──Shine Gold──
毎年4月4日の午後から6日の午前まで、北方天帝使第三十一代唐亜玄奘三蔵法師は決まって休暇を取る。 前日の11月29日が三蔵の“誕生日”だと知った悟空は、明けて30日、こんな質問を投げかけて、しばし三蔵を戸惑わせた。 実はそれからが一騒動だったのだ。
自身籍を置く慶雲院のみならず、桃源郷仏教界における最高僧のひとりである彼が、花祭りとも灌仏会とも呼ばれる釈尊の生誕日を目前にして、その肩書きにもかかわらず、ほぼ48時間の休暇──勤行も読経も寺院の諸事も“仕事”としては一切行わない文字通りの休暇──を取る。
それは慶雲院に在ってもそれ以外の場所に在っても同じことで。
たとえその時どこに在っても、三蔵はその3日間を、毎年かならず“休暇”と定める。
それは、たったひとりのため。
4月5日という特別な日を、特別な日の自分の時間を、たったひとりに預けるため。
八戒や悟浄達と一緒のこともあれば、彼とふたりだけのこともあるけれど、とにかく4月5日という日をまるごと悟空に預けるために、三蔵はその休暇を取るのだ。
何をしてやるわけでもない。
ただ、その日を共に向かえ共に見送る。
その日を迎える瞬間も、三蔵が進んで動くわけでもなくて。
実際、そういう時に飲み物や食べ物を卓に並べ用意するのは、三蔵以外──八戒達がいれば彼等が、そうでなければ悟空自身で。
それでも、その日を迎えることを、悟空が全身全霊で喜ぶから。
だから、三蔵はその3日間を休暇と定めて譲らないのだ。
悟空が決めた。
悟空が望んだ。
だから、その日、4月5日は、悟空の定めた誕生日だ。
悟空がはっきり『この日がいい』と言った時のことを、三蔵はずっと覚えている。
あれは、三蔵と悟空が出会って迎えた最初の冬。
三蔵自身の誕生日とされている日の、翌日の夜のことだった。
「なあ、三蔵。俺の誕生日って、いつ?」
「ああ!?」
──いきなり何を抜かしやがる。
つい素であからさまにキツい返事をした三蔵に、めげる様子もなく悟空は同じ言葉を繰り返した。
「だからさ、俺の誕生日。いつ?」
何の事だ。
いや、それよりもむしろどういう事か。
悟空の誕生日がいつかなど、聞いた覚えは三蔵にはない。
そもそもつい昨日まで誕生日の何たるかすら知らなかった悟空が、己がそれを三蔵はもちろん他の誰かに教えているとも思えない。
知らない事など答えようがない。
にもかかわらず悟空は、己が誕生日はいつかと三蔵に訊く。
「……どういう事だ」
問われた三蔵は本気で胡乱気な言葉を返した。
知らないものを何故問われるのか。
もしや以前ちら、とでも会話の中でその手の話が出て、何気なく悟空が漏らした事でもあっただろうか。
それとも、あり得ない事だとは思うが、この質問で悟空が三蔵の何かを試そうとしているとでも言うのだろうか。
だが、返された悟空の言葉は単純で無邪気なものだった。
同時に意表を突かれるものでもあった。
言ったものだ。
「だって俺知らねーもん生まれた日。だから、三蔵なんでも知ってるからひょっとして知ってるかなーって」
「なんだと? ……何を知らない?」
「だから、俺の誕生日」
昨日の会話のこともあるし、先ほどの言葉を聞く限りでも、悟空の中で誕生日イコール生まれた日という式はきちんと出来上がっているようだ。
