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 夜明けは嫌いだった。
 手を伸ばしても届かない太陽に焦がれながら、雨を見、風を聞き、雲を送ったあの長い永い日々──昨日とは違う今日、今日とは違う明日を希むことすら忘れていたあの日々、ただ同じ朝と昼と夜の繰り返しを告げるためだけに訪れるような夜明けが、本当はずっと、嫌いだった。
 あの頃、心の半分で太陽を望みながら、もう半分ではいっそあの場所が光の射さない地の底だったら、と願っていたのと同じだけの強さで、自分は夜明けを望み、嫌っていた。
 ……嫌っていた。
 夜明けを。
 あの、光と、出会うまで──

 

 

 

『再来週なんですけど、悟空、三蔵、泊まりがけでウチに来ませんか?』
 悟空が来たいとわめいたから、という口実の元、悟浄と八戒が暮らす森の家を訪れていた三蔵と悟空に、夕食後の茶を勧めながら八戒がそう言ったのは、丁度2週間前のことだ。
『再来週って何かあったっけ?』
 泊まりがけで遊びに来られるのは嬉しいが、日程が妙に具体的だ、と、きょとんと目を見開いて悟空が訊ねると、一瞬呆れた目をした後、口元ににやりと笑みを刻んだ悟浄がこう答えた。
『たんじょーびだろーがよ、再来週は、お前の。せっかくだから4月5日まるまる1日お前を甘やかしてやろーっつー、オレたちのやっさしーキモチが判ンねーかね、小猿ちゃんには?』
『えっ……誕生日、俺の? まるまる1日甘やかしてくれるって……?』
『だからね、前の晩からウチに泊まって、5日の午前0時を一緒に迎えて、5日が過ぎるのも見送るっていうのはどうかなあ、と思うんです。……どうです、悟空、三蔵?』
 八戒の言葉に、三蔵は少しだけイヤそうな顔──けれど悟空はもちろん、八戒にも悟浄にもただの照れ隠しだと判る顔──を、した。
『いいのっ!?』
『ああ』
『もちろんです』
『……三蔵?』
 悟浄と八戒の答えを受けて嬉しそうに目を輝かせた悟空が、金晴眼を三蔵に向けると、三蔵はイヤそうな顔のまま、
『……まあ、寺にいたってどうせ退屈なだけだしな』
 と、ぶっきらぼうな了承の言葉を、さもうんざりした風に吐き捨ててくれたのだった。

 

 

 

「ああ、そろそろ日付が変わりますね」
 八戒の言葉に、4人は揃って時計を見上げた。
 4月5日まで、あと10秒──5秒、4秒、3秒。
 悟浄がリモコンでテレビを消した。
 リビングが無音の空間と化す。
 あと、2秒、1秒。

 

 パン、パパンッ!!

 

