── Poker face ──

 

 

 

 2月も半ばを過ぎた頃のことだ。
 遊びに来ていた悟空が、ここぞとばかりに目の前に山と積まれたチョコを見て、至極まっとうなこんな質問を、沙家の住人2人に投げかけた。
「なあ、なんでこの家こんなにチョコがあるんだ?」
 知り合ってまだ半年余り、決して長い付き合いとは言えない悟空だが、それでも比較的頻繁に遊びに来るせいで、悟浄も八戒もさして甘いモノが好きではないと知っていた。
「んなの、バレンタインだったからに決まってんだろ猿」
 何を判りきったことを、とばかりに呆れた声で言ったのは悟浄。ついでに
「モテる男は辛いのよ」
 と付け加えるのも忘れなかった。
 が、悟浄の自慢げな素振りを、八戒が即座に叩き落とした。
「義理チョコですけどね。全部。」
「八戒、お前ねぇ……」
「あはは、だってホントのことでしょ? 僕がもらったのだって全部義理ですし」
 言うと、悟浄は苦笑混じりに
「……ま、そーですけど」
 と、呟いた。
 八戒も、悟浄も、本気のチョコは受け取らない。
 それでもこんなに増えてしまったあたり、悟浄の自慢もあながち間違いでも実はなかった。
「買い物に行ったらサービスで配ってて、いらないって遠慮したんですけど、渡されちゃって。悟浄は悟浄で賭場や酒場でもらってくるし。で、2人分あわせるとこんなになっちゃって」
 いくら義理だからといって、捨てるわけにもいかないし、かといって自分達で食べるとなるといつまでかかるか判らないしで、処分に困っていたのだ、と、告げると、悟空が何故か不思議そうに八戒と悟浄を見て、言った。
「なあ、バレンタインって何? 何でバレンタインだとチョコもらうんだ?」
 非常に素朴な、そして基本的な質問だった。
 沈黙してしまった八戒と悟浄である。
 今更ながらに悟空の生活環境を思い出した。
「……そーいやーコイツ寺に住んでんだったなー……」
「……忘れてましたねぇ、すっかり。」
 仏教寺院に住まう身に、異教の習慣は縁遠い。1人で街に出ることはほとんどないと言っていたから、そういう意味でも世俗の行事には疎いだろう。
 しかもことはバレンタイン。
 まして保護者はあの玄奘三蔵。
 仮に三蔵宛にバレンタインのチョコが届けられることがあったとしても、「ウザイ」の一言で退けそうだ。
「知らなくても当然、てか?」
「……ですねぇ」
 苦笑を漏らす悟浄と八戒に、悟空はなおも問いを重ねる。
「なあ、何? バレンタイン」
 金の瞳が好奇心にキラキラと輝いていた。
 応じたのは八戒だった。
 早速教師っぷりを発揮し始める。
「バレンタインというのはですね、悟空。そもそもずっと昔の西方のとある国で、戦士が結婚を禁じられていたのを、聖バレンティヌスという人が」
 蕩々と繰り出されるそれを悟浄が止めた。
「ストーーーップ八戒」
「何です悟浄?」
「何です、じゃねぇ。お前ねぇ、そんなコムズカシイことコイツに言ったって判るわきゃねーだろーが。大体世間でバレンタインって騒ぐよーな奴らだってンなこときっと知らねーぜ」
「そうでしょうか」
「そうです。」
「でも、だったら尚更きちんと由来を……」
「いらねーんだってそんな由来。とりあえず、い・ま・は。今コイツが知りたいのは、何でバレンタインにチョコもらうか、だろ」
 悟浄が顎で指し示す金色の目の少年は、「待て」と言われた子犬の顔で、八戒と悟浄をじっと見ている。
「な?」
「…………なるほど」
 あっさり納得した八戒を横目に、今度は悟浄が先生を買って出た。
「いいか、猿」
「猿ってゆーな!」
