── ひまわり畑へ愛をこめて。──

 

 

 

 さらり。
 開け放った窓から入る風が夏物の薄いカーテンを揺らした。
 まだ太陽が沖天へと向かう途上のこの時間、森の中の家を吹き抜ける風は涼やかだ。
 珍しく『午前』と呼べる時間の内に目を覚ました悟浄は、失礼にも雨の心配をしながら八戒が整えてくれた軽い朝食を摂った後、リビングの窓際に椅子を持ち寄り、窓枠に肘を預けて、愛用のハイライトをふかしていた。
 早々に朝の家事を済ませた八戒は、今は家の前庭にいる。
 手ずから植えた花や野菜を嬉しそうに世話するその様に、ふわり、悟浄は微笑んでから、煙草を消して立ち上がった。

 

 

「咲いたな」
 背後から歩み寄った悟浄が声をかけると、八戒は
「はい」
 と笑顔で振り向いたが、
「ほれ」
 と悟浄が差し出すものには少しだけ訝しげな顔を見せた。
「持ってくんじゃないのか?」
 問いかけると、やっと得心したようで、
「ああ、はい。……ありがとうございます」
 と、それを右手で受け取った。
 悟浄が差し出したのは花鋏だ。
 もちろん共に暮らすようになってから八戒が買って来たものである。
 そして、彼等の眼前で風に揺れているのは、一般的なものより遥かに小ぶりながら、森の緑に映える黄色も鮮やかな、陽を受けて輝くように花開いたひまわりの群れだった。
 これも八戒が種を買って来て自分で庭に植えたものだ。
 自分の家の庭に花か、しかもただでさえ暑い時期に咲く真っ黄色のひまわりとは鬱陶しい、と、正直天を仰ぎたくなった悟浄だったが、いざ芽が出て茎や葉が伸び最初の花が開く頃には、悪くない、と考えがすっかり変わってしまっていた。
『花の好きなひとだったんです』
 大事そうにひまわりにそっと手を添えながら、淡く笑んで八戒が言ったその『ひと』が、誰かなど今更訊くまでもない。
 そのひとの事を語る八戒の顔に暗い影のよぎらないのが、一瞬揺れかけた悟浄の心にちいさな安堵をもたらした。
 だからこんな言葉が零れもしたのだ。
『じゃあ、さ。それ。もっと咲くんだろ? したら、それで花束作って、そんで……持ってってやれば?』
 誰に、とも、どこへ、とも、言わなくても伝わるぐらいには、悟浄と八戒は近しい位置にいる。
『……そうしましょうか』
 応えて一層笑みを深めた八戒は、それから以前にも増してひまわりに手をかけるようになった。
 早めに咲いた花には、丈夫な種をつけるようにと追肥を。
 まだ蕾の花や、蕾すらつけていない株には風に気を配り雑草も丁寧に抜いた。
 そうして、最初に開いた花のいくつかがみっしりと種をつけた今では、ベッドひとつぶんぐらいは余裕でありそうなスペースが、小ぶりな黄色の花で埋まった『ひまわり花壇』になっていた。
 だから、その花を持って、花の好きだったひとに挨拶に行こうと。
 咲き揃ったひまわりを前に八戒が思っただろうことを、少しだけ先回りして、悟浄は八戒に提案したのだ。
 けれど、一度は鋏を受け取った八戒は、
「やっぱり明日にしましょう」
 と言って、花ではなく、乾燥させるために風通しの良い日陰に置いてある、しっかり実のつまったひまわりの種の方へと歩み寄ったのだ。
 首をかしげる悟浄を後目に、八戒は嬉しそうに種の重みを確かめている。
「……どーすんの、それを?」
 訊ねるとこんな答えが返った。
「明日、花と一緒に持って行こうかと思って」
「ああ……あっちに植える?」
 花が好きだったという彼女のために、今は一面不毛のあの場所をひまわり畑に変えたいのか。
 思った悟浄の問いかけには、だが思いもかけない言葉が返った。
「いえ……あ、それもありますけど、あのひと、コレを炒ったのも好きだったんで」
 殻をむいて焦げ目がつくまで炒ってから、軽く塩を振って食べるのが好きだったのだ、と、ふんわり微笑って八戒が言う。
「…………さいですか」
 確かにひまわりの種は立派な食材で栄養もあるが、それを炒ったものが好物とは。
 ──つかソレ、酒のつまみじゃねーか?
 彼女の話を八戒から聞くにつけ、是非一度サシで飲んでみたかった、と、しみじみ思う悟浄である。
 八戒──彼女にとっては悟能だが──を話の種に、さぞかし盛り上がったことだろう。
 悟浄が何を考えたのか、表情から悟ったのだろう。
「そうなんです。」
 くすり、八戒が笑って、
「あなたも好きでしょ?」
 と、さらに笑った。

 

 

 太陽を追い掛けて咲くという花を持って、あの場所へそのひとに逢いに行こう。
 そのひとの好きだったつまみを持って、そのひとに夏を届けに行こう。
 忘れないように種も持って、忘れないように鍬も持って。
 まだ彼の心は叫んでいるけれど、まだ血は流れているけれど、それでもこうして生きているし、それでもこうして笑っているから。
 こうして、生きて共に在るから。
 だから、『さよなら』と告げて追うことを禁じたそのひとに、『今』を伝えにあの場所へ行こう。
 そうしてそこでビールを開けて、持って来たつまみも食べて。
 それから、土を耕して、持って来た種をそこに播こう。
 何もないその場所が、いつか花で覆われるように。
 何もないその場所が、いつかひまわり畑になるように。

 

 

 

 

 
サイト5万ヒットのキリ番をかりりんさんがご報告くださったので、
丁度良い区切りだし、と、リクエストをお受けして書いたもの。
リクエスト内容は『花喃のお墓参りをする八戒』でしたが、友人に訊いたら
中国ではお盆の墓参りは特にしないそうなので、ちょっと形を変えさせていただきました。
さてかりりんさんには御満足いただけますでしょうか……。
掲示板メールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。

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