──ト・キ・ニ・イ・ノ・リ・ヲ──

 

 

 

 新年を迎えた天界。
 常以上の頻度と数で催される宴の、それでもかなりのものを鉄の仏頂面で蹴倒した末、こんな所、そんな身分だからこそつきまとう下界で言うところの『浮き世のしがらみ』のお陰で出ざるをえない最低限のものにだけ出席した金蝉が、執務机に行儀悪く両足を乗せて疲れた身体を持て余していると、上官を引き連れてふらりとやってきた天蓬が、前置きもなく笑顔で言った。

『初詣、行きませんか』

 何をいきなり言い出すのか、と、金蝉は思った。バカも休み休み言え、とも、思った。
 何しろ、詣でられる当の本人達とつい数刻前まで同じ酒宴の席にいて、ウンザリするほど見飽きた面子と同じほど空虚な会話からやっと解放されたばかりだったのだ。
 それなのに、今、金蝉は、金晴眼の大地の愛し子にしっかり手を握られ、人混みの中を歩いている。
 我ながら呆れ果てること甚だしかった。
『……はつもーで、って、何、天ちゃん』
 そう問いかける悟空に、返す言葉などいくらでもあった。適当に省略して誤魔化して、悟空の興味を失わせることも、きっとそう難しくはなかったはずだ。
 天蓬と捲簾が言葉で悟空を釣ってその気にさせても、ダメだと金蝉が一言言って、それで終わりにも出来たのだ。
 けれど、結局、そうしなかった。
 いや──出来なかった。
(……まったく)
 と、溜め息混じりに金蝉は自嘲する。
 いつも、そうだ。
 下界の秋祭りに誘い出された時もそうだった。期待に満ちた悟空の目に、あの時も金蝉は負けてしまった。
 基本的に金蝉は悟空に甘い。
 いつも厳しく叱って怒鳴って乱暴に扱っているように傍目には見えても、結局望んでいるのは悟空の笑顔──なのだろうと、思う。
 それは天蓬と捲簾もきっと同じで、だからこそ彼らはこうして事あるごとに悟空と金蝉を誘いに来るのだ。
 本当は、自分達には、『初詣』など必要ないのに。自分達だけのためならば、それこそ『初詣』など蹴飛ばして踏んづけて丸めて燃やして煙にして、あの天界のぼやけた色の空の彼方、二度と戻って来られないところに追いやってしまいたいくらいなのに。
 なんとなれば、初詣とは、新しい年のはじめに神仏のところに挨拶に行き、その年の幸福を祈願する、下界の習慣、なのだから。
 神仏への挨拶ならイヤと言うほどいつもしている……させられている。彼らに何かを願うなど、それこそ自分達にはアホらしい。
 それでもこうして出向いて来るのは、全て悟空のためなのだ。
「金蝉、金蝉金蝉なーアレ美味そうっ!」
 ぐい、と悟空が金蝉の手を引く。
「元気ですねぇ悟空はホントに」
 裏のない笑顔を浮かべているだろう天蓬の言葉を、
「ジジ臭ぇぞ天蓬お前」
 揶揄する捲簾も楽しそうだ。
 お好み焼き、たこ焼き、甘栗、ベビーカステラ。綿飴、おみくじ、焼きそば、いか焼き。
 秋祭りの時それと、似ていながらそれでもやはり少し違う、初詣客目当ての屋台の、ひとつひとつに悟空は興味を向けてゆく。
 境内に入るとそこもやはりいつも見ている天界の建物とは違って、金蝉にすら物珍しく思えてしまう。
 場に満ちるのは身を切る寒さ、裏表のない人の笑顔、子供達の泣き声笑い声、賑やかなくせにどこか厳かな喧噪。
 その、どれもが、下界にあって天界には決して存在し得ないものだ。
 下界という場所は、彼らの望む『永遠』がない代わり、天界人がなくしてしまった熱と、変わる強さを持っている。
「やっぱ、スゲェな……下界は」
「……ええ、そうですね」
