── Poker face・2
── 身を切るような寒気も緩み、日差しがやっと強さを取り戻し始めた3月初めのある日のことだ。 その、帰り道。
三蔵の依頼を受けての数日の旅から戻り、預かったものと引き換えに報酬を受け取るため三蔵と悟空の住まう寺院を訪れた悟浄と八戒は、そこで、いつにない雰囲気に少々戸惑うことになった。
妙に静かなのだ、寺院が。
寺院がそれなりに閑静なのは当り前、僧侶の大半が好意的とはお世辞にも言えない視線を向けて来るのもいつものことだが、今日の静かさはひとしおだった。
三蔵が無愛想なのもいつものことだが、今日はそれに磨きがかかっているような気がする2人である。
眉間のしわが1本多い。深さも3割増している。
どうせノックして入室の可不可を訊いてもまともな返事はもらえないから、と、「入るぞー」の言葉一つで入室するのが常の悟浄だが、この時ばかりは己が行動を後悔した。
(……ナニゴト?)
(…………さあ)
揃って顔を見合わる。
声をかけるのも微妙に憚られて、とりあえず待ってはみたが、三蔵は声をかけるどころか顔すら上げない
意を決して八戒が呼び掛けたのが、三蔵の執務室に入って5分が経過した頃だった。
「あの…………三蔵?」
「何だ」
「いや、『何だ』じゃねーだろお前……」
そもそも自分達は三蔵から請け負った『仕事』でここに来ているのだから、「何だ」などと言われる筋合いはない。
仕方なく八戒が
「ご依頼の経典です。ジープにも相当無理をさせたんですからちょっとは労ってあげてくださいよ」
言いながら、悟浄と2人で運び込んで床に下ろした大きなつづらを目線で示すと、三蔵は「ふん」と──こちらはいつも通りに──ひとつ鼻を鳴らして、報酬の入った封筒を無造作に八戒に投げて寄越した。
ちらり、封を開けてみれば、それなりの金額が入っている。ジープでなければ出せない移動速度に、盗賊避けの用心棒代もあわせて、というところだろう。
「ありがとうございます」
ふわり、含みのない笑顔を返して、八戒は先ほどから気になっていたことを部屋の主に問いかけた。
「そういえば三蔵、今日は悟空は?」
仕事の邪魔になるのを嫌って三蔵の執務室にいないことが多い悟空だが、それでもいつもなら悟浄と八戒の訪問をどこからか聞き付けて飛んで来るのが今日はない。
「そーいや、そうね」
それがこの奇妙な静けさに拍車をかけていたのだと、納得した悟浄も呟いて三蔵を見た。
ところがだ。
常ならば、悟空の居そうな場所を示唆したり「知るか」とにべもなく言い捨てたり、とにかく素っ気無く返事をしてサクサク仕事を続ける三蔵が、何故かいきなり言葉に詰まった。
三蔵の眉間に寄った、今日はただでさえ割増しなしわが、微妙に深さを増している。
「三蔵?」
訝しんだ八戒が問いを重ねて、やっと三蔵から言葉が返った。
それでも
「…………知るか」
だけなのだ。
いつもの無愛想ではこれはない。あからさまに不機嫌らしい。ポーカーフェイスも崩れている。
「なぁーによ、おサルちゃんと喧嘩中?」
「悟空絡みで何かあったんですか?」
三蔵がこれだけ不機嫌ならば、悟空の方もいつも通りではないだろう。
弟を溺愛する兄の心境そのままに2人が言うと、今度は少々長めの言葉が三蔵の形の良い口から吐き出された。
「知るか。喧嘩なんざしてねぇ。何があったかも知らん。こないだから何か言いたそうな顔だけして俺を見やがるくせに訊いても口籠って逃げやがる」
鬱陶しくてしょうがねぇ。
いまいましげな三蔵の言葉に、悟浄と八戒は揃って顔を見合わせ肩を竦めた。
どうやら三蔵の不機嫌の原因は悟空で、その悟空は三蔵に何か言いたくて言えないことがあるらしい。
自分達の出番だと思った。
そして、困った。
