──雪の上の太陽──
雪が降っている。 持ち得なかった時間を……それを持って生きる誰かを、羨むつもりはないけれど。 窓の向こうの雪の上の、嬉しそうに笑う金眼の小猿にかこつけて。 少し。 ほんの少しだけ。 昔出来なかったことを、今、やろう。
無闇に広い寺院の敷地も、その外も、全てを白く覆い尽くし、それでも飽きずに降ったり止んだりを繰り返して、もう何日になるか判らない。
手の空いた者は軒並み屋根の雪下ろしや雪かきに借り出されているらしく、今もあちこちから僧侶や小坊主達の掛け声が響いてくる。時折聞こえる「うおっ!?」だの「わぁっ」だのという耳に嬉しくない声は、雪に不慣れな誰かが足を滑らせて思わず上げる悲鳴だろう。
二年参りや初詣の参拝客の人波が一段落したと思ったら、これだ。
雪は音を吸収するものだから、本当ならもっと静かで良いはずなのだが、その静寂を味わう暇もない。
(ったく。)
執務室でそうした音を聞きながら、三蔵はさもウザそうに溜め息を漏らした。
別段雪景色を楽しみたいわけでも、静寂に浸りたいわけでもないが、この賑やかさはどうだろう。
と、突然。
──バシッ!
仕事に飽きて見るとはなしに見ていた窓に、拳ほどの雪玉が当たって砕け、三蔵の視界を遮った。
その雪玉を追いかけるように、声が。
「うわっ、ゴメン三蔵っ!」
「へへっ、こーのノーコン猿っ」
閉じた窓越しだから多少くぐもってはいるが、誰のものかなど考えるまでもない。
「あいつら……」
今度こそ本当にウンザリして呟くと、横からまた別の声がかかった。
「元気ですねぇホントに。」
縁側で日に当たる年寄りのような口調でのほほんと笑いながら、声の主は三蔵の執務机に熱い茶の入った湯飲みを置く。
悟空。悟浄。八戒。
すっかり聞き慣れてしまった声達。いつの間にか自然に側にいる彼ら。
誰も寄せ付けなかった三蔵が、文句を言いながらでも彼らを“内側”に入れたことに、口さがない寺院の堅物どもは驚き、僧正はふわりと微笑った。
『賑やかになって嬉しいですね。この年寄りにもいい刺激になります』
あの時僧正はそう言った。
実際良い刺激にはなったのだ。
雪が嫌いで、雪を怖がり、雪が降ると雪の見えない部屋に閉じこもっていた悟空は、悟浄と八戒と知り合ってスキヤキをネタに誘い出されて以来、すっかり雪が平気になった。
どころか、雪を恐れていたそれまでの時間を取り戻そうとするかのように、雪だるまを作り雪兎を作り、悟浄と八戒が寺院に来るとこうして雪合戦をする。
また悟浄が悟空を子供扱いせずに本気で相手をするものだから、余計に手が着けられなかった。
「よく続きますねぇあの2人の雪合戦。僕なんか寒くてすぐ戻っちゃったのに」
「ほっとけ。ガラスさえ割らなきゃどうでもいい。風邪引いたって自業自得だあいつら。……ったく、ガキ大将がそのままデカくなったみたいだな悟浄のヤローは」
茶を飲みながらの三蔵の言葉に、自分も湯飲みに手を伸ばしかけていた八戒が一瞬その動きを止める。
そうして、ゆっくりと窓に歩み寄り、外を眺めながら
「…………そうでもありませんよ……」
と、言った。
八戒が音にしなかった言葉が、判る気がするのは何故だろう。
──ガキ大将だったわけではない。そんな時間は悟浄にはなかった。悟浄には。そして自分にも。
「あなたもでしょう、三蔵?」
問いかけに敢えて答えず窓の外に目を遣ると、八戒もそれ以上は何も言わずにそっと窓枠に手を掛けた。
──カタン。
窓が開く。
寒風と共に粉雪が舞い込む。
そうして、外から2人の声が。
「おーいはっかーい、お前も来いってー!」
「三蔵ーっ、三蔵もやろーぜ雪合戦ー!」
「あはは、お呼びですねぇ。さてどうしましょうか」
言いながら八戒はもう半分以上行く気のようだ。
──物好きな。
あからさまにそういう視線を送ると、八戒がこちらに水を向けた。
「三蔵は? 行きません?」
「誰が。」
──ガキじゃあるまいし。
吐き捨てるように答える間にも、悟空の声は響いている。
「さんぞーっ! 三蔵ってば、なあ三蔵!」
無理矢理無視して仕事に戻ろうとする三蔵に、窓枠に浅く腰掛けて八戒が言った。
「ほら……三蔵。呼んでますよ悟空が。あの子は……あなたと、雪合戦したいんですよ、三蔵」
──だって悟空は、あの時だって、三蔵が呼んだから雪の中へ飛び出した。
雪の舞う“外”へと目を向けさせたのは、確かに悟浄と八戒だろうが、三蔵が外から呼ばなければ、悟空は部屋から出なかったろう。
「でしょ? 三蔵」
いつも、いつでも、あの金眼の子供の“動く理由”は三蔵なのだ、と。
どこか楽しげに八戒が言うから、三蔵は少しだけ不機嫌になる。
──そんなものになるつもりはない。
誰かの“動く理由”になどなるつもりはない。そんなものに自分がなれるとも、なっていいとも思わない。
真っ平だとすら、思うのに。
「さんぞーっ、三蔵ってば! なあ、やろーよ雪合戦ーっ!」
それでもあの子供は自分を呼ぶのだ。
寄りかかることなく、自分の足で、立ち、歩きながら……三蔵を。
「来いよ、三蔵、小猿ちゃんがお呼びだぜ? ほら、八戒も早く来いって!」
「行きませんか、三蔵?」
それは三蔵を、今、外へと誘う悟浄も八戒も同じ。
「悟空相手でなきゃ出来ませんよ、雪合戦なんて」
駄目押しのような八戒の言葉に、先ほどの彼の言葉が重なる。
──ガキ大将ではなかった自分達。ガキ大将になるより先に、大人にならなければならなかった自分達。
時間を取り返すように雪遊びに興じているのは、何も悟空だけではないのだ。
「三蔵、八戒、やろーよ雪合戦っ」
「はーやく来いってお前らーっ」
「はーい、今行きますっ!」
呼ぶ声に答えて、八戒が窓枠を乗り越える。
「ちっ。物好きが」
呆れた声でぼやきながら三蔵が窓枠に歩み寄ると、嬉しそうに悟空が呼んだ。
「やたっ、八戒参戦っ! なあ三蔵も来いってば」
「ルセェ!」
窓枠に手を掛ける。
悟空が期待の眼差しで三蔵を見ている。
その、雪雲の上に輝く太陽のような視線を確かに感じ取りながら、三蔵は窓枠から身を乗り出し、地面に手を伸ばして。
「テメェら相手になんか、これでじゅーぶんだ!」
言って窓の下の雪を拾い上げ、ギリギリと両手で握って硬い雪玉にしたそれを、離れて立つ3人に、力一杯投げつけた。
というわけで、2003年の第1作目は、やはり最遊記。
2001年、2002年は外伝でしたが今年は本編。『3 years
ago』を読んだ時書きたくなったんです、どうか許してやってください(^^;)。掲示板やメールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。