 囁き交わす捲簾と天蓬の声を聞くとはなしに聞いていると、悟空の声が飛び込んできた。
「金蝉、天ちゃん、捲兄ちゃん! な、あれ、あれ、何、あのぶら下がってるでっかいの」
 見れば、悟空が指さす先に、今は使われていない大きな鐘が、堂々たる風情で時告げる時を待っている。
 寺院には付き物の、大きな釣り鐘。時を告げるもの、そうしてそれだけではないもの。
 悟空に判るように説明するのは面倒だ、と、薄情な保護者が思っていると、ニヤリと笑って捲簾がこんな大嘘を吹き込んだ。
「何だお前知らねぇのか? 大晦日の晩にみんなでアレ叩いて、誰が一番でけぇ音出せるかで大音比べやるんだぞ」
 案の定素直に信じた悟空が、瞳を煌めかせて金蝉を見上げる。
「ホントッ!?」
「嘘に決まってんだろうが信じんなバカ猿!」
 言葉と共に大地の色の頭をはたくと、横から天蓬のフォローが入った。
「まあまあ金蝉。一部真実が混ざってないわけじゃないですし。……あれはね、悟空、普段は時刻を報せるために突くんですけど、大晦日の晩だけは特別な役割を担って……あの鐘を108つ叩いて、その年の悪いことや煩悩を払ってもらうのに使うんですよ」
「ふーん」
 判っているのかいないのか、頷く悟空に
「大晦日に来られれば良かったですね」
 と天蓬が微笑う。
 繰り返される宴の誘いを散々断り蹴飛ばして、やっと『今』があるのだから、本当はそんなことは、とても無理な相談なのだけれど。
 それでも
「……見たかったか?」
 問いかけてしまう自分はほとほとこの子供に甘いと、金蝉は内心溜め息をこぼす。
 けれど、悟空の答えはこうだった。
「え? ん……別にいーや。見たくても、金蝉も天ちゃんも捲兄ちゃんも、おおみそか、忙しいから一緒出来ないよね? だからいい」
 一緒でなければ意味がないと、一緒でなければ楽しくないと、この小さな子供は言うのだ。
 更に続けて悟空はこうも言った。
「それにその……おはらい? してもらわなきゃいけないくらいイヤなことなんて、俺、去年なかったし。金蝉と一緒で、天ちゃんや捲兄ちゃんとも一緒で、ナタクにもたまーに会えて、俺、去年、嬉しかったよ」
 だから祓ってもらうものなどないと、そんな言葉を悟空は紡ぐ。
 胸を──突かれる思いがした。
 一緒にいること。話すこと。笑うこと、遊ぶこと、食べること。名声も権勢も関係ない、『孫悟空』として在るためのほんのささやかなことをしか、この子供は望んでいない。
 歪めるのは……彼らだ。
 この子供を、護りたい。
 心の底からそう思う。
 けれどそこには、護りきれるという確かな保証は欠片もないから……。
「でも今日すっげー楽しかったから、また今度、来ような、初詣っ!」
 太陽のように笑う悟空に、
「ああ……そうだな」
「また……いつか」
「いつか、連れてきてやるよ」
 それぞれ言葉を返しながら、願いをかける相手を持たない金蝉と天蓬と捲簾は。
 どうか、と。
 また、こんな風に4人揃って、新年を祝う日が来るように、と。
 ──未来の自分に願いをかけた。

 

 

 

 

「悟空、悟浄、三蔵。

初詣、行きませんか」

 

 

 

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

2002年1月、新年のご挨拶に代えて書いたSS。
1月3日〜15日まで『おしながき』から飛べるようにしてありましたが、こちらに移しました。
2001年12月時点の本誌外伝の展開を受けて、あまりめでたいとは言えないものになりました。