 突然鳴り響いた音に驚いて悟空が目を見開くと、クラッカーを手にした悟浄と八戒が妙に楽しそうに笑っていた。
 2人は楽しそうに笑って見つめていた。
 悟空と……三蔵を。
 時間はそのまま過ぎてゆく。
 過ぎてゆく──無音のままに。
 秒針の音だけが響く静寂を、やがて別の音が破った。
 悟浄と八戒の沈黙の意味を──そうして悟空と悟浄と八戒3人ともの瞳に宿る期待の色の意味も──悟った三蔵が、盛大な溜め息を漏らしたのだ。
「……三蔵?」
 聞きとがめた悟空が、ほんの少しだけその金色の瞳に不審と不安の陰を宿す。
 見つめる先で、三蔵が缶ビールのプルタブを引き、
 ──プシュ
 という妙に乾いて聞こえる音に乗せて、こんな言葉を悟空に放った。
「これでお前も17だ。世間一般の17を見習って、ちったあガキから脱却しやがれ」
 瞬間、悟空の顔に浮かんだのは、驚きの表情だった。けれどその驚愕は、すぐに歓喜に取って代わられた。
 何故なら、三蔵が放った言葉は、間違いなく悟空への“餞”だったから。
 他人が聞けばとてもそうとは思えないほどぶっきらぼうな言葉だけれど──今では悟空と悟浄と八戒くらいしかそうと読み取ることは出来ないけれど──それは、とてもとても不器用な、三蔵から悟空への、“贈る言葉”であったからだ。
 ──素直じゃないにもほどがある。
 思っても口には出さない3人だったが、三蔵の口から“世間一般”という言葉が飛び出したことに、悟浄がたまらず吹き出した。
 途端、ギロリと射殺さんばかりの視線を、三蔵が悟浄に向ける。
 と、取りなす素振りで八戒が、笑みを含んだ穏やかな声で、まるでフォローにならないこんなコトを言ってのけた。
「まあまあ、三蔵。あなたと“世間一般”が似合わないのはホントのことですし。ね?」
「…………ぶっ!」
「あっははっ! だよな!」
 悟浄が吹き出し、悟空が笑い、三蔵が苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
 気にも留めずに八戒は言った。
「日付も変わったことですし、乾杯しましょう乾杯!」
 悟浄と八戒が缶ビールのプルタブを引いた。
 悟空の手にはオレンジジュースの缶がある。
 三蔵の手には、先ほど明けたビールの缶が。
 そうして微妙に種類の異なる4つの缶が、カツンと中央で打ち合わされて。
「誕生日おめでとうございます、悟空」
 ふわりと微笑って八戒が囁いた。
「ちょっとはオトナになってねン、小猿ちゃんv」
 キシシ、と笑いながら悟浄。
「とりあえずガキからの脱却を図れ」
 やはり三蔵はぶっきらぼうだ。
 けれど悟空は気付いていた。
 三蔵の手の中のビールの缶は、あれは、日付が変わった直後に彼が開けたものだ。なのに、今、乾杯するまで、その缶に三蔵が口をつけることはなかった。
 つまりあれは、乾杯のためのビール。
 ──悟空の誕生日を祝うためのビールだ。
 何かに怒ったようにビールを飲み干す三蔵を、横目で見ながら悟浄と八戒が笑っているのは……それはきっと、あのビールの意味にも三蔵の怒ったフリにも、2人が気付いているからだろう。
「えへへ……サンキュ!」
 言葉を返す悟空の顔には、だから満面の笑みがあった。
 だいたい、賭け事を“仕事”にしている悟浄はともかく、週3回のバイトとはいえ働いている八戒が、この数日を自分のために空けてくれただけでも嬉しい。
 まして三蔵に到っては、最高僧の身で、灌仏会直前のこの時期に休みをもぎ取ってくれたのだ。
 これが嬉しくなかったら、一体世界中で何を『嬉しい』と思えというのだろう?
 悟空は思う。
(嬉しくなかったら、ウソだよな)
 と。
 そもそもこの4月5日は、ただの“誕生日”ではないのだ。
 4月5日は、悟空が三蔵と出会った日。三蔵が悟空の元に辿り着き、五行山のあの岩牢から連れ出してくれた日だ。
 あの日が今の全ての始まりだった。
 あの日、悟空は再びこの世に生まれなおしたのだ。
 あの場所に幽閉されていた理由を忘れ、それまでの記憶も全て喪って、ただ名だけを心に抱きしめていた悟空は、あの日、永い時の枷から解き放たれて、再び自分の時間を紡ぎ始めた。
 だから悟空は、三蔵と出会った4月5日を、自らの“今の”誕生日だと決めたのだ。
 本当の誕生日がいつかなど、知らない──覚えていない。
 喪った記憶を、昔自分のそばにいただろう人たちを、思い出したいと願わないわけではないけれど──
 けれどそれでも、三蔵がいて悟浄がいて八戒がいる今の自分の“誕生日”も、とても好きだと悟空は思う。
 嬉しそうに笑う悟空に八戒が提案した。
「このまま宴会をして、夜明けを迎えてみましょうか。それから少し眠って、起きたらお弁当作ってお花見しに行きましょう」
「……夜明け、かー……」
 ふと零した言葉を捉えて、悟浄がからかうように言った。
「起きてられっか、猿?」
「バカにすんなエロ河童! 起きてるよっ!」
 返した悟空の言葉は条件反射だ。
 けれど……そこに、嘘はなかった。
 ふ、と、自分を見つめる紫暗の瞳に、気付いて悟空が視線を向ける。
 その先で、何も言わないまま、三蔵がただ悟空を見ていた。
 夜明けに対する悟空の想いを、三蔵だけは知っていた。

 

 ──ダイジョウブ。

 

 わずか眇めた金の瞳に浮かべた想いは、きちんと三蔵に届いただろうか?
 疑うわけではないけれど……信じていないわけでもないけれど、それでも悟空は願ってしまう。
 自分はもう大丈夫だと、不器用で優しい三蔵にきちんと伝わりますように。
「……ふん」
 鼻を鳴らして三蔵がビールをあおる。
 夜明けまで飲み明かすことへの同意、その後の花見への賛同、想いを汲み取ったという悟空への合図、すべてをたったそれだけの仕草に込めてしまうのが三蔵だった。
 ──この光が悟空を救い出した。
 この光が届いたから、止まっていた悟空の時は、また少しずつ動き始めた。
 その金の光は、あの時からずっと変わらず悟空のすぐそばにある。
「夜明け、見ような! でもってその後べんとー持って花見するんだよなっ! なんか俺、今からすっげー楽しみ!」
 嬉しそうに言う悟空の顔には、太陽の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 昔、夜明けが嫌いだった。
 長い永いながいあの日々、自分は夜明けを待ちながら、同時に夜明けを疎んでいた。
 昨日と同じ今日、今日と同じ明日を、ただ繰り返すだけの夜明けを、自分は望みながら恐れていた。
 けれど、今は、もう、違う。
 あの日、光が射し込んだから。
 何よりも眩しい金と心を射抜く紫が、自分をあの場所から連れだしてくれたから。
 あの日から自分の時は回り始めて。
 あの日から夜明けの意味が変わった。
 今日は、昨日とは違う。
 明日も、今日とは違う。
 あの頃には味わうことのなかった、何が起こるか判らない楽しさと、何が起こるか判らない怖さを、今の自分は知っている。
 何が起こるか判らないけれど、八戒がいて、悟浄がいて、誰よりも三蔵がいてくれるなら、楽しいことは何倍にもなって、恐怖はその分薄くなるのだ。
 あの頃の孤独も嘆きも、忘れない。
 けれど、もうあの頃は遠いから。
 昔を振り返るよりも、今の自分には、見たいこと、知りたいこと、やりたいことがたくさんあって、共に在りたい人たちがいる。
 だから。

 

 

 明日はあしたの風が吹くから、

 前を向いて歩こう。

 

 

  

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

と、いうわけで、八戒さん、悟浄、三蔵に引き続き、悟空へのお誕生日おめでとう小説第2段でした。
BD小説第2シリーズは、結局全部、あまりめでたくない雰囲気の話になりました。まあ、彼らが出会って時を過ごして、少しずつ“苦手なもの”が減ってゆけばいいな、というわけで、これがウチの悟空の17才(+ホントは500・笑)の誕生日です。
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