悟空と話をしようにも、居場所の見当がつかないのだ。
機嫌を更に損ねることになっても、こればかりは仕方がない。
「三蔵、悟空の居そうな場所に心当たりはありますか?」
また「知るか」と返されるかも、と半ば覚悟を決めて、八戒は目の前の『悟空の保護者』に問いかけた。
が。
「この時期なら離れの庭から山へ入ってすぐの桜のあたりだろう」
即答だった。
思わず吹き出しそうになるのを必死で耐えて、三蔵にくるり背を向け、
「じゃあ、ちょっと行ってみます」
「カウンセリングしてやっか」
後ろ手にひらひらと手を振り執務室を後にした2人は、しばらく後、今度は笑いを通り越して呆然とする羽目になる。
「すげー……ホントにいるよオイ」
思わず呟いた悟浄に、八戒も
「ここまで来ると称讃に値しますね」
としみじみ同意した。
三蔵が即答したまさにその場所に、本当に悟空がいたからだ。
あまりのツーカーっぷりに笑い出しそうになった2人だが、悄然とした悟空の様子に、それも出来かね、本当に何事だろう、と首を傾げながら近付いた。
「……悟空?」
桜の根元に座り込み、しょんぼりと膝を抱えて俯く悟空に、そっと八戒が声をかければ、隠し切れない揺れを滲ませた金の瞳が躊躇いがちに2人を見る。
「どーしたよ、お前? 元気ねーな」
ポン、と悟浄が大きな手を悟空の頭に乗せても、いつもなら元気すぎる程の勢いで「子供扱いするなよ!」とその手をはねのける悟空が、ただ「うー……っ」と唸るだけなのだ。
「悟空? 悩みごとですか?」
「三蔵と喧嘩でもしたか?」
「叱られたとか」
「何か壊したとか?」
違うと知っていながらわざとそれを口にするのは、悟空に切り出すきっかけを与えるためだ。
「悟空?」
重ねて八戒が名を呼ぶと、やっと悟空が口を開いた。
「喧嘩じゃない。なんも壊してないし怒られても……たぶんない」
「ンじゃ、なーんでお前そんなしょぼーんってなってんだよ」
「それは、さんぞーが……」
「三蔵が、どうしたんです?」
「三蔵が、教えてくれないから……」
「って何を?」
「…………ーに」
「は? 何だって?」
なにやらぼそぼそ悟空が言ったが、肝心なところが聞き取れない。
「悟空? 何です?」
詰問口調にならないように配慮しながら、柔らかな声で八戒が再度問うと、今度はヤケになったような声が返った。
「だからっ、ホワイトデーッ!」
「…………は?」
そうとしか声を出せなかった八戒である。
目が点になるとよく言うが、今の自分達はそれだろう。
「……ホワイトデーがなんだって?」
きょとん、と、見開いた目をしばたかせながら悟浄が問うと、本当にヤケになったのか話し始めた勢いからか、悟空が少しいじけたような声で、それでもポツポツと答えを返した。
「だから……こないだ悟浄と八戒が言ってたじゃん、3月14日はホワイトデーで、カンシャの気持ちでなんかあげる日だって。それで、ホントはマシュマロかキャンディだけどチョコ以外ならなんでもいいって、だから俺、三蔵が好きなのがいいかなって、思ってっ」
だから、三蔵に訊いたのだそうだ。
何故とは言わず。
数日前に。
何か食べたいものはないかと。
そうしたら。
「したら三蔵、別にないから好きにしろって。どうせ俺が食いたいんだろって」
「…………それで、どうしたんです?」
「で、違うって、言ったんだけど、何が違うって聞き返されて、俺……」
──答えられなかったというワケだ。
「ナルホドネェ……」
これで判った。
判ったが、2人は言葉に詰まってしまった。
悟空の気持ちも良く判るが、三蔵の気持ちも判るのだ。
やはりカウンセラーが必要らしい。
ふわり、淡い苦笑を口元に刻んで、八戒は悟空の前に膝をついた。
「悟空?」
