── Dear IV ──

 

 

 

 うららか、という言葉はこんな日のためにあるのだと思えるような、おぼろに霞んだやわらかな空の青さと陽射しのやさしさが心地よい午後だった。
 悟空はひとり、宿の庭に立つ満開の桜の下にいた。
 広い庭のそこかしこに配されたベンチの中で、迷わずこの桜の下のベンチを選んだのは、自他共に認める桜好きの悟空にしてみれば当然の選択だった。
『宿、取りますよね? 食料や消耗品の補充もしておきたいし、ジープも休ませてあげたいですし。何泊にします?』
 と、八戒が無敵の笑顔で三蔵から3日の休暇をもぎ取ったのは昨日のことだ。
 休める時に休んでおくのは長旅には必要なことだから、三蔵もさして異義を唱えることなく、この3日の休暇が決まった。
 けれど、気を遣ってくれた、と思うのは、あながち間違いではないはずだ。
 なぜなら今日は4月5日。
 悟空が自分で自分の誕生日だと決めた日だ。
 知り合って以来、律儀に毎年誕生祝いをしてくれる八戒は、ご多分に洩れず今年も、旅先のささやかさはあるものの、ちゃんとパーティーを計画してくれた。
 悟空が今、桜の下にいるのは、その八戒に
「主役は準備万端整ってから来るものです」
 と言って部屋を追い出された結果である。
 同居人の悟浄はもちろん、三蔵まで、この時ばかりは八戒に使われるらしいのが──自分のためにそうしてくれるのが、密かに嬉しくて仕方のない悟空だ。
 はらり。
 風もないのに枝から離れて桜の花びらが下りて来る。
 くるくると回りながら、漂うように降るそれは、散る、と言うより、舞う、と言った方がしっくりくる。
 けれどひとたび風が吹けば、花びらは一斉にそれに乗って、視界を薄紅に染めながら、花吹雪となって鮮やかに散るのだ。
 いつ見ても、何度見ても、見飽きることのない光景だった。
 ひらり。
 目の前に舞い降りて来た花びらを、そっと受けるように手を差し出す。
 そのまま手の中に収まるかと思えたそれは、だがあるかなきかの空気の流れに攫われて、悟空の手からするりと逃げた。
「あー。ざーんねん」
 さして悔しくもなさそうに呟いたその時だ。
 誰もいないと思っていたベンチの背後から、
「楽しそうですね」
 妙に耳に馴染んで聞こえる声が響いた。
「え?」
 驚いて振り向いた悟空が見たのは、この場にはいささかならず不似合いな格好をした青年だった。
 濃茶の髪はセミロング。伊達か実用品か判らない黒縁の眼鏡に、スラックスとシャツとネクタイまでは普通だが、その上に羽織るのが白衣というのはどうだろう。
 おまけに履物はいわゆる便所ゲタだ。
 ──おかしい、と、思った。
 格好ではなく──いやもちろんそれもそうだが、この便所ゲタの足音を自分が聞き逃したということが。
「え、と……あの、なに?」
 と問い返すだけに留めたのは、相手の正体が知れなさすぎるためだった。
 警戒心もあらわな問いに、けれど男はへらりと笑って
「ああ、すみません。楽しそうだな、と思ったもので……つい」
 と答え、さらに続けて
「桜、好きですか?」
 と、訊いた。
「うん」
 即答した悟空だ。
「なんでか判らないけど……見てると時々このへんがぎゅーってなるけど、でも……好きだ」
 胸元を押さえて桜を見上げる。
 妙に感傷的な言葉を紡いでいる自覚はあったけれど、この人が相手ならそれも不思議ではない気が何故だかした。
「そうですか」
 吐息のように零れた声は、やわらかな笑みを含んで響く。
 それが、どうしてかとても自分に近しいものに思えて、悟空は
「あのっ……」
 と声を上げた。
 ところがだ。
 その悟空の声を遮るように、また、悟空の背後──白衣の男と逆方向から、別な声が降って来た。
 こちらの声は明らかにからかう口調で言ったものだ。
