら、どこか自信ありげな紅尾を、桜里と清流は不思議そうに見つめた。
「その割に、眉唾ものの企画が多いように思うが?」
「ですよねぇ。まともに取り上げて一応まじめな顔をして、眺めるのって、心霊スポットとかそんなのくらいじゃないですか」
「ま、それは私も否定しませんけどね。でも」
頷きあう桜里と清流に、紅尾はクスクス笑う。「でも」と。
「でも、それでも、信じたい人達は多いんだと思いますよ。だから、一番判りやすい心霊写真やなんかを取り上げるんでしょ」
「……判りやすく目に見えないと、ダメ、なんですか?」
「はっきり見えるし。それにまあ、言ってみれば、証拠、だからね、写真や映像は」
「はっきり見えなきゃダメですか。」
──僕達は確かにここにいるのに。
「見えなきゃ、信じてもらえませんか」
──自分達が、いることを。
淋しげな清流の肩にそっと手を置いて桜里が静かに言葉をかける。
「……清流は、皆に信じてほしいのか?」
「そんな、みんなにってワケじゃ、ないですけど……」
俯いた清流に、今度は紅尾が笑いかけた。
「だーから。心の底では信じたがってる人も多いんだって、清流。はっきり見えるものを求めるのはね、見えないものを全面的に信じて、それがウソだった時を、みんな怖がってるんだと思うよ」
ウソなんて、見えるものの中にもいっくらでもあるのにな。
笑顔で結構なことを言う家主に、清流と桜里は半ば呆れた目を向ける。
「そういうコトを笑顔で言いますか紅尾さん」
「まあ、そなたらしいと言えばらしいが」
そうして、言葉を切って、桜里が。
「で、そなたは怖くはないわけか、信じることも、ウソがあるかも知れぬことも」
──自分達が、在ることも。
深い瞳で訊ねると、ふわりと笑って紅尾が返した。
「そりゃだって。私には見えてるワケですし。自分の目に映るモノを否定したって莫迦みたいでしょ」
「ならばそなたの友人達は?」
彼女達は桜里達の姿を、精霊ふたりが『そう』と望んで姿を現すのでなければ、視ることが出来ない。それでも彼女達は言うのだ、「またね」と。
話が元に戻ったところで、今度は紅尾が笑いながら言った。
「そりゃ、なんたってホラ。連中の目の前には、『私』がいるワケですから。」
こんなのが身近にいて、少しばかり『普通』を越えたことをしでかすのを目の当たりに見てれば、イヤでも免疫が出来るでしょ。
「あっはっは。」と朗らかに言い放つ紅尾に、清流と桜里が頭を抱える。
「……そういえば、紅尾さんの変わったとこって、僕等が見えるとこだけじゃなかったんだ……」
「なにやら我らよりも紅尾の方が『人外』に思えるのぉ……」
「うわ、酷いなその言い方」
軽い抗議の声を上げながら、けれど紅尾は言葉を繋ぐ。
「でも昔はこういうのも結構いたんでしょ?」
「ああ、まあな」
「他の精霊達も言ってましたよ。昔はもっと普通に僕等の存在も信じられてたって」
けれどそれは遙かな時の向こうのことだと。今はもう、時代が変わってしまったのだと、静かに桜里が呟く。
清流は黙り込んでしまった。
彼の生まれ育ったのは、それでもまだ『不思議』の残る場所だったし、なにより桜里の紡いできた時間は清流のそれより格段に長かったから。精霊としてはまだひよっこの清流には、時の流れに身を浸してきた山桜に、かける言葉を見つけられない。
と、
「違いますよ」
ふいに小さな、けれどきっぱりとした声が響いた。少しだけ真剣になった声音、穏やかなアルト──紅尾だ。
「違います。人間なんてそんな変わりやしませんよ。在ればいい、と、みんな心ではきっと思ってる。ただ、それを表に出しにくくなってるだけですよ。多分ね」
その声に、引き寄せられるように桜里がじっと紅尾を見る。
「……変わらぬか」
「ええ」
「本当にそう思うか」
「思います」
──だってその証拠に、今も人はこうして新しい年を迎える準備をする。
囁いて紅尾が視線を向けた先には、友人達が持ってきた──手土産にしては一風変わっているし、いささか気も早いのだが──小さな門松があった。
松の緑、竹の緑、今はまだつぼみの硬い梅の枝。
門松にも注連縄にも、そこに使われる植物や食物にも、色々な意味があって。
その全てを知らないまでも、どこか厳かな気持ちで人は、それを飾るのだ。
今も昔も、変わらずに。
「ね、変わらないでしょ」
「……なるほどの」
クスリと微笑う桜里を見やって、紅尾はそっと立ち上がり、夜に向かってカーテンを開く。
「冷えてきましたね」
窓を開けながら紅尾が言った。
「ホントだー。あ、さすがにこの季節にはここでも少しは星が冴えて見えるんだ」
その足下からひょっこり顔を出して清流。
「ああ、そうじゃな。空気が澄んでいるからであろうよ」
並び立つ桜里が応えると、ほっ、と呼気が白く闇夜に浮かんだ。
見上げる空にはぽつりぽつりと、それでも他の季節よりは澄んだ黒を背景に、冴えた色の中にちらちらと星が瞬いている。
「この冬の初雪はいつでしょうね」
オリオンを見つめながら紅尾が言うと、
「さてな。年が明けてから、なのは確かであろうよ」
と桜里が微笑う。
「楽しみだなー。積もるといいな。僕、足が埋まるくらいの雪って見たことないから」
「あーそうかお前見たことなかったか。楽しいぞアレはー♪」
いかにも嬉しそうに笑いあうふたりを、桜里は呆れ果てた顔で見つめた。
「……そなたら、この東京でそれだけ雪が降った場合の被害というのを考えておるか?」
「…………あ。」
「しまったそうだった、あんまり積もるととんでもなく苦労する人達が出るんだった。えーとそれじゃ、積もりすぎない程度に積もるといいな♪」
勝手な言い分に桜里が吹き出す。
笑いながら言った。
「まったくそなたらは。いずれにせよ年が明けてからのことじゃ。来年のことを言うと鬼が笑うと言うぞ」
その、『来年』は、もうすぐ来る。
笑みを返して紅尾が言った。
「いいじゃないですか先のことを話すのも。今は『来年』だけど、もうちょっとしたら『今年』になりますよ」
「そうそうっ。楽しい予定を立てるのって、嬉しいじゃないですか桜里さま」
「……ま、そうじゃな」
「というわけで、来年もよろしくお願いします、桜里。清流も」
「僕の方こそ、よろしくお願いしますね、紅尾さん、桜里さま」
「いささか気の早い気はするが……そうじゃな。来年も、よろしく頼む」
──変わらず、な。
囁いて、桜里が微笑む。
その笑顔の向こう側に、紅尾は薄紅の桜を見た気がした。
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