柔らかな声で名前を呼ぶ。
顔を上げない悟空に構わず、八戒はほんの少しだけ笑みを混ぜて、大地の色の後頭部に向け、ゆっくりゆっくり言葉を紡いだ。
「悟空。あのね。三蔵は、ちょっと誤解しているだけだと思いますよ」
「……誤解?」
「ええ。誤解でしょう。前置きも何にもなく何が食べたいかって訊かれたから、プレゼントだとかホワイトデーだとか、思わなかったんだと思いますよ」
「…………そう、かな」
ゆらり、揺れる金の瞳を、覗き込んで今度は悟浄が。
「そりゃそーだろーよ。だいたいお前、相手はあの三蔵サマよ? で、前置きもなく訊いて来たのがお前だろ。ホワイトデーだのプレゼントだの、思い付くはずねーじゃねーか」
せいぜいその日の夕食か、百歩譲っても茶請けの甘味と思うだろう、と。
当たらずとも遠からずに違いないことを軽い口調で告げると、悟空はコトン、と首を倒して
「そうなの、かな」
と、呟いた。
「多分ね。だから、別にないって答えたんだと思いますよ。あなたの好きにしろってね」
それで、「違う」と反論されて、何がどう違うのかと問えば黙り込まれたのでは
「そりゃアイツの眉間にしわも寄るワ」
そのまま今に至るのだろうから、悟空が落ち込むのもまあ判るし、三蔵が不機嫌なのも頷ける。
クスクスクツクツ笑う2人に、悟空が情けなさげな声を出した。
「ええーっ、じゃあ俺、どーすればいーんだよーっ?」
その声に、ふわり八戒が微笑った。
悟空の気持ちは判るのだ。それはもう本当に良く判る。
だってプレゼントなのだから、どうせなら理由を言わずに相手の気に入るものを渡して、驚いて欲しいに決まっている。
でも、と、八戒はまた笑った。
でも──何せ相手は三蔵なのだから。
「いいじゃありませんか、悟空。三蔵にはもうしばらく悩んでいてもらいましょう? それで、あなたは、ウチに来て、僕とクッキーでも焼きましょう」
「おお、それいいじゃん。そーすれば? どうせその日は俺も色々手伝わされてコイツにこき使われンだから、ウチ来てお前も手伝え、サル」
軽い口調で悟浄が誘う。
そうすれば──八戒と悟浄を理由にすれば、自由になる金の少ない身で贈るものに悩む必要もなく、手作りのものを三蔵に渡せて、口実も悟浄と八戒に出来て、
『だから俺からもカンシャの気持ち』
と、きっと笑顔で言えるから。
「ね?」
ダメ押しのように八戒が笑うと、やっと悟空は顔を上げて、
「うんっ!」
と、大きく頷いた。
ジープを運転する八戒に、悟浄がにやりと笑って言った。
「しっかしあーの三蔵サマがねぇ」
あの鉄の仏頂面が、あのエラそうなポーカーフェイスが、ああも判り易く崩れるとは。
笑みを含んだ声で八戒も答える。
「でもきっと本人自覚ないですよ、あれ」
「あー。だろーなー」
クスクス。クツクツクツ。
ジープのエンジン音まで軽い気のする帰り道だ。
笑いながら悟浄が訊ねた。
「な、八戒」
「はい。なんです?」
「お前さ。もしかしなくても、今日、隠しカメラ持ってってれば良かった、なんて」
クツクツクツ。
笑う悟浄に八戒も笑顔で返した。
「イヤですね、悟浄。そんなこと」
「ナニよ」
「思ってるに決まってるじゃありませんか、ねぇ、ジープ?」
「キューッ♪」
それでも。
どれほど楽しい想像だろうと。
結局、隠しカメラは仕掛けられなかったのだから。
あの鉄壁の仏頂面が、当日どんな風に崩れるのかは、やっぱりあの金の2人だけの、絶対の秘密、なのだろう。
翠條さんへの誕生日プレゼント2004年バージョン。昨年進呈した短編『Poker
face』の続きです。4人が出会って最初の春の、やっぱり弟を溺愛する兄sの図(笑)。翠條さんの許可が下りたので、アップです。少々時期外れですが、そこいらへんは御容赦を。