なのに、自分の誕生日はいつかと三蔵に訊く。三蔵なら知っているかと思った、と言う。
一体これは……
「どういう事だ?」
思わず零れた三蔵の言葉に、悟空が返した言葉は、先ほどに輪をかけて無邪気かつシンプルだった。
そして、三蔵には想像もつかない深い闇をはらんでいた。
「だって俺覚えてねーもん。覚えてたのって名前だけ」
──名前、だけ。
虚を突かれるとはこの事だと思った。
いまさらながらに思い出す。
そういえば出会った時、悟空は確かに三蔵に、名前しか覚えていないと言ったではないか。
何故あんな岩牢に閉じ込められていたのかも。
どれだけの時間あそこにいたのかも。
自分が一体何者かも。
誰かの名を呼びたくて、けれど呼ぶべきその名が浮かばなくて、ただ、『誰か』を呼んでいたと。
そんな悟空が、自分の生まれた日を、覚えているはずがないのだ。
だが。
「……俺だって知らねぇぞ」
悟空の誕生日がいつかなど、三蔵も知らないし聞いてもいない。
悟空を連れ帰ってしばらく後、斜陽殿で三仏神から悟空の“正体”を教えられたが、その時与えられた情報には、あたりまえだが彼の誕生日など含まれてはいなかった。
だから、
「お前の誕生日がいつかなんて、俺は教えられてねぇ」
告げると、悟空は一瞬だけ痛そうな顔をして、それからすぐに、
「……そっか。」
と、笑った。
「なぁんだ。さんぞーも知らねーのかぁー。さんぞー、なんでも知ってるから、俺のたんじょーびも知ってるかと思った。なぁんだ」
責めるでもなく、悔しがるでもなく、ただ軽い口調で、明るい声で、「へへ」と、笑いながら、言って悟空はぺたんと床に座り込む。
笑い、ながら。
笑って、いるのに。
へろり、と、確かに悟空は笑っているのに、その顔が、その口調が、どこか力なく頼りなく、涙を隠しているように、三蔵の目には映ってしまった。
泣き顔に、見えてしまった。
────ああ。
普段は大飯食らいで騒がしいバカなチビ猿としか思わないのに。
いつもいつも笑っている脳天気なこどもだと思っているのに。
どうして、こうも、このこどもの“泣き顔”は、自分の心にクルのだろうか。
「…………バカ猿」
「ええっ、なんで!?」
「この大バカ猿」
「だから何でだよ三蔵!」
へたりと床に座り込んで。ぺたりと床に手を突いて。
つい先ほどまで力なく笑っていた悟空は、三蔵のひとことに即座に反応して、目を見開いて吠えている。
まるで、元気な子犬のように。
「ばーか。」
「さんぞー」
眉をしかめ、口をへの字に曲げて、むくれる素振りを見せる悟空を、椅子に座り執務机に片肘をついた体勢で上から見下ろしながら、三蔵は言った。
「決めりゃあいいじゃねーか自分で。覚えてねぇならテキトーに」
まだ悟空は知らないが、三蔵自身の“誕生日”だって、本当に三蔵が生まれた日ではなく、師匠が三蔵を拾った日なのだ。
自分で決めて何が悪い。
「いいの?」
「いいだろ」
「そーか?」
「そーだよ」
誰も覚えていないのなら、どこにも記録がないのなら、悟空の好きな日を誕生日と定めても、誰からもどこからも、苦情の出ることなどありはしまい。
言うと、悟空はふわりと笑って
「そっか。」
と納得したようだった。
「で?」
「え?」
「いつがいいんだ」
「なに……たんじょーび?」
「他に何があるってんだよ」
この話の流れで、一体?
