──光の休息── 3月の、ある晴れた日。 買い出しに出た3人が帰宅したのは、それから1時間ほど後のことだった。 もう少し。
「いい天気ですねぇ♪」
早春の日差しにさらりと乾いた洗濯物を取り込みながら、のほほんと八戒は呟いた。
まだ朝夕は冷え込むけれど、時々は昼間でも気を抜けないくらいに寒くなりもするけれど、春はもうすぐそこまで来ている。
悟浄にも手伝ってもらって取り込んだ布団からは、太陽と風の香りがしていた。
「おーい八戒。まだ来ねぇかあいつら?」
布団をそれぞれの部屋に運んで戻ってきた悟浄が言うのは、出会ってもう1年半にもなるあのふたり。
『三蔵さぁ、休み、なくなっちゃった……』
本当なら一緒に来るはずだったのに、と、寂しそうに悟空が呟いたのはもう2週間前のことだった。
「どうでしょうねぇ。聞いた話だと法会って昨日から今日にかけてだったんでしょ。だったらやっぱり疲れてるかも。来るならそろそろじゃないかとは思うんですけどね」
手を動かしながら応えると、
「……だな。っと、ほれ、それよこせ」
すぐ隣りに来て悟浄が手を出す。
「あ、お願いします」
シーツを手渡し、残りを腕に抱えて、家に戻ろうと八戒は身体の向きを変えた。
その、視界の端に。
とても見慣れた色が踊った。
「あ。」
足を止めると同時に声も。
「おーい、はっかーい、ごーじょおーっ!」
なんだか大きなリュックを背負って大地の子供が手を振っている。その後ろにいるのは見間違いようのない鮮やかな色をまとう男。
応えて八戒が手を振ると、隣で悟浄がにやりと笑った。
「やーっぱ、来たか。予想的中ってヤツだよなー」
「そうですね」
やって来るのは金色の光たち。
珍しくふたりともがラフな格好に身を包んでいるのは、今日が彼らにとって『休日』だからなのに違いない。
「さて、忙しくなりますよ。もちろん手伝ってくれますよね、悟浄?」
「へーい」
ちょっとイヤそうな同居人に笑顔で念を押しながら、八戒はやってくるふたりを待った。
「お久しぶりです三蔵。悟空も」
「八戒悟浄、2週間ぶりーっ!」
「元気じゃねーか猿。三蔵ももっとお疲れかと思ったのに。」
笑顔の八戒と、からかいを交えて言う悟浄に、三蔵が沈黙を返すのはいつものことで。
気にもとめずに家主ふたりは客人を家に招き入れる。
取り込んだ洗濯物を手早くまとめて八戒はキッチンに立った。
「コーヒーでいいですか?」
当然のように居間のソファに座って「ああ」と答える最高僧に、悟浄はつい「誰の家だよ」と苦笑を漏らしそうになる。
それを目で制して八戒が
「悟空は? 何がいいですか?」
訊ねると、金目の少年は珍しく「なんでもいい」と答えた。
「八戒が作ってくれるならなんでもいい。それよりさー、これ、どっかに下ろさせて?」
『どうでもいい』のではなく、『なんでもいい』。つまりは全面肯定だ。
微笑んだ八戒の傍らで、「そういえば」と悟浄が悟空の背中に目を向けた。
「下ろすって……そういやぁお前その大荷物、一体ナニよ?」
「これ。」
ほっとした顔で悟空はリュックを下ろす。
中から現れたのは、割れないように包装された、数本の、形も大きさもまちまちの瓶だった。
「……何だこれ。って、うわレミマルタンのナポレオンにカミュのXO、ドンペリにボルドーワインに、こっちは極上の紹興酒で、でもってこっちは……げ、久保田の万寿!? 何だよこのごちゃまぜの酒の山はっ?」
取り出しながら悟浄が呆れた声を出す。
ちゃんぽんもいいところだ。しかもどれも結構値が張る。
持参した悟空に目で問いかけると、返った答えは
「じーちゃんにもらった。」
「……じーちゃん?」
誰だそれは、と保護者に視線を送ると、金髪紫眼の最高僧はこともなげに言い放ったものだ。
「僧正からの差し入れだ。ちょうどいいから持ってきてやった」
持ってきたのは悟空だが。
あくまでも偉そうに、けれどそれが『三蔵』だと、悟浄も八戒も悟空も知っていた。
呆れたように悟浄が呟く。
「僧正が、って……お前らホントに坊主?」
手土産としては非常に嬉しいが、その出所はちょっと真面目な信者には言えないな、と、八戒と悟浄は顔を見合わせてそっと思って。
それでも次の瞬間に
「それじゃあ今夜は宴会ですね」
「だな、こんなイイ酒が勢揃いするのってちょっとねぇし」
「わーい宴会宴会っ♪」
「……ふん。」
あっさりその『感慨』を蹴飛ばしてのけるのが、彼ら、なのだった。
八戒は、悟浄と悟空に手伝わせて、手早くそれらをしかるべき場所へ片づけてゆく。冷やすものは冷蔵庫へ、そうでないものも邪魔にならない冷暗所へ。
うるさいくらいに賑やかなのにそれをイヤだと思わない、そんな自分に三蔵は気づいているのかいないのか。
そうしてしばらく経った頃、いきなり八戒が三蔵に声をかけた。
「三蔵、やっぱりつまみの量が心許ないんで、僕らちょっと買い出しに出かけてきます。ジープで行きますからすぐ帰りますけど、留守番お願いできますか?」
