──春謡──

 

 

 

 珍しく、起こされる前に目が覚めて、悟空はそれをとても不思議に思った。
 毛布をかぶっただけで床にごろ寝した姿勢から、上半身だけ起こして見回すと、仲間達は夜中まで飲んで騒いで沈没したそのままの場所で、八戒はベッドに、三蔵は壁にそれぞれ凭れ、悟浄は悟浄で悟空同様床に長く伸びたまま熟睡している。
(何で俺、こんな時間に……)
 朝の早い三蔵も八戒もまだ目を覚まさないうちに、どうして自分が目覚めたのか。
 首を傾げた悟空は、ふと窓を見て納得した。
 カーテンの隙間から、白み始めた空が見えた。
 ──夜が、明けようとしていた。
 目覚めた時の体勢を鑑みると、悟空は丁度窓に真向かうように眠っていたのだろうから、多分、カーテンの隙間から漏れるほの白い光に、意識を刺激されたのだろう。
(夜明けかぁ……)
 普段はさしたる感慨も覚えず、ましてわざわざ時間を合わせて起きて見ようなどと思いもしないが、目覚めてしまうと心惹かれる。
 ──窓から夜明けを眺めてみようか。
 思い立ち、立ち上がって窓に歩み寄ろうとした悟空は、けれどそこで足を止めた。
 悟空の居る場所から窓へ近づこうとすれば、眠る悟浄をまたいで通るか、八戒の脇をすり抜けベッドに上がって行くしかない。そんなことをすればまず間違いなく八戒が起きる。悟浄も起きてしまうだろう。
 早い話、悟空は一番窓から遠い場所で床に転がって眠っていたのだ。聡い仲間達に気付かれることなく部屋を横切るのは難しい。
 それに、首尾良く窓際に辿り着けても、カーテンを開けた時点で眠りの浅い八戒と三蔵が目を覚ましてしまう気がする。
(まだドアの方がマシかなぁ?)
 悟空は少しの間考えて、ドアから外へ出る方を選んだ。
 なるだけ静かにドアを閉めて、滑るように音を消して外に出る。
 そうして見上げた東の空は、既に淡く白んで星もない。けれど振り向けば西の空はまだ深い暗紫に沈んで、星がさざめくように瞬いていた。
 ゆっくりとなぞるように視線を戻せば、濃紫の空は色を移して、三蔵の瞳のような鮮やかな紫から、青、薄青、東の山際を縁取る白金まで、纏う色を変えて行く。
 東の空に浮かぶ雲は、まだ姿を見せない太陽の存在を知らせるように、どこか緑を滲ませた紅に染まっていた。
 やがて、この狭間の時間を、金の光が貫く。
 夜が明ける。
 その金色の光の中で、夜の闇の中眠りについていた世界が色を取り戻すのだ。
 大地は大地の色に。木々の葉は緑。萌え出る直前の木の芽はほのかに紅く。山も森も街も、人も、鳥も、獣も花も、それぞれに目覚め、それぞれの色を纏う。
 滅多に見ることはないけれど、たまに立ち会うこの瞬間が、悟空はとても好きだった。
 ──昔、夜明けを嫌っていたのが嘘のようだ。
 “昨日”と変わらない“今日”が来ることを、太陽が昇るのを、待ち望みながら恐れていた日々は、三蔵の手を取った瞬間に終わりを告げた。
 その日が、今日だ。
 何年前になるのだろう、と指折り数えて、あの日から今日までの年月に、悟空はふわりと微笑んだ。
 あれからずっと悟空は、あの金色の側にいる。三蔵は、ずっと、悟空が側に在ることを許してくれている。
 自分が自分であることを、三蔵が、悟浄が、八戒が認めてくれる。
 “昨日”と“今日”が同じでないことを、怖いと思うこともあるけれど、それ以上に嬉しいと思う気持ちが大きい。
 すぐ側には満開の桜。
 闇の中でも輝くほどに妖艶なその花が、今は朝日を待ち望むように夜明けの風に揺れている。
 ──まるで、春を喜び夜明けを喜び桜が謡っているようだと、思った。
 東の空に目を向ければ、見つめる悟空の視線の先で、山の稜線が金に輝く。
 もう、すぐ、日が昇る。
 その瞬間を、悟空は息を潜めて待っていた。

 

 