『面倒くさい』と表情にしっかり出して三蔵が言うと、悟空は今度は涙の透けない口調と顔で、
「だよな」
と、へろりと笑った。
「いつでもいいのか?」
「いいんじゃねぇのか」
悟空さえ覚えていられるのなら。
「ヒントは?」
「……ふざけてんのかテメェ」
「うーっ。じゃあ昨日は?」
「貴様と同じなんざまっぴらだ!」
「じゃ今日」
「大差ねぇだろうが」
ギリリ、握り拳に力が入る。
「んーと、なんか記念の日がいいんだよなやっぱり? えーとじゃあ……はじめてまんじゅう食った日とかはじめてケーキ食った日とかはじめて空あげ食った日とかはじめて……」
「テメェの記念日は全部食い物絡みかこの脳味噌胃袋猿……?」
目眩を覚えてしまった三蔵である。
一体どうしてくれようかフツフツと沸き上がるこの怒り。
自然と声も低くなる。
「だいたいテメェの軽量な脳味噌でそんな日全部覚えてるってのか。ああ?」
絶対に無理に違いない。
確信を持って言い放つと、やはり図星だったらしく、
「……おぼえてない」
悟空がしゅん、とうなだれた。
──バカだバカだと思っていたが本当にバカだこの猿は。
この調子では、一体どんな“記念日”を“誕生日”に設定するか判らない。
さすがに三蔵もかなりの割合で不安を覚えてしまった。
が。
「あ。」
ふと、悟空が声を上げた。
「?」
──また何を思い付いたやら。
胡乱な目を向けた三蔵だったが、その視線の先の悟空は、まさにキラキラと輝く瞳で、
「そうだ!」
と、三蔵を見ている。
「悟空?」
何事か。
名を呼んだ三蔵に、悟空が返した言葉はこれだった。
「三蔵、あの日! あの日、いつ? あの岩牢に三蔵が来てくれて、俺を連れ出してくれたあの日! 俺、誕生日あの日がいい!」
自分で決めて良いならその日がいい、と。
言った悟空の笑顔には、涙の陰などカケラもなかった。
あの日が正確に何日だったかなど、実は三蔵もうろ覚えだった。
「確かあれは灌仏会の直前だった」という三蔵の記憶を頼りに、ブチブチと文句を言われながら雑務を預かる僧侶に4月の日誌を引っ張り出させ、自分が五行山に行くため不在にした日を調べて、さらにそこからかかった日数を割り出し記憶を辿り、4月5日の結論に辿り着いた。
『よりにもよって何故今!?』という僧侶達のブーイングを後目にさっさと寺院を後にして、帰院した途端またもや大ブーイングを受けたことを三蔵が思い出したおかげでもあり、同様に“よりにもよって”釈尊の生誕日などという大事な行事を三蔵抜きでやりおおせなければならなかった僧侶達が、その時の苦労を思い出したおかげでもある。
それでも、その日は確かにふたりにとって、記念日ではあったのだ。
長く自分を呼び続けた“声”の主を、三蔵が見つけだした日。
永く“誰か”を呼び続けた悟空がその“誰か”──三蔵──と出会った日。
ながかった孤独が、終わった日。
ながい長い時間を経て、再び悟空がこの世界に送り出された、その意味では正しく“誕生日”だ。
そうして、その日が良いと悟空が望んだから、4月5日は彼の誕生日になった。
本当の誕生日がきちんとあるのかもしれないが、今はこの日が誕生日がいいと、そう、悟空自身が言うから。
その日に決めた、と、彼が言うから。
だから、4月5日を迎える夜には、三蔵はきちんと休暇を取って、その日を悟空と迎えるのだ。
悟浄や八戒が共にいる時は一緒に、そうでなければふたりで、太陽のような金晴眼と、太陽のような魂の持ち主の、“誕生日”を祝うために。
今年は、ふたりきりでその日を迎える。
卓に並ぶ料理や飲み物は、昼間のうちに訪れた八戒と悟浄が置いて行ったもの。悟空に好意的な僧侶達があつらえたささやかな心づくしも添えられている。
パーティーはちゃんと5日の午後に。
リーダーが八戒で、会場はハミングバード貸しきりだから、料理も飲み物も飾り付けもさぞ華やかなことだろう。
ボーン、ボーン、ボーン、…………ボーン。
時計が12時の鐘を打てば、日付けが5日に切り替わる。
ポン、と、ワインの栓を抜き、嬉しそうにグラスに注ぐ、悟空の瞳の色は金色。
年を重ねることが嬉しいと。
流れる時間が嬉しい、と。
悟空は、自分の“誕生日”を、喜ぶ。
「5日だよ、三蔵」
「ああ、そうだな」
素っ気無い返答に込められたものを、きちんと悟空は感じ取る。
ワインのボトルを取り上げ、悟空のグラスに注いで、チリン、と2つのグラスをあわせると、
「ハッピーバースデー、俺ー!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに、金色の瞳を輝かせて、綺麗にきれいに、悟空が笑った。
ここまで来たら書かないと思う方の方が少ないことでしょう(自爆)。もちろん祝います悟空BD。
「Happy
Birthday悟空!」
八戒さん、悟浄、三蔵ときて悟空を祝わないワケがありません。
それでもやっぱりいまひとつめでたくない雰囲気の話ですが(苦笑)。
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