「なぁーに浸ってンだよお前らは、こーんな美人な桜の下で?」
「え?」
 慌てて振り向くと、そこに、今度は黒尽くめの男が立っていた。
 ツン、と立った短い髪は黒。長い上着に分厚い肩当て、妙にごつい靴も含めて、身に纏うものもすべて黒く、まるで軍服のように見える。
 これだけでも十分人目を引くというのに、さらに胸元にははっきりそうと判るほど大きな髑髏モチーフのアクセサリーが揺れている。
 白衣の男に負けず劣らずアヤシさ全開の風体だ。
 それが、
「おや、来たんですかあなたも」
「トーゼンだろ?」
「ま、そーですね」
 などと、白衣の男と親しげに笑いあうのだから、悟空は混乱してしまった。
 結果
「え、と……あの。なに? 誰?」
 悟空の発する声は、問いともつかないものになる。
 すると、黒衣の男はふいに気付いたように
「ああ。ワリ。びっくりしたか」
 と悟空に言って、
「でも、ま、気にすんな」
 と、笑った。
(いや、そんなこと言われても……)
 気にするなと言われても無理だ。そもそもどうしてこの2人が自分の前にいるのか判らない。
 何故、声をかけられるまで、この2人の気配に気付かなかったのかも、判らない。
 なのに男は悟空の戸惑いを意に介さない様子で、
「で、花見か?」
 と笑いかけてくるのだ。
 初対面だと思うのに、妙に言葉も態度も馴れ馴れしい。
 もっと不思議なのは、自分がそれに違和感を覚えていないことだった。
 さらに男は笑顔のままで
「なんだ。退屈なんだか楽しみなんだかよく判らねェ顔してるな」
 などと、悟空の気持ちを見透かすようなことを言う。
「ええ?」
 どうして判るのだろう? そんなにはっきり顔に出ていたのだろうか。
 思わず顔に手を当てそうになった悟空に、今度は白衣の男が
「そんなの、どっちもだから、でしょ?」
「えー……」
 お陰で困惑に拍車がかかってしまったのだが、そこへさらに追加がやって来た。
 今度もまた、悟空の背後。
 ベンチに座った状態から、白衣と黒衣の男達に真向かうために、完全に最初の姿勢とは逆の方向を向いていたから、つまりは本来のベンチの正面から──また別な男の声が、響いた。
「お前ら、からかうのも大概にしろよ」
 今度もまた、気配はなかった。
 そして今度は、先の2人よりもっとずっと、近しく懐かしい声だと思った。
 振り向いた先にあったのは、まばゆいほどの金色だった。
 身に纏う薄物は純白なのに、金色の印象が強いのは、他でもない、長い綺麗な金髪のせいだ。瞳の色は少し距離があるせいでよく判らないが、何故だか紫だと思った。
「あ、の……?」
 誰だかさっぱり判らない。先の2人同様、現れ方といい風体といい、アヤシいことこの上ない。それなのに、懐かしい。
 恐ろしいことに、涙まで出そうになってくるのだ。
 困惑したままの悟空がほとんど声も出せずにいると、金髪の男は仕方無さそうにふわりと苦笑してから、
「そう困るな」
 と、これまた無茶を言った。
(いやそんな……)
 悟空が答えられずにいると、脇から白衣の男がやはり苦笑しながら
「それも無理な話でしょ。まあとりあえず、退屈そうで楽しそうな理由は、今が暇つぶしなのと、この後に楽しみなことがあるから、ってことでしょうけど」
 と、やわらかな声で告げる。
「ね?」
 同意を求められれば
「え……うん」
 と答えるより他はない。
 確かに待つ時間は退屈だ。けれど、それもこの後のパーティーの準備をしてくれているからだと思えば、楽しみで仕方なくなってくる。
 三蔵と、八戒と悟浄とジープとが、悟空のために用意してくれるパーティーなのだ。楽しみでないはずがない。
 そしてその待ち時間の退屈も、彼等3人の出現で、どこかへ消し飛んでしまった。