「判った悟空。あのな、バレンタインっていうのはな、正式にはバレンタインデイっつって、日にちは2月14日だ。でもってその日は、女から男に告白していい日なんだ」
「? それってバレンタインだけなのか? 他の日は女から告白しちゃダメなのか?」
「……いや別にいけなかねーだんけどな」
「?? じゃあなんで?」
 答えに窮して天を仰いだ悟浄を、八戒が絶妙のタイミングで救った。
「奥ゆかしいお嬢さん方には、そういう後押しがないと自分から告白出来ない方々も多いんですよ。まあ、自分への言い訳ですね」
「……ふぅん」
 納得したのかしていないのか、悟空は一度小首を傾げて、次の質問を繰り出した。
「なあ、じゃあ、義理チョコって何」
「あー……」
「えーっと、それは……」
 来るべき質問ではあった。
 が、悟浄と八戒は、揃って苦笑を漏らしてしまった。
 バレンタインデイを知らなかった悟空に、義理チョコと本命チョコを説明するのは難しい。いや、本命チョコはいいのだが、“義理”の2文字に様々な思惑や思いを込めた義理チョコを、上手く、しかも簡単簡潔に説明する言葉がない。
 ──さて、一体どうしたものか?
 顔を見合わせた悟浄と八戒は、ほんの一瞬言葉に詰まって……
 そうして、こんな逃げを打った。
「義理チョコは、あー、アレだ、ホラ」
「アレって?」
「アレですよ。感謝の気持ち」
「感謝?」
「そう。感謝です。いつもお世話になってます、ありがとうございます、っていうのにプラスして、恋愛感情とかそんなの抜きで“好きですよ”って伝えるために贈るのが、義理チョコなんですよ、悟空」
 はっきり言って苦し紛れだ。
 間違いではないが全てではない。
 それでも悟空の腑には落ちたようで。
「ふぅん、そうなんだ。感謝の気持ち、かぁ」
「そうそう」
「ええ、そうなんです」
 今度は納得したらしい悟空に、年長2人はわずかばかりの後ろめたさを覚えた。
 同時に、今それを教える必要もないだろう、と、後ろめたさをねじ伏せて、ただ“お兄ちゃん”の笑みを秀麗な顔に張り付けた。
 が。
「そっか……感謝の気持ちかぁー……」
 呟いて途端しおれた悟空の様子に、慌てふためいてしまった2人である。
「ご、悟空?」
「お、おいどーした猿っ」
「だって、感謝の気持ちだろ?」
「あ、ああ……そーだけど」
 それがどうしたと言うのだろう。
「バレンタインじゃなきゃダメなんだろ?」
「へっ? いや別にダメってこたぁねーだろーけど」
「だって何でもない日に渡したらヘンじゃん、やっぱ。チョコ。……だろ?」
 それはやっぱり変ではあろうが。
「えーと……悟空?」
 何となく話の筋が読めた気のする八戒である。見れば悟浄も何だか笑いを堪える顔をしている。
 念のために訊いてみる。
「チョコを渡したい人がいるんですか?」
「うん。……俺、いっつもメーワクかけてばっかだから。だから、ありがとうって言って義理チョコ渡したかった……三蔵に」
 答えを耳にした瞬間、教え方を間違えた、と、八戒も悟浄もしみじみと思った。
 しかも悪いことに、しゅん、と項垂れて呟く悟空の声音は真剣である。
「…………猿。」
 悟浄に呼ばれて顔を上げた悟空の目には、うっすらとだが涙まで滲んでいる。
 ──まずった。
 と、本気で思った。
 更に困ったことに、八戒も悟浄も、この子供の泣き顔には弱いのだ。いつも笑っていて欲しい、と、弟を溺愛する兄の心境で願ってしまう。
(すみません、三蔵)
(許せ、三蔵)
 そうして仲良く心中で今この場にいない最高僧に手を合わせ、八戒と悟浄はその溺愛っぷりを発揮したのだ。
「……あのね、悟空。バレンタインはもう過ぎちゃいましたけど、3月14日にホワイトデイというのがあって、ですね」