 パタン、と。
 可聴範囲ぎりぎりで響いたドアを閉ざす音に、大人3人は身動き一つせずにしばらくだんまりを決め込み、やはり可能な限り潜められた足音が遠ざかるのを待ってから、ゆっくりと長身を起こしてのびをした。
「ああ、もう夜明けなんですね」
 カーテンの隙間から漏れる光を見て、八戒が淡く微笑む。
 不自然な体勢の睡眠で凝り固まった肩をぐるぐる回してほぐしながら
「にしてもどこ行ったんでしょう悟空は?」
 誰に問うでもなく呟くと、寝起きで微妙に不機嫌な三蔵が、眉間に皺を刻んだまま、
「外だろ。日が昇るの見に行ったんじゃねーのか」
 と、言った。
 あくびをしながら悟浄が笑う。
「まー、気ぃ遣ってくれちゃってお猿ちゃんたら。判ってるあたりがさっすが保護者v」
 三蔵がすかさずS&Wを取り出しそうになるのを八戒が止めた。
「朝っぱらから止めてください三蔵。近所迷惑です」
「はっかい……」
 朝でなければいいのか、とか、俺の体はどうでもいいのか、とか、色々言いたそうな悟浄を後目に、八戒はスタスタ歩いて窓際に立つ。
「あ。いた。」
 カーテンを開けた途端零れた八戒の声に、引かれるように悟浄と三蔵も窓際に並んだ。
 窓の外に、悟空が居た。
 3人がガラス越しに見守る中、視線を西に巡らせ東に巡らせ、周りの木々や桜に目を向けて、時折足を踏み変える。
 まだ冷たさを残した夜明けの風に大地の色の髪をなぶらせ、悟空は風に揺れる木の枝や桜を見ながら、日が昇るのを待っている。
 喪った記憶のブラックボックスを抱えたまま、雪に怯え夜明けを嫌っていた子供は、そのブラックボックスを抱えたままで、夜明けを待ち望むほど靱くなった。
「うっれしそうな顔しちゃってまー」
 クツクツ笑う悟浄に、八戒が返す。
「そりゃ嬉しいでしょう。今日は、悟空の誕生日なんですから」
 ──今日は、悟空が自ら“誕生日”だと決めた日だ。
 今の全てが始まった日。
 悟空が三蔵に出会った日。
 嬉しくないはずがないだろう。
「ねぇ。三蔵?」
 裏のない笑顔で八戒が言うと、三蔵はただ一言
「知るか」
 と答えた。
 ぶっきらぼうな三蔵の言葉に隠された思いを、悟浄と八戒は正確に読み取る。
 やはりクツクツ笑いながら、今度は悟浄は何も突っ込まない。
 代わりに窓の外を見て、言った。
「あ。日が昇るぜ、ほら」
 瞬間、東の山の稜線が金色に輝き、眩い光が朝の白い空気を裂く。
 空が、木々が、大地が、街が、闇の中にあってさえほの白く浮かび上がる薄紅の桜までが、この時ばかりは金に染まった。
 毎朝繰り返される光景であるはずなのに、それが“今日”だというだけで、まるで悟空の誕生日を世界が祝っているような気になる。
 脳裏を過ぎったそんな自分達の感慨も、あながち間違いではないかも知れないと、3人は思った。
 何しろ彼は、大地が生みだした“愛し子”なのだ。世界が祝福してもおかしくはない。
 その悟空は、まだ、朝日を見ている。
 そろそろ中に入ればいいのに。
 思った八戒が窓に手を掛けるのと、悟空の振り向くのが同時だった。
 ぱあっ、と、悟空の顔が明るくなる。
 カタン。
 窓を開けると、悟空が笑顔で駆けてきた。
「三蔵、八戒、悟浄、おはよっ!」
「ああ」
 ぶっきらぼうに三蔵がまず返す。
「おはようございます悟空」
「はよ」
 八戒と悟浄もそれぞれに言葉を返して。
 やがて目の前に立った金眼の少年に、日付が変わった直後に一度告げた言葉を、3人は、もう一度、贈った。

 

 

 ──誕生日、おめでとう。悟空。

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

というわけで、バースデイシリーズ3巡目ラストの2003年版「悟空お誕生日おめでとう」小説。
バカだバカだとは思いますが、上3人を祝ってこの子を祝わないなんてそんなこと出来ようはずが……(笑)。
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