『お願い』と言いながらそれは実は『命令』で。この傲岸不遜の最高僧相手にそんな真似が出来るのはこの笑顔魔人くらいなものだった──今では。
ふと脳裏に、同様に喰えない笑顔が甦る。
そこに痛みがないのをほんの少しだけ不思議に思いながら、三蔵はただ「ああ」とだけ返した。
ジープからまず真っ先に悟空が飛び降り、荷物を抱えて玄関へと走る。
と、突然ドアの前でその足が止まった。
「?」
「どした、猿?」
やはりひとつずつ食料の入った袋を抱えたまま、顔を見合わせて八戒と悟浄が訊ねるのに、ただ「……うん」とだけ返して悟空はそっとドアを開ける。
いつもはそんなことはしないのに。
そうして中に入った悟空は、やはり常になく静かに歩いた。
そんな金目の少年の様子に、首を傾げながら八戒と悟浄は後に続いて。
そうして居間に目をやって、ふたりは悟空の行動の理由を知る。
黄昏にはまだ間があるけれどそれでも弱くなった日差しの中。
その光を淡く受けるソファで。
3人が出かけてからすぐに、だったのだろう、コーヒーカップもテーブルに置いたまま、新聞も手から離れて床に落ちたそのままに。
──三蔵が、眠っていた。
金の髪が光を弾く。白い肌が光に透ける。
光そのものが形を取ってそこに休んでいるようだと、口には出さないけれど誰もが一瞬そんな風に思った。
ぶっきらぼうで、偉そうで、口も悪ければ態度も悪くて、そのくせいつも自分たちを惹きつけ導いてくれる、光が。
自分たちの目の前で、眠る。
そのことが妙に嬉しくて。ついでに言えば──こんなことを本人に聞かれたら絶対に瞬殺されるに違いないのだけれど──その、寝顔も、妙に可愛く思えて。
クスリ、と、口元だけで笑って悟浄がキッチンに戻ってゆく。
それを追いかけて悟空も。
八戒は悟浄に荷物を預けて家の奥へと姿を消した。
すぐに戻ってきた八戒は、居間の入り口に立ってそっと悟空を呼ぶ。
「悟空」
「……ナニ? 八戒」
答える悟空の声も静かだった。
見上げる瞳に微笑みかけて、八戒が悟空に
「これをね、三蔵にかけてあげてください。3月だっていってもまだ夕方になると冷えてきますから」
言いながら手渡すのは薄手の毛布で。
「僕は買ってきたものを片づけないといけませんから。お願いしますね」
「うん」
嬉しそうに受け取って、悟空は足音を忍ばせる。
微睡む光を起こしてしまわないように。
もうほんの少しだけでもいいから長く、この寝顔を見ていられるように。
ゆっくりと毛布を広げて足下から膝、腰から胸、肩を包んで首まわりまで。
淡い光を受けるその金の髪に、触れてみたくなったけれど、やめた。
今は見ているだけでいい。
ふわりと微笑んでキッチンに入ると、悟浄と八戒もとても優しい顔をしていた。
「近くで見てなくていいんですか?」
そっと問いかける八戒に、悟空は少し寂しそうに、それでも笑いながら答えを返す。
「ん。そばにいるとどーしても呼んじゃいそうだから。……三蔵さ、ここんとこずっとまともに寝てねーんだ。いっつも俺が寝た後に帰ってきて、起きる前に出てってた。頑張って起きてようとか、早起きしようとか思ったんだけど、それでもダメでさ。だから……」
コン、と、悟空は、その金の目は三蔵に向けたまま、テーブルに顎を乗せる。
「そっか。」
くしゃり、と悟空の髪をなでる悟浄の大きな手が優しい。
「……ところで悟空、休みはどのくらいあるんです?」
突然訊ねてきた八戒に、悟空が
「え……? あ、1週間だって言ってた」
と返すと、
「へぇ」
呟いた悟浄がにやりと笑って。
「なら今夜はマジで宴会だな。潰すぞアイツを。お前らも手伝えよ?」
「了解です」
笑顔で応えた八戒の、そして悟浄の、言葉の意味が判るから。
だから、悟空は嬉しくなった。
「お前もだぞ、猿?」
悪ガキそのものの悟浄の視線を受けて、だから悟空も同じ視線を相手に返す。
「うんっ!」
クスクス、クスクス。
キッチンを満たすのは優しい共犯者の静かな笑い声だ。
そうして『これから』のことを考えてひとしきり笑った、その空気のさざ波がもとの静けさを取り戻した時。
「とりあえず、僕らは何か飲みません?」
言ってコーヒー豆とミルに手を伸ばしかけた八戒が
「コーヒー……は、やめにして。今は紅茶にしましょうか」
と、手の向きを変えたその理由まで、ちゃんと悟空は知っていた。
もう少しだけ。
ここで微睡む光を護らせて。
この『君のための時間』と『光の休息』は、昨年、翠條さんへの誕生日プレゼントとして書き上げたものです。彼女の希望で比洛さとりさまの『Science
Scene』さまに貢いでいましたが、『Science
Scene』さまの閉鎖に伴い、こちらに移すこととしました。
作中の時間は、三蔵、悟空、悟浄と八戒さんの4人が出会って2度目の春、『やさしい音』の半年前です。『いつかの空』冒頭で三蔵が眠っていますが、光明さまと悟空以外の“他人”の前で三蔵が眠る、そのはじまりが、ここにあります。