「……ホワイトデイ?」
「そ。ホントはバレンタインのお返しする日なんだけどな、ま、こっちでも感謝の気持ちをお返ししたりもして、いいから……」
 バレンタインの義理チョコ同様、こちらも間違いではないが全てでもない。
 苦しいことは承知の上で。
 それでも。
「じゃ、ホワイトデイにチョコ渡してもいいのかっ?」
 言ってぱあっと明るくなった悟空の顔を目にすれば、そんなことなどどうでもいい……ような気がする2人である。
「いえ、ホワイトデイにあげるのは、基本、キャンディかマシュマロなんです」
「ふうん……キャンディかー。でもどうせなら三蔵の好きなものがいいよなー。でも、キャンディかマシュマロかー」
 悩み始めた悟空に、そっと八戒が助け船を出した。
「何でもいいと思いますよ。とりあえずチョコ以外ってことで」
「そっか」
「そーそー」
「うん!」
 にこぱ。
 少年の顔に花が咲く。
「判ったサンキュ! 3月14日だよな!」
 嬉しそうな悟空に、ふと八戒は1つだけ釘を刺しておきたくなった。
「あのー、悟空」
「何、八戒?」
「その、ホワイトデイ、なんですけど。三蔵に何かあげる時、義理って言葉は言わないでいいと思いますよ」
「そうなのか?」
 きょとん、と見上げる悟空を見遣って、クツクツ笑いながら悟浄も言った。
「あー、言わねー方がいいな、そりゃ」
 ホワイトデイに、わざわざ義理だと、しかも満面の笑みで宣言されつつモノを貰って、喜ぶ人間はそういないだろう。
「ホワイトデイだから感謝の気持ち、って言えば、それだけでいいんじゃないですか」
 告げて八戒はふわりと微笑った。
 多分、余計な言葉はいらないのだ。
 とても言葉では表しきれないほどの思いが、悟空の贈り物には込められているはずなのだから。
「判った! サンキュ!」
 嬉しそうに笑った悟空は、それから間もなく、嬉しそうな笑顔のまま、大量のチョコを手土産にして寺院へと帰っていった。
 その、悟空の小さな背中が、木立に紛れて見えなくなるのを見届けて。
 八戒は、隣りに立つ同居人に、笑みを含んだ声音で訊いた。
「……ねぇ、悟浄。あの子、渡すと思います? 三蔵に、ホワイトデイの贈り物」
「あー、そりゃー、渡すだろ」
 あの様子なら、絶対に。
 答える悟浄の声音にも、しっかり笑いが混じっている。
 思えばよくも今まで吹き出さずにいたものだ。
 ポーカーフェイスもそろそろ限界だった。
 これでやっと笑いを堪えすぎて痙攣しそうになっていた表情筋を休めてやれる。
 2人はほっとしながら会話を続けた。
「三蔵、どんな顔で受け取ると思います?」
「さあなー」
 とりあえず、あの仏頂面は、まず崩れる。それだけは確かだ。
「隠しカメラとか仕掛けてみたくなりますね」
「あー、なるねぇ」
 クスクス、クツクツ、クスクスクス。
 笑いながら、2人は、1月ほど先の未来を思った。

 

 

 多分、悟空は、間違いなく、ホワイトデイに、彼の保護者に、贈り物を手渡すのだろう。
 その時、それを受け取った三蔵が、一体どんな顔をするのか──あの仏頂面のポーカーフェイスがどんな風に変化するのか。
 それは、あの金色の一対だけが知っている、ささやかな、けれど絶対の、秘密、なのだろう。

 

 

 

 

 

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あとがき

今年の誕生日プレゼントとして翠條さんに進呈した短編。4人が出会って最初の冬の、弟を溺愛する兄sの図(笑)。
翠條さんの許可が下りたので、アップです。少々時期外れですが、そこいらへんは御容赦を。