 何故だかさっぱり判らないけれど、懐かしくて、懐かしくて、懐かしくて少し切ない、そんな気分にさせる彼等。
「あの、さ……その…………だれ?」
 どうしてこんなに懐かしくて、こんなに切なく感じるのか。
 どうしてさも当たり前のように、悟空の前で笑うのか。
 彼等は、一体誰なのか。
 何より答えを聞きたい問いは、けれど金髪の男の淡い笑みに、誤魔化されてしまった。
 聞いてはいけないことだったのか、それとも聞かれても答えられないことだったのか。おそらくはそのどちらもだろう悟空の問いは、風に舞う桜の花びらにまぎれて消えた。
「悟空」
 金髪の男が悟空の名を呼ぶ。
 何故自分の名を知っているのか、それももうどうでもいい。
 ただ、彼等の名を呼び返せないのが淋しいと思った。
 呼ばれて悟空は顔を上げる。
 すると男は、やわらかく見えるのに真剣にも見える眼差しで悟空を見詰めて、言った。
「……寒くは、ないか」
 自分の方が余程寒そうな格好をしているにもかかわらずだ。
 既に午後も遅くに差し掛かって、吹く風は少し冷たい。だから、素直に答えるなら返事は『是』だ。
 けれど、そういう問いではない気がした。
 振り返れば、白衣の男も黒衣の男も、金髪の男と同じような目で悟空を見ている。
 大事なことを訊かれているのだと、思った。
 だから、言った。
「うん。寒くない」
「……そうか」
 途端、彼等の眼差しがやわらかさを増した。
 彼等にそんな表情をさせられたことが嬉しい、と悟空は思った。
「うん」
 もう一度、頷く。
 その声に被さるように、少し離れた庭木の向こうから
「おい」
 三蔵が自分を呼ぶ声が響いた。
「あ、ここ!」
 瞬時に視線を向けて返事をする。
 その時、風が吹いた。
 桜の花びらが一斉に舞って、視界が一瞬薄紅に染まる。
「うわ」
 慌てて目を閉じ、開けて、再び辺りを見回すと……
 そこに、先ほどまで立っていた3人の姿は、もうなくなっていたのだ。
 現れた時と同様に、一切気配のない去り方だった。
「あ、あれ?」
 きょろきょろと自分の周囲を見渡していると、すぐ側までやって来た三蔵が
「どうした?」
 と訝しげな声を出す。
 それに
「ん…………なんでもない」
 とだけ応えて、悟空は視線を三蔵に向けた。
 多分、言う必要はないのだ。彼等はおそらくそれを望まない。自分に──自分達に、彼等が危害を加えることもきっとない。
 だから悟空はカラリと笑って
「うん。なんでもない。三蔵が来てくれたってことは、もう準備終わった?」
 と、逆に問いかけた。
 返る言葉はぶっきらぼうな
「ああ」
 だけだ。
 それでも、悟空は嬉しくて、
「やった! じゃあ早く部屋へ戻ろう三蔵!」
 と、晴れた空よりも晴れやかに笑った。

 

 突然現れて突然消えた彼等が誰なのか、悟空には判らない。
 けれど、自分が、嬉しくて、楽しくて、寒くないのだと伝え続けることが出来ていれば……三蔵や八戒や悟浄と一緒だから笑っていられるのだと伝えられれば、彼等は、あのやわらかな笑みを浮かべてくれるだろう。
 勝手な想いかもしれないが、多分間違ってはいないはずだ。
 三蔵の隣で、弾む足取りで部屋へと戻りながら、悟空は、背後にまた彼等が立って、微笑ってくれているように思った。

 

 

 

 
と、いうわけで。
「Happy Birthday、悟空!」

十六夜茶寮的誕生日おめでとうSS、7巡目ラスト。上3人祝えば当然悟空も祝います。
相変わらずこれで『誕生祝い』SSになっているのか謎……
掲示板メールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。

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